七姫物語 * 姫×傭兵

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薄い夜着姿の王女が現れたので、西通路は昼間の食事時より盛り上がっていた。卑猥な言葉が飛び交い、房の中から藁屑やら唾やら色んなものが飛んでくる。西通路にいるということは今朝収監されたばかりなので、他の通路の囚人たちほど女に飢えていないはずだが、それ以前に普通夜の地下牢に王女は入って来ない。興奮もやむなしか。

だがこの妙な囚人のことが気になって仕方ないはそんな騒ぎも耳に入らない。

「誰、って捕虜だよ」
「あなた、この国の生まれで、少なくとも初等科までは学校にも行ってたはず。そうでしょ」
……いいや、違う」
「違うはずない。もしこの国に来るのがこれが初めてならこの紐は解けないはず」
「この国出身のやつに習ったんだよ」

そう答えるしかないだろう。しかしそんなことは誰でも考えつく。

「習った? なんで? 紐の結び方解き方なんて傭兵に必要ないでしょ」
「あるだろ、バカか」
「バカはそっち。そう、やっぱり子供の頃に国を出たんだね。あの結び方、何に使うか知ってる?」

髪をバサリとかきあげる囚人は答えない。子供が知るはずがないだろう。錠前結びを習うのはあくまで伝統文化のひとつとして、であり、生活の中で絶対に欠かせないというほどでもない。たまたまは地下牢の配膳をする前に必要があって錠前結びをしていたのでそのまま結んでしまっただけだった。

「お祝いの時に使うんだよ。特に、婚約や結婚、ずっと解けない紐のようにという願いを込めて一族の女があの結び方を使って飾り紐を作る。そしてもしその家に娘が生まれたら錠前結びを解いてまた新しく飾り紐を作るんだけど、それを解くのは一族の男の役目。だから子供の頃にこの結び方と解き方を習う。知ってた?」

囚人はを睨んだまま何も言わない。知るはずがないだろう、子供の頃はただお国の伝統なので覚えましょう、と結び方と解き方を習うだけ。しかもこの婚約や結婚の際の飾り紐の伝統、これは一般的に庶民はやらない。ある程度の家柄であったり裕福な一部の人間がやるだけの伝統なので、殆どの人にとっては「そういえば子供の頃に習ったな」だけの代物だ。

……だから、珍しいだろ、オレの国にはこんな結び方があるんだって教えてくれたヤツが」
「オレの国? 普通錠前結びは男の人の場合、最初に来るのは『解き方』で、結ぶ方は苦手な人がほとんどだけど」

結ぶのは女、解くのは男というのが習わしだ。というか結ぶ方も解く方も実際にやる場合はどちらも逆をやってはならず、男が結ぶと生活で苦労をし、女が解くと健康を害すと言われている。縁起物なのでこういったしきたりは特に厳守される。

「この国で生まれ育ったんでしょ。どうして傭兵なんか――
「オレがこの国の生まれだったとして、それがあんたに何か関係あるのか」
……ないけど」
「じゃあそれでいいだろ。おやすみお姫様。人の睡眠を妨害するんじゃねえよ」

囚人はごろりと横になると、奥の壁の方を向いてしまった。これではもう取り合ってもらえないだろう。は立ち上がって松明を引っ込めると元きた道を戻りだした。相変わらず下品な言葉が飛び交っているが、聞こえていても頭には入ってこない。西通路の出口まで来るとほろ酔いの看守が待っていてすぐに鍵を開けてくれた。

……ご用はお済みですか」
「ありがとう。瓶を返してもらえる?」
「酒なんか飲んだの久しぶりです。また『落し物』したらいつでも言って下さい」

ニコニコ顔の看守から瓶を受け取ると、は静かに部屋へ戻る。ガウンを脱いでベッドに身を投げ出す。

あの人、この国が嫌になって逃げ出した難民だったのかな。だけどその頃はまだ子供だったんじゃないのかな。彼のご両親はなんでここを出て行こうと思ったんだろう。平和な所がよかったからだよね。だったらなんであの人傭兵なんかやってるの。家族はどうしてるんだろう。確かにずっと紛争やってるけど、芯から腐ってるなんて、どうして思ったんだろう。

何か理由があって囚人は憎悪の言葉を口にしたのだろうが、しかしにはその険しい目が「国」ではなく「自分」に向けられているような気がしていた。初めて会う人のはずだ。王女でも初等科教育は受けるけれど、その時の同級生にあんな顔の人はいなかった。城には家族で住み込んで働く使用人の子供もいるけれど、それならもっとよく知っている。あんな人はいなかった。

だけどなぜかあの人は私に憎しみをぶつけてきてる感じがした――

窓の外は風が強く吹いている。はその音を聞きながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。

「こんな時に金も手間もかかるお祝いなんかしなくたっていいのに」
「私ドレス作らないと着るものがないな、そういえば」
「あーやだやだ」

翌日、と従姉妹は例の錠前結びで飾り紐を作っていた。もうひとりの従姉妹が結婚するというのである。

「てかこれ終わったらまた地下牢でしょ、、普通に結びなよ」
「うん、気を付ける。手が癖になっちゃっててさ」

地下牢と聞いてドキリとしただったが、飾り紐作りも既に飽きている従姉妹は気付かない。

「結婚かあー。は好きな人とかいるの?」
「いないけど……
「だよねえ……
「好きな人の前にさ……
「人がいないもんね……

ふたりとも王女なので、この国が紛争も抱えておらず裕福だったならもっと早くどこかに嫁に出されていたかもしれない。現状政略結婚で外に出される様子もないけれど、どこかで結婚相手になる相手と知り合う機会もない。毎日城の中で働いている。軍隊の方には若者もいるけれど、その辺はみんな国境沿いの紛争地帯に行ってしまって戻ってこない。

「だけどさ〜私さ〜好きな人いたんだよね〜」
「え、初めて聞いた」
「うん、初めて言った」
「どしたのその人」
「出て行った〜」
「あー……

でなければこうしてこの国から出て行ってしまう。結婚を控えているもうひとりの従姉妹は相手が30歳年上だという話だから、やっぱり同世代はあんまり国に残っていないんだろう。貴族階級からも流出が激しいので最近は監視が厳しく財産の持ち出し制限もあるのだが、そうすると余計に若者だけが着の身着のまま逃げ出していく。

「こんな時に結婚したってどうしようもないと思うんだけどさ、なんか潤いなさすぎて……
「かと言ってオジサンとかオジイチャンじゃ嫌だもんね……

自ら進んで落ち込んでしまったたちは昼過ぎになるとまた地下へ降りていった。厨房からせっせと運び込まれる囚人用の食事が山と積まれている。するとそこへ昨夜をこっそり西通路へ入れてくれた看守が現れた。

「これは姫様方、今日もご苦労様でございます」
「どうしたの。交代?」
「いえ、今朝方北通路に入っていました捕虜が移送されましたのでそれをお知らせしに」
「移送? どこへ」
「あらかた尋問が済んでましたから……収容所でしょう。人手不足ですし、早く送った方が」

と従姉妹は頷きつつも、内心盛大にため息を付いていた。捕虜なのか労働力なのかどっちなんだよ。

「南通路は今全部空いてるし、じゃあ東西しか入ってないわけね」
「東通路は今日が最後の尋問ですから、またすぐに空くかもしれませんよ」
「そしたら楽になるね〜!」

そうか、尋問が終わったら囚人はここから出て行くのか……は当たり前のことに気付いてふと手を止めた。あの人も尋問が終わったら収容所に行く……その前に何があったのか聞いてみたい欲求に駆られたは、また紙で包んだ食事を配る途中、あの囚人の房の前で足を止めた。

「こんにちは」

返事なし。

「元々住んでたのはどの辺?」
…………
「お家は何をしていたの」
…………
「学校は? どこの初等科を出たの?」

一切返事なし。はまたしゃがみこんで声を潜める。

……もうすぐ尋問が始まるから、そのつもりでね。終わったら収容所だよ」

やはり返事はなかった。は立ち上がると配膳の続きに戻り、全て配り終えると地下牢から出て行った。そしてブチブチ文句を言う従姉妹と飾り紐作りに戻っていた時のことだ。何やら廊下が騒がしいので顔を出すと、大慌てで走る人がいっぱいいる。その中のひとりを捕まえると、東通路最後の尋問で何か問題があったらしい。

尋問室は地下牢のための厨房と同じ地下一階にあり、声などが漏れないように厳重に作られている。何人か捕まえて聞いた話をまとめると、どうやら囚人が急に暴れだして尋問官が2名死亡の3名負傷だと言う話だった。

……丸腰の囚人がそれだけのことを?」
「よっぽど手練だったのかな。わざと入り込んでた?」
「だけどもうぐるぐる巻きにされて北の塔に入れられたって言ってたじゃん」

地下牢はまだ城の直下なので例の囚人が言うところの「人道的な扱い」を受けられるが、北の塔は違う。細い塔は内部8階建てだが各階独房が2つ、全て昇降機でないと昇り降り出来ず、窓もなし食事は2日に1回、処分が決まれば出られるが、北の塔の場合の「処分」はほぼ「処刑」と同義。北の塔、久し振りの囚人である。

今を遡ること8年前、紛争が起こる前。地下牢から脱走を許してしまったことで、何人もがこの北の塔に入れられた。しかし彼らが囚人を「逃した」とわかる確実な証拠もなく、あまりに証拠不十分で出てこられた者もいたけれど、殆どが不確かな容疑のまま北の塔から処刑となった。

故に奇怪な噂も呼びやすい。

「北の塔って夜は色々聞こえたり見えたりするらしいね」
「ああ……みんなそう言うよね。誰も乗ってない昇降機が上下するとか」
「あーやだやだ! 私いくらお祖父様の命令でも北の塔だけは絶対行かない!」

もそれには同意だと思いつつ、今日の事件のせいで明日以降の尋問が厳しくなると思ったら、また深夜に落ち着かなくなって部屋を出た。看守への差し入れを手に、また地下への階段を下りていく。西通路を抜け、紐が目印の房の前でしゃがみこむ。

……またかよ」
「今日、尋問中に囚人が暴れて死傷者が出たの。だから明日からすごく厳しくなると思う」
「だから?」
「もし止むに止まれぬ事情があるなら話してくれないかな、こっそり父に話――
「しても変わらねえだろ」

松明を差し出していたの視界に、ぬっと足が現れる。顔を上げると、今にも火が燃え移りそうな場所に立ってを見下ろしていた。彼は火を避けて少しずれると同じようにしゃがみ、またバサリと髪をかきあげた。

「もし仮にオレがこの国の出身だったとして、それが例えば虜囚でなくなる理由になるとでも?」
「だって……見たところ年は変わらないみたいだし、自分から乙国に与してるとは」
「そりゃ傭兵だからな。金さえもらえればあっちの国でもこっちの国でも、どっちだっていい」
「じゃあどうして捕虜になってるの?」
「そんなことはお偉いさんに聞いてくれ。オレが知るわけないだろ。知ってたら捕まってねえよ」

そりゃそうだ。つい頷いてしまったは松明を下げてうーんと考え込む。すると、が鉄格子についていた手に、囚人の手が重なった。驚いたは血の気が引いて真っ青な顔になった。マズい、松明の火で手を焼けば離してくれるだろうか。だが、囚人は少し顔を寄せて声を潜めた。

「お前王女だろ、なんでそんなことが気になるんだ」
「なんでって……
……紛争続きで若い男が少ねえからな。飢えてるのか?」
「し、失礼な! 私は、そう、ただの傭兵ならどうしてあんな恨み言をって……

途端にパッと手が離れる。も手を引っ込めて胸元で強く握りしめた。

「どっちの国でもいいなら、どうしてこの国が芯から腐ってるなんて思ったの? 乙国はあんまり腐ってないの?」

返事はない。いい言い訳が思いつかなかったんだろう。囚人は顔を背けて長い髪で顔を隠している。

「私たちくらいの世代だと……ほんの少し世の中のことがわかるようになったと思ったら国の状態がおかしくなって、それ以来戻らないままって感じでしょ。あの頃自分の意志で出奔できるような年じゃなかった。自分の意志とは関係なくこの国を出なきゃいけない理由があったのかなって……それって、大変なことだったろうと思って」

もし武力衝突が始まった辺りでこの国を出て行ったのだとしたら、同世代がその直後にいきなり成人させられたことも知らないかもしれない。この国は芯から腐っていると恨むのは勝手だが、国に残った方もそれなりに大変だったのだ。そういう過去を乗り越えてきたは彼に一体何があったのか、それをどうしても知りたかった。

「ええと、明日必ず尋問があるとは限らないけど、よかったら覚えておいて」
……何をだ」
「中央学院初等科、1組1組特別学級1組」
「はあ?」

は同じことをもう一度繰り返すと鉄格子に肌がくっつきそうなほど顔を寄せた。

「私が初等科にいた頃の情報。特別学級は貴族以上だけどそれまでは城下の子供と一緒」
「それがなんだよ」
「私と初等科で一緒だったって言ってもバレない」

の言いたいことが伝わったらしく、不機嫌なしかめっ面をしていた囚人は今度は怪訝そうなしかめっ面になっている。しかしの言った言葉を繰り返してみせた。覚えている。

「それくらいしかないんだけど、上手に使って」
……確か王女って3人いたよな」
「えっ、うん、私を入れて3人いるけど」
「名前は?」

……第一王子の娘か」

よく知っている。というか王女が「3人」いるというのは国内の認識だ。国外では「ふたり」が一般的。今度結婚する王女はの叔母にあたる人の娘で、なおかつ叔母は祖父が使用人に手を付けて産ませた子で、その叔母が城を出て一般人と結婚してできた娘だからである。王女認定はされているが城で生活したこともない。

やっぱりこの国で生まれ育ったんだな、この人――

「あなたは? 名前なんていうの」
……また今度な」

の問には答えず、囚人はまた房の中の闇に隠れてしまった。はため息を付いて立ち上がると、帰っていく。彼から尋問が始まらないとも限らない。また今度、そんな機会があればいいけれど――

尋問中に死傷者が出るなどという事件が起こってしまったので、翌日から尋問は地上階で行われることになった。事件のあった尋問室はとても狭かったので、囚人が拘束されているのをいいことに室内は充分な人数を入れなかった。というわけで今度はド貧乏が加速して以来殆ど使われることのない舞踏会用の大広間である。囚人はガチガチに拘束された上、数十人の監視と警備に囲まれて尋問を受けることになった。

尋問場所が変わった翌日にはまた捕虜が大量に送り込まれてきて、時間がかかりすぎるという理由でと従姉妹はお役御免になった。それならまた夜中に降りて行ってみようかと考えただったが、運の悪いことにあまり面識のない看守に交代してしまった。酒の賄賂なんかでは融通を利かせてもらえそうにない。

尋問が終わったら収容所送りなのだろうが、その前にもう一度話せないだろうかとが考え始めてから数日後のことだ。結婚の飾り紐を作り終わったは軍の作戦部の書類の処分を手伝わされていた。要はゴミ係だ。こちらも狭い部屋に書類がぎゅうぎゅうに詰め込まれているので少し処分するらしい。

現在進行形で必要な物はとっくに移してあるんだろう。どんなに近くても5年以上前の資料が殆どで、様々な記録や報告書も混じっているが、全部捨てろ、もし重要度が高い印が付いているものが紛れていたらそれだけ間引け、と言われているのでサッと目を通してはポイポイと捨てていく。

そんな風にが紙と戯れていた時のことだ。昼食を済ませたが書類処分に戻ろうとすると、父親の側近がやって来てを呼んでいるという。日中は癇癪持ちの祖父の補佐をしているはずなのに珍しいな、と思ったは側近の言葉を聞いてグッと喉を詰まらせた。

「今日尋問予定の囚人が姫と友人だと言うのですよ。何でも初等科で一緒だったとか」

とうとう来た。は身震いがして、腕を押さえる。

……それがどうして捕虜なんかになってるの」
「乙国の兵士ではないようです。傭兵風の身なりでしたけれど、詳細は姫にしか話さないと言い張るので」
「だ、誰かしら。初等科の頃のお友達とはなかなか会えないのよね」

上ずってしまいそうな声を必死で低く抑え、は側近の背中に向かって軽やかに笑ってみせる。

祖父と違って合理的な父親が呼び出したということは、即時処分な囚人ではないということだし、本人の言うことを信じて娘に会わせてみようと思うだけの何かがあったということでもある。

今日は名前、わかるかな――