風に誘われて

「ええ天気やなあ」

を連れて歩いていた江神は、額に手をかざして空を仰いだ。まばらな雲に、塗り潰したような青空が眩しい。江神の言うとおり、今日は本当によく晴れたいい天気だった。

今日は祝日だが、暇だという理由で江神はを大学へと誘った。同様に暇だという後輩たちがすでに学生会館にいると連絡を貰ったからだ。聞けばにはまだ声をかけていないというから、江神は連絡した上で一緒に行く事にした。

「ほんとですね、なんだか室内にいるのがもったいないような」

しかもその室内に篭って何をするかと言えば、取り立てて目的もなく殺人事件の話題に花を咲かせるという程度だ。それがどれだけ楽しいか、という事はもちろん承知しているが、そんなのふわふわした声を聞いていると本当にもったいないような気がして来る。

血生臭い話はいつだって出来る。こんなによく晴れた天気なら1日くらい……そんな風に。

「みんなに出て来てもらって、梅小路公園でも行きますか?」

はぽかぽか陽気に眠たそうな目を擦って江神を見上げた。それも悪くない。ころころと思考が転ずるようだが、快晴の空の下でぼんやりミステリの話をするのもいい。童心に返ってはしゃいでみるのもたまにはいいだろう。手作りのお弁当は難しいが、この際コンビニでもいい。

「最初は渋るかもしれんな」

の提案に二つ返事で乗ってやってもいいのだが、一応江神は言ってみる。誰かが最初は渋ったとしても、一旦それと決めて遊び始めてしまったら周りが見えなくなるほど熱中してしまうのはEMCにはよくある事だ。だから気にするほどの事でもない。ただちょっとを突付いてみたいだけだ。

「そうですねえ、じゃあやめますか」

やはり少し眠いようだ。さらっと撤回してしまうに江神は苦笑い。おそらくはEMC直行でも公園でも、そんな事はどうでもいいのだろう。ぽかぽか陽気の中で江神が空を見上げたから言ってみただけ。そんなところだろう。それは解っているが、江神は少し惜しい気がした。

「俺は渋らんぞ」

2人で行こう。その一言が素直に出てこない江神だったが、するりと絡む指と一緒には彼の言葉の裏にも気付いた。やはり眠そうな目のままだったが、「そーですね」と間延びした返事をしていたずらっぽく笑った。

「1時間くらい遅れたって、いいですよね」
「何時に着くとも言うてないからな」

江神はの手を引き、公園へ足を向けた。

「うわあ、気持ちいい」

公園の広場に出るなりはそう言って大きく伸びをした。その後ろで携帯灰皿に吸殻を押し込んでいる江神は、その後姿に目を細めた。穏やかな風にチュニックの裾をはためかせているの背中は、しなやかな弓弦のように反ってはまた戻る。

そんなを中心に置いて広がる緑と空が眩しい。眩しいのは空か、それともか、それについては考えない事にする。ただそんな景色が少しだけ心をくすぐり、いつまでも眺めていたいと思うだけだ。

やがて振り返って江神の隣に戻ってきたは、すとんと腰を下ろしてコンビニのビニール袋からペットボトルを取り出す。江神も追って腰を下ろすと、からペットボトルを受け取ってキャップを捻った。冷たいペットボトルが手のひらに気持ちいい。

「今度はお弁当持って来ましょうね」

は上機嫌でペットボトルのお茶を流し込んでいる。

「それもええけど、その弁当はお前が作るんやぞ」
「それは報酬しだいです」

紅一点が弁当担当なのは仕方ないのだろうが、はきっぱりと言ってにやにやと口元を歪めた。

「それが嫌ならコンビニ弁当かなんかで済ましてもらいます」
「1人だけコンビニ弁当やったら相当惨めやろうな……

につられてにやにやしつつも、江神は少し背中が寒い。

「そうだ、EMCにちなんで推理おにぎりとか」
「なんやそれ」
「具を推理するんです。それぞれにヒントの旗を付けておきます」

はそんな思いつきに夢中になった。具を当てられなかったら別途用意しておいたワサビむすびを食べるのだと言って笑っている。ワサビむすびは遠慮したいが、そんな遊びもたまにはいいかもしれない……江神はそう思った。やっぱり最初は文句を言うだろう後輩たちも、いずれ夢中になるはずだ。

「子供っぽいかもしれませんけど、意外と楽しいんですよねこういうの」

ペットボトルを掴んだまま、は芝生の上にごろりと横になった。少し離れたところにある大木の影がちょうどいいシェードになっている。腹から下を日差しに当てながら、はまた目を擦った。

子供っぽいかもしれないが、と一緒だとそれはどんな事より楽しいような気がしてくる。

江神はに気付かれないくらいに距離を少しだけ縮めて、同じようにごろりと横になった。芝生の青臭い匂いがツンと鼻を突くが、ゆったりと吹く風に混ざると清々しくて爽やかないい香りだ。フィトンチッドを含んでいるであろうそんな風に、江神も眠気に襲われ始めた。

「眠くなるなという方が無理な話やな」
「もう半分寝てます」

首を捻って傍らを見てみれば、はうつらうつらしている。本人が言うように目も殆ど閉じてしまっている。が完全に眠りに落ちてしまうまで、おそらく2分もかからなかっただろう。江神に見守られながらゆっくりと胸を上下させて呼吸をしている間に、すうすうと寝息を立て始めた。

江神は寝返りを打って横向きになると、の手に静かに自分の指を重ねた。

こんなに気持ちのいい天気の日は、少しだけ回り道をして昼寝もいいだろう。いつかまたぽかぽか陽気に誘われてどこかへ迷い込んだら、またこうして並んで昼寝をしよう。

1人眠気に朦朧とする頭で微笑んだ江神もまた、眠りに落ちた。

そして3時間が過ぎ、学生会館でと江神を待ち続けた2回生コンビとアリスは泡を食っていた。

「江神さんが一緒なら心配ないでしょう、たぶん」
「おいおい、たぶんて何や」
「名探偵いうものは家を出れば事件に当たるもんやからな……まさか今頃……
「モチさん縁起でもない事言わんといて下さいよ!」

そして3人は捜索に出たところを草臭いと江神に出くわすのだ。何をしていたのだと詰め寄る後輩たちに、江神はしれっと言うだろう。の手を取ったまま、にんまりと笑って。

「昼寝、してた」

END