迷い猫探偵

02

下宿を後にした俺は、素足にアスファルトを感じながら、とにかく歩いた。

大学までの道のりがまるで違って見えるのは、少しだけ新鮮やな。なるべく人通りの少ない道を選んだが、避けて通れない場所もある。ちゃんと信号待ちをしている俺を見たおばちゃんが「珍しい子やわ」と声をかけてきたが、猫らしく装うあまり車道に飛び出すわけにもいかん。

猫らしくなかろうと何だろうと、今は大学に行ってEMCの連中に会うのが先決。その一心で歩き続けていた俺は、ショーウィンドウに映る自分の姿に足を止めた。今更ながら、猫になってしまった自分自身というのは、なんとも奇妙なものだった。

しかも、確か猫に色の区別ははっきりつかないと聞いた事があるが、俺の視界は人間の時と変わらない色彩を持っていた。なんでこう中途半端か。改めて俺はショーウィンドウに映る自分の姿を見つめた。

人間の姿が反映されるのか、俺は頭の辺りの毛がボサボサと長い白黒の猫だった。これはハチワレとか言うたか? 黒い頭の毛は額の辺りで八の字に広がって、そこから下は白い毛に切り替わっている。目の上で八の字に割れているせいで、センター分けの前髪に見えない事もない。

頭の黒い毛は肩から背中に伸び、手足も半分くらいまで真っ黒。その先は真っ白なので、いわゆる〝靴下〟というわけやな。腹も白い。尻尾も裏側は薄っすらと白い毛が混じっている。ちょうど背中を表にするなら、表が黒で裏が白いと言うたところか。

しかしよく見ると、猫にしてはずいぶんと大きい気がする。ショーウィンドウに映りこんだ景色と比較しての話やから、正確やないにせよ、大きい方に入るんやないやろか。人間の時も背は低い方ではなかったから、大きいという事か。そんな風に考えると、あまり可愛くないような気がしてくる。

いや、別に可愛い必要はあらへんのやが。

大学に辿り着くまでの間、何度も死にかけた。車はもちろん、自転車ですら巨大すぎて、危うく跳ね飛ばされるところやった。人間ていうもんは、どうしてこう危険な世界を作ってしもうたのかと腹立たしくなる。

EMCの連中を見つけるまで、なるべく人目につかないようにしたかった俺は、学生会館に1番近い植え込みの中に隠れる。そこから外を窺って、EMC――特にかマリアがやって来るのを待つ。2人とも、一応女やし、お姫様ではないやろうが、蹴り飛ばす事はないと思う。

さらに、詳しくは聞いてないが、下宿のモチと信長、実家まで遠いアリスと違うて、とマリアはマンションに1人住まい。もしかしたらどちらかはペット可の部屋に住んでいるかもしれん。そうであれば、申し訳ないが元に戻る方法が見つかるまで、寄生させてもらうつもりでいる。

しかし、どうした事か。眠い。猫といえばその辺に転がって寝ているものという認識もあるが、あれは本当に眠かったのか。時間もろくに確かめて来なかったが、まだ午前中のはず。昼ごろに誰かが通っても、そのあとまた講義があれば置いていかれてしまう。少しなら、ええか。

腹も減っていたが、どうにもならん。俺は大あくびを1つして、丸くなった。

丸くなった……が、熟睡出来ん。どうにも辺りの様子が気になってぐっすり眠れる気がしない。些細な物音は気になるし、身体を伸ばしてしまうのは危険やという気がしてならない。そうやって寝たり起きたりを繰り返している間にも腹は減るし、気分的にも滅入ってきた。

そんなわけで、遠くからとマリアの声が聞こえた時、俺は飛び上がって喜んだ。

「でも江神さんいないと寂しいよ」
「仕方ないよ、我慢我慢」

しょぼくれたの肩をマリアが擦っている。そうか、俺がいないと寂しいか。ええ後輩を持ったもんやな。けど、事情が事情や、勘弁してくれ。障害となる人間がいない事を確認すると、俺は飛び出した。あまり急ぎすぎないように気を使いながら、2人の足元にすいすいと歩いて行って――あかん! 2人ともスカートや!

精一杯猫らしく装って足首にでも擦り寄ろうかと思てたんやが……いくら人望のある先輩とは言え、それはいかんやろう! 迂闊に顔を上げようもんなら見えてしまう。だがしかし、このまま2人を逃がすわけにもいかん。ギリギリまで近づいて、俺は2人の名を呼んだ。! マリア!

「ニャアァ~」
「あれえ、猫だ」

我ながらなんという甘ったれた声か。だが、気付いてもらえたのでさっさと忘れる事にする。

「大きい猫ねえ。おいでー」
「可愛いー」

もマリアもしゃがみ込んで手を伸ばしている。きちんとスカートが畳まれて、見えたらまずいものは隠れている。の方は可愛いと言うてくれてるし、よし、これならええやろう。俺は2人の間に入って、その手に身体を摺り寄せた。抵抗しない俺を2本の手が撫で回す。

「懐っこい子だね。野良かなあ」
「飼われてたんじゃない? それで人間を警戒しないとか」

それは本体が人間で、しかも君達をよく知ってるからです。

「大丈夫かな、えへへ」

2人の言葉に気持ちだけ笑っていると、頭上からそんなの声が聞こえた。と、次の瞬間、俺は腹を掴まれて浮き上がった。驚きのあまり、毛が逆立ったような気がしたが、気付けばに抱き上げられていた。これは、これは恥ずかしい! 、おい、降ろしてくれんか。逃げないから。

「わー、重ーい。でもふかふか!」

本当に野良だとしたら、どこで寝そべっとるかも判らないというのに、は俺の頭に頬をぐりぐりと擦りつける。というか、けっこう首がしんどい。、ちょっと遠慮してくれ。おいこら、しつこい!

「あれ、2人とも何やってん」

今度はアリスらしい。おお、猫の目から見たお前は大きいな。

「見て見てー、可愛いでしょ」
「猫? どうしたんやそれ」
「この辺にいたの」

巨大なアリスが近寄ってきて……これまた巨大な手で喉元を掻き回された。急襲された喉がグッと詰まる。おい、アリス、もうちょっと手加減してくれ! まだ猫歴が浅いんや、急激なスキンシップは困る。

「しかしデカい猫やな。それになんや、ふてぶてしい顔しとるなあ」

なんやて。

「で、どうすんの、この猫」

そうそう、そういう話をしてもらわんと困る。しかも、いい所にモチと信長も来た。

「どうしたんや、3人揃って」
「あっ、見てくださいよ、可愛いでしょう!」
「うわ、デカ!」
「可愛げのない顔した猫やなあ、おい」

さっきのアリスにモチと信長、後で覚えとけよ。に抱かれたままでは、そんな事を思ってもいまいち迫力に欠けるが、辛抱あるのみ。さて、誰かペット可のヤツはおらんのか?

「ねえ、この子、江神さんに似てません?」

マーリーアー。そんな事はどうでもええんや、本体は俺なんやから、当然やろうが。そんな事はいいから――

「そう言われてみれば……ほんと、髪も長くて、やだ似てる!」
「部長本人がどっか行ってもうたと思たら、部長猫出現か、アハハハハ」
「そんならお前は、ニャ神ニャ郎か、アハハハハハ」

アリスにモチ、ええ加減に――

「やだあ、どんどん江神さんに見えてくる! 江神さんがに、だ、抱っこ、うふ、うくくく」
「あかん、ツボに入ってもうた、ニャ郎て、アハハハハ」

言いたい放題言いやがってお前らー! くそ、笑ってないで誰か助けろ! いや、誰か助けてください。ほんまに困ってるんや、頼むから誰か連れ帰ってくれ!!

しかも、ひとしきり笑い終えたが俺を地面に降ろそうとし始めた。いや、あかん、それはあかん。ああなんでこんな事になってもうたんや、頼む、置いていかないでくれ! 俺はの服に思い切り爪を立ててしがみついた。これ、完全に服に穴開くけど、勘弁な。

「ニャー! ニャー!」

今度は泣き声も必死だ。の手が止まり、俺は抱きなおされた。

「どうしたんだろ。懐かれちゃったかな」
「そうみたいね。のとこ、ペット大丈夫だった?」

ええぞ、マリア。その調子や。

「ええとね、大丈夫とはなってないんだけど、ウチのとこ、一階が丸々大家さんちでね、猫6匹もいるの」

そんなら大丈夫やろう。いや、大丈夫という事にしてくれ

「それやったら、ええんやないの。こいつ必死やし、江神さんみたいやし」
「三毛猫ホームズみたいに名推理してくれるかもしれん」

信長とアリス、ええ事言うた。推理でも何でもやったるから面倒見てくれ。

「そ、そうかな。連れて帰っちゃってもいいかな」

こいつこんなに動物好きやったのか。はデレデレだ。しかし、今はそれが何より有り難い。

「えへへ、じゃあニャロー、ウチ来る?」

是非ともお伺いさせて頂きたいが…………ニャローは嫌や!

俺はに抱かれたまま、サークル活動どころではなくなってもうた後輩5人にホームセンターへと連れて来られた。猫飼育に必要なものを買うつもりなんやろうな。すまん、みんな金ないのに。

「とりあえず餌と、トイレがあればいいかな」
、俺がニャローの首輪買うたるわ」

信長、その手に持ったドピンクでレースのリボンはあれか、いやがらせか。

「やだ信長さん、そんなの江神さんに似合わないわよ」

ニャローなのか江神なのかはっきりしろマリア。

「これがええよ、これにしい、

アリスが持ってきたのは、黒の皮にピラミッド型の鋲とターコイズが打たれたハードでごつい首輪だった。首輪自体いらんが、まあ、それならええやろう。も気に入ったようで、それはアリスが買うてくれるらしい。おお、すまんな、アリス。

だが、キャットフードを選ぶ段階になって俺は暴れた。猫の身体で贅沢は言えんが、それならまだ猫まんまの方がマシや。マグロの刺身を付けろとは言わんが、せめて缶詰だのカリカリのドライフードは止めてくれ!

「えええ、何この子、嫌なのかなキャットフード。栄養偏っちゃう」
「少し様子見てみたらどうや。猫言うても要は肉食やろう、ササミとかマグロで代用してみたら」

そうしてくれそうしてくれ。そんな懇願がつい声に出てしまったらしく、俺はまた甘ったれた声で鳴いた。代案を出したモチが「ほら、ニャローもそれでええ言うてる」と言いながら鼻を突付きやがった。やめろ。

結局、全員で金を出し合って色んなものを買うてくれた。トイレだの爪とぎ用の板だの寝床だの……。心配性のは錠剤のサプリも買うてる。ええよ、そのくらいなら飲んだる。キャットフード回避に成功した俺は、安堵したせいか、また眠くなってきた。みんな、ほんまにすまん。ありがとうな。

そんなこんなで、どうにか俺はの家に厄介になる事になった。それはもう、相当な勢いで申し訳なく思うてるが、当のが上機嫌やというのがせめてもの救いやな。荷物持ちでを送ってくれたモチと信長にも、出来るだけええ声で鳴いて礼とした。

「さあ、ニャロー。今日からここがお前のおうちよ」

すまん、恩に着るよ、。ニャローやないけどな。