それを罪と言うのなら

BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 026 / 鍵

が体調を崩してから一週間が経とうとしている。

エレベーターを挟んで司令室の反対側にあるスコールの自室とのいる、元尋問部屋。そこは司令室の喧騒が嘘のように静かで、灰色の空気と透明な時間の流れる場所だった。

まるで病院みたいだと、は枕の上で頭を転がしながら思っていた。

定期的に訪れる白衣の女性が一言も口を聞かずにの様子を確認しては、また出て行く。無機質で、どこまでもそっけない。それでいて、の体調に関わるどんな些細な事も見逃していないような、仕事ぶり。本当に、病院にでもいるように。

そして、スコールの部屋とをつなぐ壁が可視に変わる事がなくなった。

スコールは仕事が終わると――少なくとも部屋から出られないがそう思うだけだが――の部屋にやってきては枕元の簡易カルテに目を通してしばらく座っている。

そして、が何か言おうとして首を捻り、何か音を立てるとすぐに立ち上がり、力なくシーツからはみ出している手のひらに指先で触れて、首を振る。

「いいから寝てろ」

そう、一言だけ言って。

そんなまるで物音や騒音とは切り離されたような毎日を過ごしたは、徐々にではあるが、回復してきたように見えた。

まずだいたい、最初は水分位しか受け付けなかった身体が固形物でも飲み込めるようになった。熱は平熱とまでは行かないものの、微熱と呼んでもいい程には下がった。

依然としてには、スコールに対しての不信感、そして拭い切れない憎悪のようなものが残っていた。けれど、それはそれとして現実の自分は彼の手の中にあって、身動き取れない状態にある。これが元気一杯の健康体だったとしても同じ事ではあるが、それでも少しだけ感謝の思いのようなものが芽生えないでもなかった。

実際その変化に戸惑っているのは自身であり、彼女の周辺では1人を取り残して様々な事が進んでいっている。その中で、スコールという1人の人をどう思うか、どう感じるかについて頭を抱えているは、とてもゆっくりと時間を過ごしていただろう。

自身数々の経験を持つSEEDであり、それなりの実績もこのガーデンに残してある。SEEDになった途端卒業して就職したような資格志向の生徒と違って、やその他大勢の残留組は、そういう生徒達より実戦経験が豊富だ。

つまり、自信もプライトもそれなりに持っている。しかしそれは雇われて与えられた仕事においてのみの話。そんな頼りないものに活路を見出して世界に飛び込み、失敗したのはの愚かさ、ただそれだけによるもの。

それが、恥ずかしい。情けない。でも自分は正しいと思う。

国際指名手配などというものが自分の代名詞となってしまった事が、どうしても受け入れられない。ゼルの言うように「セントラの指先」が実質無害なものだったとしたら、どうなのだ。それでも自分は罪に問われる事になるのだろうか。

そんな吐き気のするような葛藤と自分の周りだけを流れていく安穏とした時間が、耳に甲高い音を呼び起こしては時折涙を流した。

そして、浅い眠りに落ちるたびに虹を見た。あまり形のよくない雲と、強くも弱くもない陽射しの空にかかる虹を夢に見た。サイファーに話した子供の頃の夢物語は、ずっとの中にあったものだ。

こんな事を言ったらサイファーはしかめっ面をして文句を言い出すだろうが、ニーダにも話した事があるし、セルフィやアーヴァインだって知っているはずだ。

ずっと昔から、に取って虹はとても魅力的なものだった。

どうして自分の目に見える虹は七色じゃないのかと、読めもしない難しい本を手に取り幼い目で眺めた事もある。水をまいてほんの束の間現れる虹に触れてみたくて手を伸ばした事もある。

触れられず、見えているのに見えていない虹は、まるで自分の限界のようで、まだ子供も産めない身体のは泣いた。どうして虹は見えるだけで、他に何も出来ないの、と泣いた。

「虹……

そうの唇からこぼれた言葉を、スコールは聞き逃さなかった。

ふいに目が覚めてスコールがいる事に気付かなかったは、夢で見た何の変哲もない虹が瞼に浮かんだような気がして、呟いた。

「それがどうかしたか」
……いたの」

スコールは椅子を引きずってベッドの近くまでやって来ると、音も立てずに腰を下ろして足を組んだ。手には簡易カルテが乗っている。昼の回診の後、に訪れたまどろみは思いのほか長かったようで、スコールがここにいるという事はすでに夕方をたっぷり回っているという事だ。

「ああ、ちょっと前に来た」
……そう」
「虹がどうかしたのか」

話すつもりなどまったくないだったが、スコールは気になっているようだ。がぼんやり天井を見上げている間もカルテに目を戻そうとはせず、じっと黙っての言葉を待っていた。

「虹……がどうしたっていうの」
「今、お前自分で言っただろ」
「そうだっけ……

すでにシーツから飛び出して体の上で大人しくしている片腕をは掲げた。寝ているばかりですっかりなまってしまった身体は、この程度の動作でも倦怠感をもたらす。

「虹を、見た、夢で……それだけ」

スコールは少しだけ首をすくめて、またいつものようにの掲げた手に指先だけ、触れた。そして、指先だけでの手を下ろし、シーツを引き上げてしまいこんだ。

「言いたくないならそれでも構わないが……、お前、本当はもっとお前の中に色んな言葉とかそういうもの、持ってるだろう」

スコールは低い声でゆっくりとに話し掛けた。

「それが俺だからなのか、それとも誰に対してもそうなのか知らんが、お前、本当は何がしたいんだ」

それを聞いて、は力なく笑った。唇が笑うために湾曲するのですら苦痛なように頬が突っ張っている。それでも、笑った。

「そんな事知ってどうするの」
「どうもしない。知りたいだけだ」

片手をちょっと上げて話すスコールに、はまた笑った。

……私はね、虹を架けるの。まるで魔女みたいに手を振り上げて、雲ひとつ無い空に虹を架けるの。そうすると、誰もかれもきれいなものを見せてくれたありがとうって私にお礼を言う。子供の私が本気で願った夢よ」

そしてもう一度笑ったは、両手で目を覆った。

「だから、それだけ」

そうして両手の平の間から流れ出た一筋の涙を、スコールの人差し指がすくい上げる。

……その夢が叶ったら、俺にも見せてくれるか」

スコールはの両目を覆う手をまた指先だけで解いて、覗き込んだ。のすぐ近く、息がかかりそうなほどすぐ近くにスコールの顔があった。

頬に鈍く光る涙の筋を残したままのは、言葉を失ったようにスコールを見ている。2人とも、ただ押し黙って互いの目を見つめていた。

「別に1番でなくてもいいさ。お前の虹を見せてくれるか」

は、見慣れたはずのスコールが、まるで今初めて出会った人のように見えて、束の間、怒りや憎しみだとかいう感情を忘れた。

の知っているスコールはこんな事を言う人だったかすら、思い出せない。

だから、おそらく何も考えずに、頷いた。

それは、破顔一笑とでも言えばいいだろうか。

とにかくスコールはの目の前で、これ以上ない位に顔をほころばせた。目を細め、歯を覗かせるほど口元を引き上げて笑った。

そして、指先だけで触れていたの手のひらをそっと支えて持ち上げると、その真ん中に向けて自分の口元を、頬を、埋もれさせた。

スコールのものよりいくぶん小さいの手のひらは、頼りない道具のようにスコールの手の中に収まってしまう。スコールの手と顔の間でされるがままのの手のひらは、とても熱かった。

の身体に、指先以上のスコールが触れたのは、これが初めてだった。

恥ずかしいとか、ドキドキするとか、そんな可愛らしい感情はに訪れなかった。ただし、カサついた手のひらに触れるスコールの頬が、唇が、すべらかで、それに少しだけ酔ったような気がした。

は何も言わない。スコールも何も言わない。

それでもスコールはその感触を、現実にあるの手のひらを確かめるようにして頬を寄せる。そして、その手のひらの真ん中に目を閉じて唇を寄せた。

軽く吸い付くような感触を覚えたは少しだけ身じろぎをして、ピクリと動いた。その瞬間スコールの唇は軽い音を立てて離れた。

未だぼんやりとした目で黙っているの手をもう一度シーツの中に戻すと、スコールは一言ささやいて、出て行った。

「おやすみ」

スコールは確実にの心の縛めが解けかかっていると思っていた。

それにはもちろん体調不良という不可抗力も働いてはいるだろう。しかし、は、虹を見せてくれるかと問いかけたスコールに頷いたのだ。

もしこれが、もう何日か経った後に完全に回復したに否定されても、あの瞬間、は確かに少しだけスコールに心を開いた。頬を寄せた手を振り払う力はなくても、二言三言話せるだけ目は覚めていたのに、拒否しなかった。

それは、スコールとの心に細くて頼りない虹が架かったと言う事なのかもしれない。少なくとも、スコールにはそのように思えた。

それならば。

それならば、にも、虹を。

スコールの空は雲が消えて、どこまでも続く蒼だった。