それを罪と言うのなら

BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 009 / 昼下がりの涙

じゃないか!」

観光課から出てきたは、どこかで聞いた事のある声に背後から呼び止められて立ち止まった。本当なら今はあまり知人には会いたくなかったのだが、声だけではだれかも判らないし、逃げ出してしまって怪しまれるのも避けたい。仕方なく自分の事かと確認するように辺りを見回してから振り返った。

「しばらくだったな!元気だったか?」
「シュウ先輩!?」

それは思いもよらない人物だった。かつてのガーデンではキスティスに肩を並べる才女で、卒業するまでSEEDのトップクラスを誇っていた女子生徒だ。顎のすぐ下で切り揃えられた髪は真っ直ぐで闇の漆黒を誇っている。

「私の方が先に卒業してしまったから……ほんとに久しぶりだね!!」
「はい!シュウ先輩、ドールにいらしたんですか」
「そんな堅苦しい言い方しないでよ!もうガーデンの生徒じゃないんだから。ね?」

元々快活な女性だったが、今もそれは変わらないらしい。シュウは細身の身体で目一杯喜びを表現しているようだった。は、ここで出会ったのが何か言い漏らしたとしても、吹聴するような事はしないシュウに安心していた。

「今日はどうしたの?旅行?」
「ええまあ、そんなところです」
「また観光課なんて役に立たない所に行ったもんだ!仕事がなければなあ……
「お仕事中でしたか、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。ああ、そうだ!それならあいつに頼もう!」
「え?」

あまり懐かしい顔との接触はしたくなかったのだが、ここまで来ては断るに断れない。はシュウに案内されるままドールの町並みを歩いて行った。

シュウの後をついて行く事5分。はドールの出島の1つに案内された。本通りと違ってやたらと細々とした通りに差し掛かると、1件の平屋の前で立ち止まった。

「ああ、ここだここだ。相変わらず臭いな」

シュウは鼻をつまみ、片手をひらひらと振った。平屋の中からはなにやら地響きのようなものが聞こえてくるし、シュウが言うようにツンと鼻につく匂いが漂って来ている。

「先輩、ここは?」
「ああ、ここは訓練所みたいなもんだ。おーい!」

呼び鈴はおろか、表札もない平屋の中はだいぶ騒々しそうだ。それに向かってシュウは大声を張り上げる。

「客だ!開けてくれ!」
「うるせえ!ここをどこだと……
「うるせえだと?」

ドアの外も確かめず出てきたのはやたらといかつい少年だった。身の丈は2メートル近くあるだろうか。目の前に立ちはだかられるだけでドアの向こうなどまったく見えない。少年は威勢良く出てきたはいいが、外にいるのがシュウだと判ると首をすくめて会釈した。

「す、すんません、先輩……
「私だからよかったんだぞ。これがお前の上官だったら……
「す、すんませんすんません」
「判ったらさっさと教官呼んで来い」

山のように大きい少年はシュウにペコペコと頭を下げるとすごすごと引き下がっていった。少年が行ってしまうと、なるほど部屋の奥には匂いの元となりそうな少年たちがたくさんいる。

「先輩ここはなんですか?」
「ははは。陸軍のルーキーのための道場だよ」
「道場?」
「まあ、ガーデン生が多いのは確かだけど。新人と言えど1から鍛えなおしってわけ」

陸軍というのが引っかからないでもなかったが、所詮シュウもガーデン出身。軍関係に就職していたっておかしくはない。シュウが呼んだ教官が中々出て来ないドアの奥から、匂いの発生源らしき少年達が物珍しそうにこちらを見ているのに気づいては少し後ずさった。

シュウもそれに気づいたのか、少年達に一瞥をくれるとにコソコソと耳打ちを始めた。

……ドール軍てのはな、女っ気がないんだ。間違っても足を踏み入れるなよ?」
「え、ええ?」
は可愛いしね。こんな所入ったら食われちゃうぞ」

シュウ先輩も女でしょ、と言おうとしただったが、先ほど少年を一喝したあの勢いでは筋骨隆々の少年でも勝てないかもしれない。

「でも先輩はそんな中で仕事してるんですね」
「いや?私は軍関係者じゃない。ここの教官をよく知ってるだけだよ」
「へ?」
「私はドール警察特殊部隊だ」

シュウらしいというか、さすがシュウというか……は誇らしげに胸をたたいたシュウの襟元にドールの国旗を模したピンバッジを見つけて大きく頷いてしまった。自分が犯罪者だったら間違ってもこんな警察官に逮捕されたくない。

しかし、シュウは軍関係者ではなかったものの、その教官とやらは軍関係者である事は間違いない。は一体誰なのかと不安になってきた。

すると、揃いも揃って巨漢ばかりの少年達の間からやけに小柄な人物が歩いてくる。その小柄な人物を避けるようにして少年達は道を作る。そしてその人物の見覚えのあるツンツン頭は――

「ゼル!」
じゃねえか!」

大柄な少年達を偉そうにどかしながらやって来たのは、かつてサイファーにチキンの称号を与えられたゼルだった。卒業に至るまでに本人の希望するほど伸びなかった身長だが、それでもよりは高い。こんなところで仕事をしているせいか、ガーデンにいた頃よりもだいぶ逞しくなっているようだった。

あまりに久しぶりだったのと、その顔は懐かしくもガードを固めなければいけない人物ではなく、は嬉しさのあまりゼルに抱きついた。部屋の中は悪臭が漂っていそうなのに、ゼルは少しもそんな匂いをさせず、どこか懐かしい太陽の匂いがした。

「わ、ちょ、なんだよ
。ゼル教官の今後の立場も考えてやってくれるか?」

有頂天で首にかじりついたは、シュウの楽しそうな牽制を耳にしてゼルから離れた。案の定ドアの向こうで見守る少年達は、自分達の教官が女に抱きつかれているのを楽しそうに、かつちょっとだけ羨望の眼差しで見ている。

「あ、ごめんごめん!つい嬉しくて……。元気だった?」
「おう!オレはいつでも元気だぜ?お前こそ!」
「見れば判るでしょ?私も相変わらずよ!」

ハイタッチで再開を喜ぶ後輩を眺めていたシュウは、仕事があるから、とその場を後にした。はゼルに再開できた事は嬉しいが、仕事を邪魔するつもりなどなく、追ってここを離れるとゼルに告げたのだが、ゼルはそれを引き止めた。

「仕事っつってもこんなだからな。オレでよければ案内するぜ?ドール」

案内などなくてもよかったのだが、再開出来た事と、それがゼルであった事は少なからず辛い思いをしてここまで来たにとっては何より嬉しかった。仕事の邪魔にならないなら、案内がてら話したいというのが本音だった。

「じゃ、お願いしようかな」
「んじゃ、ちょっと待っててくれるか?」
「うんいいよ。ちゃんとシャワー浴びてきてね」
「げっ。匂うか!?」

カラカラと笑う、慌てて数歩下がるゼル。それを見てまた口元を歪めてるゼルの生徒達は、心なしか頬を染めている教官が更衣室へ駆け込むのを実に楽しそうに囃し立てた。

シュウの忠告どおり部屋の中には足を踏み入れず、は道場のドアを開けたまま座り込んで待っていた。けれど、教官が留守の生徒達はこれ幸いと距離を置きつつに話し掛けてくる。教官とはどんな関係ですかとか、ガーデンの生徒だったのか、とか。

中にはと同期のガーデン出身者もいたが、年齢も違うし、SEEDではなかったりして、はにこにこしながら自己紹介した。

「ガーデンにいたよ。もちろんSEEDでした!ゼルとはね、仲良かったの。仲間みたいな感じかな。知ってるかな、セルフィとかキスティスとかアーヴァインとか……

そのあたりの有名どころを知らないとガーデンではモグリだ。なんの偶然かトゥリープFC会員だった者までいた。けれど、そんな和気藹々とした談笑もものすごい速さでシャワーを済ませてきたらしいゼルの怒号で解散となる。

「最後のヤツはちゃんと鍵閉めとけよ!」
「ゼルってばすっかり先生になっちゃってぇ」
「な、なんだよ」
「でもゼル、補佐じゃなかったの?」
「ああ、オレ、初日にそれまでの教官負かしちまったんだ」

武器を使わない戦闘スタイルを専攻している者としては珍しくゼルは非常に小柄だ。それは身長がどうのというよりも、顔も小さいし、全体的にこじんまりしている。けれど、その小さな身体から繰り出される威力たるや、武器を使わず素手で戦うというならスコールも適わないかもしれない。

顔に似合わずと言ったら失礼に値するのかもしれないが、そんなゼルが初日に教官を負かしてしまったというエピソードを想像しては大声で笑った。負かしてしまったはいいが、倒れた教官に向かって平身低頭で謝るゼルの姿が目に浮かぶようだ。

今となってはゼルの生徒である道場の少年達がととの関係を疑っていたが、にとっていわばゼルは兄弟のように幼馴染のように気楽に、下らない冗談もふざけた遊びも出来る友達だった。どんな状況にあっても飾らずいつだって等身大のゼルの横では、自然と自分もそうなれる。

だから、よくセルフィやアーヴァインを交えて校庭や中庭を転げまわって遊んだものだ。いい年して鬼ごっこやかくれんぼもないだろうと、冷静な意見を言い出すような事は絶対にない。事実、SEEDとしての仕事がない時は年少クラスの子供達と走り回っているのをよく見かけた。

そんなゼルと並んで歩いて笑っているだけで、どんどん気持ちが浮上していくのが判る。指先に溜まった違和感とか、なんとなくだるい膝がすっと軽くなる。肩の辺りに風が吹いたようで、身体を動かしたくなる。

「ふうーん、ゼルが先生ねー。世も末だわー!」
「おい、そりゃどういう意味だよ!」
「でも意外!バラムから絶対出ないと思ってたのに」
「あー、まあな。けどよ、外の世界も見た方がいいと思ってな」

この世代の若者にしては珍しく、ゼルは家族や両親というものを大事にしている。それもゼルを引き取って育てたディン夫妻の深い愛情の賜物なのではあるのだろうが……。そのせいか、年を重ねるにつれてゼルは人の内面だとかちょっとした感情の変化に過敏に感づくようになった。相変わらず気は利かないから、それを感じ取って不用意な事を言い出す事も少なくはなかったのだが、それでもゼルはそういう青年に成長していた。

だからやっぱり、気取られてしまった。

「なんかお前疲れてねえか?」
「え」

また都合の悪い事に、ゼルという人はいつだって全力投球で真剣そのものなのだ。笑顔を作ってなんでもないと誤魔化すのは簡単だったが、オレには話したくないんだな、という顔をされるのはいやだった。

「なんでいつも分かっちゃうのよ、バカ」
「バカってなんだよ。心配してるんだぞ」

そう、ゼルは本気で心配している。まだ自分の感情と他人の感情と双方に圧し掛かる理性のコントロール加減が利かない頃は、思ったままの事を口にしては自己嫌悪に陥っていたゼルだが、彼の基準はいつだって他人なのである。

実際、自分の事などあまり気にしていない。他人が楽しそうにしていれば自分も楽しいし、他人が悲しい顔をしていればなんとか笑わせようとする。ちょっと距離を置いて放って置いてやろう、などという高度な対人技術ははなから頭にない。

だから、隠しても無駄だし、素直に心配されているのが一番いい。

「オレでよかったら話せよ。話せるところまででいいから」
……ゼルくんってホントヤなヤツ」

はセルフィの口調を真似てみたりしながらおどけてみせるが、ゼルはやっぱり真剣そのもので、まだ笑顔を取り繕っているの向こう側を辛抱強く見つけるようにして黙っている。

そんな真剣な眼差しの前にあって、それが過ぎ去った日々の友であり、時には戦火の下を共にくぐり抜けた仲間であって、何を隠しとおせるだろう。

どこまでも明るい日差しの下を、笑いながら、何の曇りもない心のままで過ごした時代を同じく通り過ぎて来た友に隠し事をして、一体なんの得があると言うのだろう。

自分を偽って、作り物の自分を見せて、それを記憶に留めさせて、それで満足できるならゼルと友でいる必要などどこにもない。

は、午後の太陽の下で、その光を全身に纏って暖かいゼルに見つめられて、ひどく自分が汚れているような気がした。その光の影の中にすっぽり収まってしまい、ゼルのいる暖かい場所には入れないような気がした。

その資格がないと、思った。

同じようにガーデンで過ごしてきて、どこで間違って自分はこんなにゼルとかけ離れてしまったんだろうと思ったら、涙がこぼれた。

何も言葉は出てこない。息もうまく出来ない。唇がかみ合わない。両手のひらも、どこに在ればいいのか判らなくて震えている。

それでも、ゼルはただ黙ってを見つめている。

「わ、私、ひどい事をしちゃた……

ようやく一言だけ漏らしたの手を、ゼルはポンポンと軽く叩いて……そのままにしてくれた。

それがサイファーだとは話さなかった。ゼルの感情に余計な波風を立てる必要もないし、相手が誰であろうと、が今話したいのはサイファーとの事ではなくて、自分自身のしてきた事だったから。

ただ自分がどう思って何をしてきたか、そして、それを自分で壊した事も。

ゼルはやっぱり黙っている。時々少しだけ頷いて、泣きながら話の途中でどこまで話したか判らなくなるを止めもせず、聞いていた。そして、の言葉が尽きたのを確認すると、ポツリと言った。

……かわいそうに。大変だったな」

そんな簡単な言葉を。どこにでも転がっていて何にでも向ける言葉を。親の手を離れては生きられない子供ですら使える言葉を。

こんなに優しく、そして重く感じた事があっただろうか。

ゼルは、本気でそう思っている。がかわいそうだと、大変だったんだろうと。それが、身体中に突き刺さる。その思いはゼルにとって立っていられないほど重いものではないだろう。けれど、ぽろっとこぼれた言葉に、それまでお互いが過ごしてきた柔らかい暖かい過去がある。それは愛しくて泣きたくなる。

「でも、元気だせよ。オレ、お前がそんな風に泣いてる顔見たくねえよ。オレまで……泣きたくなってくる」

どうしてこの人はそんな事が言えるのだろう。は涙を拭おうともせずにただしゃくりあげていた。

「けどよ。なあ、。オレにとっては今でもお前はあの頃のまんまだからなあ。そうそう簡単に変わんねぇんじゃねえか?オレもそうなんだろうけどよ」
……うん」
「だから……そのまんまでいいんじゃねえの?」

そして、ゼルは得意のこぶしを掲げて、ニカッと笑ってみせる。

「困ったらいつでも来いよ。友達じゃねえか!」

は、もっと大声で泣き叫んで、衝動のままにゼルに抱きついてしまいたかった。子供みたいに泣いて、愚痴を言って、誰かの事をけなしても……ゼルなら黙って聞いてくれるかもしれないから。

けど、出来ない。

それは情けないプライドと、卑しい理性と、そしての目的のために。

ゼルは、少し涙のおさまった様子のに向かって穏やかに笑ってみせる。ガーデンにいたあの頃のように。それがまるで昨日の事のように。

「スコールとかさあ、みんながどう思ってるか知らねえし……たぶんそんな事は思ってないと思うけどよ。オレはさ、思うんだよ。オレに取ってはいつまでも大事な友達で仲間で、おんなじSEEDだ。ガーデンが世界に誇る傭兵のコードネーム。それをオレ達は持ってる。だからってわけじゃねえけど……遠いとこにいても変わんねえ気持ちで思ってるし、会えばまたすぐ昔みたいに笑えると思う。そりゃ、なんでかって、みんなやっぱりいいヤツだからな。……お前もそうだよ。お前も、いいヤツだ」

は、重ねられたゼルの手を強く握り締めて、もう一度、泣いた。

ゆるやかに傾き始めたドールの日差しがの頬を照らし、涙をきらめかせて、背中に影を作る。が泣き止むまで、ゼルはまた何も言わず黙っていてくれた。

まだ少し赤い目をこすりながら宿への道を歩くを、ゼルは少し離れながら並んで歩いた。陸軍の寮にいるから、何かあればすぐ軍の本部に来てくれと言い残して、ゼルは帰っていった。昔のまま、必要もないのにダッシュで帰っていった。

その後姿、彼の言葉を、は一生忘れないだろうと、この感謝を生涯無駄にすまいと、彼の残した影に誓った。言葉もなく、誓った。

いつか彼がを軽蔑しても、それでも忘れないだろうと、誓う。

暖かい日差しの落ちる水平線の見えるドールで、彼の言葉を聞いた事。それはいつかの心の支えになるだろうと、想像しながら。

翌日、観光課にてアポイントを取ったは調べ物が終わると、その足でドールを出て行った。ゼルにあいさつをする事もなく、シュウに顔を見せる事もなく。