BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 037 / セントラクライシス13:00
は今、どこにいるのか。
それすらも判らない自分を恥じる事にはもう慣れた。
けれど、朝目覚めてから夜眠りに落ちるまでの間に、の声も聞こえず、姿も見えないのには、どうやっても慣れる事が出来なかった。時間が経てば経つだけ失ってしまったの面影が重く圧し掛かり、いつか潰れてしまうのではないかというほどの痛みに変わる。
だからサイファーは、久しぶりに顔を合わせたラグナにも協力する気になれなかった。
「そ、そんなにいやか?」
「いえ、そういうわけでは。ただ……俺は個人的な理由ですから」
ラグナが手を貸してくれるのは、この上もなく頼りになる。だが、そこにニーダやクレイマー夫妻のおまけ付きとあっては、とてもではないが同行する気にはなれなかった。
「これが誰か他の人なら大統領のお力になれるようにどんな事でもします。だけど、俺は俺の理由の為にを探していて、そこに『セントラの指先』も世界の軍も関係ないんです。例え解雇されてしまっても今回ばかりはお供出来ません」
実のところ、とサイファーのかつての関係についてはラグナも失念していた。エスタ――少なくともラグナには発端はそこだったはずなのだが、「セントラの指先」が絡んで来てしまってからは、サイファーの逃げた彼女探しではなくなってしまっていたのだ。
だが、サイファーにとっては過去も今も目的はただ1人で、それは彼女を救うだとか、「セントラの指先」から守るだとか、そんな事情はない。
「……例えば『セントラの指先』が危険なものだったとして。がそれを発動したとして。それも、どうでもいいんです。俺はにもう一度会えれば、それでいいんです。そこで嫌いだと言われても俺はその場を離れません」
これに対してラグナが上司である立場を利用して説き伏せられない事はなかっただろう。だが、「結婚したい女がいる」と少しだけ恥ずかしそうに告げたあのサイファーを、まるで自分の父親に彼女と結婚するつもりだとでも言うように告げたサイファーをラグナは忘れられなかった。
そしてそれがこの一連の騒動の発端であり、行き場を無くしたSEED達を守りたいという自分の原点のような記憶をラグナは鮮明に思い出していた。
サイファーを止める権利は自分にはない。そう思った。
「……そうだよな。お前はお前の可愛い子を探してるだけだもんな」
「大統領……」
「あっ、けどな、だからってお前も危ないことすんじゃねえぞ! 約束してくれ!」
ラグナは、失いたくなかった。かつてレインを失った時のように、どこか自分の知らない場所で大切な誰かが消えてしまうのはいやだった。そしてそれが、自分などよりもはるかに若く誰よりも「これから」を生きていかなければならない者であるならなおの事。
「大統領、俺、クビにして頂いても……」
サイファーはサイファーで、心苦しかったに違いない。ポストが保留になってからも決められた日には必ず支給される手当てに、与えられた部屋、それらすべてラグナの好意によるものだから。
だが、ラグナがそんな事をするわけがない。
「なんでクビにすんだよー! 全部終わったら元通り、それでいいだろ?」
「ですが……」
「あのな、オレ、言ったよな? 最初の仕事、ちゃん連れて来いって。それで連れて来たちゃんとお前とオレの3人で話すんのが次の仕事!いまさらやめんのか~?」
直立不動で身動き1つしないサイファーを目の前に、ラグナは少しだけいたずらっぽく笑う。ラグナは失いたくないのと同時に、何者からも何も奪いたくないのだ。奪ってくれと言われても、奪いたくない。それが1人の青年の未来、ほんの1年か2年だったとしても。
「だから、お前はお前で自分の仕事をすればいい。手が必要ならオレに言えばいい」
本人曰く「面倒くさいからホイホイ返事してた」せいで決まってしまった大統領というポスト。だが、それを望んだ者たちの目にはきっと映っていたのだろう、彼の心の元に広がるエスタの姿が。純粋で留まる事を知らないラグナの精神の広がる先には、きっと未来があると。だから託した。彼だから、託したのだ。
それはアデルという暗闇の中にいて聞く事も出来なかった、どこまでも届くような笑い声のようで、懐かしい友との再会に踊る胸の高鳴りのようで、希望という名の、光。
それがここにある限りエスタは沈む事はない。
それはサイファーも強く感じている。ラグナがいるから、エスタはこんなにも穏やかな国なのだ。たまに民衆の前に現れては足をつらせてひっくり返る大統領を、みんな愛している。言葉もたどたどしい子供に鼻水をこすりつけられて大声で笑う大統領を、誰もが心から愛している。そんな大統領、それがラグナだ。
だから、きっとエスタの人間は彼の力になる事を決して厭わない。
「……お心遣い感謝します、大統領」
それだけしか言えなくても。
1人でセントラに向かうと言い張るサイファーに、ラグナはせめて行き道だけでも人を募ったらどうかと食い下がった。ラグナとて心配には変わりない。
サイファーとしては本意ではなかったのだが、そうまで言われては頷かないわけには行かなかった。行動の権限を誰にも奪わせない事と、セントラに到着したらサイファーを置いてラグナ率いる本隊に合流する事でサイファーは同行者を受け入れた。
そして、取り立ててする事もない準備の為に、一度自宅へと戻る。官邸を出て外周道路を抜け、エスタの景色を眺めながらたどり着いた自宅のドアは、今となってはただ唯一の帰る場所のような気がして、身体中の力が抜けそうになる。
部屋の中は、殺風景なものだ。家具も殆どない。彼の趣味になるものといったら、玄関口に立てかけてある釣り道具くらいなものだ。壁に何かを貼り付けているわけではないし、そこかしこにゴミが散らばっているわけでもない。
だが、その部屋の奥に、ただ1つだけその存在を誇示しているものがある。
天井近くに刺さるフックにかかるのは、真紅のクロスソード。
まるで自らの血塗られた過去を、初めから決まっていた事のようにそこにあるクロスソード。腕に抱いたその印はエスタにあっては無用の決意の証。サイファーがサイファーである事を何よりも示す最大の紋章。それを、サイファーは再び身に纏う。
袖を通し、王者の如く逆立つ襟をなぞると、記憶が前身を走り抜ける。
片手にはハイペリオン。
装飾1つないそのボディは幾多のものを切り刻んでなお輝くような漆黒。それは今、サイファーにとってへの道を切り開くための頼りない命綱のようなもの。
クロスソードにハイペリオン。
この2つが揃ってサイファーを包み込んだ時、サイファーはかつての自分を取り戻す。
開け放ったドアの向こうには、の幻。
掴めるか掴めないかも判らない、どこかにいる幻。
「……分の悪い賭けなんて、慣れたもんだ」