それを罪と言うのなら

BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 027 / 2人の境界線

ある朝が目を覚ますと、熱はもうすっかり下がっていた。

それまでも徐々に下降を辿ったの熱も、最後の数日は微熱と平熱の間を行ったり来たりしながらしつこく居残った。

しかし、前日の夜にタオルバスを許されたはスコールの部下の女性に手伝われて久々に身体の隅々まできれいにした。その時触れた暖かいタオルは、皮膚を滑って行く間とても暖かいのに、離れてしまうと身体の奥に残った熱を吸い上げたように冷たくて、とても清々しかった。

汚れだけではなくて、いつまでもの身体にしがみつこうとする熱が、命を奪われたように消えて行った。

はガーデン生徒だった時代にカドワキ女史から言われた言葉を思い出して、また少し郷愁のような思いに囚われた。

「ものすごい高熱じゃないんだから、お風呂入ってもいいのよ」

外から見える身体のどんな小さなところでも清潔でありたい、そうでなければみっともないと感じていた当時のはそれを聞いて喜んだものだった。さっそくシャワーを浴びてすっきりすると、熱があっても寝つきがよかったのを覚えている。

目が覚めたは、誰もいない部屋を見渡して、ゆっくりと起き上がった。

お腹、すいたかも……

それでも寝てばかりでなまった身体は起き上がって動くだけでもきしむ。両腕をベッドについて、動かしづらい足をどうにか突っ張り、はベッドの外に足を下ろして座った。ふくらはぎに当たるベッドのスチールパイプが冷たくて気持ちいい。

こうして回復の第一歩を踏み出したのであれば、考える事があるし、やる事もあるだろうと頭のどこかで考えてはいる。だけど、それを考えないようにしている。

おおよそスコールらしくない言葉や行動をたくさん見てしまい、それをどう受け取ればいいのか判らないのも事実。しかしそれは同時にのささやかな興味を呼ぶところでもあった。

スコールはが判らないという。何を考えているのか、何をしたいのか。

そんなもん、あんたの方が判らないってば

は1人大きく頷くと、ちょっとだけ、笑った。

その日、は出された食事を全て平らげた。グラスに並々と注がれた水ですら全て飲み干した。だいたいSEEDになるための全てに身体を対応させて来たは、常にアクティヴでいられるように身体を作ってきた。

つまり、動けないほどの状態を脱してしまえば、すぐにでも栄養を詰め込み、失った活力を取り戻す事に大して身体が慣れている。

SEEDの中でも心身ともに高い能力を持つ者には、病も峠を越してしまうと薬より食料なのだ。辛い症状を抑え痛みを緩和させるよりも、それを跳ね返すだけの栄養の方が必要なのだ。

「そんなに食って大丈夫か」

夕方、が一心不乱に食事していると、スコールがやって来て目を丸くした。

……SEEDなんてそんなもんでしょ」
「ああ、まあな」

例外はあるものの、SEEDは男女関係なくよく食べる。それだけ動くから、必要燃料というわけだ。むしろ可愛らしい朝食などで任務に就こうものなら、身体が持たない事を知っている。必要な栄養とよりよく吸収するための知識もまた、SEEDには必要なものだ。

の胃に用意された食事が全て消えていくまでスコールは横で座ったまま黙っていた。も気にせず食べつづけた。

そしてグラスの中に残った水を一気に流し込んでしまうと、ようやく落ち着いた様子で息を吐いた。朝食と昼食が空で返ってきたせいで普通のメニューに戻された夕食は、難なくの腹の中に収まった。

「もう大丈夫みたいだな」
「おかげさまで」

回復した分スコールの問いかけにもさらりとかわしただったが、スコールは相変わらず怯む事なくそれを受け入れる。

まったくもってスコールは何を考えているのだろうかと、は再び思う。大して表情も変わらず、言葉も必要最低限で、かといってアクションも大きくないから本当に判りづらい。

がそうして表に出さずに首を捻っていると、突然視界にスコールの指が飛び込んできて、は思わず身を引いた。

「な、なに」
「ついてる」

椅子の背もたれに背中をへばりつかせて逃げたの唇の端を、スコールの人差し指がすくう。視界が泳ぐの目に見える、スコールの顔。

それは、嬉しそうに見えて。

その瞬間は確かに背中から頭のてっぺんまで痺れが走るのを感じていた。決して心地いいものではなく、むしろ煮え切らない思いの始末に困るように振り払ってどこかへ捨ててしまいたい感覚だった。

その感覚自体が嫌だというよりも、スコールを見てそんなものが身体を走り抜けた事が最大の違和感だ。

元気になったのだから、ありったけのパワーでねじ伏せねばならないはずのスコール。何があろうと絶対悪であるはずのスコール。

それがにこやかに自分に触れて、しかもそんな状況に翻弄される自分が気持ち悪かった。今食べたもの全て吐き出して楽になるのならそうしたかった。

けれど、の感じた気持ち悪さはそういった種類のものではなくて、額のあたりや耳元に絡まってもやを作る違和感で。

だから、慌ててスコールの手を振り払った。

それを見たスコールは唇の端を少し吊り上げて笑った。手を引っ込めてそのまま自分の口元に置いて、声を殺して笑った。

「な、なによ……
「熱、下がったのに。顔赤いぞ」

弾かれたように両手で頬を挟んだの頭上で、立ち上がったスコールはもう一度口元に手を当てて笑う。

「じゃあな」

そう言ってスコールは部屋を出て行った。

後に残されたが慌てて鏡の前に飛び込むと同時にドアが閉まって、部屋にはただ静けさとの立てる音だけが残った。

それからしばらくの間、は相も変わらず狭い部屋に起き伏し、スコールの訪問を受けるだけの日々を送っていた。暇だろうからとスコールに差し入れられた本など眺めながら、ただぼんやりとしているのが常で、にしてみればかなり退屈な日々になって行った。

そこで、時にはベッドを無理矢理引きずってスペースを作り運動などしてみると、思っていたより体力が落ちていて、はその日から狭い部屋でのトレーニングが日課になった。

たまにやって来るスコールはそんなを見ても何も言わずに黙々としている。時折、こうするとどこが鍛えられるだの口を挟んだりしながら、それでも何もせずに眺めている。

「何が面白いの」
「別に面白いなんて言ってない」
……じゃ何でここにいるのよ」

両腕をぶんぶん振り回しながらは無愛想に問い掛けた。

スコールはちょっと意外だという風に首を傾げて沈黙を保った後、椅子に座ったまま両膝に肘を付いてうな垂れた。

……お前、俺より鈍いのか?」

それこそスコールと同じポーズで嘆きたい気分のは振り回していた両腕を止めて腰に両手をついてふんぞり返った。

「あのね、スコール。あんたみたいに判りづらい人に言われたくないと思うけど」
「そりゃ、どういう事だ」
「何を考えて何をしたいのか、あんたが1番判りにくいって言ってんの」
「そんな事は……
「自分で判るわけないでしょ」

これ以上ない位に心外そうな顔をしたスコールに向かって、はいい気味、とばかりに笑った。無表情無愛想を誇るスコールが判りやすいなどと言える人物はきっと彼の母親以外には存在しないだろう。もっとも、は彼の母親が今どうしているかを知らないのだが。

「だいたいね、最初にも言ったけど壁とか溝とかそういうものがあり過ぎるんだよ。自分ではそういうつもりないのかもしれないけど、普通に接してあんたにそれを感じない人はまずいないと思うよ」

ずけずけと言ってのけるを、スコールはやはり沈黙で眺めていた。それは、考えているのか聞いていないのか聞きたくないのか区別のつかない顔。

「やっぱり判りにくいよね、この人はホントに」と1人で納得したは満足げに両腕を高く上げて背筋を伸ばし始めた。

そのの身体をスコールの両腕が捉える。

「な!?ちょっ……

せっかく背筋を伸ばし身体をほぐしていたのに、突然後ろから抱きすくめられて、は固まった上に足を滑らせてスコールの腕に全身を預ける形になってしまった。

隙間もない位に寄り添うスコールの身体、そしての身体に絡みつく両腕。驚いたのを通り越して状況が飲み込めていないは、下ろした腕でスコールの手を叩いた。

「な、なに、なによ」

早く開放して、とでも言いたげなの言葉など聞いてもいないようにスコールは腕をさらに締め上げる。ちょうどスコールの右肩に落ち着いてしまったの頭は、そこから抜け出そうと必死で伸ばされている。その分がら空きになってしまったの左肩に、スコールは顔を埋めた。

「や、やだ、ちょっとやめて!」

逃げようとして首を伸ばしただけ、の着ていた簡素な服は襟元を大きく開いている。まるきり無防備な首筋に触れるスコールの唇がやけに温かくて、は引き剥がそうと手を伸ばした。

しかしスコールはびくともしない。それどころか、暴れるの両腕すら絡め取って捕らえてしまった。腕も自由にならない、力では勝てない。そんな状況で首筋にはりつくスコールの唇が、頬が、輪郭がかすかに動くたびにはそれを拒否するように首を捻った。

……これでも判らないか」

耳のすぐ近くで言われたはまた顔をそむけたが、言葉を理解するに至ると、そのまま動きを止めて再び固まった。

そして、もう一度耳のすぐ近くで、スコールの声。

「これだって相当勇気がいるって、判らないか」

それは、今のに取っては幸せでも喜びでもなくて、ただ再び感情と感情の波がぶつかって出来る渦に呑まれてしまうという恐怖ですらあった。

だけど、スコールの押し潰したような声に、抵抗できなかった。

「壁とか溝とか、そういうもの、お前との間にはあって欲しくない」

突然縛めを解いたスコールは、よろけるの腕を掴んで真正面に向かせた。化粧っ気もなく、お世辞にも手入れが行き届いているとは言えないボサボサ頭で萎縮するをもう一度捕まえた。

「だけど、それの向こうに行く方法を俺は知らないんだ!」

の両腕を掴んだまま、スコールは俯いた。

そんなスコールから、そんな状況から。逃げ出したくては逃げ腰になる。振りほどけないスコールの手をそのままに後ずさりした。

それに気付いたスコールはひどく傷ついたような顔をしていた。ふと手を緩めてを解き放つと、両腕をだらりと下げて一言呟いた。

……判ってくれとは言わない」

そして、そのまま部屋を出て行った。