暮れの牡丹

年が暮れ、除夜の鐘が新年の訪れを否が応にも感じさせる、12月31日深夜。

毎年毎年、年の終わりに年の初めくらいは静かに過ごしたいと願うのだが、望むような静寂に包まれて過ごせた試しがないのは、一体どういうわけだろうか。西洋文化に汚染されきった日本では、年明けの乱痴気騒ぎが報道されなくなってしまったくらいだから、それも世相なのは判る。だが、一個人の家庭内でもそうかと言ったら、それは否であるはずではないだろうか。

そもそも街灯すら覚束ない田舎の借家に逃げてきたのは、仕事がないのなら、静かに新年を迎えたい…ただそれだけのためだった。数年前に借り受けたこの借家は、和室が2間に台所、引き戸の玄関に縁側という素朴な造りで、とても気に入っていたのだ。

ああ、今年は静かに年の瀬を過ごし、新年を迎えてゆっくり休もう。確かにその通りに事は進んでいたのだ。12月31日の夜、8時までは。

「いよーっす五エ門~!」
「五エ門やっほー!」
「邪魔するぜ」

私の静かな年の暮れを邪魔したのは、この3言。

何を考えてこんな田舎家を選んだのかは判らない。だが、ルパンと次元にくっついて、までやって来た。しかも、まだ年は明けていないと言うのに、晴れ着を着込んでいる。晴れ着は晴れの場で着るものであるからして、祝日である元日に着るのが通例である…などと言う事を諭す間もなく、3人は上がりこんで来た。

「ねぇねぇ、似合う? ルパンに買ってもらったの」

は、中振りをひらひらと振って見せた。薄黄地に橙の牡丹が鮮やかで、確かに綺麗ではある。しかも牡丹には邪気を払うという民間伝承もあることから、正月の晴れ着としては悪くない選択と言えるだろう。本来は春の花だが、冬に咲く種もある。しかし、だ。それを12月31日に着てくるくる回っているに判っているはずがないと思うと、素直に誉めてやる気にはなれなかった。しかも、ルパンからの贈り物なら盗品の確率は7割を越す。

「あ、お前俺が盗んだと思ってるだろ。ちゃんと買ったんだぞ」

顔に出ていたのか、ルパンが横から割り込んでくるが、それは至極当たり前の事だ。

「似合わないかなあ……
「あ、いや、そんなこ……
「なーに言ってんだよ、似合うに決まってるだろ。俺が選んだんだからな」

ルパンの一言で、の頬が緩み、表情が輝く。

「馬子にも衣装ってか」
「ひっどーい! 次元に和服の良さなんて判らないでしょ」

次元の失礼な物言いがをもっと楽しくさせている。

だから、少々不本意ながら、言ってしまうのだ。

「よく似合っているよ、。一足早く正月が来たようだ」

は、この上なく嬉しそうな顔をしてにっこりする。

そして、有無を言わさず始まってしまった酒宴にも、不機嫌な顔をして座っているわけにはいかなくなってしまったという訳だ。3人によって持ち込まれた酒とつまみが座卓に山と積まれ、そして3時間。

そう、確かににとっては行き過ぎた酒の量だっただろうとは思う。だが、それを止めなかった私も悪い。煽ったルパンと次元はもっと悪い。結果、は酩酊し、少し呂律の回らない舌で何か呟いた後、空になった湯のみを手にしたまま、私の方へと走った。

「ゴエモーン! もう無くなっちゃった~!」

倒れて頭でも打っては大変、と、両手を伸ばすが、伸ばした私の腕の間をすり抜けて、は私の膝へと落下した。せっかく綺麗にまとめた髪が綻びを見せ、過ぎた酒はの頬を朱に染めている。

正直言って、目も当てられない。私の膝の上で気持ちよさそうに眠り始めるに誘われたのか、ルパンも次元も次々と視界から消えていった。2人の耳障りないびきが聞こえ始めるまで、5分とかからなかっただろう。

静かに、心安らかに、穏やかに過ごしたいと願った年越しは、3人の酔っ払いの中に取り残されるという形で迫っていた。付けっ放しのテレビからは、これまた耳障りな嬌声。私は盛大にため息をついて、リモコンを手にした。

少し、やけになっていたというのもあるだろう。それに、苛立ち紛れにを跳ね除け、いびきの中に残していくのは忍びない。どうあがいても、この祭の後の中に居なければならない。私は、目の前に残っていた日本酒を掴むと、無理矢理喉に流し込んだ。

喉を焼く酒の熱、体を蝕む酔い、それが過ぎ去ってゆくのを、私は最後まで感じられなかった。

年が変わる間に108の煩悩を打ち消すという、除夜の鐘。どこか遠くの社から打ち鳴らされるであろうその鐘の音に身体を震わせたのは、眠りに落ちてしまってからどれだけ経った頃だっただろう。とにかく私は、を膝に乗せたまま、眠りに落ち、かすかな鐘の音に意識を取り戻した。

目をこすりながら辺りを見回すと、ルパンと次元の姿が消えている。慌てて探さずとも、あの2人なら何も問題はないだろうが、極限まで散らかった居間とをそのままにしていってしまった事に、私は少し苛立った。

こんな何もない田舎にいても、は面白くないだろう。テレビをつけても、都市部より少ないチャンネルが地域の話題を映し出すまでだ。腹が減っても、1時間の徒歩を覚悟しなければ食事にはありつけない。それを帳消しにするほどの景観があるかと言えば、それもまたそうではない。退屈な森林と畑があるのみだ。

断続的に鳴り続く鐘。それはまだ年が明けていない事を意味する。私が眠ってしまっていたのは、ほんの僅かな間だったようだ。時計を見上げると、新年までに残された時間はあと15分もない。

少し眠ったお陰で冴えた頭と、今すぐにでも布団に潜り込めそうな身体を抱えて、私は膝の上のを見下ろした。軽い寝息を立て、ほんのりと頬を染めている。和服である事は、おそらく意識の中には残っていまい。縮めた身体に帯が皺を寄せている。

はしたない、だらしない、嫁入り前の娘が何という醜態を。そう叱り付けたい。乱れた着付けを1人で直せないなら、和服など着るものではない。そう諭したい。西洋文化に染まった世の中にいて、むりやり和に回帰する位なら、いっそ何も知らないままでいい。そう説きたい。

けれど、あれだけ望んでいたはずの静寂の中にいて、の寝息を耳に、1人言葉もなく佇んでいる。

何事か口を動かしては寝言を言うの後れ毛を、そっと指で掻く。

私は、何を苛立っている? 何をそんなに切望している?

今ここに、何よりも静かで穏やかで、緩やかな年越しが迫って来ているではないか。を膝に乗せていると言う事は、もちろん予定外の事だ。だが、それはそんなに煩わしい事だったか? 部屋が散らかっている? そんなもの、目を閉じれば見えないまやかしの、鐘に消されて行けばいい些細な事ではないのか?

自分でも判らない心のささくれに逡巡している間に、時計の針は頂点を目指して走り続けている。

無邪気な、可愛らしい、私たちの大事な

何の不安も抱かずに眠るを膝に、ただ心を安らかに新年を迎える。それは悪い事ではない。

時計の針が、勿体をつけたように12時を差す。しばしの間があって打ち鳴らされる、108つ目の鐘。

を愛しむという、気持ち。それだけを残して、除夜の鐘は私の煩悩を全て断ち切っていった。だが、残った気持ちは断ち切らねばならない俗なものではないと、そう思う。108もの人の業の中にあって、大事に守ってゆくべきものだ。

例え私やルパンや次元が、人の道ならぬ事に手を染め足を踏み入れていたとしても。

その世界に紛れ込んできたという存在が、その中にあっても穢れないままであるように、私たちも。

私の指をむずかるを見下ろして、そっと呟いた。

「新年、あけましておめでとう。今年も……よろしく、

「たっだいま~! いやあ、コンビニまでの往復がこんなにかかるとはな~」
「うへぇ~寒い寒い! 呑んであっためねぇとなんねぇな」

年が明けて5分でルパンと次元が戻って来た。底をついた酒を求めて出かけていたらしい。

「つーかさ、さっきから思ってたんだけっどよ、五エ門、ずるくねえ?」
……何がだ」

ルパンは無造作に巻いた襟巻きを解きながらにじり寄る。

「着物買ってやってキレーにしてやったのに五エ門の膝かよ」
「どういう意味だ。これは偶発的な出来事に過ぎ――

大人気ない事を言い争う私たちの声に、は身をよじる。起こしてしまったか、と、慌てて声を潜めるが、はもう、目を覚ましてしまったらしい。私の手にすがって身体を起こし、目を瞬かせる。

……年、明けちゃったの?」

部屋が眩しいらしいは、薄目を開けて言う。私たちは、ただ無言で頷く。

そうして、私の膝を離れていったは、もぞもぞと佇まいを直し、きちんと膝を折って正座をする。あちこちから飛び出したままの髪を、耳にかけ髪飾りに挟み込み、どうにか整える。おそらく、まだ眠気が残るのであろうこめかみを人差し指で突くと、にっこりと微笑んだ。

「あけまして、おめでとう! 今年も、よろしくお願いします!」

無邪気な、可愛らしい、私たちの大事な

何も迷う事無く、私たちは返した。「あけましておめでとう、こちらこそよろしく」と。

そんな私たちに満足したらしいは、両手を差し出して、満面の笑みで続けた。

「お年玉、ちょうだい!」

END