ミクスチャ:ex

普段競技の中にいるとなかなか気付かないことだが、そもそも日本人の平均身長は世界でも低い部類に入り、時代が進むにつれて伸びる傾向にはあるけれど、例えば男性で180センチ以上の割合は実に1割に満たないのが現状である。

なので、197センチと189センチが雑踏の中にいたらとても目立つし、お互い目線は人の波の頭の上なので、すぐ分かる。しかも面識があるので、完全に無視ではマズいような気がしてしまう。

……よう」
……どうも」

と言っても197センチの方が高校3年生で、2年生の189センチよりひとつ先輩。後輩の方、神は一応会釈程度に頭を下げる。特に下げたいわけではないけれど、チームや学校の手前、そうもいかない。一方の197センチの方、花形もそれを見て首を傾げる程度に会釈をする。丁寧に挨拶されたのに返さなかったら、それはそれでマズい気がするので。

「この辺、地元なのか」
「元地元です。子供の頃住んでました。花形さんこそ」
「地元ってほどでもないけど、まあ近く」

この微妙な緊張感はふたりの所属するチームが長年ライバル関係にあるからであり、なおかつ花形の方が1ヶ月ほど前に予想だにしない敗北を喫したからなのだが、かといってお互い路上で喧嘩腰になろうとは思わない性格なので、ただひたすら気まずい空気になっている。

別に話すことなど何もないのだが、この身長が目立つせいで。

「てか練習休みか? 余裕だな」
「そりゃまあ、テスト前なので。自主練はやってますよ。翔陽はテスト終わったんですか」
「いや、これから」

お互い真面目なのでテスト前だからといって慌てなくても大丈夫なくらいには普段から予習復習を怠っていない。だからどちらも街中をうろついていたわけだが、タイミングよくすれ違ってしまったのは運が悪かった。そして「じゃあな」と言い出すきっかけが見当たらない。もう用は済んでるんだけど。いやそれ以前に用もないんだけど。

だがどちらもそれほど愛想がいい方ではないし、もう通りすがりの挨拶程度には充分。ふたりともほぼ同時に「じゃあ」と言おうとして口を少し開いた。が、聞こえてきたのは女の子の声だった。

「あれっ、ふたりとも知り合いだったの?」

下の方で声がしたので、ふたりは揃って下を向き、また揃って「!」と声を上げた。

「何お前、知り合いなのか」
「知り合いっていうか、幼馴染ですけど……
「いやオレも幼馴染だけど?」
「はあ?」

ふたりにと呼ばれた女の子はさも可笑しそうに笑うと、一歩進み出てふたりの腕をポンポンと叩いた。花形も神もその手を受け取って肩やら背中をそっと支える。

「どっちも幼馴染だよ。透とは幼稚園一緒、宗ちゃんは親同士が友達。でもどっちも久し振りだよねー。ふたりともバスケで忙しくなっちゃったし、学校も違うし、宗ちゃんは引っ越しもしたし、透は中学ん時に彼女出来て話してくれなくなったもんねえ」

がイヒヒ、と笑いながら言うなり、花形は慌てて否定した。あれは彼女じゃない! と喚いてみたけれど、ちらりと流れてきた神の視線が勝ち誇ったように見えて余計にバツが悪そうだ。

「てか暑いね〜。時間あるなら少しお茶していこうよ!」
「えっ」
「いやそれは……
「ドリンクだけならファストフードでもいいよね? ほらほら、暑いんだから早く行こ」
……花形さん、帰らないんですか」
……お前こそ」

先を行くの後ろ姿を追いかけながら、ふたりは刺々しい声を出した。お互い一緒にお茶なんてのは御免被りたかったのだが、先に帰れば残った方がとふたりで久し振りにお茶である。ただでさえ会う機会も少なかった、それを取られてたまるか。

そっちがどれだけ小さい頃から親しい幼馴染なのか知らんが、ふん、オレは「大きくなったら結婚しようね!」って約束してるんだからな。子供の戯言なんかじゃないぞ。

少なくともこっちは充分本気だ。

だからこのチャンスは逃せないんだよ。

「宗ちゃんは……覚えてないけどたぶん宗ちゃんが生まれて数日で会ってるんだよね」
「てかその『宗ちゃん』てやめてよ……
「えっ、なんでよ。家族みんなそう呼んでるじゃん」

今度は神が花形のニヤついた目に顔をそらす羽目になった。何しろ記憶がない頃から親しい仲なので宗ちゃんも已む無し。当の神もずっとちゃんと呼んでいたはずだ。しかし隣の花形は呼び捨てで自分はちゃん付けというのがどうにも居心地が悪い。

ファストフードのテーブル席は狭く、椅子も小さく、しかし静かに視線だけでの隣の席を奪い合った結果、なぜかふたりで並んで座ってしまった。はそれを見てか隣の椅子に荷物を置いてしまったので抜けがけも出来ない。狭い。腕が当たって気分が悪い。

「あれっ、宗ちゃん引っ越したのっていつだっけ?」
「オレが小学2年の時」
「そっか、そのくらいか。てかどっちもその頃にバスケ始めたんじゃなかった?」

花形と神はストローでドリンクを啜りながら頷く。花形は地域にミニバスチームが出来たので、クラスで1番背の高い自分なら絶対エースになれると思って参加。神は家と離れたことで突然近所に友達がいなくなってしまったので、親の勧めで参加。以来どちらもバスケットに夢中になってきた。

しかし方や幼小中と同じ学び舎、方や親同士がとても親しい仲。会う機会がゼロだったわけではない。それでも男女の違いがやがて気軽な親しみを奪い、中学生になってからはそれぞれの交友関係が中心の生活になり、それぞれ2〜3年は会っていなかった。

だが、「大きくなったら結婚しようね!」は遠い日の勘違いではないのである。

「てかほんと、中学くらいからモテるようになっちゃってさ〜」
「そんなこと……
「そんなこと……

しみじみと思い出を掘り返している様子のだったが、花形と神はまた視線をバチリとぶつける。はオレと話してんだよ。何お前が返事してんだ。

「いやそれどっちもだから」
「そんなことないだろ」
「オレは学校違うじゃん」
「宗ちゃんはお母さんから聞いたんだよ。チョコレートすごかったんでしょ?」
「そっ、それは……
「透もすごい量来てたよね〜。てかあの子彼女じゃなかったんだ」
「どの子だよ……

ふたりとも中学時代にバレンタインチョコが殺到していたことは否定できない。花形は直接見られているし、神は親情報。というかその頃はふたりにチョコレートをくれなくなってしまい、神に至っては父親はの手作りチョコレートをもらっていたのに自分にはないという拷問を受けていた。

まあでもそれはいい。過去の話だ。未来の話をしよう。花形はそっと身を乗り出す。

「そっちはどうなんだよ。全然会ってなかったから近況とか知らないけど」
「私は別に〜ふたりみたいにモテないし〜」

イエス!

は別にモテなくてもいいのだ。というかモテては困るのだ。

「というかはっきり記憶があるわけじゃないんだけど、透も宗ちゃんも、ちっちゃい頃って私の方が気が強いというか、引っ張るタイプだったっていうか、そんな感じじゃなかった?」

ふたりはまた揃って頷く。というかこの微妙な接点しかないふたりを強引にファストフードに連れ込むあたり、そういうの性格はあまり変わっていないように見える。気が強いというより、主張のはっきりしている子だった。なのでどちらもいつも主導権はに握られていた。

さらに今では身長がすくすくと伸びすぎてしまったふたりだが、当然幼稚園くらいの時分には大した差もなく、体を動かすのは好きだったけれど手のつけられない暴れん坊な男児ではなかったので、には何も勝てなかった。

だが、は当時から意地悪を嫌う性格で、主導権はガッチリ握っていたけれど、楽しく遊んでくれる頼れる女の子だった。なのでふたりともには子供なりに好意以上の感情を抱いていた。

それは初恋というよりは自然な感情のなりゆきで、無垢な時代を遠く過ぎた今の方がくっきりとした恋心を感じている。というかそんなちっちゃい頃に仲良しだっただけの女の子、未だに心が惹かれるなんて、これはきっと本気のはずだ。

だからあの「大きくなったら結婚しようね!」も他人のそれとは絶対違うのである。

今度は神がそっと身を乗り出した。

は受験?」
「やなこと思い出させないで〜。そんな超難関狙いじゃないけど、気が重いよね」
「どこ目指してるの」
「A大」
「えっ、ほんとに? オレそこからスカウトの話来てるんだよ」
「嘘、ほんとに!?」

花形の視線を頬に受けた神はほんのりドヤ顔だ。というか実は神はがA大を目指していることは周知の事実。親情報である。さらにスカウトの話が来ているのはA大だけではなく、B大からも来ている。まだ話は具体的に進んでいないけれど、がA大ならそっちを選んでもいい。

勝ち誇った視線を一瞬だけ隣に投げた神だったが、それで怯む花形ではない。

「A大? 音羽東の進路にしてはちょっと……
「うーん、そうなんだよねー。それはずっと言われてて、ちょっとC大も迷ってるんだよね」
「おおまじか、頑張れよ、オレたぶんC大になるぞ」
「えっ、ほんとに!?」

今度は花形の勝ち誇った視線である。しかも花形となら同期である。一緒に入学できる。

「そっかあ〜! そういうのグラっとくるな〜! うーん、どうしよ〜」

まあ、冷静に考えて幼馴染と一緒に通えるからなんていう理由で進学先は選ばないわけだが、それでもは元々A大とC大の間で迷っていた気持ちをまた揺さぶられてしまったのである。静かなる駆け引きだけでなく、気持ちをC大に向けさせた花形はしてやったりの満足気な顔だ。

だが、そんなふたりをよそに、はテーブルに肘をついてため息。

「でもさあ、新しい環境に幼馴染がセットって、どうなのかな」
「どうって……
「彼女できにくくなっちゃうんじゃない?」

はニヤニヤと楽しそうだが、花形と神は腹のあたりがモヤっとする。

それはつまり……幼馴染と一緒だと新しい環境での友達作りや恋人作りの邪魔になると言いたいのだろうか。別に新しい環境で彼女出来なくてもいいけど、はそれじゃ嫌なのか。オレが邪魔なのか。

「そりゃこっちは子供の頃からよく知ってるから色々安心だけどさ」

ニヤニヤ顔が一転、は真面目な顔である。ここで一歩リードしないわけにはいかない。ふたりとも同時にそう思ったわけだが、先手を打ったのは神だった。

「まあそうだよね、大きくなったら結婚しようねとか言ってたくらいだし」

わざとらしいまでの優しげなにっこり笑顔で神は言ってみた。思い出して、あの日の約束を。

一学年歳上なので先に小学校へ上がってしまう、まだもう1年幼稚園が残っている神は家の中でもランドセルを背負ってはしゃいでいたに言った。ぼくも一緒に一年生になりたい。はそんな涙目の神を抱き締め、学校が違っても大丈夫、大きくなったら結婚しようねと言ってくれた。

あの時の気持ち、なくしてないんだよ

――と感極まっていた神だったのだが、

「言ったね〜! やばい、懐かしいー! 透にも言ったよねー!」

顔を覆って呻いている、神がサッと隣を見ると、不機嫌そうな顔の花形がため息を付きながら頷いている。どちらも自分だけの思い出だと思っていたし、遠い日の約束が隣の相手より一歩先を行く手段に出来ないことが判明したのでショックだ。

「オレは……小学校入ってすぐくらいか」

同じ幼稚園から進学したのは全部で8人くらいだったはずだが、なぜか同じクラスになったのは花形とだけで、とにかく最初の2ヶ月くらいはずっと一緒に過ごしていた。それを同じクラスの子たちにからかわれたのだが、それでも一緒に下校しつつ落ち込む花形の肩をはポンポンと叩き、いいじゃん、大きくなったら結婚しようよ! と言ったものだった。

ほぼ同時期だ。に初めてふたりの冷たい視線が注がれる。

まあそれもよしとしよう。子供の頃の話だし、そんなの言葉に勇気づけられたことは変わらない。問題はこれからの話なのだから、昔の話はもういい。

「ま、まあ、子供の頃の話だしな」
「たぶんね、お嫁さんとお姫様がごっちゃになってたんだと思う」
「そういやお姫様ごっこ好きだったもんな」
「だから結婚すればお姫様になれると思ってて、それで言ったんじゃないのかな」

バカだよね〜! とは恥ずかしそうに身悶えしているが、別に言うほどの勘違いではないのでは。というかオレかなり身長高いし毎日鍛えてるからドレス着たくらいお姫様抱っことか余裕なんだけど。がそうして欲しいっていうなら王子様になってもいいよ。

と、またふたりは同じことを考えていたわけだが、恥ずかしい余り顔が赤くなっているはドリンクを啜ると、はーっと息を吐いた。

「たぶんシンデレラとかのイメージだったと思うんだけど、男の子がいないとドレス着られないんじゃないかと思っててさ、とにかく男の子捕まえとかないとって思ったんだと思うんだよね。ドレスをねだっても親が買ってくれるわけもないし、お姉さんになった時に男の子がいなかったらドレス着られないのかもって。だから何も考えずに」

そして申し訳なさそうに眉を下げると、ちょっと肩をすくめた。

「だからたぶん、他に何十人も同じこと言った気がする」
「は!?」
「は!?」
「あはは、バカだよね〜!」

なんじゅうにん……。つい我を忘れて声高に突っ込んでしまったふたりだったが、落ち着け、その何十人の全員が自分のようなピュアな幼心を大事に抱えてきたというわけでもあるまい、大丈夫、そんなしつこいやつはきっと隣のこいつだけだから大丈夫、勝てる。と同じことを考えた。

幼小中と合わせて10年以上毎日一緒だった、勝てる。――と思っている花形。
生まれた時から一緒で親も親しい、勝てる。――と思っている神。

はそんなふたりの闘志に気付くこともなく、またニヤニヤ顔で頬杖をついた。

「それだけ言いまくったんだからさ、誰かひとりくらい本気にしてくれるといいんだけどね」

ふたりきりだったなら今すぐ「オレは本気にしてたけど」と言ってしまえたのに。

はジャンプボール。今まさにレフェリーの手から離れて高々と放り投げられたばかり、先にタップした方が有利だ。タイミングを見誤ってはいけない。焦りすぎても様子を見すぎてもダメ。負けるわけにはいかない。

微妙な接点しかないふたりの間に、新たな戦いの火蓋が切って落とされた。

END