BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 021 / 退屈でつまらない毎日を
「おっはよー」
やっぱり半開きの目とボサボサ通り越してぐちゃぐちゃな頭のがぼそりと言う。手にはもうもうと湯気の立つカップ。
ゼルは自分のグラスを取り出して、なみなみとミルクを注ぐ。結局のところ毎朝お世話になるミルクも、彼の望む部分には働いてくれはしなかったが、習慣になってしまったものはそうおいそれと変えられない。
「あーもうねえな」
「んー、買っておくよー」
「頼むわ」
黙々と朝食を取り、はさっさとバスルームに消えて、ボサボサのぐちゃぐちゃからすっきりとした面持ちで帰ってくる。そしてが食器を片付け始める頃、ゼルもまたバスルームへと消えて、トレードマークのトンガリ頭を作りに行く。
昼間が何をしているのか、ゼルは知らないし、特に知る必要もないと思っている。だから、毎日何も言わずに見送られて玄関を出て行く。
けど、今日は。今日は言いたい事がある。
ドアのすぐ脇にある採光窓から一筋の朝陽が差し込む玄関で、ゼルはちょっと立ち止まった。そして、背後に佇んでいるを振り返る。
「なあ、」
「ん?」
は可愛いし、素直ないい子だ。キスティスほど美人でもないし、セルフィほどバイタリティがあるわけでもない。でもゼルには、誰よりも可愛いと思える。
「怒らないで聞けよ」
「何よ」
たぶん、よく探せばと殆ど変わらない女はいると思う。それも1人や2人ではないと思う。だけど、ゼルはでいいと思う。
だから。
「お前さ、もうずっとここにいろよ」
照れている様子も、緊張している様子も感じられない。やっとの思いで、とか、搾り出すようにして、とか、そんな雰囲気は微塵も見えない。ミルクがもうないから買ってきて、と言うのと変わらない口調でゼルは言う。
「お前がどこかに出て行きたいってんなら話は別だけど。ここにいて退屈そうでもないし、オレと毎日一緒にいたって不満そうでもないし。オレが思ってるだけかもしれねえけど。けど、オレも退屈じゃないし不満でもないんだ」
光に遮られずにゼルの顔を見る事が出来れば、ゼルの気持ちが判るような気がしては、逆光で見づらいゼルの表情に目を細めた。
「……ゼル?」
「そういうのはイヤだって言われたら、そうか判ったってすぐに諦めもつくと思う。だから、その程度だって思ってくれていいよ。何もお前じゃなきゃイヤだとかそういう事考えてるわけじゃないから」
そう言いながらゼルはちょっと横を向いて、遠くを見るようにして続ける。
「でもなあ、オレ、自信あるんだよな」
は、視線をそらしたおかげではっきり見えるようになったゼルの横顔を凝視していた。ここまで聞いて、ゼルが何を言いたいのかは大体判っている。この年にして2度目の事だ。それに対して自分が用意してある言葉も思想もすぐに引き出せる準備はある。
ゼルの人格とか、癖とか、良い所も悪い所も、自分と合う所も合わない所も、だいぶ見えて来ている。だから、ちゃんと自分で判断できるし、耳に心地いい甘い未来に夢を抱くような事はしないと、判ってる。
だから、黙って次の言葉を待つ。どういう言葉でそれを言うのか、覚悟をして待つ。
「たぶん、すげえ普通に家族になれるよ」
「家族……?」
予測していたボキャブラリーになかった言葉に、はちょっとだけうろたえた。自分とゼルの間にはたぶん今現在も「恋愛」だとか、それに類する関係も感情も芽生えていない。そうするとなると、ここで出てくるであろう言葉は「結婚」とか「夫婦」とか「一生」とか、そんな言葉であると思っていたのだ。
「オレ達ってさ、友達でいるのが好きだっただろ。だからたぶん今更こっ恥ずかしいこと言っても吹き出すだけだぜ。そんな言葉も出て来ねえしな」
それはもよく判っている。きれいな言葉など、きっと笑ってしまうだけなのはわかってる。ゼルと自分はそんなキラキラと輝くような可愛らしい関係ではない。
「だから、ただ単に毎朝おはよーって言って、毎晩おやすみって言いたいだけだよ」
ここではじめてゼルはちょっと照れたように笑ってみせる。そして、またさらりと、言いよどむ事もなく、おまけのように付け足した。
「これからもずっと。ただそれだけだ」
毎朝おはよーって言って、毎晩おやすみって言う。それは間違いなく「家族」のもので。そこには愛とか恋とか切ないとか、そんなきれいな情景は無くて、きっと大嫌いな人にも言える言葉で。特別なものでなど決してない。けれど、ゼルはそれがいいという。
そんなつまらないように思える言葉の繰り返しを望んでる。
に。
「別に籍とか入れなくてもいいし。ずっとこうしてようぜ」
繋がりも、言葉も、幸せを感じるための何かも、何もいらないと。ゼルの言葉はにそう聞こえた。よく考えたら、好きとかそんな事ですら、一言も言っていない。
何もいらないから、このままでいようと、聞こえた。ただ退屈かもしれない毎日をまた送っていこうと聞こえた。
福音のように。
「……ゼ、ル」
「わあ!おい、なんだよ!」
はせっかく整えた顔をぐちゃぐちゃにして泣き出した。
好きだとか、愛してるとか、離れたくないとか、キスしていいかとか、そんな言葉を1つも言わないのに、ゼルはがいいと言う。まるでそんなものなくても構わないとでも言うように。
「私何も出来ないよ」
「はあ?」
「何も持ってないし、何もしてあげられないよ」
「んなこと知ってるよ」
「じゃあ……」
手の甲で目元をぐいぐいとこすりながらしゃくりあげるの両肩に手をついて、ゼルはニカっと笑った。
「そんなもん、オレだって同じだよ」
涙を流して声を上げて泣くを抱き締めようともしないゼル。肩をポンポンと叩き、ついでに頭も優しく撫でてくれる。たぶんここでがイヤだと言っても、顔色1つ変えずにいるだろうゼル。
何も、逆光のせいだけではない。には、救いの手。光の中から差し伸べられた暖かい世界への招待状。
は、大声でゼルの名を呼んで、抱きついた。
迷子になってさんざん不安になった時出会った母親に抱きつくみたいに。親に叱られた後に声をかけてくれたおばあちゃんに抱きつくみたいに。
「なんだよ、泣き虫だなあ、お前」
の頭と背中をそっとさする手が、小さいと思っていたゼルの手のひらが。今だけはあまりに大きく感じては言葉に詰まる。
「まあ、そう深刻に考えるなよ。今まで通りでいいんだ」
「……う」
「あん?」
「ありが、と、う、ゼル、ありがとう、ありがとう」
は、それしか言えなかった。他になんと言ったら今の気持ちを言い表せるか、判らなかった。ただ、感謝しているとしか、考えられなかった。
「なーに言ってんだよ。ていうかやべ、遅刻するぜ!」
「いってらっしゃい、ゼル」
本当に今まで通りに佇むゼルに、はやっと笑って応えた。本当に、今まで通りでいいんだ、と体中が清廉な空気で満たされていく気がした。
「おう、行ってくるよ」
そして、ふわりとの額に唇を当てた。
採光窓から一筋の朝陽。まっすぐ伸びてゼルの背中に当たり、に日陰を作り、柔らかで、優しくて、暖かい温度で2人を包む。
平凡で、退屈で、平均的で、飾り気の無いそんな風景の中で。は孤独という言葉から開放されて目を閉じた。もう、自分の肩を抱えて眉間に皺を寄せなくてもいい。ずっと笑ってていい。
そんな未来への鍵だと、そう思った。
それを、壊したのは、ゼルの背後で響いた破壊音。
一瞬の事で、ゼルもも、何が起こったのか、判らなかった。
ドアが壊れて斜めに傾いだ。突然開け放たれたドアの向こうにいたのは、数人の武装兵士とスコール。
思わずを庇って振り向き、片手でを自分の後ろに匿いながら構えたゼルを妙な形の武器の硬いボディが襲う。
まともに攻撃を食らったゼルがよろめく。そのゼルを支えようとしたに無数の手が伸びる。くずおれるゼルを押しのけて、は引っ張られる。
耳が聞こえなくなったように静かな玄関で、ゼルの身体が起き上がり、そしてまた鋼鉄が彼を襲って、かろうじてつないでいた2人の手が、離れた。
の耳に、スコールの声。そして、につけられる拘束具の金属音。
やっととゼルは、これから起こり得る事を、理解する。
「、――!!」
「ゼル――!!」
その言葉をも、引き裂く声。それは、スコールの声。
「連れて行け」