陳腐な、使い古された出会いのシチュエーションというとどんなものがあるだろう。
落し物を拾ってもらうとか、道を曲がって出会い頭にぶつかるとか、転びそうになった所を助けてもらうとか。時代遅れな印象があるものでも枚挙に暇がない。しかし、それが絶対に現実には起こらないとは断言できない。嘘のような本当の話なんです、といって馴れ初めを語る人は今でも少なくないのだから。
そんなわけで、望月周平との出会いは語るたびに笑いを招くのだった。
なにしろ、図書館で同じ本に手が触れてしまったという、一昔前の少女漫画でも使われなくなってしまったようなシチュエーション。しかも、手にしたのは望月が愛するミステリでもなければ、が好む怪奇小説でもなく、色気もへったくれもない日本地図だったというオチまでついて。
それでも、触れてしまった手に驚いてお互いの顔を確かめ、視線が合った瞬間に、もう2人は恋に落ちていた。
今自分は相手に恋をしたし、相手も同じように恋に落ちているという事も、判った。地図の薄い背表紙に重なった手はすぐに離してしまったけれど、は「一緒に見ませんか」とごく自然に声をかけたし、望月の方も「そうですね」とすぐに応えた。
望月にしてもにしても、地図自体にそう長く用があるわけではなかったから、閲覧用のテーブルに並んで地図を使い、用が済んで地図を返した後はどちらからともなく、図書館を出て外で話そうという運びになった。
不思議と初対面である相手に対して、気まずさや緊張は感じなかった。趣味や価値観の相違はもちろんあるが、どれも十分に許容範囲だったし、相手の話す事は新鮮で興味深くはあっても耳障りではなかった。まるで旧知の仲のように何も気負わずに2人はずっと話し込んだ。
そんな経緯を望月とはそれぞれの友人にも話したが、やはり笑われてしまったし、自分たちでもまるで漫画のような世界だなという自覚はあった。しかし、それで炎のように燃え上がるわけでもなく、恋に落ちたという感触だけを頼りに2人は逢瀬を重ねた。
いつしか、周平くん、、と呼び合うようになり、お互いの部屋に泊まっていく回数も増え、時間が経てば経つだけ2人の関係は進行していった。些細な喧嘩はあっても深刻な事態にはならなかったし、そもそもこの関係を終わらせようという気が2人には微塵もなかった。
逆にそんな順風満帆すぎる2人を危ぶむ思いで見るのは周囲の者の方だった。
少女漫画のような出会いをして、躓く事も転ぶ事もなく、ありきたりな表現を用いるなら〝愛を育んで〟いるわけだ。羨む気持ちを通り越して、妙な2人と思えてくるのも詮のない事だ。
だから、満を持して望月の方からにプロポーズをした時は、やはり周囲の方が驚いた。
「なんか、すごい心配されちゃったよ」
「俺の方も似たようなもんやな。で、最後にはやっぱり笑われた」
「私も。お父さん大爆笑だよ。父親って普通不機嫌にならない?」
の左手薬指では、一足先に銀の指輪がぴかぴかと光っている。もうしばらくすると同じデザインのものが望月の左手にも嵌る予定だ。その頃には、は姓を終えて、望月になっている。
「挨拶に行っても、殴られないで笑われるんかな」
「なんかそんな気がしてきた」
まるで他人事のように2人は笑った。交際を経て入籍という現実はちゃんと解っているのだが、周囲が笑ってしまうというのも解らないでもない。それだけ2人の軌跡は物語のようであったのだし、始めから決まっていた事のように感じられる。
「でもいいんだ、そんな事。私は最初から決めてたから」
指輪をなぞりながら、は言う。解っている、という風に望月も深く頷く。
図書館で日本地図に手を重ね合わせた時から、決まっていたのだろう。ああ、この人とずっと一緒にいるんだろうな。そんな漠然とした予感は、その通り本物になった。
「運命とか……そういうクサい言い方するんは嫌やけどな、俺もそう思う」
望月が腕組みをしながら言うと、はにやりと笑って付け加えた。
「きっとねえ、子供が出来たらホラー好きじゃなくてミステリ好きになるよ」
「そんで『親父の悪いところを継ぎやがった』とか言われるんやな」
きっとそれも、確実に待っている未来なのだろう。望月とは腹を抱えて笑った。
「皆さんのご期待に添えるよう、子供は早いほうがええんかな」
「いいよそんなに焦らなくたって。また笑われるよ」
結婚したらしたで早々におめでた、そんな事態になろうものならまた2人を取り巻く人達は笑い出すのだろう。少しだけ羨望の眼差しの混じった、それでいてこのおかしな2人を愛しむ気持ちをいっぱい抱えて、「早い!」と言いながら笑うんだろう。
しかしはそれもいいかもしれない、と思う。
子供の事など考えていたら、出産にいたるまでの望月の焦りようが目に浮かび、それを早く見てみたいと思った。自分がマタニティーブルーになる可能性だってあるという事はとりあえず考えない事にしておく。ただ、父親になる望月を見てみたかったのだ。
「でも、早くてもいいかなあ」
「どっちやねん。産むのはなんやから、が決めたらええよ、それで」
「そう? でも、式が終わってからの方がいいかなあ」
今、2人の目の前には結婚披露宴の招待状が積まれている。漏れがないかどうかの確認を行っていたのだ。その招待状の山にはポン、と手を置く。子供など授かりものなのだから、時期にこだわる必要はないのだろうが、年古りた感性の持ち主たちに「計算が合わない」とつまらないちゃちゃを入れさせる事もない。
「実はもう出来てたりしてな」
望月はそう言って笑おうとしたのだが、1番笑いの種になりそうな事と思い返して少し青くなった。もそれに気付いたが、それが事実だったとしてももう取り返しはつかないのだから、青くなってもどうにもならない。
「だったらどうする?」
「……別に変わらんな」
「でしょう?」
あの時図書館で出会ってから、ずっと何も変わっていないのだ。変化しているようで何も変わらないまま2人で一緒にいる。だから、その中に何が芽生えようとやはり変わらないんだろう。は満足そうに微笑み、望月もそれにつられて笑顔になる。
「ずっと変わらんままでいたいな」
「うん、そうだね」
そう言って、2人はかつてのように見詰め合った。瞬間、それも現実になると確信して。
END