寄る辺なき恋心

後編

眠りに落ちる寸前までのことを考えていたせいで、と手を繋いで地元を延々歩いている夢を見た。何か楽しいことを話していて、は笑っていた。オレもそれが楽しくて、前も見ずにばかり見ていた。そんな夢の途中で目が覚めたら、まだ夜中だった。

幸せな夢だったけれど、なぜだか無性に恥ずかしかった。

常夜灯でぼんやりと明るい部屋で体を起こせば、赤木も三井も静かに眠っている。ふたりを起こさないようにトイレに行って、戻って、またごろりと布団にひっくり返った。自分でも可笑しいくらいにすぐ寝てしまい、今度は夢も見なかった。

それからは、のことはあまり気にならなかった。行きのバスの中で三井と少しその話が出たけれど、すぐにそれどころではなくなってしまって、不思議なことだけど、そうしている間にのことは忘れてしまった。

波乱に満ちた試合を経て、試合後も怪我人の搬送だの何だのととにかくこの日は慌しかった。十数年も高みから下を見下ろすだけだった王者に膝をつかせた喜びに浸る余裕なんかなくて、誰も言いはしなかったけれど、重要な戦力を欠いてしまった明日がどうなるのか、そんなことの方が気になって仕方なかった。

それでも監督と延々話をして、一応の解散となったのは21時を回った頃だった。3年生3人は部屋でぐったりとしていて、緊張や達成感やその他色んな感情はあまり沸いてこなかった。まあ色々考えても仕方ないし、寝られるなら寝てしまった方がいいんじゃないか、なんて話が出ていたときのことだった。

が補導されたという連絡が飛び込んできた。

が補導された警察署から神奈川の自宅、そこから担任、担任から顧問的存在の鈴木先生とあちこちを転々とした挙句、一番距離が近く唯一保護者になり得る大人である安西先生の元に連絡が来たというわけだ。は広島市内の漫画喫茶に2日連続でやって来たところを通報されたらしい。

の風体では家出少女と思われても仕方なかったし、これはオレの想いを差し引いてもは可愛いので、未成年が店内でナンパなどのトラブルを起こされても困るという判断だったらしい。幸い補導した警察署ではインターハイという事情に理解を示してくれて、厳しいお咎めはなかったそうだ。

3年生と先生の4人で警察署まで向かい、を引き取ったはいいが、あれは今思い出してもきつかった。オレたち3年生はを咎める気持ちなんか欠片ほども持ち合わせてなかったけど、先生は違った。穏やかな顔をして、に選手たちの邪魔になるようなことをするなと言った。

試合を見ていたなら、今がどれだけ大変な状況かわかっているはずだろう。君の応援したいという気持ちを否定はしないけれど、これはそれと真逆のことをしているんだぞと叱った。ついを庇った赤木とオレも口を出すなと怒られてしまった。

もっと時間が早かったら帰りなさいと言うところだったと釘を刺しつつ、先生は宿泊先に交渉してくれて、は彩子の部屋に一泊することになった。オレたちもそうだったように、先生はきっと翌日の試合のことで頭が一杯になっていたはずで、昼から飲まず食わずだったとオレたちを置いて先に帰ってしまった。

だからといってどこかに入って食事でも、っていうことじゃない。彩子は遅くなっても構わないと言ってくれたので、とにかくをコンビニに寄らせてから4人で帰った。タクシーを拾い、オレと三井に挟まれたは、宿に帰り着くまでずっと半泣きだった。

「もー、いい加減泣き止めよ。先生はともかく、オレらは怒ってねえだろよ」
「だけど……
「しかし漫喫とはな。お前はもう少し思慮分別があるタイプかと思ってたんだが」
「おいおい、赤木まで何を年寄りくさいことを」
「年寄りとかいう問題かよ、危ないだろうが!」

は決勝リーグを全て観戦していたらしい。そしてインターハイ出場が決まると、これを見ないではいられないと思ってしまい、慌ててバイトを始めたと言った。とはいえインターハイ出場が決まったのは6月末のことで、往復の新幹線代と最長で1週間のホテル代など稼ぎきれるものではなかった。

「夜行バスだあ!?」
「夜行バスってどこから……
「横浜から」
「ちょっと待て、それ何時間かかるんだよ」

ほぼ13時間だったそうだ。しかも夜は漫画喫茶。想像しただけで三井は吐きそうになっている。だが、もし湘北が決勝まで行ったとしたら、1週間近く宿泊して食事も取らないではいられないのだし、慌てて始めたバイトで稼ぐことが出来た金額ではそれが限界だった。

「お前、実は結構アグレッシブだったんだな」
「ふ、普段はこんなことしないってば、蔑むような目で見ないでよ」
「蔑んでねーよ呆れてんだよ」

そうは言いつつも、三井は嬉しそうだった。それは赤木もオレも同じで、そこまでして追いかけてきてくれたには感謝していた。三井は戻ってくることが出来たけれど、はそれが叶わなかった。それでも今ここにいる4人は確かにあの時、3年間頑張ろうと心に決めた4人だった。

宿に戻ると、玄関で彩子が待っていてくれた。さすがに社交的な彩子はが萎縮しないように振舞ってくれて、ご飯食べたらお風呂一緒に行きましょうねと言っての肩を抱いた。オレたち3年生も一安心というところだ。が、さあじゃあ部屋に戻って寝るかと思ったオレの襟首を三井が引っ張った。

「お前、あいつのこと好きだったんじゃねーの」

今そんなこと言ってる場合か。三井はなんだか真剣な顔をしているが、がヘマをやらかした以外にも今はあれこれと問題が山積しているんだし、ぼんやりしていると日付が変わってしまう。いくら今日の試合が奇跡的な勝利だったのだとしても、明日はどうなるかわからないのに。

しかし三井は偉そうに腕を組んで鼻を鳴らした。

「ふん、だからなんだっつーんだよ。今からジタバタしたって状況は変わらねえだろ。片道13時間もかけて好きな女が応援しに来てくれたんじゃねえか。なんか言ってやるとかするくらいどうってこたねえだろ」

そりゃそうかもしれないけど、そうは言っても別にオレが目的ってわけでもないだろう。昨夜はほんの少し期待してしまったけど、その可能性は果てしなく低いし、しかもこの状況で玉砕でもしたら明日オレはどうしたらいいっていうんだよ。でも三井はわかってくれない。

「オレたちは、山王に勝ったんだぞ。可能性なんかあてになるかバカ」

山王戦で一体オレがどれだけ貢献できたというんだと言い返したかったけれど、三井は意に介さないだろう。それでもオレはもう今夜はに関わりたくなかった。彩子に任せたのだから、もう余計な口を出したくなかった。それでなくとも明日はオレがスタメンにならなきゃいけない状況だというのに。

「そんなメンタルでどーするよ。明日スタメンだからオレのことだけ見てろくらい言って来いよ」

お前のメンタルがどうなってんだ。もうオレは三井に取り合わず、さっさと部屋に戻った。

怪我で湘北に空いた穴をオレが埋めきれるわけもなく、ましてや湘北はインターハイ出場自体始めてのことで、体力的な疲労よりも精神力の方が着いていかれなかったんじゃないかとは思う。オレたちは3回戦で敗退、全国1位のチームを下して全国4位のチームに負けるというよくわからない戦績を残すことになった。

また試合を見に来ていた週間バスケットボールの相田さんには「なんか湘北って未知の生物みたいでコワイ」とまで言われてしまう始末。もちろん悔しいし後悔がないわけじゃないけど、負けたのは現実なのだし、誰もグズグズ言ったりはしなかった。

その一方で同じ神奈川代表の海南大附属は順調に勝ち試合を重ねていたし、オレたち、特に3年や次期キャプテンの宮城なんかは他の試合も見たいのが本音だった。でも、悲しいかな湘北は慎ましい県立高校で、ただでさえ今回の遠征費は予算が足りずに部員全員の親にかなりの負担を強いていた。

3回戦当日には新幹線の席が確保できなくてもう一泊することになったけれど、オレたちは4回戦が行われる8月5日の午前中には広島の地を離れることになった。

そんな中、は3回戦が終わった後、夜行バスの予約を取ってくるといってまた逃げた。だが、生憎夏休みなので、15時の時点で19時発の夜行バスには空席はなかった。今度は3年生3人で宿に頭を下げた。

また三井がふたりきりにしてやろうだの、赤木を連れ出してやるだのとしつこかったけど、彩子に押し付けたきり、オレはには一切近寄らなかった。そんなことしにきてるわけじゃないんだよ。負けたけど、オレはそんなに活躍できなかったけど、憧れの大舞台だったんだから。

その翌日、新幹線で先に帰るオレは、20時発の夜行バスを待たねばならないを置いて先に帰らなくてはならなかった。正直、一緒に残りたかった。残ってと一緒に13時間バスに揺られて帰りたかった。けど、これもどうにもならないことで、オレは胃が痛む思いで新幹線に乗り込んだ。

そんなだったから、自宅に帰ってからやっと何かしようという気になって、が乗っている夜行バスの到着場所を調べたオレはその日は早々に寝た。が横浜の発着所に到着するのは翌朝の9時前。普段学校に行くより早く起きなければ間に合わない。

思っていたより疲れていたけど、を迎えに行こうと思った。それもインターハイのうちのような気がした。

だるい目覚めだったけど、頭から水を被ってなんとか起きたオレは横浜まで急いだ。真夏の朝は1秒ごとに気温が上がっていくような気がする。というか、突然こんなことをしてオレは何を言うつもりなんだろう。に声をかけてから、ここにいる理由を何て言うつもりなんだろう。

朝っぱらから路上で告白でもするつもりなんだろうか。とりあえずそんなつもりはないけれど、じゃあどう説明するっていうんだ。お礼を言いたいならメールでアポでも取ってからやればいいんだってことはわかってる。ただこうして何の連絡もなく突撃しているのは、ただ会いたかったからだ。

昨日の朝別れたばかりだけど、ただ会いたかった。に会いたかった。

バス会社に電話して確かめた発着所は既に帰着したバスとこれから出発するバスでごった返していて、の乗っているはずのバスは少し先で信号に捕まっていた。このままだと発着所の手前で下車ということになりそうだ。オレは小走りでバスに向かい、が降りてくるのを待った。

オレたちがそうだったように、にとってもこの数日は激動の日々だっただろう。バスを降りてきたは疲れて青白い顔をしていた。無理もない、今日も13時間だ。

なんだか甘ったるい恋愛ドラマみたいだなと自分でも可笑しくなるくらい、を好きだと思う気持ちが発作のように湧き上がってきて、それを飲み込みながら一歩足を進める。口元に手を当ててあくびをしているが可愛い。その可愛いの名を呼ぶ。

!」

「ど、どうしたの、なにしてるのここで」
「えーと、迎えに来た」
「迎えって、だって、あれ?」

疲れてぼーっとしているせいではよくわからなくなっているらしい。

「荷物、貸しなよ。疲れてるだろ、また13時間で」
「え、そんな、悪いよ、大丈夫」

そう言いつつも、オレがバッグのストラップを引っ張るとは大人しく荷物を手渡した。想像以上に重かった。これじゃあ家出と間違われるわけだ。バッグを担いだオレは、なんだかもじもじしているを正面に見て、声を潜めた。辺りは到着と出発の人で溢れかえっていたから。

「決勝リーグの前からあんまり話、出来なかったし、お礼も言いたかったから」
「お礼なんて、そんな、逆に迷惑かけちゃって、大事な試合の前日だったのに……
「まだ気にしてたのか」
「だって、さっ、最後の……最後の試合だったのに……!」

恥ずかしそうにしていたは、突然目を真っ赤にして泣き出した。この時オレは瞬時に浮かび上がったいくつもの選択肢の中から、自分が一番望むものを選んだ。のためとかじゃなくて、ただ3年以上も自分の中で行き場をなくしてた恋心のために、一番望むものを選んだ。

よれよれの女の子がぐずぐず泣いているのを怪訝そうな目で見て通り過ぎていく人がいる中、オレはの両手を引いて、緩く抱き締めた。何するのと突き飛ばされてもいいと思った。どこにも行かれなくて小さくなっているだけだったへの想い、それをもう解放してやりたかったから。

だけど、オレのびくついた心とは裏腹に、はぎゅっとしがみついて一層泣き出した。

「本当は私、辞めたくなかった。みんなと3年間頑張りたかった」
……うん」
「なのに、最後の最後に迷惑、かけちゃってごめん」
「そんなこと、迷惑なんて思ってないよ」

の手が緩まないから、オレはつい調子にのっての頭を撫でる。

「ベンチには入れなくても、が戻ってきたんだと思ってたよ。どうしようもない理由で辞めなきゃならなくて、だけどの分までオレたち頑張ったからって、それを見てもらえただけで」

それ以上うまく言葉が纏まらなくて、オレは黙ってしまった。そうしたら途端に恥ずかしくなってきて、慌てて体を引いた。も真っ赤な顔をしていて、それを見た瞬間に、ただでさえ暑いというのに体温が上昇した気がして、なんだか息苦しいような気さえしてきた。

「ごめん、大丈夫か」
「わ、私こそごめん泣いたりして、ほんとにごめん、彼女でもないのに……

またの声がどんどん小さくなっていって、だけど何かとんでもなく聞き捨てならないことを言った。

「そ、それはオレの方で……彼氏でもないのに」
「なな、何言ってるの、そんなの、やだなあ、勘違いしちゃうからやめてよ」

可能性なんかあてになるか。オレの耳元で三井が叫んだような気がした。

中3の時、赤木に用があってあいつのクラスまで行くと、をよく見かけた。2年生の時に同じクラスだったけど、が妙に気になりだしたのはその頃だった。それからというもの、自分でも不思議なほど、細く長く行く当てのない恋心を抱え続けてきた。

ずいぶんと長い付き合いのその想い、大事なその心、は受け取ってくれるだろうか。

あてにならない可能性、どこにも行かれない恋心はに届くだろうか。

「勘違い、して欲しいんだけど」

END