死せる心の果て

01

という人物は、とても解りやすい人となりをしていた。

少々裕福な家庭に育ち、誰からも愛され可愛がられ、躾をされる事はあっても不当な扱いを受けた事はない。日本の東京という雑然とした場所に何不自由なく育ち、そこそこ名のある学校に通い、東京に住む人間をランク付けでもするならば確実に半分よりは上にいる。

周りの大人たちも彼女をそれに見合うよう育てたし、本人もそれについては自覚が過ぎるほどだった。精神的な挫折はともかく、優遇されて当たり前と思っていたし、自分はそれに値する人間と信じて疑わなかった。

ローティーンの頃から持ち物には必ずブランド名が付いていたし、服やバッグ、財布などは高校生にもなると全て5桁以上。そんな生活を送れない者は例外なく接触を嫌がった。幸いにも学校はと同じような背景を持つ生徒しか入れないような場所であり、従って、友人もと同様の価値観を持つ者が多かった。

人並みに恋をするような年頃になっても、は相手に多くを求め、常に《選ぶ側》の人間として振舞っていた。様々な条件を掲げ、それを満たした者でなければ自分には相応しくないと考えていた。

当然、そんな狭き門を突破できる同世代の男性は少ない。従って、のパートナーとなる者は大抵が年の離れた社会人で、のわがままに精神的にも経済的にも余裕を持って応えられる場合が多かった。応えられないと判るや否や、の方が付き合いきれなくなって切り捨ててしまう。

特に尊大な態度を取るわけではないが、丁寧で美しい言葉には暖かさがなかった。

そんなが、これまた名のある大学への進学を希望するのは当然だと言っていい。進学を検討するしない以前に、高校を卒業したら大学に進学するのは至極自然な事であり、様々な事情で進学できない者の方が〝おかしい〟のだった。

つまるところ、は図抜けて選民意識や自尊心が強いタイプだった。

東京に生まれ育ちながらも東京至上主義、東京依存型であるに、悲劇とでも言うべき事態が発生したのは、受験勉強にも本腰を入れんとする高校3年生の時だった。最上の都会に生まれ育った自分は、どんな地方都市の誰よりも洗練された人間であると思っていた彼女は、奈落の底に叩き落された。

父親の転勤で、東京を離れる事になったのだ。

は猛り狂って抗議し、と完全に同類である母親も難色を示したが、不幸にもただの転勤ではなく、栄転だった。それまでも要職にいたわけだが、このほど関西方面の支社を任される立場に就く事になった父親は、転居を譲らなかった。何かしらの理由で職務続行不能になるか退職するまでは、もう異動はない。半永久的に住居を移してしまうわけだ。

人生設計の全てを狂わされたは、父親にすがりついて東京に残りたいと懇願した。どうせ大学に進学するのだし、1人暮らしを始めて東京に残る。そう言い張った。栄転するくらいだから、経済的にも問題はないはずだとは食い下がる。

だが、奔放に育てても放任する気のない父親はそれを許さなかった。家族はいつでも共に在らねばならないと説き、また、という愛娘を1人置いていけるわけがないだろうと結んだ。

は数日の間絶望に苛まれ、父親と口をきくのも嫌悪するほどだったが、現実を受け入れるより他に道がない事は解っていた。転居に反抗して家を飛び出して己の道を進むには、は物欲が強すぎた。父親の収入がなければ、お気に入りのショップの服も、新作のバッグも、シーズン毎に一新されるコスメも買えないのだ。

しがみついていたいのは、そういうものを手にしつつ東京に住むという事であるから、いくら東京に残れても手に何も残らないのであっては意味がない。は渋々転居に合意した。関西にだってブランドものを扱う店はあるし、休暇のたびに東京に戻り、友人の家に入り浸ってもいいだろうというのがの妥協点だった。

かくしては、関西地方の大学を受験する事になる。関西地方の大学などまったく解らないに、彼女の父親は恩師の出身校であるという英都大学を薦めた。具体的な話が出るようになると、は半ば投げやりになっており、受験する大学などどこでもよくなっていた。父親の薦める大学へ行き、後は適当に遊び呆けていられればそれでよかった。

同類の友人たちの涙に見送られながらが東京を去ったのは、3月。明けて4月から、は英都大学の学生となる。新居として新たに購入された新築の家は京都のはずれにあった。そこからは通う事になる。真新しいきれいな新居に臨んだは思った。

これが私の墓だ。

4月、入学までには時間があるというのに、は美しい桜を見に出掛ける事もせずに部屋に篭っていた。暇さえあれば東京の友人にメールを送ったり、PCの電源を入れて東京のニュースを食い入るように眺めていた。

そして、入学式当日。娘とは裏腹に晴れ晴れとした両親を伴っては英都大学の門をくぐった。講堂へと歩く道すがら、やはり同じように入学式に向かうと思われる新入生も、暇で遊びに来ているといった風な学生たちも、みな一様にを振り返った。

東京を去る前に馴染みのサロンで落ち着いたカラーリングを施した髪はきつく巻かれ、耳には入学祝として父親にねだったダイアのピアス。落ち着いたピンクのスーツの袖からちらりと覗く時計も宝石がびっしりと嵌められている。バッグも一見してすぐ世界的に有名なブランドものであると判るし、なにより、そんな状態になっているのがだけではなく、母親も同様だというところがすごい。

場違いもいいところだった。

しかしそんな風には感じないのがの母親である。ジーンズのままで来ている者などは当然論外だが、堅苦しそうにリクルートスーツのようなものを着ている生徒ですら信じられないという目つきで見ていた。

学び舎となる大学構内を歩きながら、はきらきらと光る何かを撒き散らしているようだった。それに対して、羨望の眼差しを向けるものがあって然りとは思うだろうが、まったく逆に受け取られている。

おいおい、あの女、大学に何しに来るつもりなんや。

そんな事を囁かれているとは夢にも思わないは、つんと顎を上げた状態をキープしつつ、講堂へと入って行く。不運にもの隣に腰を下ろした女生徒は、きついフレグランスの匂いに耐えられず、途中で出て行ってしまった。もちろんは自分が原因だなどとは思っていない。

そうして、は英都大学の生徒となった。翌日から屈辱の学生生活が始まるとも知らずに。

まず最初にを苦しめたのは言葉の壁だった。話している内容が何であれ、関西弁を喋る者は全員お笑い芸人に見える。どんなに紳士然とした先生であろうと、ふざけた事を話しているようにしか聞こえなかった。まれにのように関西弁を操れない生徒もいたが、だからといってわざわざ話しかけるのもおかしい。

次に、サークル勧誘のしつこさだ。相変わらず何かを学びに来ているととは思えない出で立ちのは、特に軟派なサークルからの勧誘が引きも切らず、その度に突っ撥ねるのだが、あまり効果はなかった。むしろ、越境者である事をからかわれて、にとっては大変な侮辱と取れる言葉を投げつけられる始末。

もちろんに声を掛けた生徒たちに悪意はまったくないし、相手がでなかったら憤慨する事など到底ありえないような言葉でしかない。は関西弁でまくし立てられるだけでイライラしてしまうようになっていた。1度など、「お茶しながら説明さしてもらえんかな?」と言われただけなのに、「正しい日本語で話して下さらないと意味が判りません」と言い返してしまった。その場が凍りついたのは言うまでもない。

1ヶ月経ち2ヶ月経ち、新入生たちも徐々に学生生活に慣れてくる頃。はせめて友達と言えるような相手が1人も出来なかった。当然の結果とも言えるが、それでもは態度を改める兆しすら見せなかった。一部ではそんな横柄な態度の東京女がいる、と噂になっていたくらいだ。

だが、何をするにも1人で行動するには、はまだ幼かった。やはり友達がいないのは寂しい。東京の空が恋しかった。一応根は真面目なはきちんと講義には出るのだが、余暇を友人と遊んで過ごす事もなく、さっさと学校を出てシアトル系カフェに篭り、日が暮れたら帰宅するという生活を続けていた。

そんなをさらに追い詰めたのは、東京の友人からのメールだった。だけを欠いた仲良しグループを写した画像を添付して届くメールに、は吐き気を覚える。どうしてここに自分がいないのだろう、なんでみんなは私がいないのにこんなに楽しそうに笑っているのだろう、1人頑張っている私にこんな画像を送りつけるなんて無神経なんじゃないの。

の〝ホームシック〟はどんどん彼女の心を傷つけてゆく。どんなに着飾っても化粧をしても、リラックス効果のあるアロマを焚いても、満たされない心はひびが入るばかり。読みたいと思っていた本は予定より何倍も速いスピードで消化されていき、エレガントに統一されたの部屋を侵食し始めた。

おまけに、毎日のようにカフェに篭っていたせいで、コーヒーを飲みすぎたの胃は不調に陥り、ともすれば痛むまでになってしまった。しかし、ストレスと上手く付き合い、癒しを上手に取り入れられるのが〝出来た〟女であると信じているは心と身体の不調くらいではめげなかった。

前向きに捉えるなら、のこういった頑なな姿勢は〝強さ〟であるとも言える。ひどく傷ついているのに、日々の生活には決して手を抜かず、あくまでも東京で過ごしてきたのと同じように振舞っていた。

そんなに、転機が訪れる。

のパーソナリティーを全て否定し、その在り方すら打ち砕く転機は、6月に訪れた。

じめついた梅雨にますます身体が病んでいく6月末、はやはり派手なブランドものの傘を差して大学構内を歩いていた。入学式の頃はつんと引き上げられていた顎も今ではすっかり下がってしまい、傘で顔を隠すようにして歩いている。隠していても、孤高の高飛車東京女である事は一目瞭然なのだが、それでも隠していた。

傘で顔を隠し、足元くらいしか見ていなかったは、誰かにぶつかってよろめいた。

咄嗟に謝罪の言葉が出てくるようなら、はもっとうまく学生生活を送れていたに違いない。傷だらけの心に湧き上がる憎悪、は傘を横に払い、足元から燃え上がる怒りの炎に身を焦がした。ぶつかったのはの方だが、そんな事はもちろん関係がなかった。傘の骨が曲がったのだ。

どうしてくれるんですか、これ。

そう、言うつもりだった。

が衝突した相手を見上げた時、の世界は光を失った。一瞬にして暗転する世界、色を、個々を隔てる輪郭を失い、何もかもが曖昧になった。モノクロームに侵されたの視界に、ただ1つだけ色を持っていたのは、見上げた相手だった。

「大丈夫か」

目の前に立っていた長髪の男は、そう言ってを見下ろした。