プレシャス

前編

一昨日、事務所へ行く途中に、さんに会った。

さんに会うのは久しぶり。家は近所だけど、年も離れているし、お父さんのお葬式で会って以来だと思う。あの時、喪服に身を包んださんが静かに肩を抱いてくれたっけ。さんのしなやかな腕がギュッと絡みついて、悲しいんだけど嬉しかったのをよく覚えてる。

だから、かなり久しぶりだ。もちろんさんは、私が変に有名になってしまっている事を知っていたし、お互い話したい事はたくさんあったのだけれど、さんは仕事の途中だというし、私も呼び出しが来ていたから、2人揃ってどうでもいい事をまくし立てた。

そんな風に私達が焦っていると、横から物騒な声がして、途端にさんの頬が強張った。無理もない、吾代さんだ。190センチあるという長身にあの強面では、仕方ないのだけど。

「おい、探偵」

私にとってはいつもの吾代さんなのだけれど、慣れないさんにとっては、チンピラみたいな大男が私に絡んできたように見えたんだろう。さんはものすごい速さで私の腕を掴んで歩き出した。

「ヤコちゃん、よくある事なのかもしれないけど、気をつけてね。ああいう変なの、相手にしちゃダメだよ」

さんは真剣だった。笑ってはいけないと我慢するほど堪えきれなくなってしまって、私は吹き出した。さんはきょとんとしている。振り返った先の吾代さんは、真っ赤な顔をして色々なものと戦っている。違うの、違うのさん、あの人はね。

「ごめんなさい!!」

さんは、体を2つに折り曲げて私と吾代さんに謝った。私はまだ笑いが止まらなくて、隣の吾代さんに叩かれるんじゃないかっていうくらい笑ってた。昔の吾代さんなら、怒鳴り散らしてそれでお終いだっただろう。でも、これでも丸くなってしまった吾代さんは歯を食いしばって耐えている。

「おい、探偵、俺は先に行ってるからな」

キレるほどでもないし、とんでもないですよと和めるわけもない吾代さんはプイと踝を返し、事務所と反対方向に去って行ってしまった。先に行くってどこへよ? 用があったんじゃなかったのかな。

「びっくりさせてごめんね、さん」
「ううん、いいよそんな事。見た目で判断しちゃって悪い事したなあ」

うん、見た目は怖いもんね。私は慣れたけど、怖いって言う事自体は変わらないもんね。そりゃ、さんだって勘違いするよ。吾代さんも、けっこういい人なのに、この点だけは損だなあ。さんみたいな人と知り合えるチャンスもこんな風にフイになってしまう……と私は勝手に納得していたんだけど。

「見た目は怖そうな人だけど、素敵な人だね」
「はい!?」

吾代さん、こんな反応しちゃってごめんなさい。だけどね、探偵業だけに絞っても、私の周りには色んな男の人がいて、その中でも吾代さんていうのは、モテない部類に入ってしまう人なわけで。

「ヤコちゃんはああいうタイプはダメ?」

さんはニコニコ、楽しそうに笑ってる。ダメとかダメじゃないとかそういう問題ではないんだけど……私は答えに詰まった。吾代さんというのは、私にとっては面倒見がよくて、ちょっと抜けた所もある気安い先輩のような人だから、タイプだのなんだのという話を前提にされてしまうと、答えようがない。

「え、、さんは、タイプなの?」

本当に、恐る恐る聞いた。

「うん、そうね、いいなあ、ああいう人」

さっきは、「ああいう変なの」って言ってなかったかな、さん。

「スタイルいいし、ちょっとワイルドだけど、そうね、どこかかわいい所があったりしそうな」

しかし読みは的確だ。さん、探偵に向いているかも。

だから、つい、言ってしまった。

「しょ、紹介しようか……?」

さんは、少しはにかんで首を傾げながら手のひらをパタパタと振った。今、会ったばかりじゃない。そう言って。それもそうだ。だけど、私はこのまま終わらせてはいけないような気がして、仕方なかった。モテないモテないって連呼しちゃ悪いのはわかってるけど、でも、吾代さんにとっては千載一隅なのかもしれないし、普段ネウロにこき使われていながら給料以外損してばかりの彼に、少しでも恩返しが出来ると思うから。

「じゃ、今度事務所に来て! 吾代さん、呼んでおくから!」

ネウロに許可なくこんな事をして、という不安はもちろんあった。だけど、引き合わせてしまえば場所なんてどこだっていいんだ。うまく2人が再会できたらそれで。

「あァ!? なんでだよ行かねえよ!」

吾代さんの拒否は当然だ。この間のお姉さんが遊びに来るから、吾代さんも来ない? そんな誘いに2つ返事で頷くわけはない。かといって、それはさん自身を拒否しているとは限らない。電話越しだし、この際だから、容赦なく突付いてみる。

「でも、吾代さん、クリスマスやバレンタイン、寂しいでしょ」

吾代さんが音もなく固まるのが判る。さんの読みではないけれど、この人は外見から来る威圧感とは裏腹に、とてもシンプルで素直、そしてどこか少年のようなあどけなさも併せ持っている。お膳立ては、こっちが整えてやればいい。あくまでも、私が強引に引き合わせたみたいに装えばいい。

「それでなくてもネウロから催促来てるし、近いうちに来てくれると嬉しいな」

たぶん、いや絶対、吾代さんは来る。賭けてもいい。

「ホラよ、催促の品だ」

本当に来た。ダンボールいっぱいの書類を抱えて、しかも、よく見たら靴がピカピカの新品だった。笑っちゃいけない。耐えるんだ私。吾代さんに幸せになってもらいたいだけ、本当にそれだけ。

ネウロは少し怪訝そうな顔をしたけど、ダンボールに詰まっていたのは本当に謎の可能性を秘めたものであるらしく、黙って吟味を始めた。私の正面にどっかり座り、足を組む吾代さんの靴はやっぱりテカテカと輝いていて、私は直視しないように努めた。

「ありがとね、吾代さん。さんももうすぐ来ると思うから」

吾代さんはくわえたタバコを盛大に吐き出した。勢いむせ返って、また真っ赤な顔をしながら、立ち上がってしまう。あの長い足で競歩並みのスピードで歩き出す。まずい、逃げられる!

「待ってよ吾代さん! なんで帰っちゃうの」
「うるせえ! 用はもうねェからだ!」

間違っても「じゃあ、その新品の靴は何」と突っ込んではいけない。必死で吾代さんの腕を掴んで引き戻そうとするけど、力で敵うはずはない。私はズルズルとドアの方に引きずられていった。

考え直して吾代さん、こんなチャンスもう一生巡って来ないかもしれないんだよ!

「あ、こんにちは」

静かな音を立てて、事務所のドアが開く。急ブレーキをかけたみたいに停止する私と吾代さんの目の前に、はんなりと立つさんが現れた。間に合ってよかった!

「先日は大変失礼を……。これ、よろしければ皆様で」

さんの手には、この辺りでは定番の王美屋の箱。うわあ、どうしよう、フルーツケーキ、しばらく食べてないよ。さんは私がここのケーキ好きだって知ってるから、買って来てくれたんだろうな。さんてホントに優しくてキレイで素敵な人。吾代さん、固まってる場合じゃないよ!

「わあ、ありがとうさん! 吾代さんも頂こうよ」
「イヤ、俺は……

ええい、どうしてこう変な所でシャイなんだアンタは。そう裏拳で勢いよく突っ込みたかったけど、その必要はなかった。吾代さんの必死な顔を見たさんが、思わず泣き出しそうな目をしたからだ。ウッ、と小さく喉を詰まらせて、また吾代さんが固まる。いいぞさん。

その時、私は一瞬いやな気配がして振り返った。ドア口で一進一退になっている私達の後ろに、いつのまにかネウロが立っている。顔は、営業用スマイルだ。さんに危害を加える心配はないらしい。

「おや、先生のお客様ですか。大変申し訳ないのですが、先生は仕事がありまして」

ネウロの手には一枚の紙が握られている。謎が、あったらしい。先生の助手です、なんてニコニコしながら挨拶しているけれど、その後姿はさっさと行くぞ、と言っているに違いない。でも、これはまたとないチャンス! 私が間に入って2人と話が出来ればと思っていたけれど、いきなり2人っきりだ。

きっと吾代さんは、ネウロに便乗して逃げ出したいと考えているに違いない。でも、それは出来ない相談というもの。私は吾代さんとさんの手を掴んで、ぐいっと事務所の中に引きずり込んだ。

「じゃ、ごゆっくり! ネウロ、行こっか」

そう言った時の、吾代さんの憤怒の形相が忘れられない。