迷い猫探偵

03

「フギャァァァァァァァ!!!」

無事に今夜の糧と寝床を得たと思っていた俺を待っていたのは、拷問にも似た入浴やった。

「こら、ニャロー、暴れないで!」

ジャージ姿で奮闘しているには申し訳ないが、猫の身でシャワーを浴びるのがこんなにしんどいとは思てなかった。だいたい、頭上から降ってくるシャワーは鉄砲水か何かというほどの威力やし、身体が濡れるのがとんでもなく不快。その上、長毛である事が災いして、水分を含んだ身体はえらく重い。

「ちょっと我慢して! 最初だけだから!」

は必死や。それは仕方ない。野良やと思うてるのやから、何をくっつけてるか判らん俺を洗いたいというのは解る。だがこれほどとは……! しかも、や。猫になってしもうたとはいえ、中身は俺や。の手で全身いたるところまさぐられるのは、とてつもなく恥ずかしい。具体的にどういう事なのかは察してくれ。

やっとシャンプーが終わったと思うたら、何度もタオルで擦られた挙句、とどめにドライヤー。これが熱い。ドライヤーも終わって、すっかり身体が乾いて清潔にはなったんやろうが、その頃にはもう俺も色々限界でグッタリやった。グッタリしとるが腹も減ってる。おまけに眠い。くそ、猫におにぎりなんかやるんやなかった。

きれいになったらしい俺の首には、例の首輪。意外と苦しくないのが不思議や。

「お疲れ様。待っててね、今ご飯作るから」

あちこち濡れたまま、着替えもせずに俺の飯を作るの後姿を見ていると、本当に情けなくなってくる。すまん。本当にすまん。後で絶対埋め合わせするからな。

が用意してくれたのは、茹でたササミとマグロ、それを細かく切った野菜と一緒に煮た、水分が少なめのスープ状のものやった。しかしどうや。この香ばしくて旨そうな香りは。猫の身にはこれでも充分ご馳走らしい。はサプリも仕込んでいたらしいが、気にならんかった。

よく考えると、朝から何も食べていなかった俺は食事に飛びつき、息つく間もなく平らげた。少し物足りない気もしたが、そこまでに手間かけさせるわけにもいかん。満足だという風に鳴いてみせ、デレデレと緩みきった笑顔で俺の頭を撫でるに抵抗はしなかった。

その後もはトイレの設置だの、寝床の用意だのに追われ、それが終わるとパソコンの電源を入れて何やら調べている。こいつの事やからな、たぶん猫の飼い方でも調べているんやろう。しかし、時間はもう20時になろうというのに、飯も食わないまま熱中している。おい、、ええ加減にせえよ。

自炊している暇なんかないと、は俺用の食材を買うついでに、信長に俺を預けたまま弁当か何かを買うてたはずや。辺りを見回すと、それらしいビニール袋がある。のそのそと歩み寄って、前足でビニール袋を突付き、鳴いてみる。

「あ、ニャロー、それは私のご飯だよ。今食べるから」

俺がの飯を欲しがっていると思たようやが、なんとか意識を逸らす事が出来た。やれやれ、飼われる身というのも楽やない。テレビを見ながら食事を始めたに安心した俺は、マリアが買うてくれたペット用のベッドに入って丸くなった。マリアの趣味でやけに可愛いデザインやが、文句も言えまい。

「ニャロー、お前いい子だねえ。そこベッドだって判るの?」
「ニャン」

それはもう。中身は俺なので。

食事を終えたが課題だの片付けだのを始めてしまったのを横目に、俺は吸い込まれるようにして眠りに落ちた。植え込みの中で丸くなっていたのとは違うて、の家やという安心感からか、ぐっすりと眠ってしもうた。の立てる音も気にならない。

それからどれくらい経ったやろうか。部屋の明かりが落ちたのに気付いて、俺は目を開けた。もそろそろ就寝か。今日は本当に世話になったな。しばらく厄介になるが、よろしく頼む。――と、そんな事を考えて顔を上げた俺の目に、とんでもないものが飛び込んできた。

俺の、つまりニャローのベッドの前にぺたりと座ったが服を脱ぎだした。

ちょ、! こら、お前は何を! 嫁入り前の娘がなんの臆面もなく!

猫になってからというもの、どうも冷静さを欠く俺は慌ててギュッと目を閉じたが、にしてみれば俺はただの猫なのだ。その目の前で着替えようが何しようが、に思うところがあるわけがない。こういう事態を予測できなかった方が悪い。見てへん見てへん。、俺は見てへんぞ!

どうやら風呂に入ったらしいの姿が消えると、俺は解けた緊張のせいで、またグッタリしていた。俺の方も必死やったから、ついEMCの連中にすがり付いてしもうたが、これではプライベートが筒抜けや。そんな話は聞いてないが、もし彼氏でもいてたらどうするか。

つい、無意識のうちに顔など擦っている自分に落胆しつつ、そんな事を考えていると、が風呂から出てきた。先ほどの脱衣に驚いた俺は既に身体を捻って、視線の中に入らんようにしている。冷蔵庫から何やら取り出してゴクゴクと飲んでいるらしいの物音が、はっきりと聞こえてしまうのが後ろめたい。

「ニャロー、起きてるの?」

、早く寝ろ。俺も眠い。呼びかけを無視した俺やったが、の手でぐるりと仰向けにされてしまった。

「ニャ!!!」

どうなってるんや今日は! 不意をつかれた俺の目に飛び込んできたのは、バスタオルを巻いただけの湯上りの姿やった。この破廉恥娘が! と怒鳴り散らしたいが、口から出るのは可愛らしい泣き声だ。俺の上に屈みこんでいるは、やっぱりデレデレしていて、俺の身体を撫で回している。

「ニャロー、お前何歳なの?」
28ですが。
「オス、だよねえ」
改めて見るな。
「雑種なのかな、それとも……
知らん。俺は知らん!

無愛想を決め込んだ俺を、はまだ撫で回している。

「んもう、可愛くないなあ。えい、こうしてやる」

反応のない俺が面白くないのか、は俺を横に転がし、尻尾の付け根あたりを撫で始めた。

――うわ、おい、やめろ、やめてくれ! それは……!

大変言いにくい事やが、尻尾の付け根を優しく撫でられた俺は半恍惚状態。とんでもない醜態を晒した。あまり具体的な描写は控えさせてもらうが、とにかくそういう事や。頼む、察してくれ。

「ほらー、気持ちいいでしょ」

お前もそういう事を言うんやない!

半裸状態のに撫で回されてトロリとなってしもうたなんて事は、猫としては問題ないやろうが、俺としては大変問題がある。ただでさえ疲れているのに、こんな目に遭うとは――と更にグッタリしていた俺は、の呟きを聞いて我に返った。

「江神さん……

何!? お前、今何て言うた? 俺が判るのか?

いや待て、そんなわけあるか。ニャローが俺に似てると言うてたもんやから、つい口走ってしもうただけやろう。だが、は俺を撫で回しながら、ぼそぼそと呟いた。

「ねえ、ニャロー。江神さんどこ行っちゃったんだろう」
ここにおるよ。
「いつ、帰ってくるんだろうね」
今すぐにでも帰りたいんやがな……

は俺を両手で押さえ込んだまま、俺の腹に顔をうずめてしまった。おい、――

「江神さんに会いたいよ……

そんなの呟きを、どう解釈したらええやろうか。悲しそうな顔をして、猫の腹に顔を擦りつけながら、そんな事を言うの真意は何や。安易な想像をしてしまうのは早計やが、しかし、先輩1人旅にでも出てもうてる事に対して、そんな風に落ち込むか、普通? 、お前は――

にわかに混乱してきた俺の腹から顔を上げたは、ニタリと笑ったかと思うと、遠慮がちに言う。

……ジロー」

あまりの展開に鳴き声1つ出ない俺。はと言えば――

「キャー、言っちゃった言っちゃった!」

俺を解放して床の上でゴロゴロと転がっている。こんなお約束な展開でいいんやろうか。安易な想像は間違うてない気がしてくる。だが、俺が頭の中で結論を下す前に、のバスタオルが外れた。

もう勘弁してくれ!

慌てて目を閉じた俺は、衣擦れの音がおさまるのを待って、そっと目を開けた。はバスタオルに比べればまだマシやという程度の薄着で、露出も多かった。おい、そんな格好で寝たら腹壊すぞ。……俺は年頃の娘にお小言がくどいお父さんか。

「ニャロー、一緒に寝ようよー」

正直、まだ頭は混乱しとる。せやから、そんなの甘ったれた声には頑として反応しない。それでなくとも本当に疲れとるんや。色々考える事はあるが、そういうんは全部明日に持ち越しや。、お前もグズグズ言うてないでさっさと寝なさい。

諦めてベッドに入っていくを背に、俺はようやく眠りに落ちた。

夜中に1度目を覚ましたが、とにかく俺はぐっすりと眠った。

ごそごそとが立てる音にぼんやりと気付いたのは何時頃の事やったか。だが、寝ぼけていた俺はそれを気にするでもなく、2度寝3度寝をやらかし、一刻も早く人間に戻らなければならないという事も忘れていた。

そんなわけで――

「いってくるね、ニャロー。お昼過ぎには帰るから!」

置いていかれた。

いかん、と思うた時にははガチャンとドアの鍵をかけてしまっていた。当然、俺のように窓の鍵を開けっ放しという事もなく、猫一匹這い出る隙間は皆無。後悔先に立たず、部屋の中をうろつく俺の目に、例の〝猫まんま〟が飛び込んできた。

は、ぐうぐう寝こけていた俺に飯を用意して出て行ったらしい。

情けないが、やっぱりどうにもならん。俺は飯を平らげると、不貞寝した。