夜明けまで

「なんか腐りそうだからどこか連れてけ」

そんなの一言で、レノは今借り物のバイクに乗って走っている。夕闇が落ち始めて紫に染まる空の下を、レノは後ろにを乗せて延々走り続けている。少しだけなら、面倒くさくも思いながら。

「どこかって、ていうかお前酔ってんな?」
「酔ってない。まだ1本目」

仕事終わりにルードと安酒を飲んでいたレノを急襲したは、普段より荒々しい口調でそう詰め寄った。1本目とは言うが、その単位が果たしてグラスなのかジョッキなのか、はたまた缶なのか瓶なのかピッチャーなのかは不明だ。酔ってないという説明とするには、いささか根拠に乏しい。

「あのな、今おれはルードと呑んで――
…………行って来い」

腐りかけの酔っ払いの相手など御免蒙りたかったレノだが、ルードはこれまた面倒くさそうに右手をひらひらと振った。レノがうんと言うまでこの酔っ払いが引き下がらないのだとしたら、それはそれで大変に面倒だからだ。相棒をさっさと売り払うとは友達甲斐のない奴め、とレノはルードを睨んだが、サングラスの下に隠された瞳の色は簡単に伺えそうもなかった。

「ごめんルード、ちょっと借りるね」
「1つ貸しな」
「埋め合わせ、何がいいか考えといて」

当人を無視してとルードは契約を交わしてしまった。おい、いつおれはお前らの共有財産になったよ!

「ったく……しょうがねえな、と」
「私バイクがいい。借りて来て」
「おれはお前のパパか!? わがまま言うんじゃねえよ」

とろんとした目のにレノは火を噴きそうな勢いで怒鳴り、ルードは顔を背けて笑いをかみ殺していた。

殺風景な景色の中を、ヘッドライトが煌々と照らしている。渋々バイクを調達してきたレノは、を後ろに乗せると行き先も決めずに走り出した。そもそもは「どこか」と言っただけで、場所の指定はしていない。少しビビらせてやるつもりでスピードを上げたが、は黙ってレノの背中にしがみついている。

可愛くねえ女だな、ほんとに。

いや、見た目が可愛くないわけじゃねえんだが……とレノは自分の考えを訂正する。そう、確かに外見に限って言えばは可愛い女だ。ちょっと可愛いなんていう程度のものではなくて、結構、いやかなり可愛い。大人であるから、美人だと言った方がいいのだろうが、美人というよりは可愛い。それがだ。

そんな女がぎゅうっと背中にしがみついていて、闇の落ちる世界でバイクに跨り2人きり。それを少しなら嬉しいとも思う。だが、少しでも乱暴なコーナリングでもしようものなら、レノの腹で組み合わされているの拳がみぞおちにヒットする。そんなところが可愛くない。

「きゃあ怖い、やめてよ、もう!」とかそのくらい言えよな!

しかしそれも寒いとレノはまた自分に訂正を入れる。にそんな花も恥らう乙女を期待する方が悪い。

「でー? どうすんだよ、このまま走ってりゃいいのか!?」

2人がミッドガルを出てからもう1時間近くが経つ。ただ走っているだけが飽きてきたレノは吹きすさぶ風の中で声を張り上げた。カーム南の山に沿うように走っていて、このまま行くとグラスランドに突入してしまう。その声に顔を上げたは、しがみついた体をそのままに、レノの耳元でやはり声を張り上げた。

「海! 海行きたい!」
「はあ!? 今どこだと思ってんだ!」

レノが怒鳴ったように、今2人がバイクで走っているのはカームを南東に下ったあたりで、縦軸で言えば大陸の真ん中あたりになる。バイクでたどり着ける海に出るには東西南北どちらの方向に行くにしても相当な時間がかかる。だが、怒鳴るレノに対しては沈黙で答え、海以外の選択はないと言っているようだ。

「なんなんだよ、一体……

背中にぴったりと添う。レノはその体温を感じながら、ぼそっと呟いた。

「ほらよ、海だぞ、と。これでいいかお嬢さん」

結局レノはミッドガルからカーム、その先へと直線を保って走り、ミッドガルとは反対側の海岸までやってきた。ミッドガルを出た頃はまだ宵の口だった時間も、すっかり深夜だ。レノはもうすでに2度ほど欠伸をした。

「いいねえ、海は。酔いなんかすっかり醒めちゃった」
「そりゃどうも、と」

停めたバイクにゆったりともたれたに並んで、レノはまた欠伸をする。潮風に掬われて2人の髪が揺れている。真っ暗な海岸は砂浜が星明りを反射し、細い月が照らすだけの寂しい場所だ。ビールでも持ってくればよかったと後悔したレノの隣では、が静かに海を眺めている。

「よお、なんかあったのか?」
「言ったじゃない、腐りそうだって」
「理由になってねえよ……

よりもむしろレノの方が腐ってしまいそうな顔だ。しかしは明確な理由を答えない代わりなのか、レノに寄りかかった。そしてそのせいで触れた手に、指を絡める。

……今日はずいぶん甘えてくるんだな、と」
「腐りかかってるからね」
「それにしたって、もうちょっと素直な甘え方ってもんがあるだろ」
「何それ、口説いてるの?」

仕事がハケて相棒と楽しく呑んでいるところを邪魔され、バイクで海まで連れてきたというのに、理由も解らず甘えられたのだ。何も詮索しない代わりに口説くくらい、それこそ可愛いものじゃないか。レノはの指が絡んだ手を持ち上げて唇に寄せ、意地悪く微笑んで見せる。

「それ以外に何があるってんだ?」

冗談でかわしたつもりのは、レノの言葉に戸惑った。持ち上げられたの手はすっかりレノに捕らえられていて、人差し指は彼の唇に触れたままだ。吊り上がり気味の目はいつになく真剣で、言葉が冗談ではない事を物語っている。口説く以外にどんな目的があるというのだ、この2人きりの海岸で。

「色々とあるんでしょう、どうせ」
「ほんとに可愛くないね、お前」
……誰のせいだと、思ってるの、よ」

反抗的な態度を崩さないに、レノは強引に唇を押し付けた。素直に思っている事を言うわけでなし、思うままにレノを翻弄しては責任転嫁までしてくる、この可愛くて可愛くないの唇を強引に奪った。

……やっとキス出来たな、と」

唇が離れるなりレノはそう言い、直後ドスッという鈍い音と共にの拳がみぞおちにめり込んだ。

「ちょ、お前何――
「うるさい! 何がやっと、よ。今のは『出来た』んじゃなくて『勝手にした』って言うのよ」
「うるさいのはお前だ! おれにとっては『やっと』なんだぞ、と」

今度は横脛を蹴られた。レノは短く呻くと、の腕を掴んで引き寄せ、再び強引に抱き締めた。じたばたと暴れるだが、仮にもタークスであるレノの腕から逃れられるわけもなくて、もぞもぞと動いている。レノは暴れるの頭を押さえつけて、ゆっくりと言う。

「可愛くない事ばっかり言いやがって、お前、いつになったらおれの女になるんだ?」

ルードも込みで、仲は良い。3人で呑む事も珍しいわけではない。知り合ってからの時間も決して短くはない――というのに、レノとの関係だけがいつまで経っても中途半端なままで、レノにの心は見えず、ただ自分を騙しながら待っていたというのに。

いい加減素直になって、おれのものになれよ、

……いつまで経ってもならないわよ、そんなもの」
「そんなものって……

レノの腕の中では唇を噛む。そして、冷たい言葉に気が抜けたレノの耳元で、叫んだ。

「私1人だけが好きだって、私の他にちょっかい出してる女なんかいないって言うまで絶対にならないから!」

渾身の絶叫がレノの耳を直撃して、キーンという甲高い音を立てる。その衝撃と痛みで、レノは思わずから身を引いた。しかしもちろん言葉の意味はちゃんと解っているから、しかめっ面のに両手を広げてみせる。だったら最初からそう素直に言えばいいものを。

本当に可愛くない女だよ、と。

「ちょっかい出してる女なんていねえよ、お前1人だけが好きなんだよ、そのくらい判れよ、と」

広げた両腕の中にが飛び込んでくる。レノはその身体をしっかりと受け止めてやわらかく包む。やっと、やっとを手に入れた。その安堵感でいっぱいになりながら、レノはつい欲を出す。

「なあ、その、帰らねえか。おれの部屋、来ないか」

深夜だけど、飛ばせばまだ間に合う。夜は簡単に逃げていったりしないから、夜が明ける前に……

「夜明けのコーヒーって?」
「まあ、そういう事だな、と」

にやにやしているに、レノは肩をすくめて見せる。安直でもムード台無しでも、何でもいい。こんな何もない砂浜にいるより、空調で乾いた部屋で抱き合っていたかった。しかしは先ほどのレノのように意地悪く口角を吊り上げる。

「やだ。今日は夜明けまでここにいたい」
「おいおい、夜明けまでって、あと何時間……

深夜だが、日が昇るまでにはまだ何時間もある。げんなりしたレノだったが、は引き下がらない。

「いいじゃない、どっちにしろ、夜明けのコーヒーは2人で飲めるんだから」

やっぱり可愛くないぞ、と。

しかしレノはふうとため息をついてから改めてを抱き締めなおす。さんざ待たされたのだ、今更数時間延びたって大差あるまい。の言うように、今日は夜明けに自販のコーヒーでも我慢しておいてやる。

「わかったよ。けど次はおれの部屋で夜明けまでだからな」

レノはの返事も待たずに、もう一度キスした。

END