七姫物語 * 姫×王太子

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さわやか好青年兼美少年だった王太子こと神は、の目の前で豹変すると気が楽になったのか本性を隠さなくなった。隣で俯いてポタポタと涙をこぼしていたに構わずお茶を飲み、堅苦しい礼服の襟元をゆるめてどっかりと足を組む。

「この館にいるのは構わないよ。君ひとり増えたところで何の害もないだろうし。ベッドは巨大だし一緒に寝ても構わないけど、静かにしろよ。うるさかったら蹴り落とすからな」

はあまりのことに呆然としていた。それは最初色々な感情が混ざり合って、ひとつの意味ではなかった。けれど隣でふんぞり返っている神の偉そうな声を聞いているうちに気持ちが落ち着いてきて、最終的に「がっかり」という気持ちだけが残った。愛し愛される夫婦にはなれなくても、せめて友達になりたいと思っていた。それすらも叶わないのだと思ったら失望した。

そして、やっぱり本気でこんな小さな国の王女を嫁に欲しいなどと言い出すわけがなかった。神にどんな思惑があるのかはわからないけれど、何かに感じるものがあって選んでくれたのではなかった。そんなこと当たり前なのかもしれないが、自分は身売りのようにして故郷を離れなければならないのかと思うと、それも辛かった。

無事に男の子をふたり産んだら、追い出してくれないかな……もしくは女の子が3人くらい続いたら役立たずとか言ってここに帰してくれないかな……そうしたらそれまで我慢するのに。帰れるってわかってたらそれを支えにして頑張れるのに。

そんな風にが心を痛めていると、家臣たちが戻ってきた。が泊まる支度を整えてきたという。

「お待たせを――姫、涙など流されて一体どうされたのですか」
「あ、これは――
「申し訳ありません、お母上のお話を聞かせて頂いたのです。可哀想なことを致しました」

はまたぼんやりと神の横顔を見上げた。彼はの背中を支え手を取り、申し訳なさそうな笑顔で首を傾げている。天使のふりした悪魔でその上嘘つきか……は何もかもが他人ごとのように感じてきた。

「それはそれは……姫、陛下からお預かりしてまいりました」
「そっ、それは……!」
「可愛らしい首飾りですね」
「はい! 我が国伝統の花嫁衣装につける首飾りで、亡き王妃様のものでございます」

あのバカ父上、よりにもよってなんてもの持って来させるの……はまたがっかりしてついため息をついた――ら、神に背中をつねられた。ちらりと見上げると、冷たく脅すような視線が落ちてきた。愛想を良くしろということか。

「ありがとう、お疲れ様です。首飾りもお預かりします」
「はい、ではどうぞごゆっくりお過ごし下さい。王太子様、何かご不便があれば何なりと」
「ありがとうございます。それでは私は姫をお預かりいたしましょう」

言いながらを抱き寄せる神の笑顔に、家臣たちはコロッと騙されて幸せそうな顔で退去していった。

「へえ、匂いは悪くない」
……それはどうも」
「臭い女でなくてよかった。姿形は灯りを消せば何とかなるけど、匂いはそうもいかないからな」

不思議と腹は立たなかった。今は愛想を良くしろとでもいいたげなツッコミが入ったけれど、父上にバラしても構わないと言うし、それならこちらもへりくだって恭しい態度を取る義務はない。公の場で王太子妃、そしていずれは王妃として恥ずかしくない振る舞いさえすれば契約違反にはならない。

「ほんとに。臭くない人でよかった。あと、ベッドは別で結構、使用人部屋でも貸してください」
「急に元気になったな」
「生まれつきです。物々交換でも何でも契約に反しないでいてくれれば私は構いません」
「へえ、とにかく頑丈な姫だとは聞いてたけど、体だけじゃなくて精神的にも強いとは」
……では荷物も届いたので失礼します」

この数ヶ月の間掃除や片づけなどで何度も出入りしたので、この館の中がどんな構造になっているかはよく知っている。今いる主寝室は2階にあり、ちょうど館の中心に置かれているが、1階の東側の奥は使用人たちがまとめて泊まれるように個室がずらりと並んでいる。狭いけれどきれいだし整えてあるし、その中の一部屋でも借り受ければいいだろう。

が、神はを抱き寄せたまま離れようとしない。

「あの……離して」
「聞き分けがいいとそれはそれで面白くない」
「嫌がらせして楽しむためにやってたの?」
「そういうわけじゃないけど、その達観した目が可愛くない」
「可愛いか可愛くないかは関係ないんじゃないの」
「まあな」

ぺたりとくっついていた神だが、言い合いが着地するとサッと解放した。

「もしここで寝ろってオレが言ったらどうするんだ」
「寝る」
「何かされるかもとか思わないのか」
「男の子の双子が授かりますようにと祈るのみ。そしたら一気にお役御免」

バッサリと言い捨てたの言葉に神はつい吹き出し、顔を背け声を殺して笑った。

「使用人部屋は生憎全室埋まってる。そこ、使ってくれ」
「え。だけどそこは……
「うるさくしたら庭で寝てもらうからな」

神が指し示したのは主寝室の隅っこにちょこんとくっついている控えの間だ。こちらも使用人が使うためのものには違いないのだが、場所が場所なだけにここに人を入れるのを嫌う御仁も多い。しかし神が主寝室の扉近くに控えていた使用人たちに合図をしての荷物を運び込ませてしまった。

「ちょ、あの他にも部屋は――
「それではおやすみなさい姫、良い夢を」

仮面の微笑みを貼り付けた神に真上から見下されたは、ため息をひとつつくとサッと会釈をし、スタスタと使用人部屋に入るとバタンと扉を閉めた。ベッドとチェストがひとつずつ、窓もなくて狭い部屋はまるでこれから神の妻となる自分のようで、はまたため息をついた。

「ねえねえどうだったの、王太子どんな感じ?」
……知らない方がいいこともあるよ」
「えっ、何それなんか変なことされたの」

翌日一旦城に戻ったは父親の寝室へ挨拶に行くと早速質問攻めにあった。

「別に変なことはされてないよ」
「ていうか王太子はのどこが好きだって?」
「そういうことは言ってなかった」
「まあまだ初日だもんね、そんなことベラベラ喋るタイプじゃないか」

父上は微熱が出ているそうだが楽しそうだ。というか彼は神がのことを好いていると信じて疑っていないらしい。まああの全方位に放たれる王子様の微笑みに騙されるのも仕方ないかもしれないが。

「ところで広場のあれはどうするの。早めに予算立てて取り掛からないと大変なことに……
「大丈夫大丈夫、王子の贈り物の査定が明日にでも終わるから、そしたら予算、出るよ」
……維持していく予算も、立てないとね」
「それも大丈夫、毎年交代で人を派遣して下さるそうだよ。は安心してていいんだよ」

神が連れてきた動物たちを預かる場所がないので、急遽王宮の東側にある広場が臨時の動物園になった。父上の言うように一時的に予算がどんと出るのは間違いないので、動物園を作るのに困ることはないだろう。全て神の指示かどうか、抜かりはないと見えるが、うまくやらないとせっかくの贈り物を台無しにしてしまいそうな気がしてはそわそわしてしまう。

「動物園は匂いの問題もあるから少し離れたところに作ろうと思ってる。静養に来る人たちにも利用してもらえるようにね」
「そか、そこからも少し収益が出れば何とかなるかな」
「子供が大喜びしてるってよ。記念動物公園にしたいってみんな盛り上がってる」
「そ、それはちょっとご辞退申し上げたい……

だが、それだけ喜んでくれているということだ。昨夜は物々交換などという無礼な物言いにカチンとも来たが、どちらにせよ神の妻になって故郷を離れ世継ぎを産まねばならないことに変わりはない。あの偉そうなひねくれ王太子は面白くないけれど、子供たちが喜んでくれるならそれでもいい。

そう思うとのへこたれない性格が元気を取り戻してきた。物々交換、大変結構。どうも王太子はけちではないようだし、もし自分が王妃の立場になったなら権限も増すだろう。そうしたら故郷のためにバンバン金を使ってやる。

……どうだい、王太子殿とは仲良く出来そうか?」

思いつきで館に泊まらせたり不躾なことを聞いていたくせに、父上はふいに真顔になってそんなことを呟いた。まさかあれは作り笑顔でその下には悪魔が潜んでましたとは言えない。神はバラしてもいいと言うが、は父を不安にさせたくない。もしかしたらがこう考えるとわかっていてあんなことを言ったのかもしれない。

「大丈夫だよ。てかまだ昨日初めて会ったばかりなんだから、これからだよ」
「王太子はいい人そうだけど、、我慢できないことは我慢しなくていいんだからな」

どの口が、と考えては笑った。だがもうはほぼ覚悟が決まっている。

「そうだね。だけど父上、薬は我慢してさっさと飲んで」
「もー! 早く王太子のところ帰りなよ!!」

王太子の側近数人と子供の頃から世話を焼いているというばあやに聞いたところによると、王太子は毎朝側近だけを集めて会議なので、その間は部屋の外に出ていて欲しいという。朝食もそのついでに取るので一緒には取れないとのこと。なので城に戻ったわけだが、そろそろ昼になる。一緒に食べねばならないわけじゃないが、父上には帰ると言わなければ。

「じゃあまたね。薬、ちゃんと飲んでよ!」
「はいはいわかってます!」

普段から父上の基本的な世話はがしていたが、今回の件を機にきちんと世話係を置くことになった。それも少し寂しいだったが、彼らに後を任せると城を出て館に帰った。会議が終わったかどうかもわからないので、部屋には戻らずにダイニングの方へと向かう。おそらくばあやがいるはずだ。

「これはこれは姫様、お帰りなさいませ」
「ただいま戻りました。まだ会議やってるんですか」
「あらどうだったかしら。でももうすぐのはずですよ、お昼の準備を始めてくれと言われてますから」
「そうですか。では待ちます」

は使用人用のダイニングに腰掛けると、退屈しのぎのために城から持ってきた本を開いた。すると横からスッとお茶が差し出されたので、驚いて顔を上げた。ばあやだった。

……もう若様とはお話しになりましたか」
「はい、昨夜少し。ええとその、ある程度本当のことを聞きました」
……そうですか。本当に申し訳ありません」
「え。あの、ばあやさんが悪いわけでは……

ばあやは高齢だし、きっと孫ほど年の違う王太子の世話をずっとやってきたに違いない。それでも神はあんな風になってしまったのだから、その原因はこの人ではないとは思っていた。あれは生まれつきじゃないの。

「確かに私が画策したことではありませんが、その、若様を取り巻く環境は少しおかしなものですから」
「大国の王家の世継ぎなんですから、そういうことは珍しくないのでは」
……様はそれでよろしいのですか?」

ばあやは不安そうだ。詳しいことを話すつもりはないようだが、立場はともかく女性同士としてはこの結婚に疑問を感じているのかもしれない。言いづらそうに視線を外している。

「はい。こんな小国の王女なんてこれくらいしか役に立つことがありませんから」
「そんなこと……
「何とかして男の子を産んで、王妃になれたら故郷にもっと役立てるはずですから」
「だけど、結婚てそういうものではないでしょう」
「まあそうかもしれませんけど……今更どうにもなりません。宗一郎は元からああいう人なんでしょ?」

するとばあやはきょとんとした顔をして首をすくめた。えっ、違うの?

「い、いえその、まあ確かに世継ぎとして育てられていますから不遜なところがあるのは否定しませんが……
「それを変われと言ってもね」
「あらやだ、そうではなくて、言っていいのかしら、あのね様、若様が名前で呼べと言ったのですか?」
「ええ、そうですけど……
「お名前で呼ぶなど、これまで誰にも許したことはありませんのよ」

ばあやは何だか乙女のように恥じらっている。が、それは深読みのし過ぎだろう。は苦笑いだ。

「夫婦になろうというのに呼び方が『王太子様』『姫』ではかっこつかないと思ったのでは?」
「そうかもしれません。だけどつまり、若様にも様を妻とする認識がちゃんとおありなのだと思うのです」

それすらなかったら私は一体何なんだ、という一言を腹に飲み込み、は頷いておく。

「許可もなく若様のことについてお話するわけには参りませんが、様、どうか若様をよろしくお願いいたします。失礼がありましたらどうぞこの婆にお申し付け下さい」

よちよち歩きの頃から神を知っているでろう彼女はきっと、若様は本当はあんな人じゃないとか、そんな風に庇いたくて仕方ないんだろう。けれど勝手なことを話せば怒られてしまうかもしれないし、そのことが神にとって不都合となるのは避けたいはずだ。それが手に取るようにわかるので、はまた頷いて笑顔を返しておく。

「大丈夫ですよ、私、頑張ろうってもう決めてるんです」

涙目のばあやをキッチンに返すと、は頬杖をついて考える。神には何やら色々事情がありそうだが、そこはの領分ではない。関わりたいとも思っていない。問題はあくまでも自分と神の関係性にある。一般的な花婿花嫁が結婚という意識は早々に捨て去ることだ。言葉が同じなだけで、本質は天と地ほども違う。

よし、やっぱり目標は友達になること、にしよう。何でも話せる友達、まずはそこが目指すところだ。

は決意を新たにして大きく息を吸い込んだ。