ラヴ・ミー・ドゥ!

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翔陽高校で一番強い運動部といえば男子バスケ部。途方もない部員数で予算も潤沢にあって、図書室の片隅に4人で細々と活動してる我が歴史部とはまさに月とスッポンという有様。我々の今年の予算はなんと2万円。それだって部長会で部長が大喧嘩した末にもぎ取った2万だ。

一方バスケ部はと言えば、何十人いるかわからない部員が全員揃いのジャージを着て練習試合でもバスをチャーターして出かけていく。我が歴史部は基本的に徒歩、自転車、バス、電車であり、去年まで気前よく車を出してくれていた顧問が自損事故で車を潰した時は私たちも涙を禁じえなかったほど。

だいたい、その活躍を生徒なら誰でも知ってるバスケ部と違い、我々は名乗っても「えっ、そんな部活あったっけ」が百発百中で返ってくる。フィールドワークとか楽しいんだぞ畜生と思うが、何せ部員は4人だし全員女だしうち半分はゲームから入った歴女だし、卑屈にもなるってもので。

そんなわけで、今、私は冷や汗をかきながら、何が起こっているのかわからない。

「へえー、今度教えてよ、近代史苦手なんだよね、オレ」

にこにこしながらそんなことを軽々しく言い放ったのは、我々歴史部とは提灯に釣鐘のバスケ部であり、その中でも選ばれしスタメンの、さらに部長でエースで監督だというトップ・オブ・トップに君臨する藤真くんである。

そんなふざけた肩書きがついていて、なおかつ校内1、2を争うほどの美形という、お前人生イージーモードかよという藤真くんは、ジャージにスポーツバッグを担いで私の隣を歩いている。部の中では小さい方だというが、日本平均で言えば充分高い身長もセットとは、女の私でも羨ましい。

もちろんそんな高嶺の花である藤真くんと私に接点などないのだけれど、月イチのフィールドワークの帰りに偶然出会ってしまった。2年の時に同じクラスだっただけの間柄なので、覚えてないだろうと思っていたのは私だけだったらしく、よお! なんてにっこり笑って声をかけられたというわけ。

「幕末とかってさ、急に人名とか条約が大量に出てくるし暗記度が増すだろ」
「そ、そうだね、私も年号とかは苦手だよ」
「ここだけの話だけど、オレ、坂本龍馬が何した人かよくわかってないしな」

軽音部のベーシスト、吹奏楽部のピアニスト部長、サッカー部のエースという翔陽プリンス軍を軽く抑えて学内イチ人気があると言っても過言ではない藤真くんは、部活を離れると少々ライトであることでも知られる。要するにちょっとバカっぽくなる。成績が悪いというのではなくて、よく言えば気さく、悪く言えば単純……

周囲が部活中の藤真くんに抱くイメージ、それは同じバスケ部の花形くんが持っているという。インテリで物静か、穏やかだけど少々いたずらっぽい。そういう人だと誰だかがいっていたような。確かに中間も期末も順位が張り出される度に花形くんの名前を見る。

そんな藤真くんによお! と声をかけられた私は、無難な受け答えをして失礼しようと思っていたのだが、変なものでも食べたのか、藤真王子は「今帰り? 一緒に帰ろっか!」などと意味不明なことを言い出す始末。道すがらわかったことではあるけど、お互いの自宅も近くて、私には断る理由がなかった。

そうやって雑談しつつ並んで歩いているだけでも何か失礼を働くんじゃないかと気が気でないのに、藤真様はまたとんでもないことを言い出した。きっと今日は頭にボールが直撃したに違いない。

「なあ、、腹減らない?」
「えっ、お腹!?」

鸚鵡返すところはそこじゃないだろうと自分でも思うが、だってライト藤真がバカなこと言い出すから!

「一応昼は食べたんだけど、減ってきちゃったよ。は食べてきた?」

予算2万を全10回のフィールドワークで使う我が歴史部の場合、1回2千円割ってひとり500円の予算は入場料や拝観料に消える。というかもちろんそれにも足りない。ので、お昼は基本的に弁当持参である。フィールドワークの帰りにどこかでおいしいもの食べて帰ろー! なんていう女子くさいことが苦手な4人です。部長が特に。

そんな事情な上に、今日に限って私はお弁当のことを忘れていて、なおかつ時間もなかったのでおにぎり1つでした。フィールドワークというだけあって歩き回ってきたので、藤真くんの提案は正直魅力的ではあった。

だがしかし、地味な部活でオタクな女が翔陽ヒエラルキーの頂点にいる藤真様とお食事だなんて、それに耐えられる図太い精神構造をしていたら私はチア部かなんかで舞ってたと思うんですよ。だからどう考えても無理だと思って、断ろうとした私の袖を藤真くんがツンツンと引いた。

、オレあれ食べたいんだけど」
……ふわとろおむらいす プリュイ デ プランタン」

春雨じゃ、濡れていこうってか。王子、なんなんだこのミニョンな店は。

「ああいうの、オレひとりじゃ入れないからなあ。はオムライス、だめ?」

だめじゃないけど、オムライスには罪はないけど、ぶっちゃけサムい。

なのに、普段数百年前に死んだ殿方の生き様に胸熱くしている私ごときがこの誘いを断れなかったのは、ひとえに王子の可愛い笑顔のせいであったことは、まあ、言うまでもないですよね。たぶん私もひとりでなんて入る勇気は持てそうにない可愛らしい店with王子。まあ、一生の記念てことで。

「オレ、デミグラハンバーグ大盛りにグリルポテト!」

ふわとろおむらいす プリュイ デ プランタン、その店内は華やかな女子で溢れかえっているんだろうと思っていたら大間違い。柔軟材臭いカップルで溢れかえっていました。そんなわけで部活帰りの藤真くんの胃を満たす大盛りも完備です。今すぐここから出て行きたい。

「あーチョコパンケーキも食べたいなあ、はんぶんこしない?」

無茶言うな。

「えっ、そんなちっちゃいのだけでいいのか」

ちっちゃいのって、いわゆるレギュラーですよ。というか王子、両隣の彼氏連れの女がポーッとなってますが。

「やっぱりポテトやめてパンケーキにしよう」

王子はご機嫌な模様。私は両隣のカップルの彼氏の方の視線が痛い。王子が可愛いのは私のせいじゃない。

オーダーを取りに来た従業員ですらどきまぎしている。王子、あんたどんだけよ。オーダーが終わった王子はメニューを所定の位置に戻して、さらさらの前髪をひょいとかき上げた。垂れていた前髪が半分めくれて、きれいなおでこが露わになる。隣の女が口から玉子落としたのを私は見逃さなかった。

さて、間が持てない。無難なことを聞いて王子に喋っていてもらおう。

「藤真くんは今日もう部活ないの」
「うん、練習試合だったから一応は終わり。現地解散。でもみんな個人的に練習するからね」

ということは一度帰ってまたどこかへ行って練習するということか。なるほど、学校に戻るんだったら私と遭遇するはずがない。というかひと試合してきてまた出直して練習って、考えただけで吐きそう。本当に人間なんだろうか。

も今日部活だったんだろ、何するの、フィールドワークって」
「えっ私!? ええとその、史跡とか寺社仏閣とか資料館とか」
「なんか社会科見学みたいだね」

その通りです。だから部員が少ないです。てか私のことなんかどうでもいいというのに。

「今日はどこ行ったの?」
「え、きゅ、旧岩崎邸庭園だよ」
……ってごめん、そこはなに?」

王子の苦手な幕末ネタなのだけど、まあ三菱財閥とか龍馬とか説明は難しくない。

「へええ、洋館かあ、似合うねそういうの」
「ふぁ!? そ、そんなことは」
「でもなんか楽しそうだね。オレずっとバスケ部だから文化部って全然わからないや」

そんなものですよ王子。マラソン大会で吐いて搬送された私にも運動部のことは理解できない。

「ねえねえ、は新撰組って詳しいの?」
「し、新撰組!? 詳しいというか、普通だよ」
「他校の女の子がさ、オレのことオキタっていうんだよ。それって沖田総司のことなのかな?」

限界でした。私は王子を目の前にして、一応手で押さえたとはいえ盛大に吹き出し、引き笑いしました。

「わっ、笑うなよ、オレだって呼ばれたいわけじゃないぞそんなの」
「ごめん、ほんとにごめん、無理、もう無理」

私はテーブルに顔を伏せてしばし笑いがおさまるのを待った。わりとゴツい仲間たちの中で、王子はひとり線が細くて顔も小さくて、何より美形なのでそんなあだ名をつけたくなった他校の女子たちの気持ちはわかる。

やっと笑いが引っ込んだところに、ふわとろおむらいすがやってきた。にこにこの王子がぱくぱくと食べている正面で、私は色々感情が振り切れたせいで食欲がガタ落ち、しかし下手に気を使わせたくないから必死でオムライスを口に押し込んだ。

「でもあれだね、って教室にいると静かだけど、こんな風に喋るんだね」

そう言いながら、王子はにっこり。隣の女が今度は水を零しました。

「今年はクラス違っちゃったし、去年もそんなに喋らなかったもんな」

というか一言も喋ってないはずですよ。

「あのさ、が嫌じゃなかったらさ、ほんとに日本史教えて欲しいんだけど、だめかな」

ちょっとどぎまぎしながら、ちょっと首をかしげて、身を乗り出して、困ったような笑顔で王子にそんなことを言われて、一刀両断に断ることの出来る女がこの世にいるわけがない。と思いますたぶん。

「実は日本史の授業の担当がさ、すんごい幕末好きでさ、なんかずっと幕末やってんだよね」

すいませんそれうちの顧問です。ごめんなさいごめんなさい。

「苦手は苦手なんだけど、今ほんとにそれだけだから、解れば楽ではあるよね」

私がレギュラー一皿に苦戦してる間に藤真くんは大盛りをペロリと平らげ、チョコパンケーキに突入する。なんというかこう、王子の場合スイーツ男子というよりは幼稚園児っぽい。おいしそうにもぐもぐやっている姿は本当に可愛い。私より頭ひとつくらい大きいということを忘れそう。

そんな私の視線を藤真さまはド勘違いなさいまして……

「はいどーぞ!」

これが漫画やアニメなら私の顔は真っ白で垂れ線だらけになっていたに違いない。

王子が一切れカットしたチョコパンケーキを私の目の前に突き出して、にっこり。私は満腹の腹が嫌だと文句を言うのを無視してなんとか口を開き、王子が使っているフォークに唇でも歯でも当たらないように細心の注意を払ってパンケーキを頂いた。

間接キスとかそんなピュアっピュアなこと言ってる場合じゃない。あまりに純真無垢な王子の振る舞いが眩しすぎて、終いには後ろから光が差して見えるような気さえして、失神しそうです。

「じゃホントに教えてもらっていいんだね」
「お役に立てるかどうか解らないけど……
「大丈夫大丈夫、説明上手だから」

個人教授するまでに「ベニスに死す」でも見て美少年耐性をつけておかないと本当に意識を失いかねない。

そして見た目だけでなく中身もイケメン要素満載の王子は、オムライス代を奢ると言って聞かない。授業料ってことでオレが出してやるよ的な言い方でちょっと鼻息が荒い。何でそんなことになってんのよ通りすがりの5クラス離れた同級生ってだけなのに!

「いいじゃん、そしたら今度の手料理でも食べさせてよ」

伝票を掴んで離さない藤真くんがぐいと顔を寄せてくる。息が止まる! 助けて!

どうも私は頭で考えていることの半分もちゃんと言葉に出来ないようで、結局奢ってもらう羽目になってしまった。社会人ならともかく、バイトする暇もないスポーツ少年なのに、なんで一皿890円もするオムライスなんか奢ろうとか思うわけよ? かっこつけたいの? 男の見栄? あんた王子でしょうが!

申し訳ないやら納得が行かないやらで、私は少ししょげていた。お腹が膨れて満足したらしい藤真くんはまたにこにこ顔で横を歩いている。私の家と藤真くんの家は大きな通りを挟んで左右方向にあるというご近所さんだった。その大きな通りで校区どころか市が分かれるから、小中とも同じではないんだけど。

「なあ、勉強のことだけど、どこでやるのがいい?」
「ええと、図書室とか?」

と言ってしまってから気付く。校内は絶対にダメだ! 私はまだ死にたくない!

「学校はちょっと……いやだな」
「そ、そうだよね? ごめん、そしたらどこがいいかな」

ほら藤真様も嫌がっておられる。こんな得体の知れない女子と図書室でふたりきりなどとんでもない。それなら市内の図書館? それとも駅前のカフェ? 私の知っている範囲ではそんな所くらいしか思いつかない! そんなことを考えてぐるぐるしていると、王子がまた袖を引いてきた。

「オレの家って、ダメ?」

何言ってんのこの人! 私なんぞが王子の邸宅に足を踏み入れるなど……と泡を食ってしまい、口をパクパクさせていたときのことだった。歩道でなんとなく向かい合っていた私たちの後ろから、固いヒールと思しき音が聞こえてきた。しかも、超高速でカカカカカッと。

「空いてる時間はメールするよ。あ、アドレス、教えてもらえるかな」
「え、え、あの私」
「あっ、い、嫌じゃなかったらでいいよ、学校でも話せるから……

そんな滅相もない、と思った瞬間。藤真王子は真横に吹っ飛んで私の視界から消えた。

「健司ィィー!! てめえ彼女かよオイィ!」
「ってかすげえ可愛いんですけどー! やりおる!」

今度こそ私は口をだらしなく開いて硬直した。あの藤真王子がやたらと背の高い美女ふたりに羽交い絞めにされている。ひとりはスーツに巻き髪がゴージャスな色白のセクシーダイナマイツ、ひとりは金髪ボブに真っ赤な口紅とロックスタイルのセクシーダイナマイツ。どっちもえらく肉感的な美女だ。

どちらも刺さりそうなヒールの靴を履いているが、それを脱いでも確実に170cmを越す長身で、藤真くんはもみくちゃにされている。一体、いまここで何が起こっているというの……

「やっ、やめ、離せよ! いい加減にしろよ姉貴!」

姉貴!? お姐……いえ、お姉さま!?

「何でこんな時間にこんな所にいるんだよ! 仕事はどうした! ほらもうがビビってんじゃないか!」
「今日は半休取って夜に発つって言っといただろうがボケナス」
「それよりなんなのこの子、あんたマジすんごい上玉じゃないやべえJK可愛すぎる」

お姉さまふたりが藤真くんをどつきながら、腹を抱えて笑っている。私はまさに目を白黒状態で、よろよろと後ずさりした。本と墓と寺社に親しむ一介の歴史部員である私は、このようなきらきらと強い光を放つ大人の女性に免疫がないので、眩暈がします。ほんとに目の前グラグラしてます。

「お、おい、大丈夫か、ごめん驚かせたよな、、しっかりしてくれ」
「ご、ごめんなさ……
「いやが謝る要素どこにもないだろ」

ふらふらしている私を、王子の腕が抱きとめて支えてくれる。やばい、これはやばい。

「うわおいやべえまじ可愛いんですけど、お人形さんみてえ」
「え、ちょ健司どうやって落としたんこんな、つか翔陽にこんな子いんのかよレベル高え!」
「ちょっと黙れよこんな往来で! いい年して!」
「健司お前今なんつったおい……
「健司コラてめぇいい根性してんな覚悟しやがれ発つ前にブッ潰したらァ」

お姉さまたちはまるでマシンガンだ。見れば確かに似たような顔だ。こんなきれいな顔が3つも並ぶとさすがに圧巻、画面越しのビョルン・アンドレセンどころの話じゃない。そして、その真ん中にある藤真くんは泣きそうだ。

、助けて〜」

無理です。