それを罪と言うのなら

BARAMB GARDEN SECRET FILE : CODE 008 / 可愛い女

そういう意味で好きだったんじゃないの

じゃあどういう意味だったの?
どういう…って、ほら、それは…私は…
サイファーを傷つけた事には変わりないんじゃないの?
そんな事は判ってる。でもそうするしかないじゃない

結婚できません、って断れば?
結婚はいやだけど別れるのもいやだったんだもん
わがまま
そう、わがまま

サイファーに嫌われたね
そうだね
じゃ、別れるのと同じじゃないの?
…そんな事、口に出来ない。サイファーがどんな顔するか、知りたくない

ねぇ……あんた、本当にサイファーの事好きだったの?

…さあ。そんな事、自問自答したって判るわけないじゃない。

……?」

大統領官邸を飛び出たサイファーがまっすぐに向かったの部屋。薄暗くていつもなんとなく寒いの部屋。そこに、はいなかった。

「おーい、今日出勤じゃねえだろ……?」

思わず小さくなる声で探す場所もない部屋に呼びかけてみるが、反応など、返ってくるはずもない。元々物は少ないし、安普請でもあるし。サイファーの呼びかけは薄い壁に吸い込まれていくだけだ。

買い物か?

家主が不在の部屋の真中で立ち尽くしていたサイファーは、何とはなしに辺りを見回すと、仕方なくソファーに腰を下ろした。相変わらず身体にやさしくないクッションが背中に当たる。けれど、エスタへ行って一緒になる事が出来たら、もうこんなソファーになど座らせる事はないとサイファーは確信していた。

早く帰って来いよ。エスタに行こう、――

しかし、待てど暮らせどが帰って来る気配はなく、その代わり何度か顔を合わせた事のあるこのアパートの所有者が突然やって来た。

「あら、エート、ちゃんのお知り合いよね?」
「あ、はい、カギ、開いてたんで」

住宅の鍵がほぼ100パーセントカードキーであるエスタで慣れてしまったサイファーならではの言い訳だ。彼女の部屋だから合鍵持ってますと言ったところで、愛想のいいこの中年女性は何も言わなかっただろうが、部屋に侵入している事を咎められるのではないかと思ってしまった。

「あら、そう?でもちゃん長期出張だって……
「え?」

寝耳に水だ。出勤だとも聞いていなかったのに、出張だなんて。いくら急でも書置きぐらいあってもいいんじゃないかと、サイファーは少しだけイラついた。けれど、そんなサイファーに最悪の言葉が襲い掛かる。

「ここ、引き払うって言ってたわよ?」

それきり身動き一つしないサイファーを訝しげに眺めつつ、アパートの所有者は出て行く。遠ざかっていく彼女の足音が響いているだけの部屋の中で、サイファーは微動だにせずにいた。

後頭部を殴られたような衝撃だとか、目の前が真っ暗になるような感覚はない。意識もはっきりしているし、足だってちゃんと床を踏みしめている。何を言われたのか何を意味しているのか、それもたぶん、解っている。ただ少し、吐き気がするだけ。

その事実、疑いたい気持ちとどこかで間違いではないのかと思う心、もしかしたら今にも目の前のドアが開いてがひょっこり顔を出すのではないのかという期待も。

全部ひっくるめて、吐き出してしまいたかった。

言葉にしたくないその現実を、一つ残らず吐き出して。もう一度リセットするように詰め込めるなら今すぐにでもそうしたい。

けれど、そう出来ないから人は呻いて身を捩らせるのだろう。

……!」

自分の耳に届く自分の情けない声が実に滑稽だ。少し上ずって震えていて、今にも泣き出しそうな声だ。そんなみっともない声が自分の口から出てきている事を、頭のどこかで「もうやめろよ恥ずかしいだろ」と諌める声がする。

それでも壊れてしまわないように、自分を繋ぎ止めるために唇は音を弾き出す。愛しいものの名を。失ってしまったものの名を。

理由も事情もどうでもいい。ただそのいなくなってしまった大切なものが目に見えないから声にする。手に触れて確かめる事が出来ないから身体を震わせて耐える。

薄日の差し込む暗い部屋で、の香りと色鮮やかでもない記憶に縛られて、サイファーは崩れ落ちる。床に膝をついて、うな垂れる。

両手を振り上げて床に叩きつけた腕を通って戻るのは、痛みと痺れだけ。

ああ、わかったよ。お前、虹を架けるんだよな。それで、虹を架けたら消えていなくなるんだよな。またどこかに虹を架けに

まだ少し俯いたまま、立ち上がってドアを開ける。ティンバーのひんやりした空気が流れ込む部屋のドアを、後ろ手に閉める。そして、サイファーはまた走り出した。

元来た道をまたただひたすら真っ直ぐ。

そして飛び込んだ先は日の傾きかけているエスタ大統領官邸。やや彩度を失った光はエスタの輝くような町並みに影を落とす。その目に優しい景色の中をサイファーは駆け抜ける。

「おー、早かったなー! 連れて来た……あれ、1人か?」
「だ、大統領……!」

にこにこと笑顔を見せた大統領の前で、サイファーは肩で大きく呼吸する。

「な、なんだよ、どうしたよ」
……消えました」
「なに?」
「何も言わずに、どこかに消えました」

下を向いたまま呼吸を整えたサイファーはそう言うと、顔を上げた。

「お、お前……

その顔は、スコール達ならとてもよく知っているサイファーの顔だった。エスタに来て1から修行しなおすと言って、日々真面目に穏やかに過ごしていたサイファーの顔ではなかった。アルティミシアに意識を薄められ、白濁した自我の中にあっても失わなかった闘争本能が蘇ったようだった。

「簡単に言えば俺はフラれたんだと思います」
「え、あ、そ、そうなの、か」
「けど、アイツには何も言いませんでしたけど、俺は知ってるんです」

なんと言葉をかけていいか判らず、ただじっとサイファーを見つめるラグナの前で、サイファーは言葉穏やかながらも目尻を吊り上げていく。ラグナにしても一度も見た事のない顔だった。

そして、きっぱりと言い放った。

「アイツは、セントラの指先を諦めてなかったんです!」

「ご旅行ですか?」
「いえ、私フリーの物書きなんですが、ドール建築の取材をしたいんです」
「それはそれは……では観光課へ行かれてはいかがですか」
「そうですね。場所を教えて頂けますか?」
「はい、地図をどうぞ。小さい国ですが歴史だけはありますので」
「ありがとうございます」

はドールに入ろうとしていた。ティンバーから入国すると、身分照会だのなんだのとやっかいな手続きを取らされるかもしれないと踏んだは、一度ガルバディアに赴き、そこから日に何度か出ている観光バスに乗ってドールに来た。

入国管理事務所の女性はとても美しく、浅葱色の制服がドールの落ち着いた色彩の中に溶け込んでいる。パンフレットと共に地図を渡す手も艶やかで美しかった。それを受け取るの手は、慌しく移動したせいもあって、少しカサついていた。

フリーライターだなどと嘘をつかなくても、ドールに入る事は出来る。けれど、の身分というものは滞在に不便なものばかりだ。実際、ドールへ来たのは仕事でも何でもなく、建前の取材とそう変わらない。けれど、ティンバーの軍に勤めているとなれば、もてなしと称して誰かがずっとつきそってくれる事だろう。そんなものは一切不要だ。

1人ふらつきながら観光課への道を歩く。見る気などないのに覗くショーウィンドウにカフェの窓。こうしていれば充分旅行者にも見えるだろう。観光課へ行き、建築物の歴史を調べる許可を貰う。もしかしたら持ち出し禁止の文献なども見せてもらえるかもしれない。

人のよさそうな司書がいるなら長々と薀蓄に付き合ってやれば、あるいはもっと貴重な資料にもお目にかかれるかもしれない。そんな事を考えながら歩いていた。

ここで全部判るとは限らないけど、調べないよりましでしょ

「な、『セントラの指先』だって!?」

ほとんど叫びに近かったサイファーの大声にラグナは身を乗り出した。

「な、なんでそんなもんお前たちが知って……
「これでも俺はルナティックパンドラを動かしてました。それに――
「な、なんだよ」
「ガーデンは元々シェルターです。はっきりとは判りませんが、おそらく……

その時、ごくりと言葉を飲み込んだサイファーの後ろでドアが勢いよく開いた。驚いて身構えた2人の前に現れたのは、キロス。そしてウォード。2人とも何も言わずにスタスタと2人の間に割って入った。

「申し訳ないが、話は聞かせてもらったよラグナくん」
「なんだよ突然」
「ラグナくん。不満そうな顔だがこれはエスタに充分関わりのある事だよ」
「いや、そりゃそうだけどよ~」

真剣な顔でラグナに詰め寄るキロスを呆然と眺めていたサイファーの肩をウォードがそっと叩いた。自分すぐ横にウォードが近寄ってきている事に気づかなかったサイファーは、あまりお目にかかれない見上げるほどの長身のウォードに少しだけたじろいだ。

若い頃の怪我で声を失ってはいるが、その一見恐ろしげな顔はとても饒舌だ。ずっしりと重みのある手のひらをサイファーの肩に置いて、なだめるように、そしてほんの少しだけ哀れむような声にならない言葉を投げかける。

「何も私は若者の事情に首を突っ込んで国を動かせと言ってはいないだろう」
「似たようなモンじゃねっかよ~!まだ見つかったわけじゃないんだし!」
「見つかったら困るから言っているんだ!」

滅多に声を荒げる事のないキロスがラグナに食って掛かった。ラグナもキロスが野次馬根性で口を出していない事くらいは判る。ただ、ラグナにしてみれば息子とそう年の変わらない若者の前で何かを論議したくなかった。かつて自分がそうであったように、若者には面倒な事を考えずにいつだって全力で活き活きとしていてほしかったのだ。

「だからなんだよ!見つかってないだけじゃなくてどんなものかも……
「判らないから慎重になってくれと言いたいんだ。そのくらい判ってくれ」
「けど、まだちゃんがそれを追ってると決まったわけじゃ……なあ?」

突然話を振られたサイファーはウォードの横で少しだけ小さくなりながら、かすかに頷いた。サイファーとてがその「セントラの指先」とやらを追っていると確信したわけではない。

「じゃあ、どういう事なんだね?サイファーくん」
「少なくともスコールと、俺と……。それに、ガーデンを運転してたヤツはその可能性を知っています。他にも知ってるヤツがいるかもしれない。ただそれだけです」
「その運転していた子とは?」
「名前は覚えていません。けど、SEEDだったはずです」
「で、なぜその4人なんだい」

こんな事を話しに来ているわけではないと言いたげなサイファーだったが、それを判っていながらキロスは敢えて問う。ラグナが大統領という立場にありながら感情論で物事を進めがちである状態で、いわゆる「悪役を買って出る」のも彼の仕事の1つだった。

「一時、セントラの指先の話題が出た事があったんです。その文献をどこからか見つけて来てその運転してたヤツとガーデンをいろいろひっくり返してたのがです。そこに、たぶんに頼まれて絡んできたのがスコールです。俺はルナティックパンドラの事を聞かれてその話を知っただけです。詳しい事は、本当に判りません」
「で、結局見つからなかったんだね」
「たぶんそうです。俺は話を聞いただけです」
「それで……まだその彼女はセントラの指先を探しているんだね?」
……たぶん」

それ以上の事は、本当にサイファーも知らない。騒いでいるのがその3人だという記憶しかなかった。だから、もうこれ以上その事について話すつもりがないと言うように口を閉ざして視線をはずした。

「では、ラグナくん。私はオダイン博士にでも聞いてみます」
「あ、ああ」
「あとは君に任せる……けど。これは一個人だけの問題じゃない事、判ってるね」
「ああ、判ってるよ」

心外そうな顔をしつつもラグナは黙ってキロスを送り出した。ウォードもその後を追ってドアに向かい、再びサイファーの背中に手を当てるとポンポンと叩いて出て行った。

「ごめんな。キロスはオレが頼りないから……
「いえ、いいんです」
「それで、どうする?」

キロスが乱入してきたおかげでサイファーはまだ今後の事について何も話していなかった。ラグナはそれとなくさりげなくのつもりで聞いた。

……探そうと……思います」
ちゃんを追うのか?」
「はい」

サイファーは身体を半分だけドアの方に向け、ラグナの視線から目をそらした。を追うという事は、どこにいるかも解らない人1人を探すために旅に出るという事で、すなわち場合によってはやっと昇進できたはずの職を放棄するという事でもある。サイファーにとってラグナはそれを言葉にしてどうにかしようと出来るほど簡単な相手ではなかった。

「もう決めてるんだな」
「はい」
「じゃ、オレはなんも言わないよ」
「え?」
「後で後悔するとか言われたって、一度決めた事は変えらんねえよな」

大統領は何かを思い出すようにして、天井を仰ぐ。

「とりあえずお前のポストはそのままにしとくよ」
「いいんですか?」
「こんなところで働きたがるヤツなんてそういないって!」

お決まりの満面の笑顔を見せた大統領は、サイファーに歩み寄ると両腕を組んで、ちょっとだけふんぞり返って見せた。そして何度か頷く。

「オトコってのはな~単純なんだよな~。女1人でこうなっちまう」
「大統領……
「オレにとってはかわいいかわいいエルオーネがそうだったよ」

ラグナは「あいつも女には違いねえからな」と笑った。それがまだ幼い少女であれ愛した女であれ、同じ事なのだろう。自分がどれほど意味のない事を始めようとしているかなど、サイファーは痛いほど判っていた。

「俺にとっても……あいつはかわいい女だったんです」
……そうだな」
「かわいくてかわいくて、手放せないんです……!」

自分で言い出しておきながら、今にも泣きそうな程に眉を下げたサイファーをラグナはそっと抱きしめた。無謀かもしれない事に身を投じる覚悟をした息子を理解してやる父親のように。言葉で激励してあげるのも少し照れくさいから、これでわかってくれ、と言うように。

「探して来いよ、お前のかわいい子を」

サイファーの頬に一筋の涙が伝ったのを、ラグナは気づかないふりをした。