七姫物語 * 姫×医師見習

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自分のことでもないのにやけに楽しそうな診療所のお爺ちゃんたちに追い立てられた花形は鐘の鳴る前に門の前に待機していた。大変不愉快な花形だが、一応これは王女のお供ということなので護衛の意味もあるし姫を退屈させない役目でもあるし、新入りで下っ端の彼が逆らうことは許されない。

今日の姫のお出かけはそれでも公的なものであるらしく、花形は衣装部のマダムが慌てて仕上げたローブを羽織らされており、それがまた国王の側近と同じ仕立ての色違いなので、こっ恥ずかしくて仕方なかった。国の紋章が銀糸で刺繍されているし飾り紐は金だし裏地は赤だし、地味な薬草医のつもりで城に来たのに何でこうなった。

そこへ侍女たちに付き添われてがやって来た。下っ端なので頭を下げて待つ。

「お待たせしました。準備は出来てますか」
「はい」
……マダムが変な悲鳴を上げながら頑張ってたのはこれだったのね。よく似合ってます」

顔を上げた花形にはにっこりと微笑む。門の両脇にかかる篝火に公務仕様のがぼうっと浮かび上がる。淡い色の細身なドレスに、これまた花形が羽織らされているものに似たローブを重ねている。まるでお揃いだが、公務なのだから仕方ない。一瞬その姿に心を奪われていた花形だったが、まばたきを繰り返して集中する。

門を出ると、はフードを頭にかけて手荷物を花形に差し出す。

……姫、馬車は」
「馬車なんか乗りません。すぐそこの集会所です。そのくらい歩きましょう」
「え」

夜の城下町だというのにお姫様が護衛ひとりで歩き!? 驚いてポカンとしている花形を置いてはさっさと歩き出す。

「何ぼーっとしてるの。早く行きますよー」
「見習い先生、姫様のことよろしくね。帰りも気を付けて」
「は、はい、わかりました……

普段とは打って変わって厳しい目つきの侍女たちに背中を押された花形は慌てての後を追う。城下町の集会所は確かに少し歩くくらいで到着するけれど、なんて不用心な。急いでに追いついた花形はあたりをキョロキョロしながらの速度に合わせるためにちょこまかと歩いていた。

「そんなにキョロキョロしたって、何もないと思うけど」
「そういう問題ですか。護衛がオレひとりなんて危機管理がなってない」
「もし襲われたら命がけで守ってね」
「オレは治す方が専門です。戦いなら軍の方に得意なのが山ほどいるでしょう」
「あっちに頼むと話が大袈裟になるから」

はいたずらっぽく笑って、軽い足取りで歩いている。城の外に出るのが楽しいらしい。

「透はたくさん友達がいるの?」
「たくさんというほどでは……球技をやっていた時の仲間はいます」
「仲間! それもいいなあ、仲間かあ」

ほとんど跳ねるようにして歩くは、階段に差し掛かると手早くスカートを纏める。花形もまた慌てて駆け寄り、先に2段ほど降りて手を差し出す。万が一落下でもされたら首が飛ぶ。

「背が高いと手も大きいんですね。私の手が子供の手みたい」
「よそ見しないで、足元気を付けて下さい」
「そりゃたまにしか外には出ないけど、いつも使ってる階段だから大丈夫だって」

は明るい声で笑っているが、花形は気が気じゃない。に何かあったらそれこそ翌朝には頭と胴体が離れているに違いない。城の診療所なんて穏やかで地味で薬草学の勉強との両立は容易だと思ったから引き受けた話だったのに、何やってんだろう。

無事に集会所へ到着すると、中は女性と子供で溢れかえっていた。花形はまた面食らって入り口近くの壁にへばりつく。城下町の女性による催しのようだが、どうやらはこの読み聞かせの会が初めてではないらしい。子供にも歓迎されていて、すぐに輪の中心へと連れて行かれてしまった。

「あれ、見かけない顔だけど、新しく入った護衛さんかい」
「え、ええまあ、そんなところです」
「はい、お茶とお菓子どうぞ。姫様の番が来たら食べられないから、先に食べちゃった方がいいわよ」

の言う通り、美味しそうなお茶とお菓子が出てきた。花形は集会所の真ん中にいるをちらりと見て、焼き菓子に食いつく。まああれでも一応お姫様だからな。彼女が読んでいる時は飲食など不敬に当たるか。すると今度は若いお母さん、という感じの女性が近寄ってきた。

「姫様の護衛さん? 今日はお外でなくていいんですか」
「えっ、外で待つものなんですか」
「今までの方は会が終わるまで酒場に行っちゃってたけど」
「それマズくないですか」
「よく知らないけど、読み聞かせに興味ないみたいだったから」

ここで待たせてもらいますと言った花形はしかし、それは職務放棄なのではと腕組みでため息をついた。のんびりしていて穏やかな宮中も悪くないが、さすがに緩み過ぎだろう。いくら慣れた会合だったとしても、ここにいるのは女子供ばかりで、もし万が一のことがあったら取り返しがつかないじゃないか。興味がなくてもせめて扉の前で待つべきだろう。

これは大先生に少し話しておかなければならないな……と考えていた花形は、読み聞かせが始まると立ったままうとうとし始めた。優しいお婆ちゃんの読み聞かせの声はまるで子守唄だ。若いお母さんの読み聞かせも小鳥のさえずりのようで余計に眠くなる。花形が必死で眠気と戦っていると、の番がやってきた。

すると先ほどお菓子をくれた老女が顔を出し、にんまりと笑って声をかけてきた。

「眠そうだったね護衛さん」
「す、すみません、つい。皆さん良いお声なので……
「そんじゃ眠気覚ましになるやね。姫様の番だよ。みんな一番楽しみにしてるんだ」
「へえ」
「子供たちも姫様の読み聞かせが大好きでね。風邪を引いてる子も泣いて来たがるくらいなんだよ」

確かにが本を片手に立ち上がると、子供たちから歓声が上がる。というか大騒ぎの大興奮だ。眠気が薄れてきた花形は何が起こるのかとを凝視していた。まああれだけザックリした性格だから国民にも好かれているのだろうが、それにしてもこの騒ぎは一体――

集会所の中は子供たちの拍手喝采で埋め尽くされ、その前に立つは片手を上げてまあまあと宥めると、咳払いをひとつ。そして次の瞬間、一応みんなに愛され可愛がられている末の王女は、ブッサイクな顔をしてダミ声で唸った。

場内大爆笑、子供は大喜びで飛んだり跳ねたり同じようにダミ声で唸ってみたり、暖かで愛情に満ちた読み聞かせは一転、邪教徒の夏祭りみたいになってしまった。茫然自失であんぐりと口を開けるしか為す術がない花形は、ある意味では恐怖を感じて壁にべたりと背をつけて固まっていた。

の読み聞かせ、もとい一人芝居はこの国で長く愛されている童話だ。仲良しの醜い怪物がふたり連れで旅をする話なのだが、怪物は2匹揃ってバカなのでとても面白くて笑える話になっている。細かく分けると全部で50近い挿話があり、はその中のひとつを演じているようだ。

そして花形は「姫様の番が来たら食べられない」ことの本当の意味を知る。子供だけでなく、大人も腹を抱えて笑っている。とてもじゃないが口に食べ物など含んでいたら吹き出してしまう。とりあえず衝撃が強すぎて笑うどころではない花形は職務放棄と思っていた「いつもの護衛さん」の真意も見えた。見たくなかったんだな……

読み聞かせという名のの一人芝居は盛況のうちに幕を閉じ、興奮が頂点に達して疲れた子供たちがその場でぐうぐう寝始める頃に集会所を後にした。外はすっかり夜の闇で、等間隔で掲げられている明かりだけがぼんやりと街を照らしている。人通りもほとんどない。

「無理しないでどこかに遊びに行っててもよかったのに」
「いやその、それはそれですごいものを見せて頂きました……
「今日は少し長い話だったから、消耗しちゃった。透、腕を借りてもいいですか」
「あ、はい、どうぞ」

未だ衝撃が抜けない花形だったが、城に帰り着くまではぼんやりしているわけにはいかない。背筋を伸ばしてからまた屈めて、腕を差し出す。はするりと手を差し入れて捕まり、それに寄りかかるようにして歩き出した。

「私ね、あのお話得意なんです」
「でしょうね……
「子供の頃からやってるんですよ〜。あれをやるとみんな大笑いしてくれるの」

疲れたのだろう、半目になっているはふわふわと歩きながらゆったりと微笑んでいる。そんなを見下ろしながら、花形は勝手な推測をする。城の中に引きこもり状態で育った姫君、遊び相手もいなくて周りはみんな大人で、そういう中で怪物のものまねをして発散していたんだろうか。それは少し可哀想な気がした。

無事に城まで帰り着いたが、門番以外出迎えはなし。また怪訝そうな顔をした花形だったが、は部屋まで送れという。本来ならこんな時間に立ち入るのもマズいはずだが、本人が言うもの、断れない。午後にも一度来たの部屋の前まで来ると、花形は足を止めて頭を下げる。

「お疲れ様でした。帰る途中で女官長に声をかけてもらえますか」
「かしこまりました」
「今日はありがとう。よく休んで下さい。必要ならお酒でも届けさせます」
「いえ、酒なんて……

花形が顔を上げると、はまた手を差し出してにっこり微笑んでいた。その手を取った花形は甲にキスをして一歩下がる。何だか妙な気分だ。今日は一日に振り回されて、とどめがあれなので余計に気持ちが落ち着かない。すると屈めたままだった頭をガッと掴まれてしまった。今度は何だ!?

慌てた花形だったが、直後に脳天にキスが降りてきた。の手から頭が解放された途端、花形は屈めていた体を仰け反らせてピタリと止まった。王族から頭にキスを頂くのは公式な顕彰には付きものの習慣ではあるが、そんなことをしてもらう覚えはない。するとは照れくさそうに身を揺らして声を潜めた。

「あの、透、お願いしたいことがあるんだけど」
「はっ? な、何でしょう……
「ええとその、私こんなんでも一応王女だし、あなたは医師見習いだし、だけどその――

はやたらともじもじしていたが、花形が何も言わないでいたので、勇気が挫けてしまったらしい。

「やっぱりやめた! ごめんなさい、忘れて下さい」
「はあ」
「ではおやすみなさい」
「は、はい、失礼致します……

のお願いなどあまり気にならなかった。花形は部屋の中にが消えるのを見届けてからふらふらとその場を後にし、女官長の部屋へと向かう。もう今日はわからないことだらけだ。花形は頭のてっぺんに残るキスの感触に気持ちを翻弄されながら、城の中をヨタヨタと駆け抜けていった。

「そりゃあ『友達になって欲しい』と言いたかったんでしょう」
「友達!?」

翌朝、あまりぐっすりと眠れなかった花形は大先生がやって来るなり昨夜のことを全てブチ撒けた。だが、例のひとり芝居の件はみんな知っていて、子供の頃から上手かったけど最近は芸に磨きがかかっていると褒めていた。いやあんなの上手くならない方がいいんじゃないのか。ますます嫁の貰い手がなくなる気がしてならない。

「というか前にも姫は友達がいないって言ってましたけど、仲良さそうだったじゃないですか」
「昨日の会の女性たちでしょ。だけど彼女たちはあくまでも城下の人々だからね」
「簡単に会えないということですか。じゃあ軍の宿舎の方は? あそこも女性は多いでしょう」
「あっちの女性は気の強い方が多いからねえ。騒がしいし、いつでも土埃を上げてるし」

それは理由にならないんじゃ、と思った花形だったが、大先生が明らかに言葉を濁しているので大声で言えない事情があるんだろうと察して頷くだけにしておく。しかしそれにしても友達とは。こちとら下っ端なんだけど。

「だけどいくらあの姫でも友達はマズいんじゃないですか」
「そりゃあ公に姫の友達を名乗りそう振る舞うことは自殺行為だけど」
「ですよねえ」
「黙ってりゃいいんじゃない」
「ハァ!?」

大先生はその威厳ある見た目とは裏腹に、すごく雑なことを言い出す。

「だから昨日は君だけを連れて行ったんだと思ってたんだけどね。友達になって、って言いたくて」
「だから侍女の方たちがすごく怖い顔をしてたんですね……
「あの子たちは姫の姉代わりみたいなものだしね」
「だけど黙ってればいいというのも……
「そこはうまく使い分けなさいよ。姫とふたりの時なら友達でも構わないでしょ」

昨日のようにの部屋でふたりなら友達として対等に喋ったりしてもいいじゃん、ということを大先生は言いたいらしい。だが花形はまだ納得がいかない。大先生は別にいいじゃんという顔をしているが、問題だらけだ。

「確かに姫とは年が変わらないので、話し相手になれと命令されればオレは逆らえません。だけど毎回毎回姫の部屋でふたりっきりはマズいでしょう。姫は一応嫁入り前の王家の女性なんだし、こっちはただの平民の、しかも男ですよ。普通は何人も同席者がいるものじゃないんですか」

まあそれは「普通なら」である。

「えっ。姫とふたりきりになったら君、姫に良からぬことでもするの?」
……普通はそういう懸念を抱かれてこんなことさせようとしないでしょう、と言ってるんです」
「でもしないじゃん。だから大丈夫」

花形は自分の作業台の上にばたりと倒れこんだ。何なんだこの爺さん。

「でもまあ、君は一応薬草担当の医師なわけだし、姫はよくここに遊びに来るから相手してあげたら?」
「それくらいなら、まあ……

姫の相手はお前に任せた! と言われてしまうと荷が重いが、お爺ちゃんたちが一緒なら大丈夫そうな気がする。午前中にそんな話をしていた花形だったが、昼休憩を取ったあとに診療所に戻ると、が来ていた。昨夜の上品な公務仕様とは違い、質素な我が国に相応しい生地の簡素なドレス姿だ。要は普段着。

「昨日はどうもありがとう」
「いえ……
「それで今日はちょっとお願いが」
「えっ!?」

また「友達になって下さい」と言われるのかと思った花形は背を伸ばして固まった。何て答えりゃいいんだよ……

「昨日少し夜更かししたせいもあると思うんだけど、ちょっと肌が荒れ気味で」
「はい?」
「お肌にいいお茶とか出来ない? 苦くないやつ」
「お茶!?」

友達の件だとばかり思っていた花形は面食らって鸚鵡返し状態だ。は構わず喋る。

「ほら、ここの人たちお爺ちゃんばっかりでしょ。美容に関しては『そんなことしなくても平気』しか言わなくて」
「姫、我々は本当にあなたは何もしなくてもお綺麗ですよって思ってるんです」
「それはこの城の中に年寄りしかいないからでしょ。ああそうだ、最近乾燥もひどいの。クリームもお願い」
「王妃様に許可は取ってるんですか。そうですか。んじゃ透くん、はいこれ」

ポカンとしている花形の前に大先生はバサバサと薬草を放り出し、油や木の実を置き、乳鉢などの道具もガチャガチャと並べていく。一応これら全て花形の商売道具なのでお門違いではないけれど、医師見習いとして採用された目的は女子の美容のためではなかったはずだ。

「お、大先生……
「皮膚病と考えればいいんじゃないかい。クリームは軟膏を作る要領でね」
「あっ、だけどいい香りのクリームにしてね。バラの香りとか出来る?」
……姫、オレは化粧品屋では」
「作れないの?」
「そういうわけじゃ……
「じゃあいいじゃん」

と大先生は楽しそうにヘラヘラ笑っている。ちくしょう、護衛の次は化粧品かよ! 花形はそう怒鳴りたい気持ちを飲み込み、天井からぶら下がっているウワウルシの葉をブッ千切ってすり鉢の中に叩きつけた。ウワウルシは飲んでも塗っても肌がきれいになる。本来ならこれは王妃用だが許可が出てるなら構わないだろう。

別に化粧品なんか使わなくたってその辺の町娘よりきれいじゃないか、贅沢者め! 可哀想だから友達のふりくらいしてもいいか、なんて思ったオレがバカだった! このバカ姫が!!!