「オレが何したっていうんだよ!」
その日、ガーデンの食堂の定位置でゼルはどっかり足を組んで1人、ブツブツと文句を言っていた。せっかく手に入れたパンにも手をつけず、ジョッキになみなみと注がれたミルクにも口をつけていない。
「おやー?ゼルくんはパンも食べずに何をしかめっ面してるのー?」
そこに割り込んできたのはニヤニヤ顔のセルフィとアーヴァイン。ゼルは面倒な様子でプイとそっぽを向いた。
「パンなんかどうでもいいだろよ、何だよ!」
「荒れてるう~? 似合わな~い」
「何言ってんのさ~! パンと言えばゼル、ゼルと言えばパンでしょ~?」
2人にまったく悪気が無い事は判っているが、それにしても言葉の1つ1つが刺々しい。
「だから何だよ」
たまりかねたゼルは、テーブルをバン、と叩くと身長で負けてるアーヴァインと成績で負けてるセルフィに凄んだ。あまり効果はないようだが本人は気付いていない。
「意地悪しに来たのー」
セルフィはにっこりと微笑んだ。
「は?何だよそれ」
「だってさ~、ゼル、ちゃんとケンカしたでしょう」
セルフィと2人、笑顔が白々しいアーヴァインは、ゼルに向かってその真っ直ぐで長い指をピッと突きつけた。
原因は些細な事だった。一応SEEDであるゼルにも仕事があるのだが、そう毎日任務が舞い込んでくるわけでもない。更に、SEED就任直後に比べればだいぶ成長したものの、まだまだ落ち着きが足りないゼルには、単独任務はおろか班長にすら任命されない。そんなだから、あちこちから声がかかりすぎて価値が上がり、競り状態で報酬の跳ね上がるスコールとは違い、若干ヒマだった。
そんなゼルにが「今度、2人だけで遊びに行こうよ!」と言ったのは先月の事だっただろうか。要するに、ゼルはそれをドタキャンしたわけだ。しかも任務や実家の事ならともかく、食堂職員主催による新作メニューの品評会に招かれたと言う理由でだ。食堂にしてみればパンとイコールでつながる程のゼルを招かないわけがない。
しかしそれはあまりにも女心を軽視した行動であったと言えよう。当然のことながらは烈火の如く怒り、ゼルとの連絡を絶った。
「パンと、どっちが大事なのよー」
使い古された例えだが、セルフィの言い分ももっともである。
「ちゃん怒るの当たり前だろ~? 何で判んないのさ、そのくらい」
「SEEDとして招かれたんだぜ! 立派な任務じゃねえか」
セルフィもアーヴァインも、額に手を当てるスコールお得意のポーズでのけぞった。ゼルのこういうところも、捉え方によれば長所なのだが、相手をわきまえないから始末に負えない。
「あーもう、ゼルくん最低ー! SEEDの仕事はナニ~? パン食べてああだこうだ言う事~? 違うでしょー! 食堂の人たちはゼルがSEEDじゃなくても呼んだよー!」
セルフィの指摘にゼルは言葉を詰まらせる。事実、ゼルはその品評会に招かれたのが嬉しかったのだ。日々単に好奇心からパンに執着するようになり、結果、それがまるでVIP扱いのゲストになるまでに発展した事がなんとなく誇らしかったわけだ。オレはガーデン一パンに造詣が深い。そう思ってしまっていた。
「SEEDだから? バカな事言ってんなよ、食べて感想言うなら子供だって出来るじゃんか! ゼルはパンが好きなだけでパンの専門家でも何でもないだろ~」
「だから、コレね。最後のチャンスかもよ~」
いまいち2人に叱られている事の意味を把握していないゼルは、セルフィが差し出した真っ白な封筒を受け取った。そこには、見慣れたの筆跡で文字が書いてある。
《探してくれるまで会わないから》
ぽかん、とその表書きを見つめるゼルは、次に中身を漁った。その中には瀟洒な便箋が一枚。
《ガーデンを出て南に10km、カニの家にはお菓子がいっぱい》
「ちゃんがいなくなってもいいって言うんなら好きにしろよ。だけど、悪いのはゼルの方だって判ってるんなら追いかけろ~!」
「行っけ~!」
2人が言い終わらないうちに、ゼルは駆け出していた。
「南に10km……海岸だな」
バラムガーデンを背中に見て南と言うと海岸しかない。ゼルは車を借りて来ればよかったと思ったが、戻るのも億劫なので、そのまま走り出した。
「まったくなんなんだよ、このワケわかんねぇメッセージはよ」
ゼルは猛ダッシュしつつ、海岸でを捕まえたら一言文句言ってやらねば、と考えていた。だが、海岸にの姿はなかった。砂浜を端から端まで走ってみたが、見当たらなかった。ゼルは、その時になって初めてあの謎のメッセージの意味に気付いた。
「カニの家…!?」
まだ付き合って間もない頃、言葉少なに手に手を取って出かけた海で、2人でカニを追い掛け回した。そして、カニを住処へと追いやってしまうと、悪い事をしたような気がして、入り口のすぐそばに手持ちのお菓子を色々置いてきたのだ。
頼りない記憶を必死で手繰り寄せながら、ゼルはカニの住処のあった場所を見つけた。そこにはゼルが手に握り締めているものと同じ封筒が置かれている。
《ここから東へ。水分補給を忘れずに》
またかよ、とゼルはうなだれたが、今度はすぐわかった。炎の洞窟だ。
SEEDになる前のが試験前に練習したいと言い出したので、炎の洞窟へと出向いたのはいつだったか。手ぶらで出かけた二人を襲ったのはあまりの暑さによる脱水症状だった。ゼルが引率では不安だと、こっそり後を尾行していたキスティスがいなかったら、2人とも危なかった。
炎の洞窟にも、また封筒。
《やっぱり西に行こうかな。提出期限は明日まで! レポートは真っ白! 急げ!》
これも、すぐ判った。さすがに息が切れたゼルだったが、構わず走り出す。次はガーデン。
ほとんどスライディングで駆け込んだ自室の机の上にはやはり白い封筒。ゼルはそれを強く握り締めて額に押し当てた。片手を机の上について肩で息をする。
「確か、春頃だったよねえ?」
突然後ろから聞こえてきた声にゼルはゆっくりと振り返る。その視線の先にはアーヴァイン。こうなる事を知っていたのだろうか。ドアにもたれて腕組みなどしながら頷いている。
「……ああ、そうだな」
書面での報告が課せられていた任務だったが、仕事を終えて帰ったゼルはそのことをすっかり忘れていた。慌てふためき半泣きになりながら部屋にこもってレポートと格闘するゼルをはなだめすかしながらも手伝ってくれた。ともすれば逆ギレしそうなゼルを辛抱強く見守って、彼女にも翌日と言うものがあるのに明け方まで付き合ってくれた。
そして、2人ともヨレヨレになりながら完成させたレポートを見てはしゃぐゼルの頬に、はふわりとキスした。「がんばったね」と小声で囁いて。感無量になり、夢中で抱きついてキスしたゼルの頭をさすってくれたのも、だった。
「……別に忘れてたわけじゃねえ」
「そんなことだって判ってるよ~」
肩で息をついているゼルは、掠れる声で言う。セルフィが横にいないので、おどけてちゃん、などと言う必要のないアーヴァインも、低い声でそう言った。
「でもさ、こんな風に必死でゼルの気持ちをつなぎ止めようとしてさ、きっと今どこかでさ、もしゼルがこの宝探しに乗ってくれなかったらどうしよう、って考えてたりしたらさ――」
組んだ腕を大袈裟に解いて宙を切り、アーヴァインはテンガロンを目深に被りなおす。
「……たまんないよね~」
その言葉に、ゼルは締め付けられたような痛みを胸に感じた。罪悪感に押しつぶされそうになる。
「けどやっぱり、女の子のそういうところ、可愛いんだよねぇ」
誰かを思い出したようにアーヴァインはくすくすと笑う。
「さて~? ゼルの宝物は次にどんな指令を残して行った?」
《あなたの探し物は何? あなたが思ういつもの場所にそれはあります》
「ワーオ! ってば厳しい~。判る? ゼル」
ゼルを和ませたいのか、アーヴァインはオーバーリアクションで手をひらひらと振る。しかし、ゼルは最後の指令であろうその封筒を握り締めて深呼吸する。目一杯息を吸い込むと、ゼルは走り出し、通り過ぎざまにアーヴァインに向かって叫んだ。
「判るに決まってんだろー!」
いつもの場所。それは2人にとって暗黙の了解、どちらが言い出すでもなく自然に決まったいつもの場所。バラム港近くの公園だ。
ゼルは吹き出す汗を拭いもせず走る。ただひたすら目的の場所へ向かって走る。街に入って新弟子に声をかけられても、実家の近所のおばさんに声をかけられても、チビ暴れん坊が体当たりしようとして来ても。走って走って、公園に飛び込んだ。
バラムを拠点とする漁船や商船のメカニックドックの屋根を利用した公園は、街中にある子供向けの公園と違って静かで落ち着いている。遊戯施設はなく、ベンチやこじんまりとした噴水が深く根付いた木々の陰を揺らしている。その一番奥、バラムの海を一望できる所が、いつもの場所。
風に髪をなびかせ、柵に片手をついては佇んでいる。
ゼルは少し離れた場所で止まり、彼女の後姿を眺めている。呼吸を落ち着かせて、せめて額に浮く汗を拭いて。
彼女の後姿が愛しい。後ろに長く伸びる影ですら誰にも触れさせたくない。改めて、ゼルはそう思う。だから、ありったけの気持ちを込めて叫んだ。
「ーー!!」
それでもゆっくりと振り返ったにゼルは飛びついた。汗だくでイヤだと言われるかもしれないことも判っていながらただ必死でしがみつく。
「……」
はそっとゼルの背中に手を回して、肩にもたれかかる。
「ゼル、探してくれたんだ」
「ごめん、オレが、オレが全部悪かった」
ふわふわと柔らかく話すに、ゼルは息が上がったまま、ほとんど叫ぶようにして話す。
「たくさん走らせちゃってごめんね。ありがと、見つけてくれて……ありがと」
「いい、もういいよ」
なぜだかが泣いているような気がして、ゼルは両手での頬を包んで上を向かせる。そこにはいつもと変わらない愛らしいの顔。
「もう、いい。ちゃんと見つけられてよかった」
「走るの得意なのに……こんなに汗かかせちゃってゴメン」
「あ、臭いか!?」
慌てて離れると、ゼルは汗を振り払うように両腕を交互に顔の前で振りまわした。は、腕を伸ばしてそんなゼルを捕まえ、ぴったりとくっついた。
「まさか。ゼルの匂いがする」
「そういうこと、言うなよな」
「どうして……あ」
ぴったりくっついたゼルの肌から、隠し切れない鼓動の響き。さっきはこんなに聞こえなかった。
「わ、判ったろ」
「うん。ドキドキ言ってるね」
「そーいうこと言うなよバカ」
は思いきり照れるゼルの肩に手を置いて、少しだけつま先を立てる。心地よく流れる風が二人の間をすり抜けていくのに、下がる事のない体温。そして、ゼルの手はの顎に。
重なる唇から少しだけ、吐息。
「そんなに走って、のど渇いたでしょ。どこか行く?」
いつものようにが囁く。だけどゼルはその誘いを断る。
「いや、いいよ」
「そう? じゃ、帰ろっか」
そう言って手を引くの腕を引き戻してまた抱きすくめる。
「ゼル?」
、パンなんかよりずっと君が大事だ。そんな簡単な事、見失ってすまねえ。そんな想いの代わりに。
「帰らなくていいよ。今日はずっと、傍にいてくんないか」
ゼルはそう言っての耳にそっと唇を寄せる。か細い声で「うん」と言って頷いたを、力いっぱい抱きしめる。大事なものは、宝物は、いつでも傍にあったのだ。もう見失うもんか。決意のゼルの背中を、バラムの潮風が撫でていった。
END