BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 015 / 追い求める者2
トラビアという国は、殆どの土地が深い雪に閉ざされた国だ。海沿いやエスタとの国境近くにある深い森などはまだ穏やかな方だが、森林と大小の山脈が複雑に入り組む内地はほぼ100パーセント豪雪地帯と言ってもいいだろう。
しかしそんな厳しい環境でありながらもトラビアの国民というのはとても活気がある。ぱっと見ただけでは実に飄々としていて、物事に執着する事などないように思えるが、ここぞという時の活力はどの国の住民にも負けはしないだろう。
常に寒風と雪が舞う空の下で生活をしているのも理由の一つかもしれない。こんなところで生活しているなんて、と、穏やかな気候のバラムやドールで育ったものならまず間違いなくそう思う。
今まさに雪に埋もれつつあるサイファーも、そんな事を考えていた。
「あー、死ぬかもしんねえな」
見上げた空には一面のグレー。そのどこからか舞い降りる綿埃のような大粒の雪。雪は孤立していて、サイファーの頭上に届くまでにはずいぶんゆとりのある間隔を保っているのに、ひとたび降り積もってしまうとそれはもう凶器としか言いようがなかった。
「ここって国道じゃねえのかよ。どうなってんだこの国は……」
そして下調べもろくにせずやって来たサイファーは、愚かとしか言いようがない。常に雪に見舞われているトラビアでは、気象予報の発達も世界一。国道だろうがなんだろうが、雪が降っているのにのこのこと出かけていく者はまず見当たらない。
積もっていようとも、雪さえ止んでしまえばそれなりに交通量が増すのだが、すでに道路がどこからどこまでなのかすら見えなくなっている国道の上でサイファーはぽつんと立っていた。点在する標識を頼りに進めば、迷う事はないだろうがこの寒さはその前に凍死してしまいそうな勢いだ。
しかし立ち止まっていても無駄に自分の死期を早めるだけでしかない。サイファーはハイペリオンで雪を掻き分けつつのろのろと足を進めていた。
「まーしかし、こんな日に外出歩いてるヤツなんておらんよなあ」
仕事とはいえ見回りに辟易している風なトラビア軍兵士の若者が1人ブツブツ文句を言っていた。このトラビア名物の雪にもビクともしない雪上車の中で、担当の兵士四人はぼんやりしている。
「けど仕事やもん。しゃあないやろ。アタシなんかまるきり担当外やのに」
「ホンマはどこやったっけ?」
「コドモの・あこが・れっ、正義のヒーロー、空・軍っ!」
人手不足というわけでもないのだが、やはり雪が降っていると空軍は訓練にもならない。ただ休ませていても、それでは陸海軍に示しがつかない。そんなわけで空軍も雪が降っている時は色々とお手伝いをしているようだ。
「あ~あ、ホントなら今日はテスト飛行やってんけどなあ」
「そんなんいつもの事やろ。あ~あ、早よ帰りた……あ!?」
雪上車を運転していた兵士がスコープを外して窓の外を覗き込む。
「ああおい、アホがおるで」
「はい?」
「なんか棒っ切れで雪掻いて歩いとるヤツが……ホラ」
雪上車の中にいた全員が狭いフロントガラスの向こうを見ようと押しかけた。運転していた兵士が言う通り、そこにはなにやら黒っぽい棒のようなもので雪を掻きつつ、歩いている人物がいる。
「……あ――――――!!」
そして今日の当番唯一の女性兵士は、他の3人が思わず耳を塞ぐ程の大音声で叫ぶと、コートを引っつかんで外へ飛び出した。
「サイファ――――!」
雪の吹雪く風の中に、自分の名前を呼ぶ声がする。サイファーはちょっとだけ手を止めたものの、またラッセルを始めてしまった。
「いよいよ幻聴かよ……。しかもの声じゃねえなんてな」
「サイファーってばー!!」
「なんかあの伝令女の声に似てんな……なんでアイツかな」
「止まりなさいよサイファー!!」
しかしそれにしてはどうも様子がおかしい。自分の耳を疑いつつもサイファーはちょっとだけ振り返ってみた。すると、何やら灰色の塊がヨタヨタしたながらこっちに向かってくる。
「なんだありゃ。喋る大ねずみか?」
「サイファー!アタシー!セルフィーー!!」
そう自己申告した灰色の塊は、やっとの思いでサイファーまでたどり着くとフードを下ろし、ゴーグルを外した。そこから出てきたのは、日の光のようにいつでもきらきら輝いているセルフィ、その人だった。
「お前!なんでこんな……」
「アタシ、トラビアガーデン出身だもん!サイファーこそどうしたのさ!」
「ああ、いや、ちょっとな。それより悪いんだが……」
「ああ、うん、乗って行きなよ。ケド、相変わらず人間離れしてるよねぇ」
思わぬところでサイファーにしてみれば思わぬ人物によって、死因・凍死を免れたサイファーはそそくさと雪上車に乗り込んだ。中にいた兵士達3人も突然の珍客ではあるが、気さくに話し掛けてきた。以前のサイファーならそれだけでも逆ギレしていそうな所だが、寒い屋外から暖かい場所に入ったおかげで一気に疲れが出てしまった。
「何かあったかいモンでも飲むか?」
「あ、ああ、すまない……」
「いやいや、この雪ン中こんな軽装で歩ってた君にカンパイや」
軽装と言うよりは自殺行為のようなサイファーに、兵士は笑ってコーヒーを差し出した。さらにセルフィが出してくれた毛布に身を包むと、後は眠気に襲われるだけだった。
すっかり眠ってしまったサイファーを他所に、また雪上車は走り出す。
「……どーゆう知り合い?」
「あー、バラムガーデンん時の知り合いやねんけど……」
「しかしよく生きてたな」
「そーゆうヤツやねん……この人……」
すっかり熟睡してしまったサイファーが目を覚ますと、そこはもうトラビア陸軍の駐屯地近くだった。あまり軍とか政府機関などに近づきたくないサイファーはセルフィにちらりと視線を投げかけた。
「あのね、アタシこれで今日の仕事終わりなのね。ちょっと食堂で待っててくれる?」
「あ、ああ」
「その後ホテル探すから、ちょっと待ってて」
内心では冷や汗をかく思いでトラビア軍駐屯地へと足を踏み入れたサイファーだったが、どこもかしこも穏やかで、明るくて、そして暖かかった。セルフィに案内された食堂にしても、食券を恐る恐る差し出すサイファーに恰幅のいい中年女性は檄を飛ばしたものだ。
「あんた!いい若者がそんな顔するもんやないよ!シャキッとしい!シャキッと!」
「え、あ、はあ……」
セルフィ1人でも何やら無言の圧力のようなものを感じるのに、さらに迫力のあるおばさんにハッパをかけられると、さすがのサイファーでも少々萎縮してしまう。トラビア弁というものは、それを使えない人に取ってはそういう威力がある。
周囲が全てトラビア弁の食堂でサイファーは大人しくコーヒーをすすっていた。すっかり元の体温を取り戻した身体はまだどことなく緩んでいるような、そんな感じがする。
「おっまたっせー!」
「お、おお、悪いな……」
「べーつにぃ。けど、ホントにどうしたのよー。今までどこにいたの?」
「……エスタ」
さすがに声を潜めたサイファーに、セルフィも思わず辺りを確認してしまう。一触即発とまでは行かないまでも、エスタとトラビアの関係は実に円滑というわけではない。
「でも、って事は何か理由があって来てるって事でしょ」
「ああ、まあな」
「じゃ、とりあえずここ出よう。安いホテル探してあげるよ」
有無を言わさず立ち上がったセルフィにサイファーは大人しくついて行った。ガーデン時代も猪突猛進な方だったが、軍というある意味では特殊な機関に身を置いているせいか、セルフィパワーとでも言うべきものは確実に威力を増しているようだった。
「さーて、では、トラビアが誇る全天候型レンタカー、借りましょう!」
サイファーは何も言わなかったが、自分自身も先日初の昇進(仮)を経験したばかり。収入の乏しさには馴染みがある。手のひらの中で財布をこねくりまわすセルフィに何やら同情のようなものを感じないでもなかった。
「それで……まあ、言いたくないならいいけど、何しに来たの?」
車に乗り込み、他人の耳がなくなってしまうとセルフィは単刀直入に聞いた。
「ちょっと……探しててな」
「人?物?」
「……両方」
「なんかややこしそうだね」
サイファーは、言うべきか言わざるべきか、ずっと考えていた。セルフィというのはに最も近い友人である事は間違いない。だからトラビアに来た。ガーデンにいた当時、セルフィの他にもキスティスやゼルやアーヴァイン達とも仲が良かったはずなのだが、それでも一番親密だったとサイファーは記憶している。
つまり、はセルフィを頼ってここに来ているかもしれないと思ったのだ。それとなく街へ入り、セルフィにたどり着く情報さえ手に入れればがいるかいないかを確かめるだけでよかった。
それら全て、雪のせいで駄目になってしまった。
しかもその当のセルフィに拾われるという本末転倒ぶり。例えばセルフィがを匿っていたとして。何を聞かされているかは知らないが、の所在を尋ねたところで答えるわけはないだろう。
かと言って、何も聞かないまま別れても、と繋がっているのであれば対策を講じられてしまう。こういうトラブルの時の女の結束力ときたら、並の軍隊より固いかもしれないのだ。
しかしこのまま世話になっただけでトラビアを後にしてしまっては、実入りが悪すぎる。サイファーは、なんとはなしに話してみる事にした。
「物とはまた別の話なんだが……お前、知らないか」
「知ってるよう。仲良かったもん」
「そーいう意味じゃねえよ、ここに来てないかって……」
「会えるものなら会ってるよ。アタシだって会いたいもん」
本心なのかカモフラージュなのか。サイファーには難解すぎる女のちょっとした表情。確かに今ガーデン出身同士が気軽に会える状態ではないのも判っている。けれど、だからこそどこにでも潜り込めるかもしれないのだ。SEEDであったという事は、そういう事だ。
「サイファー、探してるの?」
「……ああ」
「なんで、って聞きたいけど教えてくれないんでしょ」
「悪いが出来れば言いたくねえ」
微妙過ぎる境界線だが、に伝わるかもしれない情報をセルフィに漏らすわけにはいかない。あんな風に出て行ったの事だ。またすぐにでも姿を消してしまうかもしれない。
「けどさあ、サイファー。何があったのか知らないけど、ってね、すごく難しいんだよ。普通な感じで普通に見えて、みんなはもちろんそう見るけど、でも実際はみんな『普通』って言ったってそんな風に一言で括れないでしょ?」
セルフィは片手でハンドルをくるくると回しながら、ぽつりぽつと話す。
「そういう何が真ん中で何が下で何が上なのかも判らない中ではもがいてたんだよ。それはたぶんアタシも含めてサイファーやスコールやキスティスとかには絶対判らないと思うんだ」
「お前、何の話をしてるんだよ」
サイファーは、と何らかの関係があっただなどとは一言も口にしていない。ただ仕事でを見つけなければいけないかもしれないのに、いつのまにかセルフィの話は思わぬ方向へと流れて行ってしまっている。
「……の話だけど?」
「俺は探してるとしか言ってない」
「同じ事だよ」
反論しようとしたサイファーを、セルフィは無言の視線で黙らせる。
「アタシね、の事、よく知ってるつもりだった。仲良かったし、いつも一緒に遊んでたし、色んな事話して相談したりされたりしてガーデンで生活してたよ。けど、さっき言ったみたいに、アタシ達はいつだって誰かがちやほやしてくるようになっちゃった。スコールとかアンタみたいに昔っからそうだったわけじゃないけど、世界を救ったとか、言われて。アーヴァインなんて、よく言われてたんだよ。お前、試験受けなくてもSEEDになれるんじゃないのって」
「だからそれの何が……」
「関係大アリなの!そういう中にいたの、は。知らないでしょ、アンタは!」
知らない。
その一言がサイファーの内耳をえぐり取るように響く。それでもいいと腕を伸ばし、そんなものはいらないと抱き締めたの、過去を。それをセルフィは知っていて、サイファーは知らない。ただ2人で金はなくても愛があればよかった生活ならどうでもいい事も……もはやどうあがいても埋められない亀裂になる。
「が今どうしてるのか、アタシ、知らない。ティンバーに就職した事は知ってる、ティンバーからトラビアに来る事が出来る事も知ってる。でも会いに来ないし、居場所も知らないから会いにもいけない、電話も、メールも、手紙ですらもアタシには出来ないの!」
セルフィがなぜこんな話をしているのかすら、もう、判らなくて。サイファーはハンドルを掴んだまま遠い目で話しているセルフィを見る事も出来なかった。
「……だから、アタシは、を大事にしたいの。たぶんアンタよりの色んな表情を知ってるから。だから今がどんな状況にあって、なんでアンタに探されていて、そんな事も判らなくて、それじゃを守ってあげる事も出来ない」
セルフィは、を匿っているわけではないらしい。それだけはサイファーも判ってきた。だが、そこから先が判らない。なぜセルフィはこんな事を?
「判んない?」
「さっぱり」
正直に答えたサイファーに、セルフィは苦笑した。
「そうかあ……そうだよねえ。じゃ、簡単に言ってあげるよ。正直言ってアタシもが今どうしてるかなんて事はぜんぜん知らない。けどね、サイファー」
市街地に入り込んで、人気も出てきた通りを進む車の速度を落としながら、セルフィはサイファーを見もせず、穏やかな声のまま、言う。
「アタシはの味方だから、アンタに手は貸さない」
ただ前を向いて運転しているセルフィを、サイファーは弾かれたように見るが、セルフィに動揺だとか興奮の様子は全く見えない。
「がここに来て、助けてって言うならなんだってしてあげる。アンタが一緒にいてもがそう言うならアタシは手を貸す。だけど、何も知らないのにアンタになんか絶対手は貸さない」
そして突然車を停めると、やっとサイファーの方に向き直って、またゆっくりと言い切る。
「事情を話してくれても、たぶん、答えは同じだからね」
停まった車の外は、やはり雪で。だいぶ小降りにはなっているがそれでも雪は降っていて。セルフィが指を指した方向を見ると、しばらく行った先に何やら旗が翻っている。
「ホテル、あそこ。そんなに高くないはずだから。ちょっと距離あるけど、もう降りて。アタシ、ちょっと手前の角曲がったとこで車返さなきゃ」
ほとんど追い出されるようにして、サイファーは車を降りる。そのサイファーをほとんど見ないでセルフィは走り去って行く。トラビア軍駐屯地と車の暖房で暖まった身体が、急に熱を奪われてきりきりと痛む。
サイファーの胸に去来するのは、ガーデンでの自分自身。王様のような振る舞い、独裁者のような物言い。それが、今こんな形でとの接点を奪っていく。
今サイファーに手を貸してくれるガーデン出身者は、いるのだろうか。今を探しているというサイファーに、の事情を考える事なく、そんなものよりも優先して情報をくれる者は、いるのだろうか。
誰もが皆、セルフィと同じ事を言うのだろうか。
雪が舞うトラビアの街。相変わらず軽装のサイファーを道行く人は奇異な目で見やってゆく。何よりも暖かくて優しくて、そして甘いエスタを出てしまえば、後に残るのはこのトラビア空気のように冷たい世界。
けれど、そんな世界にあって、手のひらの中で微かな明かりを灯したのが、という存在。それだけは、セルフィすらも知らないサイファーとだけの真実。
「セントラの指先」もどうだっていい。
サイファーが追い求めるものは、、ただ1人だけだから。
セルフィがあのような言い方をしたとなれば、を探すための手がかり候補がいくつか減っただけと、そう思えばいい。それだけでも充分だ。
スコールの手に堕ちてしまったかつてのガーデンなど、クソッ食らえだ。
が戻るなら、そんなものの1つや2つ、また壊してしまえばいい。ガーデンも、どこかの国も、の過去も、その中に住むサイファーの知らないの愛するものも。
そっとハイペリオンのケースに手を置き、一呼吸するとサイファーはまた歩き出した。