炎の中より

あの日、人知を超えた威力の高エネルギー砲によって神羅ビルはその双眸を射抜かれた。同時に、その瞳の奥に抱いていた頭脳は傷を負って姿を消す。以来、神羅カンパニーという存在は幻のように掻き消えた。それから、どれくらい経っただろう。

は、雪深い小さな村でルーファウスと共に慎ましく暮らしていた。

未だにメテオの恐怖から逃れられない世界にあって、しかもルーファウスは意識不明の状態から回復したばかり。は面白くないといった表情で眉をしかめるルーファウスを説き伏せてアイシクルロッジで働き始めた。

何か特技があるわけでもないに、ルーファウスは即座に水商売を始めるのではないかと疑った。しかし、この寂れた寒村ではルーファウスが疑うような水商売はそもそも存在せず、ただでさえ閉鎖的な土地柄も手伝って仕事にありつくのは難しい事だった。

怪我人を抱えて働きたいというに村長が仕事を斡旋してくれなかったら、2人はまた当て所ない旅に出なければならなかったところだ。が手にした仕事は、村が各地から仕入れている物資の管理事務所――の事務係。事務所に2台しかないコンピュータを扱えたのが幸いした。

ルーファウスを、これまた小さな借家に残して朝から仕事に出かけ、そして日が暮れる頃に帰ってくる。がそんな生活を始めてそろそろ1ヶ月。ルーファウスの身体もすっかりよくなっていた。

その日もは管理事務所での仕事を追えて帰路に着いていた。帳簿の確認だとか伝票の整理だとか、そんな雑務を淡々とこなし、昼には水とパンの弁当を食べ、また簡単な仕事をして終業。疲れもしないが楽しくもない仕事だった。それでも苦にならないのはルーファウスという存在があるからだ。

どうやらとルーファウスを駆け落ちでもした夫婦だと勘違いしているらしい近所のおばさんに会釈をして、は玄関前の階段を上る。表に面した2つの窓からは温かい光が漏れている。そう遠くない管理事務所からの道のりだが、それでも北の大地の冷たさに凍えた心がホッと温かくなる。

「ただいま」
「おかえり。食事の用意、出来てるぞ」

ルーファウスの体調が戻りきらない内はが家事も仕事もやっていたのだが、次第に健康を取り戻してきたルーファウスは見よう見まねで家事をやりだした。彼のこれまでの経歴を考えると、初めての家事だ。当然、最初は何もかも失敗続きで、よりも本人がショックを受けていた。

だが、ルーファウスという人はそこで投げやりになるような性格ではなかった。

あまり外を出歩くなとに釘を刺されたルーファウスは、まずは手始めに掃除を始め、次にから3種類だけ料理のやり方を習うと、それを習得するために毎日家事をやり続けた。結果、ルーファウスはホワイトシチューとトマトスープ、そしてパンという3種のメニューを取り合えず作れるようになった。

たったそれだけのメニューが繰り返されるばかりだったが、ルーファウスが料理を始めたばかりの頃は3つのメニューでも毎日味が変わって、は毎日食事を楽しんだ。味が変わらないようになってからも、日々新しいメニューをものにしようと奮起するルーファウスの姿を見るのが楽しみで、は退屈しなかった。

「いい匂い。シチューでしょ?」
「すまない。いい加減飽きただろう」
「そんな事ないよ、私シチュー好きだもん」

顔も知らぬ人間の作ったものばかり口にしては、出来もしない料理に対して批評を繰り返してきたルーファウスにとって、たった3品、それも満足に作れないという事は相当悔しいに違いない。悔しいが、現状ではそれが精一杯というのも辛いだろう。

「世の母親たちは毎日こんな事を繰り返してるんだな」
「まあ……それも何年か経てば上達するわけだし。生活の一部になっちゃうんだろうね」

たかが1ヶ月程度でここまで上達出来るのだから、それは誇っていいのではとは思うが、ルーファウスが料理の腕を褒めてもらいたいのではない事は解っている。家事の上達を1番に望んでいるのならともかく、余計な慰めは傷に塩をすり込むだけの事。

はシチューを人掬い口に運んで言う。

「外、寒いから。温かいものが嬉しいよ」

どんなにルーファウスが悔しくても辛くても、しかし決して無駄な事ではないという思いを込めて。

すっかりシチューを平らげて、スープ皿にカチリと音を立ててスプーンを置いたの向かい側で、ルーファウスはまだ半分も食べていない。パンも千切るだけ千切って、皿の上に置いたままだった。

「ルーファウス?」
……たまに、なぜ自分はこんな事をしてるんだろうと思う事がある」

冷めていくばかりのシチューをぐるぐるとかき回しながら、ルーファウスは呟いた。

「お前に働かせて、なぜ家事をしてるのかと思う時がある」
……うん」

とうとうスプーンを置いてしまったルーファウスは、の顔を見ないようにと、意識的に視線を逸らしているように見える。おそらくではあるが、彼の言いたい事に見当がついているは、それも仕方あるまいと思う。ルーファウスもも、今が特殊な状況である事に変わりはない。

しかも、はともかく、ルーファウスにとっては、何が何でも打破してしまいたい現状であるに違いない。

「以前のように――仕事がしたい」
……うん」

が目立った反応を見せない事に安心したのか、ルーファウスはぐいと顔を突き出してまくし立てた。

「家事がいやなわけじゃない。に家の事をやってもらいたいわけでもない、家事なんて女のする事だとも思っていない。けど、やっぱり、おれのする事でもないと思ってる。おれが今まで生きて来て学んだ事は、別の事に活かされるべきなんじゃないかと……

ルーファウスの言いたい事はよく解る。はそっと頷きながら、尻すぼみになっていくルーファウスの言葉を反芻する。「別の事に活かされるべき」経験を持ち、「学んだ事」は優秀がゆえに、やはり家事のためのものではない。まったく種類が違う。

狭い寒村に閉じ込められて、ルーファウスという1つの才能が燻っているのだとは感じる。

就任以降、決して順風満帆ではなかった彼の社長業。しかしそれでも神羅のトップというフィールドはルーファウスの能力を如何なく発揮するには充分で、休む暇がなくともトラブル続きでも、ある意味では満たされていたのだろう。それが豪雪の集落で1人家事では、燻っても仕方ない。

「すまない。こんな事を言っても仕方ないな」

けれど、は諦めて欲しいのではない。現状を維持して欲しいなどとは思っていない。どう足掻いても人1人の力が及ぶ程度の問題ではないほどに、非常事態なのだ。

「私だって、こんな所にルーファウスを閉じ込めておきたくないよ。もうだいぶいいと思うけど、最初はやっぱり怪我が心配だったし、こんな不安定な世の中で神羅がどう思われているのかも怖い。そんな世界に放り出す事が怖くて。だから……

しかしそれは、今となっては言い訳にしか過ぎない。もう、限界なのかもしれないとは思い始めている。例え世界の崩壊が迫っていたとしても、いや、迫っているからこそ、誰もが自分の信念のままに生きるべきだと思う。それはルーファウスも例外ではない。

それでも心配なのだ。は、その気持ちを表に出すまいとして、わざとおどけてみせる。

「でも大丈夫~? 神羅カンパニー、続けるの~? それとも新しく起業するの? お金、ないけど」

にやりと笑ったに、ルーファウスも苦笑する。

「まさかどこかに勤めてイチから出直すなんて無理だもんねえ」

もちろん無理だ。燻るルーファウスを解き放ってやりたいと思う一方で、彼を待つ厳しい現実から遠ざけたいとも思う。はそんな相反する気持ちの間で揺れていた。だが、ルーファウスはのようににやりと笑ってきらりと瞳を輝かせた。

、俺がそんな事でへこむように見えるか?」

突然立ち上がったルーファウスの言葉に、は、スプーンを手にしたままぽかんと口を開いている。そんなを見下ろしながら、左の眉を少し吊り上げて身体を反らし、わざとらしく前髪をかきあげる。その姿は在りし日のルーファウス神羅、神羅カンパニーの代表取締役社長、そのものだった。

「金がないがどうした。無残に砕け散った神羅の過去がどうした。そんな事で戦意喪失するような男だと思っていたのか? だとしたらお前は一体何を見てたんだ」

ふふん、と鼻にかかった笑い声を上げて、ルーファウスはの手を取り、立ち上がらせた。

「おれは諦めが悪いんだ。神羅なんか何度でも作り直してやるさ」
「そんなに何度も壊れてほしくないなあ」

今度はが苦笑する。そのの手を取ったまま、ルーファウスは真面目な顔で続ける。

「だから、今度こそ、勘違いじゃなくて、本物になろう」

言い終えてから少し照れくさそうな顔をしたルーファウスの言葉、その意味に思い当たったは燃えるように熱くなる目を何度も瞬かせて俯いた。それは、考る事すらも許されなかった未来の言葉。意識を取り戻さないルーファウスを見守り続けた日々の中で、心の奥底に封印して、2度と解くまいとした、未来への鍵。

「もう、おれにはお前しか……しかいないから」
「ルーファウス……
「そんな顔するな。女は家にいろ、なんて親父みたいな事は言わない。お前もやりたい事、何でもやればいい。仕事だろうが何だろうが、出来ない事はないさ」

今にも泣き出しそうな目をして、無理に笑顔を作ろうとしたの表情は滑稽だった。そして、かつての神羅カンパニー代表取締役社長はいつかのように不適に笑う。

「返事、してくれないのか」

は泣き笑いのままに、小さく頷いた。

その日の夜。吹き荒れる吹雪から体温を守るようにしてベッドに潜り込んだを、ルーファウスの両手が引き寄せた。言葉は1つもなかったが、頬に触れる冷たいルーファウスの唇に頷いて、は黙って彼の腕に身体を預けた。窓を揺らす吹雪に冷えた部屋の中で、はルーファウスの体温を感じる。

あの日、ルーファウスの身体を襲った傷跡はしばらく見ない内に、ほとんどなくなっていた。薄く肌を覆う古傷は、新しい肌の上で零れ落ちそうだ。傷が治っていくように、ルーファウスの中の本能が再び息を吹き返し、過去を振り払う。それはまるで、炎の中より転生する不死鳥のように。

その夜、は身体の中に、ルーファウスの命が注ぎ込まれるのが判った。それは感触ではなく確信であり、確かにルーファウスの命を受けたのだと、そう思った。

ルーファウスの傷が完全に癒える頃、2人は勘違いではなく本物になるだろう。そして、これからも生きていく証として命を生み出すのかもしれない。

その日の深夜。夜空を照らし南に向かって伸びる不思議な光に包まれて2人は眠っていた。ルーファウスの腕にくるまれたは、どこか温かくて懐かしいその光に、束の間目を開いたが、ルーファウスの肌に触れている事を思い出すと、また目を閉じた。

END