BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 010 / 希望の種
サイファーと過ごした日々の中で、好きだと思う気持ちとか、そういうものとは待ったく別の場所では1つ気にかかっている事があった。
それは、サイファーが決して自らガーデンの事を話題にしない事。が話し出しても、すぐ違う話題に切り替えられてしまって、それはまるで話したくないと言っているようだった。確かに、良い思いでだらけというわけではないだろう。しかし、アルティミシア事件以降から卒業までの間、サイファーはそれまでと変わらず過ごして来たし、特別深刻な事件を起こしたわけでもない。
それを、まるで触れない方がいい事のように顔を背けられてしまう。はそれが気にかかって仕方なかった。なぜ、そんなに?
そして、結局サイファーの前から姿を消すと決めた時、1つの結論に行き当たった。
サイファーは「セントラの指先」の事を覚えている。
当時、そんなものは歴史の中でおとぎ話のように生まれてきたもので、神話より頼りないと一笑に付したはずなのに。俺はパンドラの上で偉そうにしてたから知らないと、取り合ってくれなかったのに。
サイファーの記憶が途中で間違っていなければ、「セントラの指先」で一時期騒いだ面子が多くない事は知っているはずだ。そして、その中にがいた事も。
しかも、その騒ぎは中途半端なまま終わる形になってしまい、もういいだろうと諦め顔のスコールの前でがそんなのはイヤだと言ったのも……知っているはずだ。その場にいたのだから。
は、それを確かめるまでもなくサイファーの前から姿を消す事を決めてはいた。しかし、それが確かなものであったのなら、姿を消しただけではなく、誰よりも先に見つけなければならない。サイファーよりもスコールよりも先に、ニーダを。
にはそれを譲れない理由がある。
ゼルの優しさに触れて、元気が出たは一度ティンバーに戻り、職場に顔を出した。資料作成のためにあちこち歩いてきました、などとおどけて見せつつ、資料室に入り、また何か持ち出して出て行く。上司は出来のいい部下に恵まれたな、などと平和にも笑っていた。
そうして次に向かったのは、FH。
久々に訪れるFH。ティンバーから直通列車に乗ってそんなに時間はかからない。
ここに、必ずニーダはいる。
時折寄せてはFHの堅牢な基盤に白い飛沫を作る波に糸を垂らしながら、かつてのエスタで百汽長と恐れられた老人はあくびをしていた。
「なんちゅうか……大物は来ないのう……あんまり大き過ぎても困るがのう……」
老人はガーデンがFHに衝突した時の事を思い出して、背筋を震わせた。あれほど大きくなくてもいいが、たまには抱えるような獲物を釣り上げたいのが心情というものだろう。
老人のいる場所からは、最近新しく伸びたティンバー線のホームが見える。いつでも混雑しているわけでもなく、かといって常に閑散としているわけでもない静かなホームだ。そこに、今日は1人の少女が降り立った。少女といってもすでに大人の姿をしてはいるが、老人からしてみたら街の子供と大差ない。
「およ?あれは確か……」
かすかな記憶を辿る老人は釣り竿をだらりと下げたまま考え込み、はたと顔を上げると釣り竿を引き上げてヨタヨタと走り出した。
「おーい、お嬢さん!」
はまたもや街に入った途端背後から呼び止められて、少しげんなりした。今度は誰だ。しかもどう考えても老人の声だ。
「……何か?」
「な、なんぢゃ、そんな怖い顔をするなよ。わしゃ怪しいもんぢゃないよ」
から逃げるようにして両手をバタバタと振った老人のあどけない様子に、は少し恥じ入る思いで首を傾げた。
「あんた、さんだろ」
「あの、失礼ですがどこかでお会いしましたか?」
呼び止められる覚えもないが、FHでのんびり暮らしている老人に名前を呼ばれる覚えはもっとない。は明らかに不本意そうな顔をして老人を見下ろしていた。
「ああ、いやいや、一度も会っとらんよ。けど、わしはお前さんをよーく知ってる」
「……どういう事ですか」
含みのありすぎる物言いには今度こそはっきりと不愉快だと顔にした。人のよさそうなニコニコ顔の老人を見ていると、何もかも見透かされているようで、少し腹が立った。
「まあ、そう怒るなよ。話は最後まで聞きなさい」
「何をですか……」
いい加減この老人の相手が苦痛になってきたはため息と共に、勝手にその場を立ち去ってしまおうかと思っていた。すると、またの背後で声がした。
「おじいさーん!こんなところにいたんですかー!」
は身体が固まっていくのを感じていた。どこでどんな形で声をかけられようと、この声だけは聞き間違えるはずがない。
ニーダだ。
黙ったまま固まっているの背後から、ニーダはどんどん近づいて来る。もう、老人など目に入っていなかった。ただ近づいてくる足音とそれがニーダであるという事実に縛られて、は身動き出来なかった。
「いつものところにいなかったから……探しましたよ」
「ちょうどいい所に来たなあ、坊」
「あのねえ、おじいさん、坊はやめて下さいよ。ハタチ過ぎに向かって……」
そして老人が見知らぬ旅人らしき女性と向き合っている事に気づいたニーダもまた、それがであると気づいた途端、固まった。
「、なんでここに……?」
2人の緊張感漂う距離に臆する事なく老人は笑う。ニーダの顔を直視出来ずに目をそむける、それを凝視しているニーダ。
「ほっほっほ。お前さん机にこの子の写真飾ってただろ。ぢゃ、な」
老人は若者の邪魔はしないとでも言いたげな笑いを残して、その場を後にした。なぜ老人がの名を知っていたのか、さらりと言い残していたが、はそれすら、聞いていなかった。
「こ、ここじゃなんだから……俺の仕事場、行かないか?」
ニーダはそう言うとの返事も待たずに歩き出した。も、返事をせずにただついて行った。慣れた道を足が記憶しているように歩くニーダの後ろを、は少し距離を置いて歩く。
波の音が近くに聞こえて、驚くほど静かなFHの街の中を2人は押し黙ったまま、歩いて行く。途中誰かがニーダに冷やかすような声をかけるが、ニーダはちょっと困ったように笑顔で会釈して、相手にしない。
ニーダの言う「俺の仕事場」への道は、地下へと続いていた。
「好きな所、座ってよ」
に椅子を勧め、ニーダは相変わらず返事をしないを見るでもなく作り付けのキッチンにお茶を淹れに行った。
どこか甘く、気持ちを落ち着かせるようなお茶の香りが漂う地下の一室。地下と言っても、地下に届くほど深く海に沈みこんだFHの基盤の中まで部屋があると言うだけだ。窓もちゃんとあるし、のティンバーのアパートよりはよっぽど明るくてきれいだ。
ティーカップを2つ手にして戻ったニーダはの前にカップを1つ置くと、自分のカップも近くの棚の上に乗せて、そのままの前で立ち止まった。
「……あの、どうしたんだ?」
「判ってるでしょ……」
そうは言ってみたものの、それでもニーダは少し困ったような顔をしただけで、何も言わなかった。は、それが癇に障った。
「判らないって言うの?」
「なんとなく……判るけど」
「じゃ、何か言ったら?あれ、持ってるんでしょ」
さり気なく核心を突いてみたつもりのだったが、ニーダは顔色1つ変えない。それどころか、腕を組むと大きくため息をついた。
「やっぱりそれか。だけど……君がなんと言おうとあれは渡せないよ」
まるで、足りないおやつをわがままに催促する子供を呆れて見ているようなニーダの態度には今度こそ頭に来た。立ち上がって身じろぎしないニーダに詰め寄ると顔を近づけた。
「ひとりであんなもの抱え込んでどうするつもりよ」
「君こそどうするつもりだ?」
「あなたよりはマシな使い方をすると思うけど?」
一歩も引き下がらないに、ニーダはなお冷静に返す。
「……あれは使うものではないよ」
「まだそうと決まったわけじゃないでしょ」
「好奇心のために危険な事は出来ないよ」
「だからって日がな眺めて調べてるだけじゃラチがあかないわよ」
どこまで行っても水掛け論にしかならない。がニーダに問いただしているのは、当然「セントラの指先」と呼ばれる物。はニーダが必ず持っていると確信していた。その通り、ニーダはそれを所有しているらしいが、渡すつもりなどまったくないようだった。
ニーダは更に困った顔をして、ため息をついた。そして、片手での肩を掴み少し押し戻すと、低い声で言う。
「……。あれはね、「希望の種」なんかじゃないんだ」
なんとか判ってもらおうと、ゆっくりと言ったニーダだったが、はそれでも表情を変えない。誰がなんと言おうと引き下がるわけにはいかないのはも同じだった。
「確かに確実だってわけじゃない。けど、「セントラの指先」については判っていない事のほうが多いんだ。それは君だって判るだろう?それに……もしかしたら全部のパーツが揃わないと動かないかもしれない」
ニーダは、悲しそうな目をしていた。けれど、はそんな事、全く気にしていなかった。隠すニーダの方が、悪いと、そう思っている。
「それで?それをあなたが管理する権利がどこにあるのよ」
今度こそ、ニーダは悲しそうな顔をしたまま黙ってしまった。の肩から手を離し、棚に手をついて、また深くため息を吐いた。
長い長い、沈黙。ニーダが根を上げるのを待っている、どうしたら判ってくれるのかまだ迷っているニーダ。そのニーダの目に、机の上のフォトスタンドが止まる。釣りじいさんはニーダが飾っているこの写真を見て、にこにこ笑いながらああだこうだと質問を浴びせかけてきたものだった。
シルバーフレームのシンプルなフォトスタンドには、当然。ガーデンの制服を着て、今より丸い顔をして笑っている。
「……」
「なに?」
「俺の気持ちはあの時のままだよ」
ニーダがそう言うや否やは、勢いよく後ろを向いてニーダのそばを離れた。
「な、なに言って――」
「変わったのは君だけで……俺はまだ好きだ。変わってない」
はニーダに背を向けたまま、両手で自分の身体をきつく抱きしめて萎縮した。うつむいて、小刻みに頭を振る。聞きたくなかった言葉を耳にしたように、髪を揺らして。
「もう私たちは別れたでしょ!」
は悲痛な声で叫んだ。けれど、ニーダはなおも言う。
「希望の種は花をつけないよ、。危険なものの可能性が高い」
「そんな事――」
「だから、絶対君には渡さない。君を危険な目に遭わせるわけにはいかないから」
ニーダとて、悲痛な声には変わりなかった。
「……それで私を守ってるつもりになってるならいい気なものね」
「なんでもいいよ。危ない目に遭って欲しくないんだ」
ぼそぼそと同じ事を言いつづけるニーダを振り返ったは、明らかに怒っていた。憤怒の表情だった。は、こんな事を聞くためにFHへ来たわけじゃないと、泣きたいくらいの気持ちだった。
「あなたがいっつもそうだから別れたのよ!」
大声で叫んで出て行ったの後姿を窓越しに見つめながら、ニーダは呟いた。
「君がなんと言おうと、今でも好きなんだ。だからあれは渡せない。「希望の種」は、花をつけてはいけない種なんだ」