それを罪と言うのなら

BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 045 / ゼル

砂を弾いて、大地を蹴り上げる音。

それは、誰かが背後から走り寄って来るという事。そして、かなりの確率でが不利な状況に陥るという事。しかもそれは、避けようのない事。

だからは座り込んだままでぼんやりと空を眺めていた。この先2度と空を見る事がなくなっても後悔しないように、出来るだけ鮮明にこの空の青と虹のぼやけた輪郭を脳裏に焼き付けておきたかった。

心を空にして、誰の顔も思い出さないようにしながら。

そのの背中に聞こえてきた声。その間違えようもない声に、はギクリと身体を強張らせる。信じられないという思いと、顔を合わせたくないと言う後ろめたさと、それでも抗えないささやかな思いを同時に抱え込んでいた。

それでも、身体は理性とは別に働くから持て余すもの。は、自分のまぶたと輪郭が火を着けたように熱くなっている事に疑いも抵抗も出来なかった。

本当ならその声の主がを見つける前に身を隠さなくてはいけない事も、判る。それは自分の保身のためというより、相手にとってそれが最善の方法だとは思うから。でなくても、それが一番いいと思うだろうから。

だけど、その声をもう2度と耳に出来ないと思うと、身体中を細かい鎖で締め上げられるかのように辛かった。そんな痛みを自ら進んで受けなくてはならない立場でありながら、その痛みから抜け出したい。

そしては、立ち上がり振り返って、叫ぶ。

「ゼル――!!」

の声を聞きつけたゼルが、の姿を見つけるまでほんの数十秒程度しか、かからなかった。ある意味では野生の勘とも言えるゼルの五感は正確にを探し出した。

近づけば殆ど認識できないようなやっかいな霧を掻き分けてゼルが飛び出した先に、は佇んでいた。セントラの風に舞い上げられた土を被り、「セントラの指先」の降らせた雨に打たれては泥だらけのまま自分を抱き締めている。

お互いが見えたほんの一瞬だけ、2人は立ち止まった。本当に、目に見えているものが本物か確かめるようにして、少しだけ風の中で止まる。

そして、ただ真っ直ぐ走り出した。

――!」
「ゼル――!」

もう一歩足を踏み出せば届く距離を残して、はゼルに飛びついた。頼りなく地面を蹴り上げたの身体をゼルは胸で受け取って、両腕で包み込む。

に負けず劣らず、ゼルも汚れていた。から受けた傷も、ガーデンから逃げ出す時に付いてしまった傷も、全てそのままだった。

そのゼルの背中には指を食い込ませる。どれだけ手に力を込めても微動だにしないその背中に、ただ指を這わせる。

「ごめんなさ、い、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

かすかに頬に触れるゼルの鎖骨に押し付けるようにしては連呼した。ただそれしか彼に言うべき言葉が見つからなかったからだ。ありがとう、とか、どうしてここにいるの、とか、そんな言葉など、少しも思い浮かばなかった。

ただゼルの声が聞こえて、姿が見えて、触れた、その時に、それだけしか言えなかった。働かない頭を無視して、唇から自動的にこぼれた。

そんなの背中と、頭にゼルの手のひら。何度もごめんなさいと言う内に涙声になっていくの背中を、頭を、そっと撫でていた。

……、もう、いい」
「でも、私は……
「オレはなんも気にしてねえよ」

の両頬をゼルの手のひらが包み、少しだけ上向きに修正される。

涙で端々がぼやける視界にいるゼル。は、見上げたゼルも同じように目尻に涙を溜めているのを見つけて、瞬きと共に涙をこぼした。

勝気な性格と一緒に吊り上る眉と、それにつられるように同じ方向を向く目尻、そして、常に全開の笑顔を作る口元が、歪んでいる。滅多に寄る事のない眉間に皺、頬に押し上げられて形を崩す目の輪郭、キュッと結ばれた唇。

搾り出すようにして漏らした言葉は、外に出るのを嫌がって身を潜めるようにかすれた。その言葉を補うようにゼルの目はじわりと赤に染まる。

……泣くなよ」

ゼルは、自分自身も目に涙を溜めている事など気づいていないかのように囁いた。今の2人の距離ならやっと聞こえるくらいの小さな声で。

「お前が辛そうにしてたり悲しそうにしてたり……そういうのはもういい。お前、いっぱい辛い思いして来たんだから、もう、いいだろ?なあ、どうすれば笑ってくれる?どうすればガーデンにいた頃みたいに笑ってくれる?オレは、どうしたらいい?」

今もどこかで冷め始める頭のどこかでは、も判っている。ゼルの心、ゼルの信念、ゼルの想いの隅々を。いつでもゼルは頭を捻りながら言葉にしようとして、上手くいかなくてもそれを口にして伝えて来た。だから、判る。

疑おうと思えば簡単に疑えるゼルのありきたりな言葉と、その裏側にある思いを探る事は、とても簡単。そしてそれを容赦なくぶつけて確かめるような事をは今までたくさんしてきた。ゼルだけでなく、誰にでも。

そんなもの、ゼルにはないと判っていたのに。

だからは、ゼルの手のひらに包まれたままの顔を横に振る。

「なんにもしなくていいよ、ゼルは、もう、何度も私を笑わせてくれたじゃない……。ドールで毎日、楽しかったじゃない。私、笑ってたじゃない。ゼルと一緒にいて、楽しかったんだよ……!」

2人の間に、冷たい風が吹きぬけた事などなかった。

ただなんとなく普通の毎日が、つまらない事も面白くない事も含めて不満に思えた事はなかった。眩しい朝陽とカップから立ち上る湯気と、穏やかな毎日が幸せだった。

そこにひびを作ってしまったのはだが、それはゼルが原因でも2人の生活が原因でもない。ただ2人で過ごした日々がそんなささくれ立った時に重なってしまっただけの話。

「何よりも……誰よりも感謝してるよ……ゼル」
……

目にいっぱい涙を溜めたは、顔をくしゃくしゃにして笑って見せた。もちろんそれは笑おうとして、笑って見えるようにして、作ったもの。けれど、ゼルが笑ってほしいというならはどんな事をしてでも見せたかった。

「ゼルが言ってくれた事全部、全部覚えてるよ。その時にゼルがどんな顔してたのかも、どんな声で言ったのかも、覚えてる。それは全部、私にはあったかすぎて、そんな風に言ってもらっていい人間じゃないって思ってた。だから、だから、だから、ゼル」

頬を包むゼルの手のひらにの手のひらがそっと重なる。

「ゼル、大好き!」

無理矢理作った笑顔に押されるようにしての細めた目から涙が幾筋も伝う。水に浸した指先から零れ落ちる水滴のように大粒の涙がゼルの指先をなぞりながら落ちていく。

その涙を、ゼルの親指がそっとすくう。それが、合図のようにして。

ゼルの顔が近づいてきた事に気付いたは、その速度を追い越してゼルの首に両腕を回す。ゼルはそのの身体をすくい上げるように抱き締める。

唇が重なるまでは、ほんの一瞬だった。

手を取り合う事、身を寄せ合う事、髪に触れる事、腕を絡める事。そしてそんな時に少しだけ胸の奥がチクリと軋む事。そういう些細な恋人達の可愛らしいコミュニケーションを2人はした事がない。

そんなものがなくてもなんだか毎日楽しいから、そんな事をしなくても不満になったりしなかったから。だから、ドアを破壊される音に引き裂かれた朝に舞い降りた額へのキスが、ただ唯一の恋の証だった。

けれどそれが2度と訪れる事のない柔らかな恋の時間だったのだと、もう何度も思い知らされて来た。所詮こんな状況にあっては戻る事など出来そうもない事だと、所詮あれはほんの少しの休息だったと。

だから、そんな不確かな恋の記憶を色鮮やかな今にするためにキスした。

息苦しいほどに腕を絡ませて、身体が折れるほど締め上げて、食らい尽くすように唇を合わせた。いつしか自然と離れてしまう唇を何度も押し付けて、唇といわず、頬にもまぶたにも額にも。

記憶にない恋の証拠を、お互いに刻み込むように。

…………
「ゼル、ゼル……ゼル」

何度も何度もキスの合間から抜け落ちる言葉は、お互いを求め合う言葉でしかなく、意味や目的など、そんなものは欠片もない。ただそうしていなければ、どこかが崩れ落ちて壊れてしまうような気がしたから。

にとって、ゼルはいつでも一条の光だった。激しい感情も、甘い言葉も、痺れるような夢もない。ただ今でもはっきりと思い浮かべられるガーデンでの色鮮やかな日々に縁取られた暖かさと、それをそのまま身に纏ったゼル自身、それだけで、には救いだった。

犯してもいない罪の意識に押し潰されそうな時に、全て飲み込んで許しを与えてくれるもの、それがゼルだった。それが突然恋や愛に変化する事など、きっとありはしなかっただろう。けれどそれを失う事は、の中に眠る恋や愛や、そういったくすぐったい感情を揺り起こす。

すぐそばにいていつでも同じ場所で変わらぬ佇まいを見せる景色のように、手の中から零れ落ちてしまいそうになって初めて、それが恋だった事を知り、いつしか止める事の出来ない感情に変わる。

もうなくなってしまうと判っているのに、あがこうとする。

やっと手に入れた大事な感情をなくしたくない。恋や愛はいつでも誰にでもかけがえのない、それ自体狂おしいほど愛しいもので、絶対に手放したくない。

自分に関われば、ゼルを平和な生活から切り離してしまうかもしれない。SEED時代からは想像もつかないほどに彼を買っている職場に、不変の拠り所となる家族、素のままの彼をいつでも取り戻せるバラムの街ですら、奪うと。

それが判っていながら手を伸ばして唇を重ねるのは、そこにゼルの思いがあるから。誰よりも傷つけたくないのに、自分の意志で傷つく事を選んでの手を取ったゼルが、いたから。

そこに感謝と、そして、愛を。

ゼルがくれた愛の分には及ばずとも、今の体中に満ちるのは欲や意思とは無縁の、ただ湧き上がるだけの愛に他ならなかった。

愛は、喜びや怒りや、悲しみですら操る力を持っている。誰か限られた一人のために熱を持って自分自身を縛るものではない。それが人であろうと、動物であろうと、また、命を持たないものであったとしても、心に火を灯して想いを形作るのが愛でなくて何だというのだろう。

は、ガーデンでの思い出を愛している。セルフィや、共に過ごした仲間を愛している。ガーデンという形のないものですら、愛しく思う。それと同じように、ゼルの全てに愛を持っている。

キスなんて、形にならない言葉の代わりに過ぎない。

ゼルの愛に触れて、それがどんなものであったかを思い出したがゼルに捧げるのは、どこまでも広がる未来にも似た心。解き放たれて、許されて、自分を包んでくれた思いを与える事を覚えた、心。

けれどそれを言葉に出来ないから、ゼルの背中しがみついた。

数秒後か、数年後か、いつかは判らない。それでもはいつか言葉を伴って身体一杯で愛を伝えるだろう。ゼルだけではなく、全てのものに。

ただまっすぐで、目の前の現実と取り巻く環境と、それを阻害するものであっても黒く心に巣食う疑いを払い除ける。ささやかではあるが、何よりも強い、思い1つ。

それがゼルから与えられた愛だった。

「ゼル、私、虹になりたかった。面倒な雨の後に空に架かって、手が届かなくて、見たくても見られない虹になりたかった。だけど、ゼルが私にしてくれた事、言ってくれた事、そういうのがもう、私の中にあるから、私はもう、思わない。虹になりたいなんて、思わない。誰かより有名で誰かに敬われるように人になりたいなんて、思わない。ゼルの言葉とか、なくてもそういう事を忘れない人になるから……いつかきっとゼルと同じ場所にいられるようになるから……

頭と心を駆け巡る思いが強すぎて、コントロール出来ないは思いつく限りの言葉をゼルにぶち撒けた。感謝や愛の思いがあるのに、どう言ってそれを伝えればいいのか判らないから、ただ浮かぶ言葉を吐き出した。

そんなの頬に残る涙の跡をゼルの親指が擦り取る。

「じゃあ、そういうをオレは横で見てるよ。ずっと、な」

初めて笑顔を見せたゼルにはもう一度抱きついて、ゼルの肩にもたれながら同じように、笑った。

2人の頭上にポツンと小さな影が浮かんでいる事にも気付かずに。

2人が近づいてくる小型輸送艇に気付いた時、それはもうすでに着陸準備に入っていた。風を巻き起こしながら舞い降りるエスタの輸送艇は吸い込まれるように着陸すると、勢いよくその扉を開く。

ゼルもも、もう言葉は何もなかった。着陸した輸送艇がエスタのものであると判っても、本体と離れてひたすらを探していたゼルも、ターゲットであり続けたも、エスタが2人に対してどのような立場にあるのかはまったく知らなかった。

だから、想像できる事と言えば、あまり穏やかではない事ばかり。

それでももう、何も出来る事がないから、2人は手に手を取り合ったまま無言でその様子を見つめていた。誰かが輸送艇を降りても、小走りに近づいて来ても。

だが、2人に近づく人物がよく知っている顔である事を確認した2人は、少しだけ顔を見合わせた。霧に時々行く手を遮られながら近づいて来る人物……それは間違えようもない、どこにいたってすぐに見つけられる、人。

イデア、そしてアーヴァインだった。

「2人とも……無事だったのですね!」

開口一番そう言って2人を抱き締めたイデアは、今にも泣き出しそうな目をしていた。2人を抱き締める手は細く、頼りなく、かつてその手で魔力を放っていたなど考えられないような腕。

……ママ先生、すみません」

ぼそぼそと呟くゼルはイデアを見てそう言ったが、それと同時にどんな顔をしてアーヴァインを見ればいいのか判らなくて、俯いた。

そして、はアーヴァインの姿を認めると、ショックで言葉を失ったように口元を引きつらせていた。長い事会わなかった懐かしいその顔の向こうに、セルフィやキスティスの面影をも思い出してしまっている。

……ゼル、見つけたんだね。ちゃん、久し振り」

SEED服を纏ってなお付け加えられていたテンガロンは、服装にそぐわなくて少し滑稽だった。そのテンガロンを手に取ったアーヴァインは、イデアと同じように泣き出しそうな顔をしていた。

「ああ、わがまま言って悪かったな」
「そんな事ないよ~。無事で良かった。ホントに」
「ア、アー、アーヴァ……

彼の名前を呼んで、今は遠い過去のガーデンにいた頃のように笑いかけたいのに、はどうしても彼の名前を口にできなかった。

彼の名前を呼んで、謝って、感謝して、そしてセルフィやキスティスの事も聞きたいのに、言葉にならない。その上、彼がここにいるという事をなりにまとめると、他にも数多の人達がこの悲劇の中に巻き込まれているかもしれなくて、指一本ですら、動かせなかった。

そんなの感情を鋭く読み取ったのか、アーヴァインは悲しげな目をしたまま話し掛けた。

……ちゃん、たぶん僕が色々言わなくても判ってる事、いっぱいあるよね。だから、何も言わなくていいよ。僕もいちいち説明したりしないから。ゼルはもちろん判ってるし、きっとちゃんが考えてる事、全部当たってるから。

だけど僕は悲しいかな、ちゃんについてはあんまり知らない。ここまでこうして来たけど、本当のところ何が起こっていたのかなんて、全然判んないんだ。……でも、聞かないよ。聞いたって、そんなの、意味ないだろ?終わっちゃった事をあれこれ言ってもそんなものはもうどうにもならない。それに、ちゃんがどんな事をして来てたって、僕の知ってるちゃんに変わりはないよ。

本当はちゃんて人はこうこうこういう人なんですよって言われたって、それが僕の知ってるちゃんじゃなかったら、やっぱりそれは別人なんだ。判る?

だから、僕も何も聞かないからちゃんも何も言わないで。

ゼルがちゃんを探しに行くって言うから、行かせたよ。そういうのよくないかもしれないけど、反対する人もいたけど、キスティに納得させた。

僕ねぇ、2人がそうやってお互いの事思い合ってるって知って、すごく嬉しかったんだ。いや、別に昔からくっつけばいいのにって思ってたとかじゃないよ。僕らずっといい遊び仲間で、楽しかった記憶の中にいるゼルとちゃんが、お互いを大事にしてて大事な存在になってる。そういうのがすごく嬉しいんだ。前から友達だったけど、それ以上に大切な人になってる。そういうのが、たまらなく嬉しいんだ。

だから、僕は2人が笑っていられる事を、願ってる。

もう2度と会えなくても、ずっとずっと2人の事思ってるよ」

そこまで言うと、アーヴァインは手にしたテンガロンを形が崩れるほど強く握り締めた。唇を真一文字に結んで、少しだけ俯いて、立ちすくんでいた。

そんなアーヴァインに声はかけられなかったけれど、せめてもう少しそばに近寄ろうとした。だが、その行く手をイデアが遮り、ゼルはの腕を掴んで止めた。

「ゼル?」
、ダメだ」

なぜイデアとゼルがそんな事をするのか判らないままキョロキョロしているに、イデアは悲しそうに微笑んだ。

……とても。とても悲しい事だけれど。あなたは罰を受けなければなりません」

少し震えながらもイデアはきっぱりとそう言った。ゼルもアーヴァインも、その言葉に驚いたりはしない。きっとの知らない所で何らかの決定があったらしい。

「どこか乱暴な国に連れて行かれて、いわれのない事で裁かれる事にはならないでしょう。けれど、あなたは自分自身の罪を誰よりも良く判ってる。それをうやむやにしてしまえる程、あなたは子供ではありませんから……

判りますね?私の言っている事が。

それでもあなたを求める手を止めなかった事は、私達の精一杯です。あなたにも、救いの手があっていいはずですから。けれど……それ以上を求める事は許されません。ですが……だからと言ってあなたを傷つけたり日の光から隠してしまう事が裁きではありません。そんな事はきっと覚悟の上だったでしょう?

だから、あなたはその救いの手と共に、死ぬまで罪を背負うのです。それがどんなに罪深い事だったかと、決めるのはあなた自身です。

あなたは今後、かつて親交のあった誰とも顔を合わせてはいけません」

イデアの言葉に耳を傾けながら俯くの向こうで、アーヴァインが大きく息を吐く。彼にだって、辛い事態には違いないのだ。

……僕と、セルフィと、キスティス。ラグナさんがちゃんを探しに行くって言うから便乗させてもらったんだ。だけど、ラグナさんだってただの一般人じゃない。何の関係もないゼルやちゃんを保護してお終い、っていう風には出来ない。だから、ちゃんと会えるのは、ちゃんを見つける事が出来た輸送艇に乗ってた誰かだけ、って事だったんだよ。

だから、2人を見つけた事はもう、エスタの本部に報告してある。もうすぐ2人の知ってる人が誰も乗ってない輸送艇が来るよ。その前に僕たちは帰らなきゃいけない。セルフィにも、キスティにも、会う事は許されない。

僕がこうしてちゃんとゼルと会えた事……それを感謝するし、嬉しいけど、セルフィやキスティは辛いだろうと思う。手紙も電話も何もかも、どんな事もたぶん許されないだろうから。

……ちゃん、判るね?」

今度こそは大きく頷いてその場に踏み止まった。

「アーヴァイン、ありがとな。セルフィにもキスティスにもよろしく言ってくれ」
「大丈夫だよ~。判ってるって、2人とも」

やっと笑顔を見せたアーヴァインは、そろりと片足を後ろに踏み出す。イデアも少しずつ2人から離れていく。その2人の姿、それが最後と覚悟が決まるまで、は少し時間がかかった。

そして、出来る限りの笑顔で、言う。

……アーヴァイン!こんな事私が言うのおかしいかもしれないけど……嫌じゃなかったら伝えて!セルフィに、キスティスに、みんなみんな、ここに来てるみんなに伝えて!ありがとう、みんなの事が大好きだって、そう伝えて!」

アーヴァインはそれに応えるように大きく手を振ると、そのまま何も言わずにイデアとその場を去っていった。

後に残されたゼルとは、去って行く輸送艇を見送りながら、何も言わずに佇んでいる。取り合った手をしっかりと繋いだまま、空を見上げて立ち尽くしている。

もう2度と会う事もない愛しい者たち、そしてその者たちへの思い。そういうもので一杯になった心にセントラの風が吹き付ける。

ゼルはと共に生きる事を選んだ。

はそのゼルの思いと共に生きていく事を選んだ。

やがて2人を乗せるための輸送艇がやって来るだろう。乗り込んでも知らない顔ばかりの中に、入っていかなければならないだろう。そして、エスタで2人は大統領の采配によって未来の居場所を授けられるのだろう。

それでもゼルは手にしたのぬくもりがある限り、はゼルの光がそばにある限り、もう2度と忘れる事はない。

2人を取り巻く数えきれない愛情を。

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