それを罪と言うのなら

BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 013 / 深呼吸

持ち出したものは、「セントラの指先」かもしれないもの。そして、何に使うのかも判らないプレート1つ。箱などに入れているわけでもなく、剥き出しのまま危険かもしれないものをは抱きかかえている。

ニーダを傷つけたいと思っていたわけじゃない。だけど、他に方法が無かった。

危険を伴うかもしれないものだから、1人で抱え込み、危険だと判ったのなら自分がどうなろうと処分するつもりでいる事くらい、ニーダが口にしなくてもには判る。自己犠牲的と言えば美しく聞こえるかもしれないが、そんな意識は剣を掴んだら重みで倒れてしまうような女に位しか効果の無い感情に過ぎない。

はSEEDだ。

武器も扱えば、いざとなれば男1人くらい殴って倒す事も出来るかもしれない訓練を充分にして来ている。それを忘れて、油断したのはニーダの方。

そしては、陸橋の上で途方に暮れていた。

「これからどうしよう」

右手にエスタ、左手にティンバー、背後にFH、そして目の前に広がるのは広大な海。

エスタに行こうものならサイファーに見つかるかもしれない。ああは言ったもののティンバーへすぐに持って行く気などさらさらない。FHはニーダがいる限りこれから二度と訪れないだろう。目の前に広がる雄大な海は大洋の真中で、足を踏み出せば取り返しのつかない世界。

まして「セントラの指先」を手にして、これからどこへ行けばいいのかなんては考えていなかった。ただ手に入れたいだけで、何も考えていなかった。

一つ一つ、自分でも入り込めそうな、隠れ場所になりそうな所はないかと考える。バラム、ティンバー、ガルバディア、トラビア――

そしてふいに、ゼルの声が聞こえてきた。困った事があったらいつでも来いと、そうは言っていなかっただろうか。ゼルの善意にまた甘えてしまう事をよしとするかしないか、それだけが問題だ。

けれど、はいますぐこの「セントラの指先」で何かをしようというわけではなかった。手元にある資料と突き合わせておおよその見当がつけば、さらに調査の為にどこかへと足を運ぶつもりでいた。じっと椅子に座り机の上で眺め回しているだけのニーダと同じ事をするつもりはなかった。

だから、ゼルがかくまってくれたとして、それは長い時間になるとは限らない。

元々事情を全て話す気はないし、何か簡単な理由をつけてサイファーやニーダが来たのなら、いないと言ってもらえばいいだけの話だ。

迷惑はかからない。はそう判断した。

ティンバーに少しでも近づかないように徒歩で陸橋を越え、大陸鉄道の貨物列車にでも乗り込んでまたガルバディアまで行けば、前回と同じようにドールへ入れるだろう。相変わらず鉄道の全権はガルバディアにあるから、黒づくめの連中も全ての列車を監視する事は不可能だ。ティンバーの土地に足を入れなければ、彼らはに手出しは出来ない。

明け方の陸橋の上を、は歩き出した。西へ向かって。

その日の夕方、もう夜と言ってもいいくらいの時間にはドールに入った。入国管理事務所の女性職員はの顔を覚えていなかったらしく、同じ理由で入国手続きを取ろうとしたにまったく同じ事を言った。

若干面倒だと感じないでもないが、覚えられていないのならそれはそれで返って都合がいい。誰の目にも記憶されずに済むならば、それに越した事は無い。後はゼルの道場に向かえばいいだけだ。

先日、断りも無くドールを出て行った事は仕事が出来たとでも言えばいいだろう。

「こんにちは~」
「あっ!えーとさん」

道場の入り口近くにいた少年はを見つけると、ニコニコと愛想のいい顔をしながら頭を下げた。が小声で「いる?」と話し掛けると、少年は再び頭を下げると道場の奥に消えていった。さすがに格闘技の道場なだけあって、ゼルは礼儀だとかそういうものにもこだわっているのだと思うと、は笑わずにいられなかった。

そして待つ事数分。相変わらず身体の大きな少年達に囲まれながら、ちょっとだけ凹んだようなゼルが出てきた。いつものツンツン頭に派手なタトゥー。白、というか汚れた白の上下を黒の帯で縛り、首にタオルをひっかけている。

「あ。ちょっと待っててくれ」
「いいよう、ゆっくりで」

の顔を確認するなり踵を返したゼルに、はまた苦笑した。

前と同じように生徒達に怒鳴り散らしながら出て来たゼルは、道場のドアを閉めると有無を言わさずの手を掴んで早足で歩き始めた。

「ゼル、どうしたの?」

力の強いゼルに抵抗しても敵うはずもないから、は引きずられたまま口で反論する。けれど、ゼルの足は止まらないまま、いつかゼルやセルフィがSEED認定実技試験を受けたと言う海岸までやって来た。

「何よ、いきなり」
「ったく、なんなんだよ」
「ちょっと、それはこっちのセリフでしょうが」

海岸に下りるなりゼルはの手を離し、膝に両手をついてガックリとうなだれた。いきなり引きずられて来て「なんなんだ」と言われてしまったは腰に手を当てて首を傾げた。

「ああ、この間何も言わないで出てっちゃった事?それなら」
「そうじゃねえよ」
「じゃあなんなのよ。ゼルくんはいつも言葉が――

在りし日のスコールのように額に手を当て、おどけて嘆いて見せたの手をゼルのそれが振り払う。が思うところのちっともゼルらしくない行動に、2人の口から言葉が消える。

それでもにはまったく見当のつかないゼルの言葉に、行動に、表情に、ドールから消えていこうとする西日が降り注ぐ。鮮やかなゼルの金の髪が鈍く光っている。

「ゼル、ねえ……
「なんでそんな顔してンだよ!」

何でもいいから言葉をかけようとしたを遮るようにしてゼルが怒鳴った。叫んだのでも、大声で言うのともまた、違う。怒鳴った。声を荒げて聞くとか、そんなレベルではなかった。に対して、怒鳴った。

「この間はこの間でもう死んじまいそうな顔してて、あんだけ泣いてちょっとは元気出たかと思ってたのに……なんでそんな顔してんだよ」

にしてみたら、ゼルの顔こそそんな表情をしているように見えた。自分がどんな顔をしているのか知らないが、それに対して怒っているようなゼルこそ、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。

「そ、そんな顔……
「してねえなんて言うんじゃねえよ!」

ゼルの振り上げた拳が砂浜に沈む。素早く、渾身の力を込めたはずの拳は軽い音を立てて砂に飲み込まれる。潮騒と、砂鳴りが遠く、聞こえてくる。

「なあ、お前にそういう顔をさせるのは……なんなんだよ」

は、ゼルの事をよく判っていたつもりだった。セルフィやアーヴァインと一緒に毎日下らない話で笑い転げた。授業でもないのにバラム平野を駆け抜けた。休日の前ともなれば、セルフィのお菓子とアーヴァインがこっそり持ち込んだアルコールを理由に朝まで話した。

魔法の授業で一緒になったやけに艶っぽい女子生徒は「あたしは男と女の友情なんて信じてない」と言ったが、はそれは間違いだと思っていた。ゼルと知り合って、遊んで、話して、笑いあって。それは確かに友情だったから。

2人きりになりたいんじゃなくて、手をつなぎたいんじゃなくて、ギュッと抱き締めて欲しいんじゃなくて、誰も見ていないところでそっとキスして欲しいんじゃなくて。

けれど、失う事などあってはならない大事な人には変わりなくて、それをどう言えばいいのかと問われたら、「友達」としか言えない。

男とか、女とか、そんなものは関係ない。ゼルが例えば元気一杯の女の子でも、はきっとゼルが大好きだっただろう。その頃はもニーダと付き合っていたし、ゼルも誰かと付き合っていたのかもしれない。だけど、セルフィがイベントを計画すればそこに集まる輪の中にもゼルも欠けてはいけない存在だった。

だから、よく知っている、判っていると、そう思っていた。

でも、理解していなかった。

自分がどんな顔をしていたかなんて、は知る由もない。けれど、ゼルは、気付いた。一目見て、すぐに気付いた。の背負うもの、のいる状況、の内側の苦しみ。それが何なのか判らなくても、そういう事になっているという事実だけは、気付いた。

そこまで見通されると、判らなかったの方が、ゼルを知らなさ過ぎた。

だからと言って、素直に全て話せるのならとっくにそうしてる。

好きな人だったら、甘えて巻き込んでいたかもしれない。

でも、「友達」にはそんな事をさせられない。

家族のように、幼い日の思い出のように、ずっとしまっておいた宝物のように、「友達」にはそのままでいて欲しい。いつだって笑っていて欲しい。

ひたむきなゼルの心に全てを隠し通せるのなら。

夕凪の砂浜を、ドールの山から吹き降りる風が通り抜けていく。

守りたいものは、そこにある愛しい時の残骸。守りたいものは、肩を落として下を向く。守りたいものは、ゼルと過ごしたガーデンでの日々。

今ここにあるのは、あの頃の未来。

壊してはならないと思ったのは、過ぎた日の夕方の校舎に佇む自分だったから。

背中に当たる風を、めいっぱい吸い込む。

……ゼル、あのね」