長い一日が始まった9時

始まりは12月31日の朝の9時にまで遡る。

冬休みで大晦日でも受験生である木暮は前夜も遅くまで勉強をしていた。だが、大晦日には親戚がやって来ると聞かされた彼は、脱走を計画していた。やって来るのは小学生と中学生のいとこが計3人、両親はその相手をさせたいようだったが、ただでさえ勉強で頭が詰まっているところに子供の相手は堪える。

木暮はひとまず朝8時には起き出して身支度をし、朝食を食べながら「友達に二年参りに誘われている」と言ってみた。すると、それじゃあ昼間はいとこたちと遊べるじゃないかと返ってきた。想定内想定内。それには軽く返事をするにとどめておいた木暮はしかし、まずは友達に借りてた本を返すから出かける、と家を出た。

で、このまま帰らないつもりである。

家を出てしまえばこっちのものだ。これまでほとんどの時間を部活に費やしたかと思えば、休む間もなく受験生になってしまったのでバイトする暇もなかったわけだが、それは同時に小遣いを使う暇もなかったということでもあり、遊ぶのは学生になってからでいいと考えている彼の懐はそこそこ暖かい。

なので、まずは駅前のカフェに入った。普段なら通勤前の大人で溢れかえっているが、さすがに大晦日、ゆったりとコーヒーを楽しむ人が多い。木暮も最近ブラックを飲むようになったコーヒーをオーダーし、店内に足を踏み入れた。すると、窓辺の席に見慣れた顔を見つけた。特に目的もなく出かけてきたのでちょうどいい。木暮はすぐに声をかけた。

「おはよう」
「えっ!? あれー、どしたの、おはよう」

隣のクラスのだった。同じ中学出身なので付き合いは長い。ついでに湘北では数少ない進学希望組であり、なおかつ通っている駅前の予備校も同じ。木暮は断りもせずにの向かいに腰を下ろすと、ちらりと窓の外を見た。人もまばらで知り合いは通りかかりそうにない。

「オレは親戚の襲来から逃げてきたところ」
「うっそ、同士よ! 私も逃げてきた」
「マジか! よかった〜仲間いた〜」

聞けばは「本家」の生まれで、年末年始になると父方の親戚が一斉に押し寄せてくるのだとか。たかがいとこ3人に耐えかねて逃げ出してきた木暮はそれを聞いただけで身震いがした。なんでみんな大晦日まで人んちに来たがるんだよ。自宅でのんびり過ごせよ。も同じことを言って苦笑いをしている。

「じゃあ夜中に帰るの?」
「まあうちは泊まらないだろうし、子供たちが帰りさえすれば」
「いいなあ。うちなんか3日までいるんだよ」
「そっ、それはしんどい……

日帰りなのに逃亡してきた木暮は背中が重たくなってきた。それはつらい。

「でも3日まで帰らないってわけにもいかないだろ」
「まあね。でも予備校2日からだし、ひとまず今日だけでも逃げられれば」
……どこか行こうか」
「えっ?」

あんまり考えずに言ってしまった木暮だったが、悪い考えではなさそうな気がしてきた。

「何か予定があるなら遠慮するけど、何もないなら」

はちょっとだけむず痒そうな顔をしていたけれど、やがて小さく頷いた。

「何も予定がないからどうしようかなって、ここで途方に暮れてたところ。助かる。ありがとう」

しばしカフェで雑談に興じたふたりだったが、木暮家に親戚が到着したという一報が入ったので店をあとにした。本を返したのとは別の友達とばったり会っちゃったからしばらく帰らないという息子に、彼の両親は「お年玉もらいたかったら帰ってきなさい」と小言を言ったらしいが、既に電車に乗るところだった。金を人質に脅しとは、むしろ逆効果である。

ひとまずふたりは電車で移動して、映画館に行くつもりだった。時間を潰すのにはちょうどいい。調べてみたところ、ふたりで一緒に見られそうなものがあった。それが終わればもう昼である。

「確かってすごく仲のいい子いなかったっけ?」
「えーとですね、私が受験するって知ってから冷戦状態でして……
「あー、それは……

ふたりの通う湘北高校で大学進学希望というのはとても珍しい。今年もふたりを入れて30人ほどしかいない。

「まあ、それは進学やめる理由にはならないし、向こうも折れないからしょうがないよ」
「学校が変われば付き合いも変わるしな」
「でも木暮はまた赤木と一緒なんじゃないの?」
「同じところに受かればね」

そんな、今最も身近な話題である進路の話をしながら映画館に向かい、洋画の青春ドラマを見た。あと残りのない爽やかなストーリーで、過剰な恋愛描写もなく、説教臭くもなく、ふたりで見るのにちょうどよかった。ロビーに戻るともう12時を過ぎていた。うららかな大晦日の街をふたりはあれこれ感想を言いながら歩いていく。

すると、向こうからよく知った顔が小走りでやって来た。

「よう、なんだお前らふたり揃って」
「親戚襲来」
「右に同じ」
「お前らもかよ……

さらっと受け応えたと木暮に肩を落としてみせたのは、三井だった。とは1年生の時に同じクラスで、教室に三井がいないと木暮や赤木はに尋ねることになっていた。まあその程度の縁ではあるが、よく知った顔には違いない。

「三井も逃げてきたの?」
「オレの場合は親戚が来るんじゃなくて、田舎に連行されそうになったから逃げてきた」
「そっ、それもしんどい……

これまで年末年始を親戚の家で過ごす習慣はなかった三井家だが、今年は神奈川の三井家の問題児・寿がすっかり更生してインターハイに出場したという話題で親戚中もちきり、久々に会いたいから連れてきなさいというお達しは11月頃からあったそうだが、冬の選抜の予選に夢中になっていた彼は母親の報告をまったく覚えていなかった。

と木暮は新たな道連れを得て歩き出した。そろそろ昼である。

「元々親戚苦手なんだよ……
「それっぽいね」
「父方なんだけど、ものっすげえ女系で」

それを聞くや木暮は派手に吹き出して三井に裏拳で突っ込まれた。女だらけの親族の集まりの中にぽいっと放り込まれた三井を想像したら笑わずにいられなかった。きっと三井を心待ちにしているであろうご親戚の女性の皆さんはさぞやがっかりされることだろう。更正後の三井の写真かなんか見ていたら、そりゃもう激しくがっかりするだろう。

親戚付き合いから逃亡してきた者同士、3人はそのまま近くにあった中華料理店に入った。

「でも三井もう推薦取れたんでしょ。いいなあ」
「いやお前あんなん奇跡としか言いようがないって」
「結局冬の選抜は予選までだったしな」
「一応先生があれこれ掛け合ってくれてたんだけど、でもまあ望まれて行く方がいいに決まってるしな」

冬の選抜に出場して大学の推薦をもらいたいと焦っていた三井だったが、その前に国体に出場という機会を得て、そこで某大学の監督の目に留まり、無事に進学できることになった。3人はラーメンを啜りつつ三井の進学先の大学の話をしていた。

「まあ確かに通いはちょっとキツいか……運動部だもんね」
「古い寮があって助かったよ。木暮はどーすんだ」
「まだ受かってないから何とも言えないけど」
「全員都内に決まったらルームシェアする?」
「男女混合はまずくないか」
「男女混合イコール破廉恥な行いっていう前提の方が不自然な気もするけど」

少しひるんだ三井だったが、は事もなげにそう言って水を飲んだ。また木暮がくつくつ笑っている。

「あれだな、オレたちが信用ないのはしょうがないとしても、赤木がいれば問題なさそうだな」

今度は三井が口元を押さえて派手に吹き出した。確かに。

「まあ、その分プライベートは確保しにくいけどね。友達とか恋人とか」
「男いたのか?」
「いませんが何か」
「万が一出来たら困るって言いたいんだろ」
「万が一って何だ、失敬だな」

腹の膨れた3人はきっちり割り勘で支払うと、また街を歩きだした。現在13時15分、木暮の親戚が退去予定の19時まではまだまだ長い。全員無計画に家を飛び出てきたのには違いないので、とても暇である。時間潰しに最適な映画という手はもう使ってしまった。その上三井は映画館で映画を見ていると寝てしまう体質だそうで、どちらにせよ無理。

「よし、腹ごなしにバスケしにいくか」
「中毒だね」
「よし、行こうか」
「木暮、お前もか」
「まあまあ、バスケ教えてやろうか?」
「えっマジで!?」

木暮と同じ中学だったと言っても、バスケット部からするとはただの部外者、伝え聞く情報は少なく、うちのバスケ部インターハイで超強い相手に勝ったんだって、という程度しか知らない。その主力選手たちがバスケ教えてくれるとは。三井にガシッと肩を抱かれたはぴょんと飛び上がった。こんなチャンスはないぞ。

「ちょっと解説したあとに私を翻弄して、やーい下手クソめ! ってやらないなら」

また木暮が吹き出す。三井のやりそうなことだ。

「しっ、しねーよ! 笑うな!」
「すまんすまん、容易に想像がついたから」
「じゃあ行こう! どこでするの?」
「ああ、この近くにコートがあるんだよ。公園の一角だけど」

3人はまた雑談に興じながら連れ立って歩いていく。15分ほど歩き、少しずつ住宅の方が多くなってきたあたりで道をそれると、突然大きな公園が現れた。児童公園を想像していたはつい声を上げた。

「こんなとこあったんだ。知らなかった」
「オレらが中3の頃だったか?」
「ええー、全然知らなかった……
「知ってたら彼氏と来たのにィ〜」
「うっさいな、どうせ3年間彼氏なしだよ! 三井だって彼女いなかったくせに!」
「なんで知ってんだよ!!!」
「わかるわ元ヤン!!!」

と三井がキャンキャン言い合っていると、木暮が突然立ち止まって声を上げた。

「どうした」
「噂をすれば」

木暮はまた肩を震わせている。彼の指さした方向に、巨大な人影が走っていた。

「赤木ー!」
「おいマジか大晦日までトレーニングかよあいつ受験じゃねえのかよ」
「ふ、腹筋が……

の声に気付いた赤木はコースをそれて3人の元へやってきた。ジャージにイヤフォン、首にタオルですっかり走り込みスタイルだ。だが息は上がっておらず、よく晴れた暖かい日だが汗もかいていない。走り始めたばかりだったかもしれない。

「どういう組み合わせだ」
「親戚から逃げてきた」
に同じ」
に同じ」
「おっ、お前らもか……
「え!?」

まさかの同士出現に3人は揃って声を上げた。というか親戚から逃亡しなさそうな男ナンバーワンに見える赤木がなんてことだ。しかも彼には現在バスケット部のマネージャーである妹がいるはずだが、彼女を置いて逃げ出してきたと言うんだろうか。

「あっちはあっちで逃亡済み。藤井さんの家に転がり込んでる」
「ヒヒヒ、桜木の家じゃなくてか〜?」
「そんなわけねえだろ」
「わかんねえぞ。大晦日だし、みんなでカウントダウン行こーってなるかもしれないじゃないか」

三井が言うなりみるみるうちに赤木の顔が複雑に曇っていくのでが仲裁に入る。

「でっ、でも藤井さん? がいるなら大丈夫なんじゃない? 桜木くんも仲間いっぱいいたじゃん」
「まあそうだな、さすがにふたりっきりは無理だろ」
「かえって大人数の方がガードが緩ん――痛!」

楽しそうに赤木の不安を煽っていた三井はにつま先を踏まれ、仰け反って呻いた。

「ちょ、お前、足の指折れたらどうしてくれんだバカタレ」
「もうそれはいいからバスケしに行こうよ」
「バスケしに来たのか?」
「暇なんだよな。お前も付き合えよ」

その誘いに赤木が頷かないわけがない。4人となった一行は公園内のバスケットコートまで移動すると、三井は管理事務所にボールを借りに行き、と木暮と赤木はベンチに腰掛けて彼を待った。

「うちの場合は親も困る親戚だからな。破壊力が違う」
「親も困ってんのに拒否できないのか」
「オレの父方の祖父さんてのが、8人兄弟姉妹だったんだ」

赤木の祖父は次男で昨年早逝したそうだが、その7人いる兄弟姉妹が「亡くなった次男を偲ぶ」という理由で夫婦7組、そして場合によっては孫やら子供やらを連れてやって来るという。木暮はまた身震い、もげんなりした。気持ちわかるわ。

「祖母はもうきっぱりと断って叔母と過ごすことにしてるっていうのに、オレや晴子が1年かけて母親の負担になるだけだから断れと言い続けてきたんだが、父親も母親本人も断るのが怖いらしくてな。だから逃げてきた。あとは知らん」

本家の長女であるは腕組みでうんうんと頷いている。それはお祖母さまに拒否されて面白くない7人が赤木父をターゲットにしてしまっただけのことだ。お祖母さまのように断らない限り、一生続く。赤木の判断は正しい。

そこに三井が戻ってきた。

にバスケ教えるって話になってたけど、どーする?」
「別にそこにこだわらなくていいけど」
「でもそれじゃつまらんだろ」
「ひとまず見てるだけでもいいよ」

三井は引退して1ヶ月、木暮と赤木は引退から既に4ヶ月以上。3人共既にウズウズしているのがわかる。はひとまず身を引いてベンチに腰を下ろした。超強い高校に勝ったという3人がどんなバスケットをするのか、実は見たことがない。

それからしばし3人はコートの中を駆け回ってボールの取り合いをしていたのだが――

「へえー、三井ってそんなに上手かったの?」
「お前確か1年の時同じクラスだったよな……?」
「興味なかったしね〜。木暮は予選見においでよって言ってくれたけどさ」
「何で来なかったんだよ! いやまあ、オレはもういなかったけど」

またと三井がキャンキャン言い合いをしていると、赤木がぼそりと口を挟んだ。

……確かその頃、具合悪くしてなかったか?」
「えっ?」
「その頃っていうか、中3の時からね。まだ治療続いてたから」
「えっ? 何お前病気だったの?」
「うん。夏休みには治療が終わって、今はもう平気だけど」
……すまん」
「えっ、謝るようなことは……

自身はその頃足を怪我して不貞腐れてグレていたので、長い治療に耐えて高校生活を全うしたを見ていると少し心に刺さる。だがの病は治療が完了したことで完治、現在はまったくの健康である。薬も飲んでいない。

……よし、じゃあも入れよ。シュート勝負しようぜ」

病と戦いながらのスタートだった高校生活だというのに、男いなかったとかなんだとか色々と言ってしまったのが気まずくなったのだろうか。三井はをベンチから引っ張り出すと、コートまで連れてきた。

「えー、私がみんなに勝てるわけないじゃん。授業でやったくらいだし」
「だからチーム戦」
「チーム?」
「オレとvs赤木と木暮」
「ちょっと待てそれハンデになってねえぞ」

三井がちょっとしたシュートマシンであることを知らないはポカンとしていたが、木暮と赤木はちょっと顔色が悪い。

「何言ってんだ充分ハンデだっつーの。ひとり5本、チームの合計で勝負」
「そっか、私が1本も決められなくても木暮と赤木はふたりで6本入れれば勝ち」
「ま、まあそうだけど……
「で、負けた方が勝った方の言うこと聞く。オレはその権利をに全部譲る。どうよ」

もしが何本もシュート決めて勝ったとしても、女の子のお願い聞いてやるくらいならそれほどひどいことにもなりそうにない。中学時代からの付き合いである木暮と赤木は、がこれ幸いと恥ずかしい無茶振りをしてくるような子でないと知っているので、余計に安心。三井のお膳立てはなかなかのアイデアだ。

「じゃ、ふたりともちょっと待ってろ。、短期集中シュート講座だ」
「わーい! 先生、よろしくお願いします!」
「よーし、良い返事だ、そこに立て!」
「御意!」

ちょっと待たされているふたりも横からああだこうだと口を出す中、は三井に「シュートの基礎」とかいうものを教わり、何本か試しに打ってみようとした――ら、1本目がきれいにスポッと入ってしまった。

「嘘ー!!! 師匠、私すげくないですか!?」
「師匠は今改めて自分が天才なのだと知って震えています」
「弟子がいいからだと思うけど……
「師匠を真似るのはシュートフォームだけでいいからな
「弟子よ、お前ならこの負け惜しみコンビに勝てる」
「勝ったら何しよっかな〜」

まあ、ビギナーズラックというものもある。はボアブーツだし、ボールは男子用だし、木暮も赤木も受験生とは言え勉強の合間のリフレッシュはやはりバスケット、引退してからボール触ってませんというわけではない。例え三井が5本全部決めてしまっても、3本成功させればいい。あるいは5対5の引き分けでもいい。

と木暮と赤木は思っていたのだが……

「師匠、私は受験終わったらバスケ習い始めた方がいいんじゃないでしょうか……
「気楽なバスケサークルがあれば入ってみれば?」
「そーいうのってなんか素人お断りだったりしない?」
「それはそのサークルによるだろ。あと女バスの事情はよく知らん」

なんと弟子が3本もシュートを決めてしまい、師匠がまさかの1本外して三井組は計7点。対する木暮赤木組は3本ずつ決めて6点取ったというのに、負けてしまった。しかし、負けは負けである。赤木は腕組みを解いてに手を差し出した。

「よし、どうする
「いやー、ずっと考えてたんだけど……

どうか値の張る内容ではありませんように……と木暮と赤木が冷や汗をかいていると、

「せっかくだから、お姫様抱っこにしてもらおうかと!」
「は?」
「ほら〜もしこの先例えば彼氏出来てもみんなみたいに背が高いかどうかはわかんないじゃ〜ん」

は胸の前で手を組み合わせてゆらゆら揺れている。まあ、女の子は憧れがあるか……

「まあ、確かに赤木みたいなのは探そうと思ってもいないからなあ」
くらいなら楽勝だよな、赤木」
「まあ、それはそうだけど、はいいのかオレで」
「は? 何言ってんの? 私をお姫様抱っこするのは木暮。赤木が抱っこするのは三井」
「ハァ!?」
「チーム戦なんだからそうなるでしょうが」
「いやいやいやいや」

木暮はまた笑いを堪えているしは楽しそうだが、三井と赤木は顔色が悪い。

「ていうかちょっと待て弟子! お前それオレまで罰ゲームじゃねえか!」
「えー。師匠1本外したじゃん。素人の私が3本取らなかったら負けてたんだよ。素人の私が」
「そっ、それは……いや、いやいやいやいや!」

もう木暮は遠慮せずに笑っている。確かに師匠はがゼロなら負けていた。

「よーし、おいでー」
「わーい! よろしくね木暮ー!」
「待て待て待て勝手に進めるな!」
「しっかり掴まってろよ。よっ、と」
「きゃー!!! すごーい!!! 重くてごめーん!」
「平気平気! 全然軽い!」

本当に軽かったらしく、木暮はを抱き上げたままくるくると回り、はきゃーきゃー歓声を上げている。

「あー楽しかったあー! ありがとね木暮」
「いいえ、どういたしまして」
「さて」
「さてじゃねえよ」
「こっちは済んでるからな。あとはお前らだけ」
「他人事だと思って……

勝利のお姫様抱っこを済ませてニヤニヤ顔のと木暮に突っつかれたふたりは何分もゴネた挙げ句、一瞬だけだからな、とヤケクソになった。そして助走をつけた三井が飛び上がり、それをお姫様抱っこの形に一瞬支えた赤木、というエクストリームお姫様抱っこになった。まあそれは想定の範囲内なので、は写真ではなく動画でそれを撮影していた。

「てかやっと暗くなってきたな。みんないつくらいに帰ればいいんだ?」
「オレはせめて20時頃」
「オレは誰もいないからいつでも」
「4日まで」
が1番悲惨だな」

の冗談はさておき、バスケだのお姫様抱っこだので遊んでいたら腹が減ってきた。赤木がジャージは公園に来てから着替えたと言うので、元の私服になるのを待ち、改めて街に戻ることになった。大晦日の日はすっかり暮れ、クリスマスはとっくに終わったというのに、イルミネーションが街を彩っている。

「てか今気付いたんだけど、みんなの私服初めて見た」
「それはお前も同じだろ」
「私服だと数倍増しで高校生に見えないね」

バスケット部3人はともかく、は今朝たまたま木暮に出会っただけ。木暮と赤木など6年間同じ学校だったけれど、それだけ。私服で会う機会などなかった。そして、私服で一緒に街を歩く機会はおそらく今後もないだろう。全員親戚を持て余した大晦日という共通点があるだけの、行きがかり上の道連れだからだ。

大晦日の街はまだ時間が早いこともあって賑わっている。4人は少し駅前をウロついたのち、昼は中華だったから肉が食いたいという三井のよくわからない主張により、リーズナブルなステーキハウスに入った。

正直は170グラムのステーキ一皿だけでも充分だったのだが、一時的に運動部をお休みしているに過ぎない男子3人は食べ放題がいいと言って聞かない。結局の分の差額を全員で負担することにして、食べ放題を決行。

「私170グラムと、170の半分だからまあ85くらいとして、それでも250くらい食べたのか……
「まあそんなもんだろ。オレはええと」
「三井は240を2枚と170だから、650。オレは結局170を3枚で510」
「で、オレが240を3枚で720。全員合わせて2キロ超え」
「ほんとみんなよくそんなに入るね……
「まあまあ、体の大きさが違うよ」

197センチあるという赤木に比べれば、など子供サイズに等しい。赤木はの3倍ほど食べているが、ケロッとした顔をしている。むしろガツガツ食う男子たちにつられておかわりをしてしまい、残した分を赤木に食べてもらったの方が苦しそうだ。歩く速度も遅い。

「ていうか今何時? あ、木暮、もうそろそろ20時だよ」
「おお、早いな。みんなはどうする?」
「別にひとりだから用はねえんだけどな」
「オレはいつ親戚が帰るのかわからんし、まあ遅ければ遅いだけ」
は?」
「私はマジで帰りたくないので」

の真顔にそれぞれ他人事ではないバスケット部3人はまだ帰らないと決め、そのまま歩き出した。

「じゃあ、どうせならこのまま時間潰して二年参りでも行くか?」
「おお、いいな。子供の頃は家族で行ってたな〜」
「この辺て神社あったっけ?」
「本来なら地元の氏神神社に行くものだけど……

全員自宅はバラバラ。中学が同じと木暮と赤木も言うほど家は近くない。というか赤木家は赤木が高校入学した年に転居しているので、遠くなっている。なので一計を案じた赤木の提案により、湘北高校の近くにある神社へ向かうことになった。3年間通った学び舎のある土地の神様に参るならそれもよかろう。

しかし時間が潰れない。バブル期からミレニアム前後までは各鉄道やら遊興施設やらが年末年始でも24時間営業、ということもあったそうだが、最近では年末年始の営業をしない形態も増えてきた。

そして、男子3人はカラオケという柄ではなかった。も得意ではない。というわけで、苦肉の策で漫画喫茶にやってきた。ファミリールームに入れば喋っても寝ても問題ない。

「これでダメなら家でも同じことじゃないの……
「暗いのがダメなんじゃないか?」
「暗くなると寝ちゃうの? この人ほんとにちゃんとヤンキー出来てたの?」
「それはちょっと怪しい」

大画面のテレビがあるので映画を見よう! という話になった。あれこれ協議した結果、全員が気楽に見られるものにしよう、とコミカルなアクションアドベンチャーにしたのだが、始まって20分ほどで三井が寝てしまった。映画館で映画を見ると寝てしまうと言っていたが、暗い部屋で大画面だと眠くなる体質らしい。

ソファに寄りかかってスヤスヤ寝ている三井は放置で、たちは映画を見て、それでもまだカウントダウンまでは時間があるので延々益体もない話で喋っていた。というかは今年の夏の彼らの躍進については事後のニュース程度の情報しか知らないので、当事者であるふたりから全てを聞かせてもらい、ちょっと目頭が熱くなった。

漫画喫茶を出て湘北に近い神社まで行くとなると40分ほどかかるだろうか。サービスパックを少し残した一行は、大あくびの三井を連れてまた街に出た。漫画喫茶にいる間にすっかり気温が下がり、サービス業しか稼働していない街は普段より冷え冷えとしている。三井の大あくびのあとにのくしゃみが炸裂する。

「朝は割と暖かかったもんな。てかスカートだし」
「裏起毛タイツ履いてるけど正直寒いっていうか、冷たい」
「足はどうしようもないけど、これ使うか? 未使用じゃないけど洗濯済み」
「わああ、いいの!? ううう、助かります……

赤木が背中に背負ったバッグから引っ張り出した赤木サイズのバスタオルには飛びついた。ちょっとしたストール並みの大きさがある。首元を中心にぐるぐる巻きにするとけっこう暖かい。

「なんでそんなもん持ち歩いてんだ」
「いや、走ったあとに風呂行こうかと思ってたから。それこそ1500円くらいでずっといられるし」
「その手があったな」
「よし、今度親戚が攻めてきたらオレもそうしよう」
「いいなあ男子はそういうのひとりで行かれて」
「えっ、女の人も来てないか?」
「ひとりはやっぱりちょっと怖い気がする……
「まあ、風呂以外のスペースは共用なところがほとんどだからなあ」

風呂の話などしていたら余計に寒くなってきた。は赤木タオルにくるまって小刻みに飛び跳ねている。

二年参りには少し早いか、などと思いながら神社までやって来ると、想像以上に人手が多くてなんだか盛り上がっている。既に参道には長い列が出来ていて、4人はさっそく最後尾につく。行列と男子3人に囲まれると少し暖かい。お焚き上げの火に近付ければもっと温まるだろう。

「えっ、お前寮入らないの」
「というか、もし晴子が都内に進学することになったらふたりで部屋を借りる方がいいんじゃないかと」
「それこそ遊べないんじゃないの」
「しかも2年しか一緒の期間ないだろ」
「だからまだ結論出てない」
「やっぱりみんなでルームシェアするしかないか」
「仮に全員でやったとして5部屋、そんな賃貸の家なんて滅多にねえだろ」
「ごもっとも」

中には12月頃には来春退去予定の学生の部屋を仮押さえし、万が一志望校に受からなくてもそのまま入居して予備校通いの浪人生活……というのもいるそうだが、家も木暮家も赤木家も「そんな余裕はないので滑り止めは受けること」ときつく申し渡されている。に至っては、浪人はしても構わないがアルバイトと両立させることと条件がついている。

10分ほど並んだところで年が明けた。太鼓が鳴らされ、参拝の列が少しずつ動き出す。

「あけましておめでとう! 今年もよろしくね。残り、少ないけど」

自分で言いながら少し俯いてしまったの頭をワシワシと三井が撫でる。何かが終わっていくということは、何度経験してもどこか寂しさが残るものだ。バスケット部3人とはそれほど親しい仲でなかったでも同じこと。こうしてわいわいと遊んでいられる時間が楽しければそれは余計に重く感じてくる。

参拝を終え、甘酒をもらってお焚き上げの火に当たっていた4人だったが、時間は0時過ぎ、もし帰るならそろそろ解散しないと電車がなくなる。一応以外はもう親戚の脅威は取り除かれたと言っていい。だが、今日1日ずっと一緒に過ごしてきたせいか、それぞれこの奇妙な集まりから離れがたくなってしまった。

の言う「残り、少ないけど」という言葉がじわりと胸に広がる。

すると三井が甘酒の紙コップをぐしゃりと握り潰して顔を上げた。

「もうこうなったらオレんち来るか? 誰もいないぜ」
「えっ。勝手にいいのか」
「別にはしゃいだ中学生じゃあるまいし、コタツくらいしかねえけど」

木暮と赤木はもちろん問題ないわけだが……3人はの方を見た。すると当人はうんうんと頷いている。

「コタツ! コタツ早く入りたい」
……平気か?」
「うん。もう家には友達んとこ泊まってくるって言っちゃったし」
「いつの間に。三井が言い出さなかったらどうするつもりだったんだよ」
「さっきの漫喫。女性専用ルームあったし」
「それよりはオレんちの方がまだマシだな」

そういうわけで一行は今度は三井家に移動した。湘北からのんびり歩きと電車と歩きで1時間ほどだろうか。三井の両親は息子を田舎に連行する気でいたので、家の中には飲み食いできるようなものがなにもないらしく、4人は途中でコンビニに立ち寄り、飲み物やらお菓子やらを仕入れるとホットラテ片手に三井家までやってきた。

「男が3人で女子連れ込んでるって言われそうだな」
「気持ちはわからないでもないけど、発想が安直だと思う。私が男の子興味なかったらどうするんだろうね」
「というわけでお前ら、勝負だ」
「は?」

コタツと暖かいコーヒーにありついて顔がピンク色になっているたちは、自室から戻ってきた三井を振り返ると揃って声を上げた。見れば三井はゲーム機を引っ張り出してきたらしい。そして片腕にジャージが引っかかっている。

「マリカー……そう来たか……
「あとはこれ穿いとけ」
「きゃー! バスケ部のジャージじゃん! うわ、ちょ、写真撮ろう。やば、木暮、撮って撮って」
……お前それ撮るのはいいけど三井んちで三井のジャージだとか言いふらすなよ」
「じゃあ木暮んちで木暮のジャージだって言うよ」
「オレのジャージこんな擦り切れてないよ」

こたつは大変ありがたいが何しろはスカートだった。本人もジャージがあった方が暖かいし、男子諸君も不慮の事故の心配がないので助かる。もう1時を過ぎているけれど、今日は特別な日だったし、4人は不埒な目的で一緒にいるわけではないのである。ジャージにテレビゲームというのはちょうどいい。

というわけで、それぞれ意気揚々とコントローラーを握り締めてゲームに挑んだのだが、

「ちょ、え!? なんでそんなに上手いんだよ!?」
「ハッハー! 長患いなめんなよー! 治療してる頃ヒマでゲームばっかりしてたからな!」

実力的には大差ないと思い込んでプレイし始めた男子3人はに完敗。何度やっても勝てない。技術だけでなく運にも左右されるゲームのはずなのに、おかしい。しばし熱中していた男子3人だったが、やがてばったりと倒れた。もう無理。降参。

「いやー、全国大会で戦ってきたような猛者を相手に完全勝利というのは気持ちがいいものですね……
には負けるけど、三井に勝てたからオレ今年は幸先いい」
「マリカーで勝ったくらいで満足してんじゃねえ」
「マリカーで勝ったから今年はもっといけるって意味だよ」
「ちくしょう……赤木にまで負けるなんて……
「残念だったな。オレは晴子の相手でたまにやってたから」

は勝利の美酒ならぬ、勝利のジャスミンティーを飲んでいるが、負けつちまつた悲しみに倒れた3人はふいに眠気に襲われた。もう寒くないし、今日は楽しかったし、ほどよく疲れている。漫画喫茶でぐうぐう寝ていたはずの三井もまた大あくびをして目をこすった。両親はそれこそ2日の夜にならないと帰らないのでいくらでも遊んでいて構わないのだが、眠い。

「あら? みんな眠くなってきた?」
はまだ眠くないのか」
「うーん、言われると眠いような気もしてきた」
「まあもう2時過ぎてるしな。少し休むか」

高校生に「コタツ寝は危険だからやめましょう」なんていう認識はなく、しかし全員で全身を暖かく出来るほどコタツは大きくなく、三井が引っ張り出してきてくれた寝具で補強すると、本人は自室のベッドに戻り、と木暮と赤木はリビングでぼそぼそと喋っている間に寝てしまった。

それから数時間、かろやかな音では眠りから覚め、体が冷たいので横になったまま身震いをした。しかもなんだか違和感のある匂い。そこで三井の家に泊まってしまったことを思い出したは、のそりと体を起こしてコタツのへりにコツンと額を預けた。すると、向かい側からやはり眠そうな声が聞こえてきた。

「おはよう。起こしちゃったな、すまん」
……あー、おはよう。ううん、木暮の携帯?」
「そう。目覚ましのアラームは切ってたんだけど、親からメール」

真面目に高校生活を送ってきた上に受験生である息子が一晩帰らなかったので、さすがに不安を感じた母親が早く帰ってきなさいとメールを寄越したのだという。まあ無理もない。

「んふふ、上で寝てる誰かさんと違って真面目だったからねえ」
「三井の家にいるよって連絡はしてあるんだけどな」
「ヒヒ、三井って信用されてないんだねえ」

三井はまだ自分のベッドでぐっすり寝ているだろう。赤木ですら毛布にくるまって静かに爆睡中である。寝起きでぼんやりした顔の、メガネがなく、寝癖がついている木暮は声を潜めて笑った。なんだかこの静かな朝が可笑しい。確か今日は1月1日でお正月のはずだ。だけどそんな気がしない。子供の頃のお正月とは、何もかもが違って感じられる。

そんな、ちょっと大人を感じてしまう正月の朝に一緒にいることも、可笑しかった。

付き合ってもいない、仲良しでもない、クラスや、部活や、他のどんなことでも仲間だったことはなく、ただ6年間同じ学校に通っていただけの間柄だったはずなのに。それもあと少ししか残っていないのに。昨夜の三井のように大あくびをした木暮は、コタツの上で腕を組むと、その上に顎を乗せて頬を緩ませた。

、ちょうど9時だよ。24時間、一緒だったな」

言われたはひょいと顔を上げて少し考えると、納得の声を上げた。そういえば始まりは昨日の9時頃だった。

「変なの、そんなに長い間一緒にいた気がしない」
「オレも」
「これはやっぱりルームシェアかな?」
「そのためにも受からないとな〜」

受験という大きな関門を思い出して少しげんなりしたふたりだったが、は体を起こすと腕を伸ばして木暮の手を取った。

「でもこの24時間、すごい楽しかった。ありがと」
「そんなの。オレも楽しかったよ」
……またいつか、こういう日が来るといいね」
……ああ」

それがいつか来ないのだとしても、この24時間のことは、しばらく忘れたくない。木暮はそう思いながら、の手をぎゅっと握り返した。白っぽい朝の光の中で、の手は冷たく、けれど触れているといつしか暖かくなっていった。

そしてまた、長い1日が始まる。

END