それを罪と言うのなら

BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 012 / 七色の未来を

俺の何が悪かったんだろうな――

ニーダはすっかり暗くなったFHを窓越しに眺めながら、ため息をついた。突然やって来て口喧嘩のようになってしまったですら、まだこんなに愛しいと思うのに、それを裏切るような事もしていないと思うのに、なぜ別れなければならなかったのか。

ちょっとドジなところも、よく失敗しては青くなっているところも、笑うとちらりと覗く白い歯も、遠慮がちにつないでくる手も、手のひらに吸い付くような素肌も、何かも全て、何よりも好きだったのに。

誕生日には少ない報酬の中から必死で考えたプレゼントを贈った。たかだかバラムの駅にでも車で迎えに行った。疲れた顔をしていればおでこに小さくキスしてずっと抱き締めていた。しょっちゅう魔法のストックを切らしているから代わりにドローしに行った。

それが嫌だったとでも言うのか?

ガーデンに入学する前からどちらかと言えば目立たず、出来が悪いわけでも良いわけでもないので注目を浴びるという機会には一切恵まれず過ごして来た。それはコンプレックスにはならなかったが、ちょっとした不満としていつでもニーダの胸の中にあった。

そのニーダを真っ直ぐ前から見つめてくれたのが、だった。

どこにいてもちゃんとニーダを見つけてくれた。言葉を交わして笑いあい、素肌に触れた。喧嘩もしたけど、いつだってすぐに仲直り出来た。

でも、は離れて行った。

まるである日突然別人になってしまったかのように、ニーダの元から去って行った。別れの理由なんて、思い出したくもない。

ガーデンの制服のスカートをひらひらさせて走るを。食堂でカップを手にするを。誰もいないガーデンのブリッジにこっそりやって来るを。

本当に、大好きだったのに。

明け方までまんじりともせずに過ごしていたニーダは、冷えた身体をさすってはため息をついていた。に教えなかった「セントラの指先」は、誰の目にも止まる棚の上にある。瀟洒な小箱に入って、無造作に置かれている。

実際にガーデンのMD層から取り出した時は、頑丈な鉄のケースにくるまれていたそれも蓋を開けてみれば手のひらに乗るほど小さかった。ニーダに解読など出来るはずもない旧世代の文字で埋め尽くされたプレートと、本体と思しき球状の物体。

光にかざせば表面が七色に光り、まるで美術品のような美しいその物体も。

ニーダが調べ上げた資料が紛い物でなかったのなら、危険なものである可能性も充分にある。それも、人1人程度に害を与える程度のものではない。もしかしたらこの大地から命あるものをごっそりと奪い取ってしまう程の威力があるかもしれないのだ。旧世代の文明には謎ばかりが残っているが、それ程のものを作れる技術があった事は判っている。

安全なものだと判ったのなら、誰の手に渡ったとしても構わない。悪い事に使えるものでないのなら、欲している人誰にでも手渡して構わない。

でもそれが確かでない内は、誰の手にも渡せない。美しい球体のように光り輝く未来はいつだって全ての物の中に可能性として存在する。それを、壊したくない。

ましてや、に危険が及ぶかもしれないのが判っていて、それを手渡すなどという事は出来ない。例え今はもう彼女に思われていなかったとしても、を失うなど、耐えられる事じゃない。

ニーダは、その小箱にそっと手を置いて、またため息をつく。

「セントラの指先」と思われる物体を手にFHを訪れたニーダを、ドープ駅長とフロー駅長はものすごい剣幕で叩き出そうとした。けれど、釣りじいさんはいつになく真剣な目をして2人を一喝する。

「争いもなく話し合えば判る世を望むなら、これをどうにかして破棄するべきじゃないのかね。ましてや、これはセントラの血を受け継ぐ我々の仕事じゃろう?言葉だけ達者でいるのは簡単じゃが、それに何の意味がある」

冗談ではなく真剣も真剣、本気の時に出る釣りじいさんの「じゃ」 が出てそれを軽くあしらえる者などFHには存在しない。それ以降もドープ夫妻は喧嘩し通しの毎日だったが、釣りじいさんを始めとする老齢の技術者達はニーダに協力的だった。小さな部屋を与えてFHにあるだけの資料を全て見せてくれた。

判りかけた事もいくらかはある。けれど、確証はない。保証もない。危険を伴っている事は変わらないまま、ニーダの手の中にある旧世代の遺物は静かに光っている。

その時、遠慮がちにドアを叩く音を耳にしたニーダは慌てて小箱から手を離した。

こんな時間に誰だ。

FHはどちらかといえば無防備で開かれた街には違いない。仮にもSEEDであったニーダはそれを痛感しているが、今更それをFHの住民に言ったところでどうにもならない。

自分の身が危ないのなら、自分で守るしかない。ニーダは仕事机の脇に立てかけてある細身の剣を手に取った。ガーデンを出て以来メンテナンスだけはするものの使う機会など一切なかった相棒だ。

それを後ろ手に持ち、ドアの鍵と電子ロックを解除する。

……誰ですか」
……ニーダ」

それは、紛れもなくの声。明け方のひやりとした空気に気を使っているように小さく、細く、囁くようなの声がニーダを呼ぶ。ガーデンで2人がまだ付き合っていた頃にこっそりどちらかの部屋に遊びに行った時のように。

?こんな時間に……
……ごめん、話したかったの」

ニーダは剣をドアの後ろにそっと置くと、を招き入れた。足音も立てずに入ってきたが通り過ぎると、彼女が愛用しているコロンの香りがふわりと漂う。

薄暗い部屋で甘い香りに鼻腔をくすぐられて、目の前には。何も言わず抱き締めてしまいたいのを堪えて、ニーダはドアを閉める。

……昼間はごめんね。あんな風に喧嘩越しに話したかったわけじゃないの」
「いや、俺の方も……うん」
「ねぇ、ちょっと昔話、しない?」

に椅子を勧め、自分はベッドに腰掛けたニーダは黙って頷いた。

「いいよ。俺は聞いてるから、話していいよ」
「ふふ、ニーダ、それ昔も言ってたね」

口元に手を当てて肩を震わせて笑うも、昔……ガーデンにいた頃のままだ。ニーダは返事の代わりに、笑って首を傾げて見せた。

「なんか、さ。昼間はついカーッと来ちゃったんだけどさ、なんかニーダの顔見たらガーデンが懐かしくなっちゃってさ。今はもう、ないんだもんね。ニーダ、誰かと連絡取ってる?スコールは絶対無理だろうけどさ、アーヴァインとかさ!」

「そういえば一緒に任務に出た事なかったねえ。まあ、ニーダは操縦が本業みたいになっちゃってたけどさ。ニーダが仕事してる間はガーデン、動かなかったもんね」

「まだカードしてるの?よくスコールとカードしちゃ負けてたよねぇ」

はガーデンで日常だった事を楽しそうに話している。ニーダも聞かれれば笑って答える。どれもこれも毎日当たり前だった風景ばかりで、それは色褪せる事なく脳裏に蘇る。毎日が忙しくて楽しくて全身でガーデンを満喫していた頃の話。それは昔話というにはあまりにも鮮明すぎて、ニーダの頬を緩ませる。

「大変だったけど、楽しかったよね」
「そうだな。毎日忙しかったけど楽しかったな」
……ねぇ、ニーダ」

椅子に座ったまま、は身を乗り出してニーダを見つめる。昔話に浸りきっていたニーダの目には、まだ2人が誰よりも親密な関係だった頃のように映っていた。

……私、ニーダの事嫌いになったわけじゃないからね」
「え?」
「嫌いだったら、こんな話、出来ないよ」

立ち上がったはくるりとニーダに背を向けて、俯く。

「なんて言ったらいいのかなあ。あの時は勢いみたいなものもあって……思ったらすぐに言葉にしたり行動したり……そういう事が出来ちゃう年だったからだとは思うんだけどさ」

が何を言いたいのか、何を伝えたいのか、ニーダには判らない。けれど、の言葉はとても思わせぶりで、含みがあって、未だにを想っているニーダに取っては甘い囁きに違いなくて……

思わず立ち上がったニーダの気配を察してか、は頭を上げて背筋を伸ばす。

「なんだか、遠い昔の事みたいで……昨日の事みたいだね」
「俺に取っては……1時間前の事みたいなものだよ」

そう言ったニーダの目の前で、は少し俯いて、くるりと振り返った。
そして、何も言わず、表情も変えずにニーダに抱きついた。

……、どうしたんだ?」

しっかりの背に手を回しながら、ニーダは問い掛ける。けれど、は答えない。1度ギュッとニーダの身体を締め付けて手を解くと、焦らすように口元に手を当てた。それはためらっているようで、恥らっているようで、ニーダは高鳴る鼓動を悟られまいと少しだけ目をそらした。

すると、そのそらした目を元に戻すようにの手のひらがニーダの両頬を包み込む。そして、そのまま唇を押し当てる。

不意打ちを食らったニーダはよろめき、少しだけ勢いのあったの手に押され、2人はニーダの使っている粗末なベッドに倒れこんだ。硬いスプリングにニーダの背中が沈み、の身体がニーダの身体に沈む。

ニーダの頬を包んだままのの手のひらにニーダの右手が触れる。湾曲したの背中にニーダの左手が絡まる。

やがての唇がニーダのそれを押し開いて、ニーダの唇もするりと開いて――――何かがニーダの口中に投げ出された。

……!」

甘い雰囲気に酔いしれていたニーダは、その口中に放り出された何かをそのまま飲み込んでしまった。感触からして、カプセル。しかも、噛み砕かれて薬が喉に広がっていくのが判る。

「あ、あ、、何を……
「毒じゃないから安心して。ただちょっと眠くなるだけだから」
……どうし、て…………!」

体中に蔓延してくる眠気と気だるさと必死で戦いながらニーダはの名を呼ぶ。

好きで好きで、別れても好きで、こんなに簡単に騙される程好きなの名を。

……あの時なんで別れなきゃいけないのかって、聞いたわよね」

は迷う事なく棚の小箱へと手を伸ばす。どこからかニーダを見ていたらしい。そして、箱を開いて中にある球体を取り出すと、弱々しい明け方の光にかざす。

「想っているだけでそれが愛や恋なら誰も苦労しないのよ」

もはや言葉を発する事も出来ないニーダの目の前に球体をかざし、スッと遠ざけると顔を近づけては低く漏らす。それは冷たくて、硬くて、まるで生き物の言葉ではないように。

「大事にしてくれた事には感謝してる。でもそれだけよ」

どんどん瞼が閉じていくニーダの遠く向こうで、相棒の剣が鈍く光っている。ドアに近づいたはその剣を拾い上げるとニーダの手の届く場所にそっと置いた。

……SEEDは武器を手放すもんじゃないわ」

そして、すっかり閉じてしまったニーダの目を確認すると出て行った。

FHの街並みを朝日が照らす頃には、はFHを後にしていた。