それを罪と言うのなら

BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 046 / ニーダ

を待ち受けるもの。

それは、尋問、裁き、刑罰。またはそれに類するありとあらゆる苦痛。

元より覚悟は出来ているし、それから逃げ出そうとか、それを誤魔化す方法を考えるとか、そんなつもりはまったくない。

ただ、この先2度と空を見る事がなくなっても後悔しないように、出来るだけ鮮明にこの空の青と虹のぼやけた輪郭を脳裏に焼き付けておきたかった。

地面にぺたりと座り込んだは、ぼんやりと空を眺めていた。

自分が何をしたか、それがどんな事であったのか。それを反芻するのには充分な時間がある。まだ右も左も判らないような子供の頃から憧れ続けた虹の下で過去を思うと、それは美しい情景となってを包む。

鮮やかな彩度で蘇る常に笑顔でいられた日々、笑顔でいられる毎日をくれた幾多の愛しい者の顔。それら全て溢れるように思い出せるのに、もう戻れないと知っている。

そんな現実を苛立つくらいなら、そもそもこんな事態にはならなかった。だから、失う事は判っている。それを後悔したりはしない。

ただ、全てが終わってしまった今になって、過ぎた日の何倍もの強さで愛しさが募るだけ。

そのの頭上に現れた小型機に気付いても、は空を見上げたままぼんやりしていた。どこかに連れて行かれるなら、それでいい。ただ誰かに腕を掴まれるその時まで思い出に浸っていたかった。

セントラの風が吹き荒れる大地の上へ小型機が着陸した時、周囲の様々な騒音と混ざり合い相殺されて、小型機が立てる音など、殆ど聞こえなかった。

が冷静な判断を下せる状態なら、騒音の中にあってなお静かな音しか立てない小型機がエスタのものであるとすぐに判っただろう。だが、ぼんやりはしていてもそこまで考えられる余裕はなかった。

持っているだけなら、バラムでもドールでも小型機くらい持っている。即ち、背後に迫ろうとしている音の主はに危険を運ぶものでしかないように聞こえる。

虹も、日の光さえも、もう見納めだとは瞬きすら惜しんでいた。

そんなを、柔らかな響きの声が呼ぶ。

……

その声が耳に届いた時、は驚きのあまり、振り返った勢いで後ろへと倒れ掛かった。辛うじて腕を突っ張ったが、その腕を使ってじりじりと後退まで始める始末だった。

をここまで動揺させたのは、ニーダだった。だが当然と言えば当然かもしれない。から別れを切り出し、納得しないニーダを振り払い、挙句の果てに「セントラの指先」を奪うために騙したのだから。

「こ、来ないで、来ないで!」
「そんなに怯えるなよ。今更……どうにもならないだろ」

罪の意識も当然あるだろう。そして、今がどんな状況か判り過ぎるほど判っているにとって、彼と対峙する事は恐怖にも似た感情を呼び起こさせた。

「そんな事判ってる。何やってるのよこんなところで……
「何って、君を探しに来たんだよ。他に何をするって言うんだ」
「私なんて探してもどうにもならないでしょ……
「まあ、そうかもしれないけど……犯罪者にされちゃってるしね」

後ろについた手を引きずってじりじりと後退るの目の前で、ニーダはしゃがみこんで少し、笑った。細身の身体を折り曲げて座り込み、膝に肘を立てて首など傾げながら。

「何がそんなにおかしいのよ」
「だってもう笑うしかないだろ?」

あくまでも突っかかるだが、ニーダは怯む様子もない。本人の言う通り、彼はを探しに来たのだろう。だが、そこでに拒絶される事など火を見るより明らかな事。しかもニーダにとってはこんな風にささくれ立ったの扱いなど、慣れたものだ。

どんなに冷たくされても、罵られても、ニーダは動揺しないだろう。本気と建前と、ついうっかり言ってしまった一言の区別くらい、わけもないからだ。

そこにはかつて2人で過ごした時間という理由があり、いまなおニーダがの事を誰よりも大事に思っているという過程もある。他に好きな人が出来たとか、すでにニーダとは一緒にいる気もないとか、お互いがお互いに興味をなくしているとか。そんな明確な理由もなく終わってしまった2人の間が、完全に途切れたという実感がニーダにはなかった。

の別れの理由は、「もう別れない?」で始まり、「でも……私はもう付き合う気はない」で終わってしまったから。そこにどんな事情があったのかも聞かされていなければ、後日誰か別の男と腕を組んで歩いているのを見かけたわけでもない。

そもそも、SEEDになる事SEEDである事に固執して来たは、その人となりもまるでSEEDのようになってしまっていて、そんな風に濁したまま事を片付けてしまうのは珍しい事だった。

それが、セルフィも知らないと言う理由で別れを告げられた。ニーダには、それが本心だとは到底思えないでいたのだ。

「君が何と言おうと、あれは僕には納得できない理由だったし、それでも好きだし。だからこうしてこんなところまで来ちゃったけど。けど、よく考えたら俺だってお尋ね者なんだし。笑うしかないだろ?」

それはニーダの偽らざる本心だった。どれだけ失敗例を見せられているか判らないのに、同じ事を繰り返そうとする大人達は、ニーダとを犯罪者に仕立て上げた。まだ大人と言うには若すぎる2人、それでも大人だと思っている2人。それは、都合のいいスケープゴートでしかない。

それが事件の真ん中で顔を合わせてああだこうだと言い合っている、そんな状況をニーダは笑った。どうする事も出来ない、どうかしてやる事も出来ない。

「なあ、。君はどうしたい? この状況を、どうしたい?」

真面目な表情で、だけどとてもさらりとニーダが問うから、は佇まいを直してその場に座り込む。

……別に。捕まるんならそれでいいし、ここで死んじゃうならそれでも 」
「そうじゃないよ。君は、どうしたいか、って聞いてるんだ」

改めて問い掛けるニーダに、は判ってないという顔で応えるしか出来なかった。は「セントラの指先」を求め、それが全ての結末であり、その後にどうなってしまうとも考えていなかった。

「何も俺は現実にどうするのか説明しろなんて言ってないだろ? ただ、今こういう状況で、どうにも出来ない事は俺たち誰よりも良く判ってる。けど、そうじゃなくて、こんな状況だけど、まだ……夢とかやりたい事とかそういうの、ないか?」

何故ニーダはそんな事を問うのか、には皆目見当がつかなかった。だが、そう問い掛けるニーダはかつてガーデンで共に笑いあった時のもののように見えて、すぐさまそんな事などあっただろうかと考えを巡らせていた。

……他に、夢なんてなかった。SEEDになる事は大変な事で、なれたらそれは素晴らしい事で、その先の事なんて。それで終わりじゃないなんて事、思った事もなかった。だから、SEEDになって、私の未来はもう約束されたと思ってた。けど、だから、私『セントラの指先』に頼って……それから先なんて……何も考えてない」

言いながらは目が回るほどの勢いで考え続けていた。ニーダが目の前で静かに話を聞いている事など、忘れてしまうくらいに考えていた。

「だから、逃げもしないでここで待ってた。誰かがやってきて連行されるならそれでもいい、銃かなんかで撃たれちゃうならそれでもいい。私の意思や判断はいつも誰かに押さえ込まれて否定されてきたから……それならもう、自分でなんか何も考えたくない……

その様子を顔色1つ変えずに聞いていたニーダ。が言葉を切ると、少しだけ息を吐いて口を開いた。

……じゃあ、。もう、生きていたくはない?」

突然極端な選択を持ち出したニーダに面食らったは、無意識の内に首を横に振っていた。飾った言葉を口にして理屈を並べ立てるのであればそんな選択も悪くないだろう。けれど、突然そう問われてすぐに頷けるほどは絶望していたわけではなかったらしい。

「やっぱり」

まだ理解するに至っていないの目の前で、にっこり笑うニーダ。そして、がポカンとしているのをいい事に、すぐそばまで近づいての両手を取った。

が死にたいって言うんなら、それでもいいよ。自分で始末つけられないなら俺が殺してあげるよ。けど、そんな事したら俺はすぐ後を追うし、そうしたら事情を知らない人には『指名手配の2人、心中!』とか騒がれちゃうんだよ。そんなのイヤだろ? 死んでまで俺に追いかけられたくないだろ?」

ニーダの言葉に頷いても、何か後味が悪い。だが、首を振ればそれはそれで厄介な返答になる。は、そういうニーダの始めから事の成り行きを全て判っているような態度が苦手だった。

いつも対等でいたかった。同じSEEDとして、落差がある事が許せなかった。

だけど、ニーダは常に子供をあやすようにに接していた。何でもやってあげるよ、心配しなくていいよ、俺が全部やるから。そうやってニーダはを守るつもりで、の自尊心を深く傷つけていた。

だが、それをニーダはを思うが故の思いやりだと主張する。

そんな隙間があるなら、別れるのは当然だろうか?

「そうやって、いっつも私には何もさせてくれないんだよね」

死にたくはないが、死んで元々という心積もりはある。しかも、どう転んでもの中に明るい未来はない。だとするなら、言いたい事をぶち撒けてしまいたくては呟いた。どうせなら、言っちゃいけないような事まで言ってしまってから、すっきりしてから終わりたい。

「やってあげるよしてあげるよやらなくていいよ、ってそう言って私の行動とかそういうの、全部ニーダが取って行っちゃうんだよね。私だってSEEDなんだからニーダに守ってもらわなくたって大丈夫な時だってあるし、ニーダが守ってくれたってダメな時はダメ。なのに私はいっつも手出し無用でなんにも出来ない。頼んでもいないのに先回りして、やっておいてあげたよやっておいたから……。私はそんなに何も出来ない人じゃないし、守ってもらわないと泣き出しちゃうような女の子でもない事くらい、判らなかった?

あんなに毎日一緒にいて、すごく長い時間一緒にいて、そんな事も判らなかった?私は自分で考えた通りに決めた通りに行動したいのに、それを邪魔したのはニーダじゃない。ニーダと一緒にいたら、私、どんどん役立たずになっていくんだよ。だから、一緒にいたくなかったんだよ」

まるでわがままを言う子供のように、繋いだままの手を振り回してはまくし立てた。ニーダがどんな顔をしているかなんて、見ようともしなかった。

だが、ニーダは軽やかな声で言う。

「やっと本心を言ってくれたね、!」

そして、の身体をふわりと抱き締めた。

、ホント、判ってないよ。そういう事、俺にちゃんと話した事ないの、覚えてないんだろ? こうしたいから、とかこう思ってる、とか、そういう事、俺には何にも話してくれなかったじゃないか。だけど、俺はがどう思ってるかなんて1から10まで全部読み取れないから、ただ単に君に喜んで欲しくてあれやこれや……余計なお世話をしてたんだな。

それがイヤなら、言ってくれたら全部やめたのに! こそ、俺の事、そんなことですら言わなくても読み取れるような人だと思ってたんなら、そりゃ間違いだよ。俺がそんなに出来た人間じゃない事くらい、判るだろ?

…………お互い様じゃないか!」

それまで朗らかに話していたニーダは、最後の言葉だけ押し殺したように吐き出すと、力任せにを抱き締めた。

「それでも俺は君が好きだから、どうって事はないよ。どうって事はない。けどな、俺は大層ご立派な人間じゃないから、まだ知りたいよ。が何を思っていようと構わないなんて、聖人みたいな事言えないよ。頼む、。ウソでもいいから、答えてくれ。そうしたら俺は満足して、もう探したり好きだとか言ったりしないから。

別れるって話した時、あの時はもう俺の事は完全に好きじゃなかったのか?」

ニーダは過去に決着をつける事で、全てを終わらせようとしている。そのくらいはにも判った。答えがどんなものであっても、彼は満足してそれで全て終わりにするだろう。せっかく彼に手を貸したらしいエスタを振り返る事なくどこかへと消えるかもしれない。

そう、すべての言葉1つでニーダの未来は決まる。

だがはそこまで考えてはいなかった。ニーダと自分の間にあるものは若者の恋愛風景であり、些細な事で波風も立てば、次の日にはきれいさっぱり忘れられるような事だと。

そんな風に簡単に考えて、ニーダがどんな風に思っているかなんて知りもしなかった、知ろうともしなかったのはで、ニーダはそうではない。がニーダの好意を疎んじたように、何も、知らなかったのだ。

だが、が自分の意志を主張して貫いたように、ニーダの意思や行動を止める事は出来ない。例えばが「嫌い」だと言ったとして、その後ニーダがどんな事をしようと、にそれを止める事は出来ない。

こんな事態を招いたのは、

……私だって、そんなに立派な人間じゃないよ。だから、あの頃と今と、全部気持ちが同じって事は絶対ないよ。だけど、何か言って、本音じゃなくても何か言って、それでまたどうにかなっちゃうのはもうイヤだ!」

心なしか空虚な目をしているニーダをしっかりと見据えながら、は声を張り上げる。無意識の内になくなっていく遠慮や謙遜、気配りなどは、これまでもニーダとの間には必要のないものだったから。

「あの頃みたいにニーダの事が好きかって聞かれたら、もちろんそれは違うよ! あの頃みたいに何も考えずになんていられないもん! だけど、顔も見たくないほど嫌いかって言われたら、それも違うんだよ! 好きとか嫌いとか、そんな大切な事、一瞬で決められるほど子供じゃなくなっちゃったんだもん!」

息を切らすは、ニーダの腕を揺さぶりながら言葉を切った。まだ楽しい事だけが拠り所であった過去のように、一瞬で好きなったり嫌いになったり、そこにどんな理由があってもなくても、そんな風に無造作に決められないようになってしまった。

それは、たった数ヶ月でも、成長しているから。

ニーダもも、ちょっとずつちょっとずつ、子供の尾を引きずりながら、大人になって行くから。だから、一言で思いを言葉に出来ない。

それは、ニーダにもよく判っている。

、もう、決めよう」

の腕を取り、共に立ち上がるニーダは晴れやかな顔をしている。セントラの風に煽られながら、そっと佇む。

「あの小型機には、ラグナ大統領とキロスさんが待ってる。ありがたい事に、皆さんは俺たちの今後を気にかけてくれてる。犯罪者の汚名を着せられるような事はしてないって言ってくれてる。だから、君を連れてくるように言ってここまで連れて来てくれた。俺もそうしたいと思ってる。

けど、がそうしたくないなら、無理は言いたくない。犯罪者の身分に甘んじてここに残るならそれでもいい。だけど、その時は俺もここに残る」

淡々と話すニーダ。それを止めたのはの叫び声だった。

「どうしてそうやって1人で決めちゃうのよ!」

いきなり大声で止められたニーダは、それこそ目を剥いて口を閉じた。

「どうして1人で背負い込もうとするのよ! 私にも選択肢を残してるような事を言って、結局自分のしたい事は決まってるんじゃない! 私の気持ちとか、そういうの、関係ないみたいに聞こえるじゃない! どうして一緒に考えようって言ってくれないのよ!」

言いながらはニーダの腕の中へとくずおれた。いつでもどんな時でもそこにあるニーダの優しさにはちゃんと気が付いていた。けれど、ニーダはいつもを自由に閉じ込める。

「ねぇ、私達、同じ線の上にいるでしょ、同じ所を歩いてるでしょ? そうやって1人で何もかも決めないでよ、私を置いていかないでよ……!」
……ごめん、、ごめん」

それはニーダにとって青天の霹靂だったに違いない。誰が好きだとか好きじゃないだとか、そんな尺度でしかとの関係を片付けられなかったニーダには、とても考えの及ばない領域だった。

だが、の言っている事は、判る。ニーダは雷に打たれたように突然表情を崩して謝り倒した。

、ごめん、ごめん、……!」

守って欲しかったんじゃない、甘やかして欲しかったんじゃない、世話を焼いて欲しかったんじゃない。ただは共に手を取って歩いて行くために自分自身を主張しただけだったのに。

、もう今更遅いかもしれないけど、間に合わないかもしれないけど。だけど、俺と一緒に行こう、。それで、この先俺たちがどうなっちゃうのか、どうすればいいのか、ちゃんと話そう。の話も聞きたいし、俺の話も聞いて欲しい。だから、、行こう……!」

返事も待たずに手を取り歩き出すニーダの後ろを、はただ黙って着いて行く。疲れきった身体は時折重く感じるけれど、ニーダの向こうに見えるエスタの小型機は2人の未来そのもの。

飛び立った先に何があるのか全て知るものがなくても、こんな乾いた大地に留まるよりは遥かに晴れ晴れとした空が待っているに違いない。

2人を迎え入れたキロスは、小型機に乗せるために取ったの手を握り締めたまま、大きく安堵の息をついて微笑んだ。そしてラグナはニーダの肩をしっかりと掴んで物も言わずに涙ぐんだ。

戸惑うはその中に溶け込むニーダを見て、少しだけ羨望した。だが、はもうそんな思いに囚われてしまう事はないだろう。そんな風に底の見えない現実に陥る事がどんな事を引き起こすか、知っているから。

ニーダと、2人は未来を選んだ。罪と向き合う事を選んだ。

その未来は輝いていないかもしれない。暗く、光も差さないものかもしれない。苦痛と緩慢な時間だけが待っているかもしれない。

けれど、2人は未来を選んだ。

自分達の手で、それを作る事を。

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