七姫物語 * 姫×傭兵

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国境付近での紛争は決着が付かないまま8年が経とうとしていた。お互い事を大きくすると費用ばかりがかさむというみみっちい理由からちまちまと争っては引き争っては引きを繰り返した挙句、どうにも引っ込みがつかなくなり、やがて妥協できる所も妥協する気にならなくなり、しかし一気に片付ける余力はなくなるばかり。

そもそもの発端は甲国にて勾留されていた反体制派の重要人物がなぜか脱走したことによる。その人物は城の地下牢にしっかりと閉じ込められていたはずなのだが、ある晩に忽然と姿を消し、そして数日後には乙国に亡命、甲乙双方はその前からあまり関係がよろしくなかったが、甲国の引き渡し要請を乙国はあっさり拒否、両国間の緊張は一気に高まった。

それが国境沿いの衝突へと発展したのには諸説あって、おそらく甲乙どちらもきっかけを探していた状態であったことが原因と見るのが一般的だが、ともかくこれも甲国を逃げ出さんとする逃亡犯が国境を超えたのは乙国が手引をしたからだ、いや甲国の管理が甘い、ないしは逃亡犯を逃がそうという勢力の潜入を許したのだろうという言いがかりの言い合いになり、甲国の反体制派である逃亡犯が乙国に亡命して1月後に突然武力衝突に突入した。

以来8年間小競り合いを続けている。

8年の積み重ねで甲乙どちらもだいぶ疲れている上に貧しくなり、8年も子供じみた喧嘩を繰り返している国に未来はないと国民の流出も始まり、いい加減紛争を終わらせたいが終わらせる方法がわからなくなってきていた。人口が減るので税収も減り、産業は滞り、しかし紛争に金はかかる。

「人手不足なのはわかるけど、嫌な役目」
「嫌な役目だから押し付けられてるんじゃない?」

この甲国の王女であるは従姉妹と一緒に城の地下一階にある厨房で袖をまくり上げ、配膳の支度をしていた。ふたりとも身分は王女だが何しろ8年の紛争の中で人手不足、ドレスを着て召使にかしずかれる生活は殆どしたことがない。その上こうして毎日城のあちこちで仕事をしている。今日は朝早くに捕虜が連行されてきたので、いつもより仕事が多い。

「わかる。猫の手も借りたいのはよーくわかる。だけどさ、王女じゃなくても女の子にこんなことさせる?」
「最近看守も減らされたから……
「そんなことしてるから囚人に脱走されるんじゃないの」

はほとんど諦めているが、従姉妹の方は文句を言いっぱなし。確かに地下牢の中にいるのは全て男性、しかも現在はその殆どが軍人や傭兵で、女性が働く場所としてはあまりよい環境にあるとはいえない。以前にも食事を運んでいたら唾を吐きかけられた経験があるので、従姉妹の王女はこの仕事を本当に嫌がっている。

「岩男みたいなゴツイのが運んできたら無視するだけで何もしないのに、女だとすぐそういうことをするんだもん」
「色目使って大人しくさせろとか簡単に言うけど、そんなの無理だもんね」
「それだって王女にさせること!? お祖父様もおかしい!」

現国王はふたりの祖父。の父が長男、従姉妹の父が次男である。人手不足なので娘どもを働かせろと強要しているのは祖父だ。そんなわけで一応お姫様だがふたりとも質素でそのようには見えない。

「だけど食事を包んじゃって投げ込むっていうのはいい思いつきだったね」
「これなら近寄らなくて済むでしょ」
「よしよし、バンバン投げ込んでさっさと終わりにしちゃおう!」

地下牢は鉄格子だけの房なので、あまり近寄ると中から手を伸ばされて掴まれてしまう。一応屈強な男性看守もいるけれど、人数が少ないので常に方々に見回りに出ていて、たちの配膳に付き合ってはくれない。

配膳の際は一番奥の壁に両手をつくまで食事を差し入れない決まりになっているけれど、従姉妹の言うように女だと思ってバカにしているので言うことを聞かなかったり、ちょっとモタつくと急いで戻ってきて手を触ったりするので危ない。なのでは食事を全て紙でくるみ、紐で縛り上げて投げ込むことを思いついた。

水も同様に瓶に詰めて栓をし、藁でくるんで縛ったものを鉄格子に向けて転がせばいい。これで各種攻撃は全て無効化できる。声だけは閉じ込められないが、それは無視するしかない。卑猥な言葉で王女を侮辱する者も多いが、いちいち相手をしていたら疲れるばかりだ。

ふたりは収監されている人数分の「お弁当」を作ると、籠の中に詰め込み、地下牢への階段を降りる。足音を聞きつけた囚人たちが一斉に喚き立て、今日の配膳係がたちであることがわかるとさらに騒ぐ。

「じゃ、私東通路行くね。西通路よろしく〜!」
「了解〜! 何かあったら鈴鳴らしてね」
「おらおら静かにしないと餌やらないぞ〜!」

ふたりは安全のために大きめの振り鈴を携帯しており、何かあればそれを鳴らすことになっている。従姉妹の威勢のいい声を笑いながらも押し車に載せた食事を投げ込んでいく。今日は手はおろか、よっぽど上手くやらないと唾すら届かないので囚人たちは余計にイライラして罵声を浴びせかけてくる。

が担当することになった西通路は今朝方捕虜が大勢詰め込まれたので一気に囚人が増えた。配る量もいつもより多い。そんな中、南通路に通じる辺りの独房にて、は弁当の投げ込みをしくじって鉄格子にぶち当ててしまった。だが、格子の間から手を出せば届くのでそのままにしておく。

水を転がして次の房へ行こうとしたその時だった。やけに静かな房の中から低い声が聞こえてきた。

「ヘタクソ」

その声が他の房の囚人たちとは雰囲気が違うので、はつい足を止めた。房の中は暗くてあまりよく見えないが、男がひとり壁に寄りかかっている。廊下の明かりが届ききらないので胸から下しか見えないが、服装からして乙国正規の兵士ではなく、寄せ集めの傭兵のようだ。

「いちいち取りに行かせるな。ちゃんと投げ込めよ」
……このくらい自分で取りに来なさい」
「捕虜は人道的扱いを受ける権利があるってのに、この国は芯から腐ってんな」
「それには反論しないけど、たかが数歩の距離でしょ、自分で取りなさいね」

こうして口の立つ囚人がいるのは珍しくないけれど、以前意図的に洗脳の得意な工作員が捕虜になって収監されてきて、まんまと看守を丸め込んで情報を引き出した後に脱獄しようとした。なので以来地下牢の仕事をする者は「まともな話し方をする囚人に取り合ってはならない」と教えられるようになった。

は強くも弱くもない声でさらりと言う。過剰反応が一番良くない。すると、房の中から何かが飛び出してきてが抱えていた籠の中にスポッと落ちた。見ると床に敷き詰められている藁を丸めた球だった。お前はヘタクソだけど自分は上手いんだと誇示したいのだろうか。は少し呆れてそのまま立ち去る。

その先の通路を行きながらはふと考える。現状何の役にも立たない捕虜を留め置くのは負担にしかならない。卑猥な言葉を叫ぶしか脳がないように見える捕虜でも何かしらの利用価値があるから殺さずに連れて来られている。あの傭兵らしき囚人は一体どんな価値があるのだろう。

ただひとつわかるのは、無国籍で報酬のために働く傭兵のはずなのに、あの囚人はこの国を芯から腐っていると言った。そんなこと若くて自分が賢いと思っている軍人でなければ言わないような挑発だ。一体あの囚人は何を恨みに思ってあんなことを言ったのだろう――

ぼんやり考えながら食事を配り終えたは、南通路を通って従姉妹と合流、全ての房に配り終えたことを確認するとまた階段を上がって厨房のある地下一階に戻ろうとした。地下牢は入り組んでいて広いのでさすがに疲れた。今日は投げ込み弁当のお陰で特に被害もないし、厨房に戻って自分たちも昼食を食べてさっさと地上に戻ろう。そう思っていた。

「あっ、しまった!」
「どうしたの」
「さっき紙でくるんでた時、喋ってたからつい紐を錠前結びにしちゃった」
「えー。どうすんのそれー」

はバチンと手のひらを額に叩きつけて肩を落とした。「錠前結び」はこの国に古くから伝わる紐の結び方で、この国に育ち慣れた者でないとそう簡単に解けない結び方である。なので鍵のような結び方で「錠前結び」。が投げ込んだ房の囚人たちは食事の包みを開けられない。

「ちょっと様子見てくる。紙を破いて開けてくれればいいんだけど……
「紙の方も記録紙の切れっ端だから破れにくいしなあ……
「刃物は渡せないから、うーん、どうしても開けられないって言われたら返してもらうよ」

そして一度解いて普通の結び方に直して改めてポイ、である。面倒だがこれしかない。

「じゃ私厨房でご飯の支度してるよ。気を付けてね」
「うん、ごめんね。すぐに戻るから」

空になった籠を頭の上に担いだ従姉妹と別れ、はまた地下牢に下りた。西通路に入るとさっそく「開かねえぞコラ!」という罵声が飛んできた。はひとつひとつ解いては結び直して放り投げていく。その間延々と汚い言葉を聞かねばならないが、それにしては内容が似たり寄ったりで捻りもなく、は少しずつ慣れてきた。

そうしてあの南通路近くの房の前に来た時だった。鉄格子から少し離れたところに食事を包んであった紙がクシャクシャに丸められて落ちていた。破いた様子はない。しゃがんで手を伸ばしてみると、丸めた紙の傍らにきれいに解けた紐が落ちていた。はその紐を拾い上げてじっと見つめる。するとまた低い声が聞こえてきた。

「ゴミ拾いか」
……これ、解けたの?」

房の方を見ずにがそう言うと、中で床をザッと擦ったような音が聞こえて、それきり何も言わなくなった。も紐と丸めた紙を廊下の端に追いやるとそのまま立ち去った。飯が解けないとわめく囚人たちに紐を結びなおしてやりながら、は考え続けていた。

あの人、この国で育ってこの国の初等科教育を受けている。錠前結びは子供の頃に学校で習うのが普通だから、この国に住んでいても大人になってから移住してきたような人は結べないし解けない。紐はきれいに解けてた。それがなんであっちの国の傭兵で捕虜になってこんなところに収監されてるの?

そしてが紐を解けたのかと問いかけたことで、自分の出自がバレたことに気付いている。

の頭の中には当然の言葉が踊る。諜報員――

もしあの錠前結びを解いた囚人が偶然の捕虜などではなく潜入を目的として意図的に捕縛されたのだとしたら、余計なことを考えずに父や祖父に報告せねばなるまい。しかしはどうしてもそんな気になれないでいた。

だってわざと捕虜になってここに潜入したのなら、錠前結びを解いて鉄格子の向こうに放り出しておくなんてバカな真似しないでしょ? あれが解けて当たり前の育ちだったから何も考えずに解いてポイッて捨てただけじゃないの? それともこっちの国出身の人に訓練させられて、わざとこの国出身に見えるように主張してるとか?

――それもおかしくない? この国出身だったからって何も好転しない。むしろ裏切り者として裁かれるのがオチじゃないの。捕虜の状態で実はこの国出身です、と明かすことには何の得もない。つまりあれはやっぱり「うっかり」やってしまったに過ぎない。本当にこの国に生まれ育って、だけど途中でなぜか国を出て傭兵になった。

なんで? 乙国だって状況はうちと殆ど同じで、乙国に与したって安全も安心もないし待っているのはどうせ小競り合いか貧しい暮らしだけだし、というかそもそも兵士じゃなくて傭兵なんだから、乙国でも正式な国民じゃないかもしれない。甲乙双方から流出が止まらない難民は大陸中に散らばってるけど、だからこそそんな簡単にどこかの国の国民になんかなれない。

声の感じからして、年の頃はとそう変わらないような気がした。生まれた時はまだ紛争が始まる前で、初等科を出る頃になって急に情勢が悪化した、そのくらいの世代。

――そういえばあの人言ってた。「この国は芯から腐ってんな」

この国に恨みがあると言ったら反体制派。特に今のの祖父の政権に不満がある人々のことだが、もし彼がこの反体制派の人物なのだとしたらそんな台詞を吐いてもおかしくはない。おかしくはないけれどその反体制派というものはの父親の世代の運動であって、の世代は少し遠い話だ。

洗脳? だけどそれなら乙国の兵士のはずだ。傭兵は不自然。錠前結びを解いてしまうなんて間違いも犯さない。

考えが堂々巡りで鬱屈してきてしまったは、すっかり深夜だというのに寝床を抜けだして地下へ続く階段を降りていった。昼間弁当を作った厨房を通り過ぎて看守の詰め所に向かう。

「ふぁっ、ひ、姫様、こんな時間に一体」
「すみません、昼間落とし物をしてしまったみたいなんです」
「おや、何でしょう、大体の場所がわかれば私が――
「いえ、自分で行きますから西通路の格子を開けて下さい」
「えっ!? そ、それはマズ、いやそんな危険なことは」

居眠りをしていた看守は慌てておろおろしている。何しろは夜着にガウンを羽織っただけの姿で髪もまとめておらず、いくら鉄格子があるとは言っても囚人の巣窟に、しかもこんな深夜にとんでもない話だ。まあそれはも想定済み、背後に隠していた瓶をスッと掲げて看守に差し出した。酒だ。

「そう時間はかかりません。これでも飲んで待っていてくれませんか」
「こっ、こりゃあ……でもその、いいんですかい、私何かあったら――
「構いません。この瓶は私の私物なので、私が仕組んだことの証拠に出来ます」

5年前に紛争貧乏が進む中で突然成人年齢が大幅に引き下げられ、たちはいきなり大人になった。その時に王女の成人記念として作られた酒の瓶で、本人に贈られたもののみ特別な装飾が施してある。はその瓶に最近では滅多なことでは手に入らない酒を詰めて持ってきた。看守はよだれを垂らしている。

「本当に時間はかかりません、鍵を開けて私を入れたらまた閉めて、戻ったら開けて下さい。それだけでいいです」
「わかりました。鈴はお持ちですか。何かあったらすぐに鳴らして下さい」

は頷いて松明を取り、鉄格子の前に立つ。西通路の房からは既に騒がしい声が上がっている。鍵が開くとまたに卑猥な言葉が投げかけられる。だがはそんなものには一瞥もくれずにスタスタと壁際を行く。そして南通路への出口が近くなってくる辺りで足を止めた。

昼間、解けた紐と丸めた記録紙の切れっ端を壁際に避けておいたので、それが目印だ。

それを確かめると、は松明を低く掲げ、暗い虚のような房に向かって突き出した。真っ暗な房の中に炎の明かりが差し込み、昼間と同じように壁に寄りかかっている囚人の姿を照らし出した。

……処刑の時間か?」

壁に寄りかかり膝を立てている囚人は、肩まで伸びた髪の隙間からニヤリと笑う。やはりと同世代くらいで、しかしその表情は侮蔑と嘲笑に満ちていて隙がない。それには怯まず、は歩を進め、鉄格子に松明の火が当たるところで止まり、しゃがみ込むと声を潜めた。

「あなた誰?」