七姫物語 * 姫×医師見習

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あと2月ほどで雨の季節に入ろうかという頃のこと。城内の診療所にふらりと顔を出したは所長に呼び止められた。が物心ついた時には既にお爺ちゃんだった彼は普段は「おお先生」と呼ばれていて、軽く一礼すると椅子を勧めた。

「姫、私ももうこんな年寄りですから、体がだいぶしんどくなってきましてね」
「まあ、それはそうでしょうね」
「なので、今度新入りをひとりここに入れることになりました」
「またお爺ちゃんが増えるの?」

大先生はホッホッホと笑って白い髭を震わせた。確かにこの診療所で働く医師は大先生を含めた5人全員がお爺ちゃんである。つい数カ月前までは煎じ薬の達人であるお婆ちゃんがひとりいたのだが、こちらも長年薬草を煎じ続けてきて腰が限界、と暇を願い出て城下がりをしてしまった。

「仕事がしんどいのを増やしてどうするんですか。もっと役に立つのを入れるんですよ」
「ふうん、だけど私の診察は大先生が続けてね。怖い人だったら嫌だから」
「まあそれはいいでしょう。新入りには力仕事をしてもらいたいですからね」
「それじゃあ若いのが来るの?」
「そうなんです。年の頃はたぶん姫とそう変わらんと思いますよ」
「珍しい。私以外に若い人って数えるほどしかいないから」

どうもこの城は城内で働く人材の高齢化が進んでいて、の言うようにせめて「若い」と言われる人物がとても少ない。は遅くに出来た子だったため、王と王妃は既に在位27年、には姉と兄がひとりずついるが、こちらも年が離れていて、しかも姉の方は既に遠方へ嫁いでいて不在。

「侍女にふたり、厨房にひとり、庭師にひとり、書庫にひとり、そのくらい?」
「だけどそれも姫より10も20も年上でしょう」
「それくらいまだまだ若い方でしょ。大先生たちみたいなお爺ちゃんお婆ちゃんに比べたら」
「軍の方にはたくさんおりますけど、何しろ宿舎は離れてますからなあ」

王宮と王立軍の宿舎は城で働く者たちの居住区と厩舎を挟んでいるので、日々の生活の中でと接触することはない。軍の宿舎にはと同世代の女の子もたくさん働いているが、顔も見たことがない。

「まあそんなわけですから、どうぞよろしくお願いいたします」
「わかりました。お友達になれるといいな」
「姫、あなたは一応姫様なんですからお友達はマズいんと違いますか」
「だけどさ、私生まれてからずっと友達ひとりもいないんだけど」
「そりゃまあ、それは不憫なことですけども……

この国はあくまでも隣接する国と比較するととても小さな国だ。今のところ深刻な問題は抱えていないし、軍はあっても争いはないし、金持ちではないがド貧乏でもない、官民揃ってそういう国の状態をよく理解しているので、地味に地道に日々は営まれている。幸いにも災害は少ない土地柄なので、贅沢をしなければ生きていける。

つまり、この城内の人材の高齢化が進むのも、に友達がいないのもそういうところから来ている。いくら王家と言っても絢爛豪華な暮らしをする余裕はないし、そうやって慎ましく暮らしているので大先生のようなお爺ちゃんでも充分に働けるほどのんびりしている。城は一番暇な職場なのだ。

そんな環境で育っただが、これも幸いなことに大量のお爺ちゃんお婆ちゃんに囲まれて愛されてきたおかげで友達はなくとも素直で明るい娘に成長した。まだこの国が独立したばかりの頃はくらいの年頃で政略結婚に出されることは当たり前だったわけだが、とりあえず今はそんな需要もない。みんなの孫状態だ。

さて、そんな宮中に数年ぶりの新人が入ることになった。が大先生から話を聞かされた数日後のことである。何しろ高齢化なのでのろのろと開く通用門を通された新人は軽い足取りで城に入った。

「おはようございます、今日からお世話になります花形です」
「おお、早かったね。話を受けてくれて助かったよ。ぜひ末永く陛下にお仕えして下さい」
「はい、よろしくお願いいたします」

新人の花形はそう言って体を2つに折り曲げて頭を下げた。歳のせいで身長が縮みつつある診療所のお爺ちゃんたちはそれを後ろにひっくり返りそうな姿勢で見上げている。

「しかしまあでっかいね君は」
「はあ、そうですね。一応学院にいたころは球技をやってました」
「それじゃその……来て早々アレなんだけども……あれ、届くかいな?」

この城は100年以上前に建てられた代物で、診療所はその頃からあるし、とかく物が多くなるし細かいし、薬草やら道具やらは診療所を埋め尽くさんばかりの勢いである。そういうわけで、行き場のなくなった物がどんどん高いところに追いやられ、しかしお爺ちゃんたちの背は縮むし腰は曲がるしで、取れなくなってしまった。

何でその体で兵士を目指さないんだ愚か者めと父親にガミガミ言われている花形は、お爺ちゃんたちが指差す棚の上の籠を片手で取り、むしろ手渡すときに少し屈んだ。お爺ちゃんたちは感嘆の声を上げている。

「片手でヒョイ、だよ、すごいね」
「いやーこれ探してたんだよ、こんなところにあったんかいな」
「花形くんこっちも、こっちも取って!」

お爺ちゃんたちは頬を桃色に染めてぴょんぴょんやっている。

一応彼は「医師見習い」の立場である。今日からこの診療所で働くことには変わりないが、それでもこのちびっこいお爺ちゃんたちの部下であり、下っ端である。例え「オレは薬草の知識を買われてここに来たはずなのに何でこんなことやってんだ」と苦々しく思っていても、そんなこと口に出してはならない。

ここから数日の間、花形は薬草に触ることもなく、お爺ちゃんたちに言われるままあれこれと働いた。殆ど診療所の大掃除だ。やれ棚の上だの物置の奥だの貯蔵庫の床下だの、診療所はまるで魔窟で、最近城下がりした煎じ薬の達人の縄張りなど、もはや魔女の住処だった。

そんなだから、診療所で汗を流して働く花形を通りすがりに見かけた城の人々が「うちにも貸してくれ」と言い出すまで時間はかからなかった。書庫にはひとり若いのがいるが女性なので、高いところが届かないです助けてと言う。庭木だけではなくて城の修繕もやっている庭師も手が足りないから手伝ってと言う。みんな彼の身長を当て込んでわらわらと寄ってきた。

結果、花形は1週間もすると腐って態度が大きくなってきた。

「なー透ちゃん頼むよー、最近肩が上がらなくてよー」
「肩が上がらない? 一昨日陛下のクロッケーにお伴してましたよね。おかしいですねえ」
「えっ、なんでそれ知ってんの」

朝っぱらから診療所に来て花形に手を合わせているのは料理長だ。城の食材は王宮と軍の宿舎の共同の貯蔵庫に一旦全て集められる。そこから毎日運ばなければならないのだが、何しろ城の方はみんなおじさんおばさんお爺ちゃんお婆ちゃんなので、それがしんどいという。厨房にも若いのがひとりいるが、ちっちゃい。

「それじゃあ肩に湿布しましょうか。はい、脱いで」
「えええーやだよ透ちゃんの湿布臭いんだもん、給仕頭に怒られるよ」
「じゃあ大先生に鍼打ってもらいますか」
「それもやだよ! んもー、けちだなあ」

にこりともしない花形の冷たい視線に料理長はすごすごと退散していった。

「みんな君が頼もしいんだねえ」
「頼も……ただこき使ってるだけじゃないですか。新人だから逆らえないと思って」
「そんなことないよ、みんな君のことはいい子だって言ってる。真面目で一生懸命だってね」

だから余計に花形は苛つくのだ。朝から晩までお爺ちゃんお婆ちゃんの手足となって働くために父親のガミガミを我慢してきたわけじゃない。診療所はすっかり片付いてきれいになったので自分の作業場を確保することは出来たが、その肝心の作業がちっともはかどらない。

学院の寮からそのまま運び込んだ道具や学術書は積み上げられたままになっている。確か煎じ薬の達人のお婆ちゃんの後継という求人だったはずなのに……。腐りつつも根が真面目な花形は今日もちょこまかと診療所の中で忙しく立ち働いていた。そこへまた扉がバタンと開けられて、誰かが入ってきた。

「おはよう、大先生いま――
「おお、おはようございます姫様」

いつものようにノックもせずに診療所に入ってきたは、初めて見る巨大な男がいたので驚いて扉にへばりついた。診療所のお爺ちゃんたちはみんな白のローブを制服にしているけれど、それが短かすぎて着ても邪魔なだけの花形は黒ずくめの服で、しかも表情の見えにくいメガネでちょっと怖い。

しかし一応はこの国の王女で、花形は一介の医師見習いである。骨接ぎのお爺ちゃんに突っつかれた花形は一歩下がって膝をつき、頭を垂れた。お爺ちゃんたちは既により小さいので跪く必要がない。お爺ちゃんたちが跪いてしまうとが屈まなければならないからだ。

「姫、こちらが先日から新しくお仕えすることになった見習いです」
「ああはい、聞いてます。なんかみんなが使いまわしてるっていう山形とかいう」
「花形です」
「そ、それはごめんなさい。もう城には慣れましたか」
「はい」

そりゃあ慣れるさ、あれだけあちこち引きずり回されればな! そう言いたいのをグッと堪えて花形は頷く。

「花形、顔をあげなさい」
「はい」
「まだ若いと聞きました」
「この春に……学院を出たばかりです」

真正面からに見つめられた花形は少し体を引いて口ごもった。このところお爺ちゃんお婆ちゃんだらけの日々だったが、今目の前にいるのは可愛らしい姫君だ。にこやかで優しげな姫はなるほど、城の人々に可愛がられている表情をしている。花形は自分がこの城では一番の新入りで下っ端で、突き詰めるとこの姫君に仕える身であることを思い出した。

「学校に通っていたんですか……。学院では何を学んだのですか」
「薬草を専門にしています」
「薬草……大先生、それじゃ梅千代さんの後継ぎですか」
「まあ梅千代さんとは少し違うんですけどね。でも姫の飲む苦い薬を作ることには変わりないですよ」
「ちょっ、それは! あー、んふん! 花形とやら、苦くならないように務めて下さい」
「はあ、かしこまりました」
「透くん、姫は同世代の友人がいなくてね。よかったら話し相手になって差し上げなさい」
「は!?」

粛々と主君と上司の間で話を聞いていた花形だったが、驚いて声が裏返った。

「透というのですか」
「は、はあ、そうですが……
「ちょうど今日の午後は暇です。ぜひ学校の話を聞かせて下さい」
「姫様が暇なのはいつものことでしょうが」
「そんなことないです! 今日の夜は読み聞かせの会に行きます」
「おお、そうでしたね。透くん、君も行ってきたらどうよ」
「は!?」

また裏返った。花形が口答え出来ないのをいいことに、ふたりは勝手にどんどん話を進める。花形は午後は姫と話をし、日が暮れて診療所を閉めたら姫と一緒に読み聞かせの会とやらのために城を出て城下の集会場へ行くことになってしまった。

いやちょっと待て、話し相手も読み聞かせの会もオレの仕事じゃない! てか百歩譲って話し相手はいいとしよう、問診だと思えばそれも練習だ。だけど読み聞かせの会は完全におかしいだろう! 護衛なら軍の宿舎の方に適当なのが腐るほどいるじゃないか! 何ひとつ、何ひとつオレでなければならない要素はないじゃないか!

「それでは夜一番の鐘が鳴ったら門のところにいてね」
「透くん、姫を頼んだよ」
「読み聞かせの会はおいしいお菓子とお茶も出ますよ!」

にこにこしていると大先生に花形はぺこりと頭を下げる。下げた顔は不愉快そうに歪んでいた。

王女のお話し相手とあらば何よりも優先される。花形は昼食後にの私室まで連れて行かれ、しかしお姫様にしては慎ましい部屋で彼女と差し向かいになっていた。一応香り高いお茶とお菓子も付いているが、それは読み聞かせの会でも出て来るんじゃなかったのかと思うと少しイラッとした。

「以前は王子王女がもっとたくさんいたらしくて、その頃は学校に行っていたそうなんだけど」
「今はお抱えの先生ですか」
「今にも死にそうなお爺ちゃんだけど」

ひとりしかいないのでわざわざ学校に通わせる手間を惜しんだのか、はずっと小さい頃からこの部屋で勉強をしていたと言う。学問はそのお爺ちゃん先生に、政治は父親と大臣に、科学的なことは大先生に、その他身に付けるべきことはみんな城の中のお爺ちゃんお婆ちゃんたちが教えてくれていた。

「でもあの大先生が先生だから、私も薬草は勉強したのよ!」
……覚える必要がないでしょう」
「必要かそうでないかということになると勉強は何も進まないと思うけど」
「そもそも姫のお立場では特に勉強などしなくてもいいのでは」
「そんなこともないんだけど。昨今はバカだと嫁にも貰ってもらえないそうだから」

が楽しそうに話しているので花形のイライラは募るばかり。どうやらは学校に行ってみたかったらしいのだが、軍で立身出世を願っていたらしい父親に隠れて薬草学に没頭した日々のことを考えると、お姫様の我儘に思えてしょうがなかった。学校は遊びじゃないんだぞお姫様。

それが自分の専門である薬草を勉強したなどと言い出したので、花形はカチンと来ていたし、それが顔に出ている自覚もあったが隠したいとは思わなかった。これが国王相手ならともかく、どうせいつかはどこかの国の王族や貴族の元へ嫁ぐだけの末の姫だ。この女に騎士道精神をもって生涯仕える気持ちなどこれっぽっちもなかった。

「そうそう、私前から不思議に思っていたんだけど、それ自体では何の役にも立たない薬草が」
「組み合わさると突然薬効が出て来るということですか」
「そう。あれはどうしてなのかとずっと考えていたんだけど」
「姫」
「それならもっとたくさんの組み合わせを試してみたら、いつか万能薬のような」
「姫様」
「薬も夢じゃない――何?」

もう我慢の限界だった。

「そういうことは何百年も前から一流の学者達が研究し続けています。この国で手に入るような植物から得られる薬効の組み合わせなど、もう研究され尽くしています。それに、薬草は万能薬にはなりません。あくまでも人間が持つ自分で自分の体を治す能力の手助けをする手段です。それ以上のことは薬草学の範囲を逸脱しています」

かなり早口できつい言い方だった。わざとそういう言い方をしてがいかに頓珍漢なことを言ってるかわかってほしかった。が、彼にとっては大変不運なことに、このお姫様は箱入りで育てられた割には心の方が頑丈に出来ていて、滅多なことではヒビも入らないように出来ていた。売られた喧嘩はどんな高くても買う主義だ。

「じゃあ透は今の薬草学は限界に達していて、これ以上発展も進展も望めないと思ってるの?」
「そ、そうではありません、だけど――
「あなたは医者だから、確実で安全な知識さえあればいいだろうけど、それじゃお爺ちゃんたちと変わらなくない?」
「なっ……
「その安全な知識だってお爺ちゃんたちみたいな経験はないわけだし、城のこと手伝った方が確かに役に立つね」

これでも根は真面目で頭もよく薬草学に対しては一生懸命だった花形は、の言うことにも何となく気付いていた。なので図星を指されて言葉が出なくなってしまい、勢いよく立ち上がった。可愛らしい椅子がバタリとひっくり返り、はお茶のトレイをサッと持ち上げて遠ざける。ちっともビビっていない。

「何でそんなこと……オレは、薬草学で診療所に、こんな」
「透、今のお家はどこ?」
「は!?」
「城の宿舎?」
「はあ、そうですけど」

突然無関係なことを聞かれたと思った花形は相手が王女だということも忘れて不機嫌な声を出した。

「城の宿舎は軍の宿舎には簡単に抜けられるけど、城下に降りるには許可もいるし、殆ど城の中と変わらないでしょ。つまり、あなたの家はこの城なわけでしょ。診療所を辞めない限り、あなたの薬草学はこの城の人々のために使うべきじゃないの。そんな風に学者風を吹かせてふんぞり返りたいなら学院に戻った方がいいんじゃない?」

テーブルにトレイを戻したは淡々と言うと、立ち上がって手を差し出した。

「話し相手になってくれてありがとう。楽しかったです。では、夜一番の鐘の頃に」

腐っても一国の王女ということだろうか。花形はの妙な迫力に何も言い返せず、差し出された手にキスをして部屋を出た。診療所に戻る間中、花形はの声が耳から離れなかった。学院に戻った方がいい――それが出来るならとっくにそうしてる! わかったような口を聞きやがって!