午後1時の理由

前編

日々拡大してゆく《エッジ》の一角、大通りから少し外れた場所にある大きな食堂。レストランとかバーとかカフェなんていう呼び方よりも、食堂、という名前がぴったりの店だ。だだっ広く、テーブルは不規則に置かれ、いつでも騒がしい。安さが売りの大衆向けであるから、客層もそれなり。

ただこの店が他と違うのは、可愛らしい女の子を多くウェイトレスとして雇っている点だ。

店主は女性なので、店主の楽しみのためではない。エッジに次々とビルを築いてゆく労働者たちを当て込んでの事だ。もちろんその他の客だって歓迎しているが、従業員にもメニューにも女性や親子連れを惹き付けるものは何もない。それでも繁盛しているのだから、店主の策は成功しているという事だろう。

この店でアルバイトを始めてそろそろ半年が経つも、それは承知の上だ。

スタミナメニューと若い女の子が売りの食堂だが、制服がミニスカートという事はないし、縦にも横にも大きい迫力の女性店主は客が従業員に手を出す事を絶対に許さない。ほんの少し手を伸ばして腕に触れただけでも、店の外まで吹っ飛ばされる。もちろん、素手の片腕1本で。

そんなわけで、この店は職を求める若い女性にとっては大変に有難い職場であり、客の方にしても目だけで楽しんでいる分にはとても快適な店なのだ。さらに料理が旨いとくれば、言う事はないだろう。

ちょうど昼時、今日も店は大いに賑わっている。

「おう、いつものくれや」
「お客さんのいつものなんて知りませんよ」
「常連面してんじゃないよ、ウチの子達はあんたの彼女じゃないんだよ」

顔に見覚えはある気がするが、その汗だくの客のいつものオーダーなど知らないはさらりと返し、店内を巡回している店主がすかさず止めを刺す。いくら体力自慢の男達でも、店主の迫力の前には赤子も同然、おとなしくオーダーを呟いた。

が客の「いつもの」を覚えていないのには理由がある。

幸いにもこの店は大繁盛しているので、決まって昼時にやって来る客の顔とオーダーが一致できるほど暇ではないのだ。逆に、早番で早朝から仕事についている女の子達は「いつもの」オーダーを取る事も多いと聞く。昼を過ぎた時間など、夕食時を挟む時間帯も同様だ。

そして、基本的にシフトが午前10時から午後6時までであるは、昼時の客などいちいち覚えていられない。これが午後3時にやって来る客ならまだ覚えていられるのだが。

「ママ、今度『いつもの』っていう名前のメニュー作ろうか」

従業員たちから「ママ」と呼ばれて慕われている店主は天井に顔を向けて大笑いした。

「いいね、前の日の残り物だけでてんこ盛りになったプレートにしてやろうか」

遠慮なく大声で言うママの言葉に、周囲にいた客たちは金輪際昼時に「いつもの」などと言うまいと固く心に誓う。このママという人物はそうと決めたら「残り物てんこ盛りプレート」も本気でやりかねないからだ。

そんなママとのやり取りがあったせいかどうかは判らないが、とにかく今日のランチタイムは無事に終わった。レジのモニタを覗き込んだママは、「165」と言ってにやりと口元を歪ませた。午前11時30分から現在の時刻までの客の総数だ。昨日は131人だった。時間は、午後1時まであと5分というところ。

ママが目安として決めている午前11時30分から店は突然混みだし、その1時間15分後にはまた突然空き始める。そして遠くから金属を打ち鳴らすような音と男たちの逞しい怒鳴り声が響き始める。たち昼シフトの女の子たちもホッと一息つくところだ。

「ちわーす。もう余裕あるかい」
「いらっしゃい、ちょうどみんな引けたところだよ。好きなところ座んな」

レジでモニタを眺めていたママは、広い入り口を通ってきた客に愛想良く応えて店内を指した。ママは不遜な物言いをしない客には優しい。近くにいたを手招いて、オーダーを取るように促す。だが、何かを思いついたらしく、背を向けて歩き出した客に向かって静かに声をかけた。

「あんた、神羅の人じゃなかったかい」
……ああ、そうだよ。ここは神羅お断りか?」

ママの油断のない鋭い目付きには足を止めた。ママが「神羅お断り」と言った記憶はないが、「神羅が好き」とも聞いた覚えもない。ママがダメだというなら客は早々に追い出されるはずだ。は遠巻きに様子を見る。この「神羅の人」はどうなるのだろう。

「ウチの女の子達にちょっかい出さないで、ちゃんと金払ってくれるんなら関係ないね」
「そうかい、そんなら心配するこたねえよ。神羅の人間は意外と紳士だからな、と」

ママがその客をどうして神羅の人間だと見破ったかは判らないが、どうやら品定めをしていたようだ。口の聞き方は労働者たちと変わらなくても、どこか飄々として静かなその客はママのお眼鏡にかなったらしい。長く背中で揺れる真っ赤な髪をちらりちらりと見ながら、はその客の後を追った。

「何にします?」
「この店は初めてなんだ。そんなにすぐ決まらないよ、と」

赤毛が目に眩しいその男は、透明なビニールのテーブルクロスの下に挟まっているメニューを見ながらへらへらと笑う。がミッドガル崩壊後に「神羅の人間」だと言う人を見たのはこれで2度目だった。もっとも、1度目はまったくの自称で、しかも虚勢を張るつもりが逆に袋叩きになっただけの愚か者だった。

この男は本当に神羅の人間なんだろうか。はそんな事を考えながら、黙ったままオーダーシートを手にしている。この混沌としたエッジには確かに神羅嫌いもいるだろう。だが、こちらも未だ混乱が続くカームからアルバイトのためにエッジへ出てきただけのにとって、神羅はよく判らない事の方が多かった。

「お客さん、本当に神羅の人なの?」

ママがいるという安心感からか、この店の女の子達は客に対して物怖じしない。もちろん、ママがいるという事は客に対して失礼も出来ないという事だが、基本的にママは従業員たちに甘い。は思った事をそのまま聞いてみた。神羅って、あのボロボロのビルの事じゃないの?

「お嬢さんは女将と違って神羅が嫌いか?」
「嫌いも何も、よく知らない」
「そうか、まあおれは神羅の人間だからな。いいとも悪いとも言えねえわな」

男は自嘲気味に笑った。それをどう受け止めればいいのかと逡巡したの後ろから、同じアルバイトの女の子が割り込んできた。生まれも育ちもミッドガルのスラムだったという女の子だ。

「私は嫌いよ、神羅なんて。いい事なんて1つもないに決まってるわ」
……そりゃ悪い事したな」

逆上させてしまうのではないかと冷や汗を流しただったが、男は真面目な顔で言う。神羅嫌いだという女の子はふんと鼻を鳴らしてさっさと厨房へと帰ってしまった。が気まずさを感じながら男の方に向き直ると、男は窓の外を見つめながら、呟いた。

「神羅がどういうものか、判ったか?」

きっとこの男は2度とこの店には来ないだろう。そう思いながらも、は正直に答えた。

「判ったのは、あの子が神羅嫌いだっていう事、それと、お客さんは意外と紳士って事くらいかな」

知らない事は想像してまで言いたくない。そんなの言葉に、男はにっこりと微笑んで見せた。

食事を終えて帰っていった男のテーブルをが片付けていると、厨房を挟んだカウンターでアルバイト仲間達が騒ぎ始めた。どうやら先ほどの神羅嫌いの女の子が中心になって神羅への恨みつらみを愚痴っているようだ。は片付けをしながらそれをこっそりと聞いている。

「私知ってる。あの制服、タークスよたぶん」
「タークスって何よ? 別に神羅なら何だって同じじゃないの」
「私、従姉妹が7番街にいたのよ……絶対に許せない」

にはまったく意味が解らない。タークスって何だ? 7番街とはかつてのミッドガルの街だろうが、それがどうしたというのだ。トレイに食器を全て載せ、は厨房へと向かう。通り過ぎざまに神羅嫌いらしい女の子たちがの腕を掴んで止めた。

「ちょっと、あんなのに何まともに接客してんのよ」
「まともにって……そりゃそうでしょ」
「はあ? 神羅の人間なのよ?」

そう言われても、である。は反論のしようがなくて肩をすくめて見せる。

「カームの人間に言ったって無駄よ、私達の気持ちなんて解るわけないじゃない」
「ああ、そうだったっけ。いいわね、地獄を知らないって」

知った事かそんなもの、と言いたかったが、はただ黙ってため息をついた。女の子たちはランチタイムが過ぎた店内に散らばっていき、トレイを抱えたはその場に取り残された。神羅の事を何も知らない自分は、何か間違った事をしたのだろうか。そうは思わない。

食器を洗い場に置いて、はまたため息をついた。

「あの子たちの言うように神羅嫌いになるかい?」

背後で低く響いたママの声には振り返る。ママは太い指で煙草を挟み、鼻から口から煙を勢いよく吐いている。は辺りをきょろきょろと見回し、誰もいない事を確かめてから小刻みにかぶりを振る。そんな風に人に流されるのは嫌だった。

「解りません。私にはあの人、悪い人には見えないから」
「そうだろうねえ、このご時世、何が悪くて何がいいのかなんて、簡単に解りゃ苦労しないよ」

ママは煙草を深く吸うと、の頭をグシャグシャとかき回し煙を顔に吐きかけた。

「あんたの思うとおりにやってみな。本当の事は自分で見つけるもんだ」

は吐き出された煙に咳き込みながら、それでもこっくりと頷いた。

しかしは思う。あの赤毛の人はもう2度とこの店には来ないだろう。が神羅というものに直に触れる機会は訪れる事はなく、その目にどんな風に映るのかを確かめる事もないだろう。アルバイトの女の子達がなぜあんなにまで神羅を嫌うのか、その答えは永久に解らないだろう。

しかし、赤毛の男は翌日もやって来た。前日と同じ、午後1時に。

昨日の今日で、しかも神羅嫌いの女の子達に絡まれたわけだから、いくらが昼の客が覚えられなくてもこの赤毛の男は覚えている。神羅の人間だという、なんとかさん。近くで仕事でもあるのか、まさかこの店を気に入ったとでもいうわけではあるまいとは考えながらオーダーに向かう。

「もう来ないと思ってました」
「何で?」

男は不思議そうに首を傾げる。そんな風に首を傾げたいのは私の方だとは思うが、なんと返せばいいか解らない。だって昨日、あんな風に言われたじゃない、嫌いだって。いいところなんて1つもないって。

「気分、悪くないんですか、あんな風に言われて」
「罵倒されるのは慣れてる。それに、あんたと女将に嫌われなかったんだから、それでいいよ、と」

ずいぶん大人なんだなと、は納得する。男は昨日と同じメニューをきちんと繰り返し、通りかかったママにぺこりと頭を下げた。そのママの向こうでは神羅嫌いの女の子達が不機嫌そうな顔をしているが、は見なかった事にする。自分の真実は自分で見つけると決めたのだから。

そうして男は黙々と食事をして、それが終わると静かにコーヒーを飲み、会計を済ませて店を出て行く。にもママにも特別話しかけるでもなく、近くを通り過ぎるたびに睨んでゆく女の子達を気にする風でもなく、ただ食事をして帰っていく。翌日も、その翌日も男はそんな風に店で過ごした。

いつしか男は、「午後1時の赤毛さん」になっていた。

神羅嫌いの女の子達はママの言いつけであっても赤毛の男のオーダーは頑として取らなかった。ママとて叱り付けたいのは山々だが、スラム育ちの女の子達の言い分には目をつぶらざるを得ず、結果としては赤毛さん専任になってしまった。が休みの週末は赤毛さんも来ない。神羅は週休2日のようだ。

だが稀に平日であっても赤毛さんが来ない時もある。いつしかは午後1時に赤毛さんが顔出さないかと待つようになってしまった。それほど赤毛さんが常連になってしまったという事でもあるが、依然、にとっての神羅は不明瞭な印象のままなのだ。

そんな中、いつも騒がしい店に、事件が起こる。

どうしたわけか、いつもならママの定めた昼時にやってくるような荒っぽい一団が、午後1時を過ぎた頃に押し寄せてきた。連中が大声でまくし立てるのを聞けば、どうやら工事に問題があったとかで昼休みが遅れたらしい。その事に不満があるのか、いつもより空いている店に開放感を感じたのか、彼らはずいぶんと横柄な態度だ。

赤毛さんの料理を運び終えたばかりだったは、胸がざわついて仕方なかった。怖い。

不運な事に、この時ママは近所の飲食店仲間の店へ行っていて留守だった。