七姫物語 * 姫×側近見習

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「そうしてみんな幸せに暮らしました、めでたしめでたしって言うけどさ、こんなに雑な投げ方もないと思うわけよ」

気持ちよく晴れた日の午後、とある国の王女であるは庭の芝生の上に座り、膝の上に童話の本を開いたままブツブツと文句を言っている。もう童話を読むような年ではないのだが、今度は自国に伝わる童話とその歴史的背景という点でお勉強中である。近いうちに学院から招いた教授に研究内容を提出しなければならない。

その姫の傍らで資料をめくっては、必要と思われる箇所に栞を挟んでいるのが木暮という側近見習。

「雑、ですか?」
「だってそうでしょ、そのまま一生平穏になんていくわけないじゃない。結びの言葉として投げやりだと思う」
「そもそもは子供向けなんですから、そのくらいの方が希望があっていいじゃないですか」
「そんな甘っちょろい希望なんかあったって何の役にも立たないと思うけど」

は本を投げ出してばったりと倒れ込む。木暮はすぐさま手を伸ばしてひざ掛けを取り、の膝から下あたりに被せておく。これでも一応嫁入り前のお姫様である。

「こんな平和な時代に生まれた姫が言っても説得力ありませんけどね」
「そんなことないでしょ。童話の中にも嫁姑問題は出て来るし、家族で殺し合いもする。戦がなくても世は乱れる」
「家庭問題と戦乱を一括りにするのはずいぶん乱暴ではないですか」
「そう? 外に戦あれば内は結束固く穏やかに、その逆も然りじゃないの」
「つまり平和だけど姫の日常は退屈だと言いたいんですね」

図星を指されたは童話の本を顔に被せて黙る。

「おかしいですねえ、退屈するほど暇じゃないはずなんですけど。この間の数学の問題解けたんですか?」

寝たふり。

「あと語学の先生のところ、もう4日も顔出していないでしょう。せっかく来て下さってるのに」

わざとらしい嘘いびき。

「お菓子作りの名人に習いたいとか言って呼び寄せたのに、それも――
「あーもう、うるさーい!」
「姫はやる気があるのはいいんですが、どうも長続きしませんね」
「どうせ根性のないお子様だもん」
「お子様でも根性がある方はいらっしゃいます。姫はただ飽きっぽいだけ」

がばりと起き上がったはその辺の草をむしっては木暮に投げつける。また図星だからだ。

「どうしてそう意地悪なの」
「意地悪ではありませんよ。国王陛下から直々に姫をお助けするよう言われておりますから」
「助けてないじゃん」
「こうして姫が自力でやるべき勉強を手伝っているというのになんとご無体な」
……てかその言い方も可愛くない」

それも仕方あるまい、木暮は要人の側近になる勉強をしている見習であり、の召使ではない。だが不幸にもこの城にはの相手を要領よく務め、この飽きっぽい姫をうまくあしらえる人物がとても少ない。国王陛下は木暮を口説き落としての面倒を見てもらっているというわけだ。年も同じだし、ここはひとつ頼む!

その代わり、見習の間にかかる費用を半額にしようと言うので木暮もつい頷いてしまった。木暮は側近のいろはを実践的に学ぶためにこの城に来ている、いわば留学生だ。半人前なので報酬はない。衣食住は補助してもらえるが、それ以上にかかってしまう分に関しては後日見習を卒業した後に返済しなければならない。それが半額。

助かるけどなんか違う……そんな状況だが、木暮は文句も言わずにの相手をしている。

見習として学ぶべきことが後回しになっている感は否めないけれど、何しろこの飽きっぽくてすぐ文句ばかり言うお姫様の相手、これが木暮は本当に上手い。1日か2日で木暮の手の上でコロコロと転がされるようになったは否定するが、すっかり木暮は「めんどくさい姫担当」の見習になってしまっている。

「はい、終わりましたよ。関係ありそうなところに栞を挟んであります」
……いつも仕事が丁寧で早いよね」
「お褒め頂いて光栄ですが……何か変なものでも食いました?」
「どうして素直に喜べないの!?」
「喜んでますよ。ただちょっと姫に褒められるとか信じられないというだけで」

みんなに持て余されていたの方も木暮がちゃんと相手をして面倒を見てくれるので、本当のところはすごく嬉しいのだ。しかしそんなこと正直に言えないのはお年頃といったところか。そこへ午後の休憩時間を知らせる鐘が聞こえてきた。

「結局何もしませんでしたね」
「ちゃんと自分の部屋に帰ってやりますー」
「そう言って本当にやった試しないでしょう」
「じゃあ部屋まで来て手伝ってよ」
「一介の見習が王女の私室に入れると思ってるんですか?」

木暮は胸ポケットから時計を出して時間を確かめると、王女様の「お庭でお勉強一式」をてきぱきと片付ける。

「なんでこんな勉強しなきゃいけないのかな、私お姫様なのに」
「お姫様だからでしょう?」
「どうして? どうせどこかに嫁に行くくらいしか将来がないのに、勉強なんて」
「だからですよ。お嫁に行かれたらもっと難しい問題を論じなきゃいけない時もあります」

木暮がすっかり支度を整えたので、も渋々と立ち上がる。まだ日も高いし、庭はポカポカと暖かくて気持ちがいいのだが、木暮は午後の休憩以降は見習としての勉強がある。は部屋に戻りお勉強、夕食を終えたらまたお勉強、そして就寝。一応そういう生活をするように国王から言いつけられているが、基本的には守られていない。そんな生活面白くない。

「そんなのヤダ」
「嫌でも仕方ないでしょう。どこにも輿入れせずにおひとりで生きていくならやっぱり勉強しないと」
「それもヤダ〜」
「でしたらそろそろ輿入れ先を見つけていただいたらどうです?」
「どうして?」
「姫はまだ妃としてはかなり若いことになりますから、年寄りの後妻とかならバカでも喜ばれます」
「そんなのもっとヤダー!!!」
「なんでですか。年寄りの夫がすぐに死ねばあとは天下ですよ」

は荷物を抱えて直立不動の木暮の背中を拳でボフッと殴る。

「そんな人のところにお嫁に行くのは絶対嫌!」
「じゃあどういうのがいいんですか」
「えーとね、かっこいい王子様。……その真顔やめて」

妃としては若かろうが、子供ではない。王子様がいい! なんていう年頃でもない。真顔も已む無し。

「私、馬は金色に見えるアハルテケが好きなんだけど、それに乗ってね、私を頂きに参りましたって言うの。白い服に深い臙脂のマントで、手袋は茶の革なの。それで私を抱き上げて馬に乗せて連れて行くの」

がウットリしていると、休憩が半分終わったことを知らせる鐘が鳴る。

「姫、休憩時間終わっちゃいますよ」
「もー、せっかちなんだから……
「そういう殿方を父上に探して頂いたらいいじゃないですか」
「言ったことあるけど鼻で笑われた」
「でしょうね」

休憩時間の間に準備をして担当官であるの叔父のところに行かねばならないので、木暮はソワソワしている。叔父はの相手をしていると知っているので遅刻しても咎めたりはしないが、木暮の方が性に合わない。木暮は辺りに人の目がないことを確かめると、の背を押して歩き出す。本来なら見習が姫に触れることは大変なご法度だ。

「では姫、また明日。宿題は放置しておいても溜まるだけで消えませんからね」
「じゃあ木暮の部屋に行く」
「姫、私の首を切りたいならそう言って下さい」
「もー、わかった。じゃあね」
「はい、失礼致します」

が背を向けて立ち去ると、下げていた頭を勢いよく上げて木暮は走りだした。遅刻遅刻!

「姫! もう少し真面目にやって下さいませ!」
「私は真面目にやってるもん! マダムこそどうして練習相手を変えてくれないの!?」
「この国で一番優秀な方だからです!!」
「嘘! マダムの愛人だからでしょ!!!」
「姫!!!」

昼間からぎゃんぎゃん言い合っているのはダンスの先生であるマダムとである。王女たるもの晩餐会などで催される舞踏会で踊れませんというわけにいかないのは当然なのだが、練習の相手としてマダムが連れてくる男性がは苦手なのだ。理由は「臭いから」。

「姫、彼は香水などは一切付けておりませんのよ」
「だけど臭いもん。生理的に合わないんだと思う」
「舞踏会ではそういう方と踊らなければならないこともあります」
「そういう時は10分程度、あの人は週2で1回2時間! 同じに考えないでよ!」

なのでは改善を要求するため、自分の部屋に鍵をかけて閉じこもった。扉の内と外で言い合いをしていたとマダムだが、その騒ぎが収まらないのでやっぱり木暮が呼ばれてきた。で困ったら木暮、というのが今この城では常識になりつつある。今日はダンスの授業だから用はないと思っていた木暮は慌てて飛んできた。

「あっ、木暮様どうにかしてくださいこれ」
「姫、木暮です。入ってもよろしいですか」
「やだ。開けたら木暮じゃなくてマダムが入ってくるもん」

まあそれは事実なので木暮はマダムに事情を伺う。

「他に練習相手を務めてくださる方はいらっしゃらないのですか」
「いますとも。いますけど姫の相手が出来ないのですよ、どなたも。残るは陛下くらいしか」
「それではますます姫のへそが曲がりますね」

年頃の娘らしく、は父親も臭いという。これは本能によるものなので仕方ない。

……そういえば木暮様はいつも一緒にいらっしゃるわね?」
「それこそ陛下から直々に役目を仰せつかっておりますので」
「あなたダンスは?」
「は?」
「あなたなら姫も嫌がらないわよね? ね?」
「い、いえそのマダム」

木暮は目を泳がせて慌てているが、マダムは国王からさっさと踊れるようにせいと尻を叩かれている。彼女は手段を選んでいられない状況にあった。木暮を押しのけると扉にへばりつき、キンキン声を張り上げた。

「姫! だったら木暮様に練習相手をして頂きます! それならいいでしょう!」
「マダム、困ります! 私は見習――
「だったらいいよ!」

扉がガチャリと開いて、がぴょこっと顔を出す。マダムは胸を撫で下ろし、木暮は青くなる。

「木暮なら臭くないからね〜!」

背に腹は代えられないマダムは城を駆け抜け謁見を取り付け、国王にの練習相手の交代を願い出た。直接王女に触れる役目になるので、一応許可を取らねばならない。そもそもが勉強嫌いな娘に手を焼いていた国王はあっさり許可を出した。木暮にはあとで金貨出しておくから好きにせい。

マダムはまた城を駆け抜け、大広間で待つと木暮のところに戻ってきた。髪が乱れてボサボサのマダムはゼイゼイ言いながら広間に入ると、気まずそうな顔をしている木暮に許可が下りたことを伝える。だから頼むからこの姫様何とかして。

「というか木暮様はお国で学院を出ていらっしゃるわね? 授業でやってるでしょう」
「ええまあ、それなりには」
「そうなの? じゃあ話早いじゃん」

はにこにこしているが、木暮はまだ乗り気でないらしい。見習としての時間を邪魔したお詫びに陛下から金貨一枚出るそうだと言ってもまだ困った顔をしていた。しかしマダムはそれを申し訳なく思ってもこれしか手がない。パンパンと手を叩いて練習を始める。許可が下りたので木暮は姫の手を取り、腰を支える。

「姫! 背中! ちゃんと伸ばして下さい!」
「今やります!」

出来ないわけではないのだが、さあ練習なのでこれまでを思い出してきれいな形を取らねば、という前向きで積極的な態度がにはないのである。マダムの金切り声にうんざりしつつ、は姿勢を正して背を伸ばす。するとすぐ真上に木暮の顔があって、初めて見る近さには驚いて息を呑んだ。

木暮の顔、こんな近くで見るの初めてだな……。あれっ、この人目がくりっとしてるけど一重なんだ……

というか練習相手ですら許可がいるのだからして、は同世代の男の子とこれだけ近い距離になったことがないと今気付いた。思い返してみると、自分の周囲にいる男性は子供の頃から大人ばかりで、思い当たるとすれば乳母の子くらいだが、乳母の子はいわば知り合いなだけで友達ではないし、普段は城下にいるので滅多なことでは会うこともない。

まだ大人の男の人というには少し若い感じ。だけど髭の剃り跡がある。髪はちょっとフワッとしてる。メガネがないとどんな顔してるんだろう。肩幅広いな、しかもまっすぐ。背も高いし、何だか自分がものすごく小さくなったような感じがする。

は木暮を見上げてぼんやり考えていた。当然何をボーッとしてるんですとマダムの雷が落ちて、が練習拒否で立てこもりを起こしたせいで待ちくたびれた様子の音楽家がピアノを奏で始める。マダムの声に合わせ、木暮のリードに従っては足を踏み出した。その時である。

「あらまあ……これはどうしたことかしら」

手を叩いてリズムを取っていたマダムは目を丸くして、ほう、と息を吐いた。木暮が上手だったのである。

元があまりにやる気のないであるが、木暮を間近で見たことでぼんやりしていて、彼のリードに逆らわずにいい子に踊っているので余計にふたりのステップは綺麗に見える。木暮は基本のステップを取りながら広間の中央付近をすいすいと進み、一度も止まることなく曲が終わるまで踊った。

マダムは拍手喝采、はまだ手を重ねたまま木暮を見上げた。何だか別人のようにも見える。

「木暮、何でこんなに上手なの」
……ちゃんと出来ないと怒られますからね」
「そうですよ姫! きっとダンスの授業はいい成績を取られたのでは?」
「とんでもない。一度単位を落として履修し直しました」
「まあでは努力なさったのね。とてもそんな風には見えませんでしたわよ」

恐縮する木暮をマダムは大絶賛だ。にダンスを教える授業だが、を見ていなかった様子。

「これなら安心して姫をお任せ出来るわ。木暮様、練習に限らず姫を踊らせて下さいませね!」

こうして、側近見習として働くためにこの城へ来た木暮はいつの間にやらダンスの先生にもなってしまった。がっかりしたような顔は見せないし、わかりましたと素直に頷くのだが、はその横顔になんとなく違和感を感じていた。なんだろうこの顔、こういう顔する時って、どういう時だっけ?

練習を終えて自室で鏡台に座り、自分の顔で再現しようと試みていたは1時間ほどして答えに辿り着いた。

これ、私が宿題やってないのを思い出した時の顔だ。「やばいどうしよう」っていう時の顔!

……えっ、何で?