七姫物語 * 姫×騎士

2

強制的にお茶に同席させたおかげか、翌日あたりから牧もずいぶんほぐれてきて、人の耳がないところでなら堅苦しい言葉遣いも少なくなり始めた。ただどうしてもふたりきりにはなりたくないようで、が牧を呼び出しても、だいたい神か清田か、場合によっては両方ついてくる。

「別にふたりきりじゃなきゃダメってことはないんだけどね」
「幼い頃から親しかったんですから、積もる話もありますよね」
「何も聞かれたらマズい話をするわけじゃないんだけど」
「いくらオレたちでも気になりますよね」
……神くんが紳一の部下でよかったわ、ほんとに」

そして解けるのに時間がかかっている隊長をよそに、部下ふたりはすっかり仲良しだ。牧が翌日の進路をもう一方の隊長と打ち合わせをしているので、は神と清田を呼び出した。宿につくと暇なので、食事が終わったらこうして話し相手になってもらっている。今は清田が町でお菓子を調達してくると言って飛び出していったので、神とふたりだ。

「この隊が組まれたのは1年前ですが、隊長としても本当に優秀な方なんですよ」
「だよねえ。あの家は父親もお祖父さんもみんなそうだったから」
「いえいえ、団長や先代よりも、です」
「え、ほんと? どんな風に?」

神の方も牧がいないので遠慮がない。身を乗り出してくるに合わせて自分も乗り出して声を潜める。

「特に先代はとても厳しくて、怖いお方です。勇猛果敢で負け知らずな方ですけど、正直人望はそれほどでもないと思います。それに比べると現在の団長は人格者ですし温厚ですし、やっぱり一騎当千な方ですけど、牧さんはその上をいくと思います」

神がこんなことを誇張して話す性格ではないことをよく知るは嬉しそうに頬を緩めた。

「いい団長になれそう?」
「もちろんですよ。戦がないと我々は暇なので風紀の乱れが懸念されますけど、それも牧さんならありません」
「なんか自分のことみたいに嬉しくなっちゃうな」
「ご兄妹のようにして育ってこられたんですよね」
「まあね。紳一の方が少し上だから、うん、確かに兄妹っていう感じだったな」

は椅子の背にもたれると、目を細めて天井を見上げた。子供の頃を思い出す。

「何しろ優秀な騎士の家系でしょ。子供の頃から自分は騎士だって名乗ってたし、一貫して『父親のような立派な騎士になる』っていうのからブレたことなかったんじゃないかな。確か紳一が8歳位の時かな、ふざけて私が騎士の位を授けたことがあってね。城の奥のバルコニーで私がお腹に巻いてた赤い布を肩にかけてやって、棒切れで肩を叩いてやって」

騎士の位は少年部隊を務め上げて合格した者だけが国王から直接授かることを許される。その時に支給されるのが騎士団の象徴であるマントと剣である。マントを団長にかけてもらい、国王からは剣の先で両肩を一度ずつ叩いて頂く。これが騎士になるための儀式となっている。はそれを真似した。

「喜んだんじゃないですか。子供とはいえ様は本当に王女様なんだし」
「そりゃもう。それからしばらくは小父さまの真似して私を警護してた」

この数年後には少年部隊に入り、とは疎遠になってしまうのだが、1年遅れて少年部隊に入った神は牧と一緒に何度か会ったことがある。なので清田とは面識がないが、神もにとっては懐かしい顔なのである。そこへその新顔である清田が戻ってきた。籠と瓶を両手に抱えてにこにこしている。

「戦火が届かなかったところは以前のままですねえ。うまそうなのいっぱいあって迷っちゃいました」
「お前また無計画に金使ってきたのか」
「今回は見逃して下さいよ。てか足りなくなったら助けて下さい」
「何でオレが! 嫌だよ」
「まあまあ神くん。清田くん私が助けてあげる。これで足りる?」

異様に気さくだが王女様である。差し出される金貨に清田は崩れ落ち、それを恭しく頂いて神にペシッとひっぱたかれた。

「あっ! でもこんなこと紳一には内緒にしてよ」
「わ、わかってます絶対言いません」
様が所望して清田が買いに行ったと言っても怒りそうですもんね」
「ほんとに神くんが部下で紳一は幸せだわー」

しかし、3人はおいしいお菓子や酒で楽しくなってしまい、神と清田は時間を忘れての部屋で延々お喋りをしていた。そしてもう消灯の時間が近いというのにふたりが戻らないというので探しに出た牧に見つかり、共々雷が落ちた。

「お前たちまで何やってるんだ。殿下はお友達じゃないんだぞ」
……牧さんが様のお相手をしてあげないからでしょ」
「神まで何言ってるんだ」

とまとめて説教された神と清田だったが、ふたりはあまり反省していない。騎士団は交代で見張りをするが、3人ともまだ出番が来ないので部屋に帰らなければならない。その部屋に向かう道すがら、珍しく神が口答えをした。

様は幼馴染と久し振りに再会して昔を懐かしんでお喋りをしたいだけなんですよ」
「それとこれとは関係ないだろう。は酒に弱いんだから飲ませるな」
「へー。オレたちそんなん知らないもんで、本人が進んで飲むのでお止めしませんでした」

何を言ってもちくちく突っつかれるので牧は切り上げることにしたらしい。

「もういい。とにかくあれはあんなんでもこの国の王女で我々は騎士なんだから節度は守れ。戦が終われば縁談も来るだろうし、そんな時に『あの姫は夜な夜な騎士と酒盛りをするらしい』なんて話になったら困るんだ。いいな」

そう言い捨ててさっさと自分の部屋に入っていく隊長を見送った神と清田は、酔って赤い頬で不貞腐れた顔をした。

「縁談縁談て、来てもいない縁談にピリピリする必要があるんすかねー」
「自分だけ仲間はずれだったから面白くなかったんじゃないのー」
「うへへ、マジすか何それウケるー」
「ウケるー」

全く反省する気のないふたりはほろ酔いで部屋に戻っていった。

反省する気がないのはも同じで、牧がガミガミ言おうがどこ吹く風、牧が断れば神と清田を呼んでお喋りに付き合わせるし、その神と清田も牧がガミガミ言っても聞かないし、結局監視も兼ねて牧も同席することになってしまった。今日は宿の庭にあるテラスで夕食後のお茶である。

「だから最初から言うこと聞いとけばいいのに」
「城に戻ったら陛下にご報告しますからね」
「どうぞ。私も小父さまにご挨拶に行くので報告します」
「えっ、な、何をだ」
「疎開で肩身の狭い思いをすること3年、やっと帰ってきたのに紳一が冷たいって」

牧はガクリと頭を落とす。神と清田はもう遠慮せずに吹き出した。

「小父さまはお祖父さまと違って騎士は女性優位であるべきってところ、あるからねえ」
「えー、そうなんすか。団長のことすよね」
「そう。お祖父さんの方はちょっとアレだけど、騎士たるもの女性に対して紳士的でなければ、っていう」
「直接お話をさせて頂いたことがあまりないので……それは少し意外でした」

団長と先代はちょっと両極端で、牧はその中間くらいというところだ。

「ということは牧さん団長に怒られるんすか」
「たぶんね〜」
「それは親父の方が甘いだけだ」
「国王陛下とも親しいんですもんね。様を可愛がっておられたんでしょうね」
「牧家には女の子いないからね。子供の頃はよくリボンを頂いたんだ〜」

との関係性について、「王女と騎士」だけに絞れば半分くらいは牧が正しいのだが、それ以前に親は親友同士だし子供の頃から知っているしで、これはどう考えても牧の方が分が悪い。

「でも3年も離れてたから、城に帰れると言ってもなんだか実感わかないんだよね」
「城自体は特に変わりないと思いますよ」
……そういえば私、疎開の時に部屋を片付けて荷物を詰めて」

ぶつぶつ言い出したは口元に手を当てて考え込んでいたが、サッと顔を上げてしかめっ面をした。

「紳一、もしかしたら私忘れ物したかも」
「疎開でお世話になっていたところに、ですか?」
「ちょっと確かめてくる」

荷物は専用の馬車で運んでいるので、それごと倉庫に収納するようにしている。ひとりでは倉庫の扉も開かないだろうから、3人は手伝うつもりで一緒に立ち上がった。だが、先を行くは焦っていたのか、テラスの段差に躓いてたたらを踏んだ。転びはしなかったけれど、素早く手を差し出した牧に捕まっている。

「大丈夫ですか」
「ありがと、ええと、足捻ったかも」
「痛みますか」
「地面につけると痛い」

転ぶまいとして足を踏ん張ったせいで足首を捻ってしまったらしい。は片足でよろよろしている。

「神、医者を呼んできてくれ。外科の出来る人だ」
「わかりました」
「清田は厨房に行って氷を分けてもらえるかどうか聞いてきてくれ」
「了解っす」

が帰国してきてからというもの、ガミガミとお説教ばかりだった牧だが、表情も変えずに指示を出すと、の手を自分の肩に置かせてしゃがみこんだ。

「えっ、何?」
「おぶって部屋まで行きます」
「そんな、平気だって、腕貸してもらえれば歩けるよ」
……、いいから乗りなさい」

実に数年ぶりに牧から名前で呼ばれたので、は大人しく背中に寄りかかった。牧はひょいと立ち上がり、しっかりと足を支えるとゆっくり歩き出した。は牧の肩にもたれかかり、こっそり彼の後頭部に頬を寄せる。

「ごめんね」
「気にするな」
「今は立場をわきまえなくていいの?」
……誰にも聞こえないからな」

今日の宿はこの街一番の裕福な商人が経営する宿で、一晩貸し切りになっている。なので特に人は少ないし、出入口を固めてしまっているので警備に立つ騎士も少ない。牧は玄関口を通り過ぎて階段をゆっくり、しっかりと手摺に捕まって登っていく。をおぶっていても素早く歩けるが、安全優先だ。

「戦の間、危ないことなかったの」
「まあその、実は後方支援の方が多かったんだ」
「でも戦ってきたんでしょ」
「納得出来ないことも多かったけど、早く終わらせるには戦うしかなかったから」
「ごめんね、戦なんかになっちゃって」

もちろん止むに止まれぬ事情があってのことなのだが、責任に関してはの父親である国王にある。

「なんでお前が謝るんだ。陛下がやりたくてやってた戦じゃないのはわかってる」
「だけど回避を再優先にしてたとも思えないから」
「それはまあ、うちの祖父さんが煽ったのもあるだろうし」
「だけど民の利益を考えたらこんな長い間戦をする必要はなかった」

疎開前にはまだてんで子供でしかなかっただが、3年の月日は彼女をほぼ大人へと成長させた。それは牧も同じだが、彼の場合はまだ一小隊を与えられたに過ぎない駆け出しの騎士である。対するは王族としては充分に大人の域に入りつつある。

「でも、もう終わるからね。紳一たちが無事でよかった」
「オレもホッとしてる。戦は騎士の仕事だろうかと思ってたから」
「んふふ、だよね。旗槍持って白い馬に乗りたかったんだもんね」

まだ戦のない頃、紳一少年は父親が旗槍を持って騎士団の先頭を行くのが憧れだった。当時まだ沿道でそれを見ていた少年は騎士団に守られて道を行く隊の中に幼いがいるのを見て、自分の父親はを守っているのか、と思った記憶がある。その時初めてを「お姫様」と認識したような気がした。

だからこそお遊びでも騎士の位を授けてもらった時は本当に嬉しくて、城の中をウロチョロ歩くだけのの周りをさらにウロチョロして「警護」ごっこをしていた。大人たちはそれを微笑ましく眺めていたけれど、少なくとも牧は真剣で、廊下の角から敵が出てきたらどうしようかと冷や汗をかいていた。

「ねえねえ、やっと帰ってこれたんだし、ちょっと落ち着いたら川釣りに行かない? 昔みたいに――
「それは出来ないよ」
「えっ、なんで?」
、オレたちはもう子供じゃなくなっちゃったんだ。お外で遊んできます、なんてのはもう無理なんだよ」

3階へ続く階段を一段一段登りながら、牧はに言い聞かせる。

「お前は王女、オレは騎士団72小隊の隊長、警護でお伴することは出来ても、一緒には遊べない」
「幼馴染なのに?」
「それは過去からの関係を言い表しているだけだ。……遠からず縁談もくるだろうしな」
……それまでの間くらい、幼馴染のお兄ちゃんと遊びたいっていうのもダメなの?」
「それが10歳位の子供だったらな」

は軽く組み合わせていた両腕でぎゅっと牧を抱き締める。

「私まだそんなに大人じゃないよ」
「そりゃ自分では大人になったなあ、なんて思わないだろ。そんなこと思ってる奴はまだ大人じゃない」
……私、ものすごく遠くに行かされるかもしれないんだよ」
「オレもお前が無事に嫁いだら地方警護を志願しようと思ってる。どこも傷跡がひどいからな」

は悲しくなってきて、殊更にきつく抱きついたが、牧は動じない。

……オレは、お前も含めて大事な人たちのために戦ってきたつもりだ。何もお前のことが鬱陶しくてガミガミ言ってるわけじゃない。オレは騎士なんだから、姫が立派な淑女となって無事に嫁いでいくまで勤めあげる義務があるんだよ。何よりそれは、もう何百年もこの騎士団に受け継がれてきた心得だからな」

部屋に到着した牧はベッドにを下ろし、その正面にしゃがみ込む。

「あの小さかったがこんなに立派な王女になったのは誇りに思ってるよ」
……私、まだ小さい頃のままだもん」
「そうか? 小さな王女は効率を考えて騎士を休ませろなんて言わないぞ」

数年ぶりに見た牧の優しい笑顔がの心を抉る。そして牧はにこやかに言う。

「それにしてもお前、重くなったなあ!」

氷を抱えた清田が神と合流しての部屋の前に立ち、ノックをしようとすると、中からガターンという大きな音が聞こえてきた。何かあったのかと声をかけながら神と清田が扉を開くと、片足でよろよろしながら椅子を持ち上げて憤怒の形相になっていると、床にひっくり返っている牧、という状態になっていた。

様落ち着いて!」
「止めないで清田くん、どの口が人のこと王女だなんて」
「そういう意味じゃないだろ! 子供の頃に比べてという話で!」
「だからってそれ口に出して言うこと!?」

とにかくが噴火してしまったので、神は慌てて侍女をかき集めると骨接ぎの先生ごと後を任せ、清田とふたり、牧を連れて部屋を出た。よく見ると牧の頬にはの手形と思しき赤い跡が残っている。急いで牧の部屋に戻り、清田はひとつくすねてきた氷を布にくるんで牧に差し出し、何があったのかを聞いた。

「牧さん……
「隊長……
「お前らまでそんな目で見るなよ」
「いえ、それは牧さんが不用意なことを申し上げてしまったのに間違いありません」
「神、そんな蔑んだ目はやめてくれ」
「私は騎士の端くれとして王女殿下の名誉のために蔑んだ目をしているんです」

そう言われた牧は仰け反って呻いた。

「よちよち歩きの頃から知ってるんだぞ、何もからかってやろうなんて気持ちは」
「ですから。普段から立場をわきまえろだのなんだの言ってる牧さんがそれでどうするんですか」

神の言うことはもっともで、言い返せない牧はげんなりしている。すると、それまで上官と先輩ふたりのやりとりを黙って聞いていた清田がひょいと顔を突っ込んできた。至って真顔だが、どこか不思議そうな表情をしていた。

「もしかして牧さん、様がいなくなっちゃうの、寂しいっすか?」

さすがにマズいだろと思った神が慌てたが、牧はまたため息をついてソファの背もたれに寄りかかった。

……子供の頃からを守るのが仕事だと思ってきたんだ。しょうがないだろ、そんなの」

神と清田は見たことのない隊長の表情に驚いて、何も言い返せなかった。隊長はどうやら照れているらしかった。