七姫物語 * 姫×王太子

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「すまない姫、わしがこんな体なばっかりに……

某国王家の居城の一角、天蓋付きのベッドの上でこの国の王は弱々しく手を伸ばしてそう言った。それを傍らにいた一人娘である王女はしっかりと取ると、ぐっと力を入れて握り締め、にっこりと笑って身を乗り出した。

「父上、アホなこと言ってないでさっさと薬飲んでね」
……すいません」

国王は生まれつき体が弱くて丈夫なたちではなかった。それでも家臣たちが一生懸命手を尽くしたのでそこそこ元気なまま青年になり、妻も娶り、娘も生まれた。だが、王妃は夫と生まれたばかりの娘を残して他界、喪失感に押しつぶされそうになった彼は育児に夢中になり、そして娘が年頃になったところで疲れ果てて病がちになった。

一方病弱な父親を持つ王女は生まれた時から元気いっぱい、王妃様の生命力を奪って生まれてきたんじゃないのかと陰口をたたかれるほど病気ひとつしない娘に育ち上がった。しかし活発でも母親がいないことを哀れんで可愛がってくれる人が多かった彼女は気立てのよい娘にもなった。名をという。

自分がすくすくと育っていくにつれて父親がよろよろと弱っていくので、子育てされていたはいつしか逆転して、今ではすっかり父の面倒を見る毎日になってしまった。

まあでもそれはまだいい。国王がふざけて「すまない」などと言うのは、に縁談が来ているからだ。

一国を預かる身の王がこの体たらくなので、それを反映したかのようにこの国は小さく貧しく弱りつつあった。ただ、この国は景観がとても美しい場所が多く、貧しいので町も発展しておらず、近隣諸国の裕福な人々の静養地として絶大な人気を誇る。なので余計な戦乱に巻き込まれることがないのだけが取り柄といえる国だ。

そこへなぜか「とんでもない縁談」が降って湧いてきたのは数ヶ月前のことだった。最初その打診の手紙を受け取った執務室の事務方のおじいちゃんは、封蝋に押されていた紋章を見て椅子から転げ落ちた。その上中身を改めてみたら縁組どうですか、である。おじいちゃんは腰を抜かしてしばし立ち上がれなかった。

その手紙を受け取って読んだ国王も驚きすぎて血の気が引き、一晩うなされた。そういう人々の驚愕を経てのところへ話が来たのは何日も経ってからだったのだが、はほぼ即答でそれを承諾した。なぜなら姫を嫁に頂きたいと言ってきたのは大陸の中でも一番大きく一番金持ちで一番強い国の王太子だったからだ。

何でそんな大国の王太子がこんな小国の姫を、という疑問は残るが、世継ぎのないこの国唯一の姫を貰いたいと言うだけあって、姫を貰いたいという以外にも魅力的な条件をくっつけてきた。体裁は併合だが国としての独立は維持されるというし、その上、男子が2名以上生まれたら次男以降を世継ぎにして構わないと言う。おいしすぎる。

そんなうまい話があるもんか、絶対何かの罠に決まってる、という向きもないではなかった。が、どこをどう突っついてもこの国が今以上に困ることはなさそうだった。何しろこの国きっての絶景である湖畔地域は各国のお金持ちたちが進んで寄進をして景観を保っているくらいである。例えば戦などで潰されるということも考えにくい。

簡単に言うと、色々助けてあげるのでお宅の娘さんを僕の嫁にください、ということだ。

それがどれだけこの国を助けることになるのか、は充分理解していた。なのでその場で覚悟をして承知した。聞けば王太子は同い年だというし、自称少数精鋭の外交担当に言わせると「背が高くて美少年」だと首を傾げていた。なんでそんなのがうちの姫を……と言いたいのを我慢しているようだった。

いや、が可愛くないと言っているわけではない。で充分可愛い。お姫様としては問題ない可愛らしい女の子である。だが、何しろ貧乏だし、それにしてはは「叩いても死ななそう」で、どこかで一目惚れされるようなたおやかな美姫というほどではない。というか国外など滅多に出ることもない。

「だけど、こんな慎ましい国の姫なのに政略結婚みたいなことになって申し訳ないと思ってるんだよ」
「私もまさかあんな大きな国に嫁ぐとは思ってなかったし、最初は後妻かと思ってた」

そう、打診の手紙をもらってすぐにの父たちは「間違いじゃありませんか、こんな小さい国ですよ、お相手も間違えてませんか」と確かめる手紙を急いで出した。これが分家の次男とか隠居の後添いとかならまだわかるが、王太子ということは世継ぎである。父親が亡くなればその場で国王である。間違いとしか思えない。

だが、帰ってきた返事は「間違ってないです」。国王以下国政に関わる人々はまた悲鳴を上げんばかりに驚いた。それが数ヶ月前のこと。本来ならすぐにそちらへ行って陛下と姫にご挨拶をしたいところだが、多忙の身ゆえ少し待ってもらいたい、その間にもし縁談が来ても乗り換えないで欲しいと書かれていた。

が身の程をわきまえてすぐに承諾したので、また手紙が飛んでいった。信じられない話ですがありがたくお受けさせて頂きます、ご挨拶などいつでもどうぞ、一番よい館を今から確保しておきます――

何しろ人気の静養地、たまにしか使われないけれど手入れの行き届いた美しい館がゴロゴロある。話がまとまると国王命令で城に近く一番大きく豪華な館が差し押さえられ、いつ王太子が来てもいいように準備が始められた。また、それに合わせて館と城の間の道も補修が始まり、にわかに国内が慌ただしくなった。

こんな地味な国の王家から、あんな巨大な国の王家に嫁に行くなんて! と国民の間でも人気が高まり、民族衣装に合わせて下げる首飾りが大流行した。この国の花嫁は飾り紐に色とりどりの石をあしらった首飾りをかけて嫁入りをする伝統があるからだ。

だが本人は落ち着いたものだ。近々王太子本人がやってくるというけれど、名前も聞いたことのない人物である。それと結婚すると思ってもなかなかピンとこないし、いずれこの生まれ育った土地を離れなければならないと思うと、普段通りに過ごしたかった。不安はあるけれど死ぬわけでなし、は淡々と日々を過ごしていた。

「本当に好きな人とかいなかったのか」
「うん、それは本当にいなかった。だからそういう意味でつらいとかはないんだけど……
「他にはある?」
「まあその、婿をもらうんだと思ってたから、生まれ育った国を離れるのは寂しい」

父上はごろりと寝返りを打ってスンと鼻を鳴らした。みんなのために見ず知らずの人の元へ嫁ぎます、心残りはないです、だけど郷を離れるのが寂しい……だなんて泣かせるじゃないか、という音だった。

「私あんまり深刻に考えてないよ。王太子は同い年だっていうし、まずは友達になれたらいいなと思ってる」
「お前は前向きだなほんとに」
「あとは男の子をふたり産むことが私の仕事なんだろうなって」
、お父さんを許しておくれええ」
「そういうのいいから早く薬飲んでよ」

は気弱になっている父の口に薬を突っ込み、無理やり飲ませると王の寝所を出た。弟妹もいないので、妊娠して子供が生まれるということもどこか絵空事だ。一応その辺についての教育は受けているが、それもあくまでもこの国の様式に則ったものである。向こうの国では違うかもしれない。

元より恋をした相手と結婚するのだなどとは思っていなかったから、嫌だとも思わなかった。父の言うように前向きなので向こうでも頑張ろうという気持ちもある。ただなぜか体の真ん中にぽっかりと穴が空いているような気がするのは、誰かを好きになって恋焦がれる経験もないまま嫁がなければならない、それが寂しいのだと思った。

恋をしたことがない。誰も好きになったことがない。そういう気持ちがどんなものか、知りたかったのだと。

王太子がやって来るのに合わせて入念に準備をしていたつもりだったのだが、王太子の一行が国境を越えたとの一報を受けた城内はまた蜂の巣を突付いたような騒ぎになった。王太子一行の規模が想定以上に大きかったのだ。館ひとつでは足りないかもしれない。その上小さい国なので王太子はあと3日もすれば到着してしまう。

焦った国王はよろよろしながら何とか指示を出し、王太子が引き連れて来ているという一団が全て収まるよう手配した。時間はないし人手は足りないしでまで手伝わねばならないほどだったが、城下町の表門から王太子の長い隊列が見える頃には何とか間に合った。というか象がいる。象?

もったいぶった速度で王太子の隊列が城下町に入ってくると、歓迎一色だった町の人々は一転、想像をはるかに上回る規模に度肝を抜かれ、沿道から急いで逃げ帰ると家々の窓からこわごわと覗き見ていた。

先頭を行くのは騎馬隊、騎士団、銃隊、弓兵隊。戦争しかけに来たのかと見紛う規模だ。婚約者に会いに来るのに軍隊必要か? という備え。次いで何やら高貴な身なりをした人々が馬や馬車や人引きの輿に乗って続き、その周辺には道化師やら踊り子やらがウロウロしている。それを後ろからくる楽隊の演奏が追い立てている。

その次は動物。象、ラクダ、様々な毛色の馬、檻に入った獅子、虎、熊、豹、大蛇。孔雀や鷲、鷹もあれば、犬猫もあってようやく動物は終わり。その後ろには長々と大量の荷物が積み上げられている大きな馬車が続くが、かけられている覆いの隙間からちらちらと金色が見え隠れしている。

それが終わってやっと王太子の馬車である。馬8頭引きの馬車の周りは屈強な騎士や犬で固められており、その後ろには使用人と思しき行列が延々と続いていた。服装から察するに王太子の生活に必要な人材は全て連れてきたという状態だ。

そんなわけで、何ヶ月も前から一番いい館をせっせと掃除しておもてなしの準備をしていた国王とその娘と家臣一同は王太子の馬車が到着するまでにすっかり血の気が引いて、立っているのがやっとという有様だった。象なんか初めて見た。ていうかあの象連れてきてどうすんの? 動物園でも始めるの?

、お父さん倒れそう」
「大臣、父上を両側から押さえておいて下さい」
「姫、私も倒れそう」

やっぱり一番落ち着いているのはだった。城門をすべて開き、正装でズラリと並んで待っていたのはいいが、国王や大臣たちは今すぐバタンと閉じて逃げたいという顔をしている。やがて王太子の馬車が正面にたどり着くと、たちは少し頭を下げて待つ。馬車から出てきた王太子がスタスタと進み出て挨拶を述べると、父娘はゆっくり顔を上げた。

「やっとお会い出来ましたね、姫」
……は、はい、初めまして。遠路はるばるようこそおいで下さいました」
「陛下、こちらの勝手な願いを聞き入れて下さって感謝いたします」
「とととととんでもない、このような小さく貧しい国ゆえ、何かと不便をおかけするがどうか許して欲しい」
「ご謙遜を。この国に家を持つことが近隣諸国の王侯貴族の間では自慢の種ではありませんか」

父親と王太子がそんな話をしているのをはぼんやりと眺めていた。いや、眺めていたのはやりとりではなく王太子の顔だ。意識して首を曲げて見上げなければならないほど背が高く、しかしそのてっぺんに乗っている顔は外交担当が言った通り、ぱっちりとした目の美少年であった。

見た感じは優しそうだ。王太子らしく身のこなしは淀みなく笑顔も穏やか、言葉は明瞭で静かだが威厳がある。はそんな王太子を見上げて、素敵な人だなと思った。そして、この人何で私と結婚したいんだろう……と改めて不思議に思った。わざわざこんな小さな国の王女を嫁にしなくても、国に可愛い子はいっぱいいるだろうに。

「いえいえ、これらは私からの贈り物ですよ陛下」
……全部!?」
「ええそうです。お国には子供が遊べる施設が少ないと聞きましたので、動物園はどうだろうかと思いまして」

子供が遊べる施設は、少ないのではなく、ない。というか王太子が連れてきた動物の中で国王とが見たことがあるのは犬猫に馬くらいという有様だ。父上はどんどん顔が青くなっていく。くれるというならありがたく頂戴したいけれど、慎ましい小国に生まれ育った君主なので完全にビビっている。

「そ、それでは正式に婚約の手続きを中で」
「感謝いたします陛下。ああそれから、できればひと月ほど滞在をお許し願いたいのですが……
「おお、好きなだけゆっくりしていって下され。何もないが、静かなことにはどの国にも負けてないのでな」

王太子はにっこりと微笑み、に手を差し出すと恭しくエスコートしながら入城していく。は隣を歩く王太子の横顔をまだぼんやりと見つめていた。城内にひしめく家臣たち使用人たちはそんなを見て涙ぐんでいた。姫が立派な殿方に見初められて本当によかった。そしては考える。

そっか、私、この人と結婚するのか。この人の妻になるのか。仲良くなれたらいいな――

非常に小じんまりとした造りの王座の間にて、婚約の調印式は無事に執り行われた。お互いの国の法に則り各種契約なども含めて確認が成され、まあ基本的にはたちがありがたく頂戴するだけの契約だが、とにかくと王太子は「婚約」という状態に置かれることになった。正式な結婚はまだもう少し先だ。

はまだぼんやりしつつ、手許にある婚約を取り交わしたという証書に目を落とした。の名の隣には王太子の名前がある。彼は神宗一郎――神さん、宗一郎さんというのか。

準備段階ではあれこれと手伝いもしただが、王太子が来てしまってはもう何もできることはない。手を引かれるまま調印式を済ませ、晩餐会をして、神の引き連れてきたあれこれが片付いたという報告がきたのでやっと一息ついた。今日のところはもう終わり。少し疲れたから早めに休もう。そう思っていたのだが――

「何で花嫁が実家に泊まるの!」
「まだ花嫁じゃないでしょ! てか私が泊まる準備なんかしてないじゃない!」
「ベッドあんなに大きいんだから大丈夫だって!」
「そういう問題!?」
「じゃあどんな問題!? 王太子かっこいいじゃん、も見惚れてたじゃん!」
「そっ、それとこれとは話が違う!!!」

晩餐会を終えたは、ぐったりと椅子に身を沈めて頭に氷嚢を載せている父上と言い合いになった。父上は王太子が滞在中、同じ館に――というか同じ部屋に寝起きさせてもらいなさいと言い出した。許可は得ていないというし、思いつきも甚だしい。はそんなことを先方に言い出さなきゃならないと思うと恥ずかしくて顔から火が出そうだった。

しかし父上は、お父さん具合悪いの顔見てると余計に具合悪くなるから城から出てって、と言い張って聞かない。は渋々家臣たちに事情を話して神が今夜から滞在する館へと連れて行ってもらった。何とか面会を取り付け、本人から断ってもらえればあの病弱父上も逆らえまい。は王太子の部屋へと向かった。

「これは姫君、わざわざどうされました」
「お疲れのところ大変申し訳ありません、父がおかしなことを言い出しまして」
「陛下が? 何か私にできることがあれば……
「それが、今晩から私もこの館に泊めてもらえと言って聞かないのです。王太子様、どうか断って下さいませんか」

付き従ってきた家臣たち共々は頭を下げた。が、神は不思議そうに首を傾げた。

……なぜ断らなければならないのでしょう?」
「はっ? なぜって、私の部屋は城にあります」
「それでも陛下はここで過ごすように言われたのでしょう? それではだめなのですか」
……だめでしょう!?」

の声は裏返ったが、ここまでくると家臣たちはにやついてしまう口元をグッと引き締めて我慢していた。

「王太子様もお疲れでしょうし、私の部屋の用意はありませんし、それにまだ夫婦ではありません」
「馬車に乗ってきただけですから特に疲れてはいませんよ。部屋はここでいいじゃありませんか」
……え!?」

神は手を叩いて側近を呼びつけると、の家臣たちと一緒に城に戻って姫の滞在の支度をしてこいと命じた。

「まだ夜遅くと言うほどではありませんからね。姫、お茶でもいかがですか」
「王太子様、あの――
「姫に王太子ではあまりに他人行儀ですね、やめましょう。、どうぞこちらへ」

神はにっこりと笑っての肩を抱き、超豪華な館のただっ広い主寝室に設えられている庭の見えるバルコニーにいざなう。バルコニーには月明かりが差し込んでいて、庭に咲き乱れる花の香りが漂っている。そしての家臣たちが慌ただしく城に戻ると、神はの隣に腰を下ろした。神の使用人たちは距離をおいているので、ほぼふたりきりだ。

「おう……いえ、ええと宗一郎様」
「呼び捨てて結構ですよ」
「あの、なぜ私を!?」

は辛抱たまらなくなって上ずった声を上げた。会ったこともない、お互いにどんな人なのかも知らない、神はともかくには近隣諸国に知れ渡るような良い逸話もない。それなのになぜ。の中にもずっと燻っていた疑問であり不安であり、それがいきなり一緒に寝てこいと言われて吹き出してしまった。

すると神はの手を取って包み込み、ふんわりと微笑む。

「お聞きになりたいですか」
「それはもちろん……
「心の準備はよろしいですか」
「は、はい」

は目の前で神に見つめられてドキドキしてきた。神の長いまつげがきらりと光ったように見える。神は何を言うのだろう、の何がよくて結婚したいと思ったのだろう。の胸は高鳴るばかり。

「お会いしたことはなくてもあなたが素敵な方であることは最初からわかっていました――なんて言うとでも?」

はそのままの状態で固まった。今、何か語尾に変なのがくっついてなかった?

「いつ話そうかと思ってたけど乗り込んできてくれて助かったよ。話は早い方がいい。、君を選んだのは『たまたま条件が重なった』からだよ。君がちょうどよかっただけ。何を期待してたか知らないけど、これは政略結婚であって、平民が惚れた腫れたでする結婚じゃないことくらいわかるだろ」

期待なんかしてなかった。だけどその政略結婚だって釣り合いが取れてないじゃないか――そういうの表情を読み取ったか、神はそれまでの天使のような微笑みから一転、にやりと口元を歪めて悪魔のような顔をした。

「政略結婚でオレが得することがあるかどうかを知る必要はない。君は今日オレが大量に持ってきた贈り物と『物々交換』されただけ。いずれ結婚したら子供だけは作るように務めるけど、互いを慈しみ合い支えあう夫婦なんてものになる気はないよ。そんな甘っちょろい結婚生活を夢見てたなら早めに諦めろ。他に質問は?」

あるわけがなかった。は小さく首を振り、それに合わせて涙を一筋零した。

「泣いてもこの婚約は覆らないし、父上に告げ口しても構わないよ。君らが逆らえないのも覆らない事実だからな」

そうしてまた神は天使のような優しい表情でにっこりと微笑んだ。