迷い猫探偵

09

乙女チックポエムを引っ張りたいわけやないが、それはそれ。意識を取り戻したとの、感動の再会――とはいかんわな、当然。具合が悪くなってしもうたニャローに付き添っていたと思うたら、いきなり行方不明やった俺やもんなあ。しかし他に方法がない。

混乱させないように、出来るだけ解りやすく事の顛末を話して――

「な、なんでここに江神さんが、どこ行ってたんですか、みんな心配して、いえあの、私今ちょっとそれどころじゃ」

無理や。は完全にパニックを起こしている。しかも、俺がいる代わりにニャローが消えている事に気付いてしもうた。千切れそうなほど首を振り回して部屋中を見ているが、ニャローがいるわけもない。

「あ、あれ? あの、江神さん、猫見ませんでしたか、白黒で大きな」

ここで、あれは俺や、ニャローは俺やったんや、とさらっと言ってしもうてええものか。いや、よくないやろう。まずだいたい、そんな事信じられるか。トラの一件はも目の当たりにしとるが、それはそれや。むしろ俺のケースの方がややこしいし、奇抜で有り得ない。ああ、どうしよう。

しかも、が俺の手首にある首輪に気付いてしもうた。ああもう、どうにでもなれ。

――これ、どうして江神さんが持ってるんですか」
、落ち着いて聞いてくれ、あのな、あの猫はな――
「ちょ、江神さん返して、あの子、返して下さい!」
「おい、ちょっと落ち着け俺は何も――

は、俺のTシャツを掴んでガクガクと揺さぶった。どうやら、俺がニャローをどうにかしてしもうたと思っているらしい。それは仕方ない、仕方ないのやが――どう説明すればええんや!

「あの子、病気なんです。今にも死にそうだったんです、お願い、返して下さい……!」
……

Tシャツの襟首を掴んだまま、は泣き出してしもうた。ああ、俺はここ数日で何度こいつを泣かせたんやろうか。その度に、何も出来ん自分が情けなくて――いや、それは俺が猫やったからや。泣いてるに抱っこされて、甘ったれた声で鳴くくらいしか出来んかったのは、猫やったから。

俺を軽々と抱き上げていたのが嘘のように、今のは小さかった。サイズが変化したのは俺の方やが、それでもあの頼もしいはずいぶんと小さくなって、俺のTシャツを掴んで泣いている。震える肩は、腕は、頼りなくて、そんな小さなに、どれだけしんどい思いをさせたのか。

人間に戻る方法について、トラは「善い事をして、お姫様と相思相愛になればいい」と言うた。果たして、俺は「善い事」をしたか? トラが言うように、の気持ちと向き合って、その上で「相思相愛」になったか? 正直、それは自信がなかった。善い事も相思相愛も、あまりに不確かな気がしてならない。

泣いてニャローを返せと言い続けているの背中に、手を伸ばそうとした――その時。

「おめでとう、ジローさん」

顔を跳ね上げた俺の目に、トラの姿が飛び込んできた。ベッドの上に、ちょこんと座っている。

「お、おい、なんでお前――
「やっと人間に戻れましたね。やっぱりさんは、お姫様だったんですね」

しかも、俺は猫ではないのにトラと会話している。さらに、はその事に気付かない。どういう事や。

「何がどうなってるんや。だいたいお前――
「善い事は、僕を救ってくれた事。そして、あなたを失ったさんのために、全てを捧げた事」

トラの野郎、人の話をまるで聞いていない。

「人間に戻れなくてもさんの傍にいると誓ったあなたは、お姫様に愛されるに足る存在になったのですよ」

誓った覚えなどない、と余計な揚げ足取りはすまい。確かに俺は猫の姿のまま、と共に生きていく覚悟があった。猫になってしまった事で、おそらくは寿命も縮むというリスクは想像していたが、それでも構わなかった。そうか、それは善い事なのか。

さんは、人間のあなたより猫のあなたを選んでくれましたね。きっと言葉のあやなんかじゃないはずですよ。だからといって、人間のあなたを嫌いになってしまったわけでもない。お姫様はそういうものです」

まあ、「お姫様」という表現こそが、言葉のあややろうからな。

「世話になったな。色々と」

俺は、トラに向かって手を伸ばした。出来ない事は承知の上で、握手を求めた。

「とんでもありませんよ。ジローさんもご苦労様」

トラの丸っこい手が、俺の手のひらをパシッと叩く。

「ジローさん、生きてる間くらい、さんと仲良くね」
「ああ、解ってる。お前も、お疲れ。ゆっくり休み」

またあのにやりと笑っているような細めた目を残して、トラはいつかのように消えた。途端に、の泣き声が戻ってきた。あの子を返せと言うたり、あの子は病気やと言うたり、忙しい。まったく俺のお姫様はニャローにご執心や。行方をくらましてた俺が帰って来たいうのに、そんな事はどうでもええんか。

まあ、ええよ。不可抗力とはいえ、お前を巻き込んだのは俺やしな。ありがとう、

わけがわからなくなってしもうてるの身体を、俺はしっかり抱き締めた。昨日まで抱っこされるくらいしか出来んかった代わりに、というわけやない。乙女チックポエムを蒸し返すつもりはないが、まんざら嘘でもない。言うなれば、「相思相愛」の証――という事で。

突然抱きすくめられたは、ぴたりと言葉を止めた。今や、今しかない。

、信じられんやろうが、黙って聞いてくれ。あのな、ニャローは、俺やったんや」

どうかが〝俺がニャローという名を知っている〟事に気付いてくれますように。

「とんでもない話やが、俺は猫になってしもうてたんや。本人は違う言うてたけど、たぶんトラの仕業や」

〝トラを知ってる〟という事も、その証拠や。解ってくれ

「信じられんのは俺も同じや。でも、ニャローが大学に現れてから何があったか、それを全部言える。お前がニャローにどれだけよくしてくれたかも、知ってる。嘘は言うてない。トラの件も全部解ってる……というか何故かトラとは話が出来たから、お前より詳しく事情を解ってる。それから――

俺の腕の中では黙っている。俺の頭がいかれてしもうたかと思っているかもしれん。思いつくままに、俺がニャローであったという証明をしてみせようと思うのやが、俺が猫であった間にはあまりにもたくさんの事がありすぎて、徐々に支離滅裂になってきている気がしないでもない。

俺がニャローであった事、そして、のおかげで人間に戻れた、という事を伝えたいだけやのに。

「それから、俺が人間に戻るためには、善い事をして、誰かと相思相愛にならんといかんいう事で――

ずっと黙ったままのの様子が気になって、俺は静かに腕を緩めた。俺の言うてる事、解ってくれてるか? まさか、どうやったら俺を追い出せるかと真っ青な顔しとるんやないやろうな?

だが、は赤い目をしながらも、真剣な眼差しで俺を見上げた。

「それで――その上で、人間に戻るためには、キスをしてもらわんと、ならなくて……

の赤く染まった目を見下ろしながら、俺の言葉は尻すぼみになって消えてしまった。の目を見ていたら、そんな説明をずらずらと並べ立てているのがあほらしくなってきた。何かもっと大事な、正鵠を射る言葉があるはずや。に伝えなければならない、大切な――

「江神さん、は、ニャローなんですね」

逡巡していた俺の頬を、の両手がそっと包んだ。俺の目を、あまりに真っ直ぐな目で見つめながら。

「それなら、どっちもここにいるんですね。いなくなったり、死んでたり、してないんですね……!」

せっかく途切れた涙が、再度の頬に伝う。もう、俺に語るべき言葉はなかった。

――

頭の中は、真っ白。獣のように、ただ感情に突き動かされるまま、の唇にキスした。

が受け入れてくれたから、というせいもあるが、衝動のままにしてしまった俺のキスは、相当しつこかったはずや。すっかり暗くなってしまった部屋で、言葉もなくキスを繰り返した。猫だった頃とはまるで違う感触に、改めて人間に戻った事を実感したりもした。

ようやくの唇を解放した俺は、それでもきつく抱き締めたままでぼそぼそとに礼を言う。

「ほんまに世話になった。感謝してる」
「そ、そんな事は、あの、江神さん、あのう、その、相思相愛というのは……

落ち着きを取り戻してきたは、今更になってその事が気になりだしたらしい。仕方ない。ポエム再びや。

「そのままの意味や。もちろん一過性のものでもない」

が、こっ恥ずかしい事には変わりない。俺はの耳に唇を寄せ、あの恥ずかしい台詞を繰り返した。見る間にの耳が真っ赤になって、熱を帯びる。おそらく俺も似たようなもんやったろう。せやからここでは繰り返さん。あれを直に聞いてもええのはだけや。

伝えるべき大事な事は、全部伝えた。そう思たら、楽になった。俺はを抱きかかえたまま、ベッドに寄りかかって安堵の息をつく。そして、猫になってしまってからの事を話した。俺の勝手な都合で端折る事はせずに、と共に過ごしたときの事も、全て話した。

途中、ちょいちょいキスを挟んだりしつつ――正直に言おう、全部俺がしたかっただけや――、ベッドサイドのスタンドライトの灯りの中で話し続けた。は殆ど黙って聞いていたが、初日の風呂やら尻尾の付け根マッサージの話にだけは慌て、俺の頬をにゅうっと引っ張った。当然、強引にチューチューやって黙らせた。

そうやって、俺はいつまでも話し続け、空が白む頃になってようやく眠った。

猫だった頃と同じように、ベッドの上でと寄り添って。