と仲良くなったのは、高校に入ってすぐの頃だった。
それほど遠いわけじゃないんだけど、オレとの通っていた中学から海南に進学したのが、このふたりだけだったからだ。しかもクラスも同じで、入学から2週間のオリエンテーション期間は一緒に帰っていた。初めての電車通学にがエラくビビっていて、なんだか可哀想だったせいもある。
中学が同じなので最寄り駅も同じ、小学校は別だから家はそこそこ離れていて、だけど高校生にもなればそれほど遠く感じない距離。そんな距離感のままに、なぜかお互いを名前で呼ぶようになったのもこの頃のことだった。別の高校に入った同中と駅で出くわし、そのまま遊んで帰ったこともあった。
でも、そんな関係もオリエンテーション期間が終わればそれまで。海南バスケット部の厳しさは元より承知の上だったし、部活ばっかりの生活は中学でも同じだったから、ただこの2週間のとの時間だけが少しイレギュラーだった。
基本的に毎日練習するんだと聞かされたは、オレを見上げて嫌そうな顔をした。
「バスケ強いとは聞いてたけど……そんなに大変なんだ」
「まあ大変は大変だけど、そういうものだって思ってるから」
オリエンテーション期間最終日、オレとは最寄り駅から歩いて帰っていた。まだ少し肌寒いけどいい天気だったし、部活が始まればオレはこんな風にと一緒に帰ったりは出来ないので、ちょっと名残惜しい気もした。この2週間、思っていたより楽しかったから。
「そっかあ、部活の、バスケのために海南にしたんだもんねえ」
「はなんで海南にしたの」
「海南大目当て」
「ああ、なるほどね……」
オレの入部するバスケット部のように他県から家を出て進学してくるようなのも多いけど、海南は基本的に地元生まれ地元育ちが地元の大学でいいやと考えて入学してくるパターンが多い。在学中にそれを翻して外部に出て行くのもけっこういるらしいけど、毎年学年のほぼ6割が内部進学するって話だ。
「ていうかそんなに部活ばっかりじゃ、バイトとか彼女とか、できないよね」
「まあバイトは確実に無理だね」
「それって、なんか寂しくない? もったいないよ宗一郎割とハイスペックなのに」
高校生活をどう過ごすかは人それぞれのはずだけど、にとっては学校とバイトと恋愛と、というテンプレ的なイメージが鉄板らしい。でも、おそらく海南のバスケット部にいれば寂しいとか思ってる暇ないだろうから、平気なんだけど。
だから、この時オレは本当に何も考えずに適当に口を滑らせた。
「じゃあ彼女になる?」
少なくとも悪い人間でないことはよく知っているし、オレがバスケ漬けなのもわかってるだろうし、家は近いし、今年は同じクラスだし、この2週間結構楽しかったし、不都合はないなあ、というのが口を滑らせた原因だ。それに、最優先事項はバスケットなので、後から知り合った子と面倒な手順で恋愛なんてのは正直面倒くさい。
「手近なところで済ませようとか思ってるでしょ」
「うん」
「ちょっとは否定しなよ!」
ちょっとくらいなら否定しておけばよかった。さすがに失礼だった。笑ってるけど、は少し傷ついた顔をしていて、本音を言えばオレは恋愛よりバスケットだったんだけど、これもまた言葉は良くないけれど要は「勢い」で口が滑った。
「ごめんごめん、そんなこと思ってないよ。だったらそれでもいいなって思ったから」
ついでに手も滑った。きょとんとしていると手を繋ぐ。
「……別に私のこと好きなわけじゃないでしょ」
「好きか嫌いかで言ったら好きだけど」
「なんかそれずるくない?」
だけどは繋いだ手を振り解いたりはしなくて、ちらりと見てみれば、真っ赤な顔をして俯いていて、そんなわけでオレたちはこの年の海南1年生中最速で付き合いだすことになった。ただしこの時点では、もう数ヶ月かけて成立したカップルよりもペラペラな思いしかなかった。お互いに。
ところが、だ。
こんなこと口が裂けても誰にも言いたかないけど、ほんの1ヶ月程度の間にオレはが大好きになってしまった。最初は、生まれて初めての彼女だと思うから舞い上がってるのかもしれない、だからそう思い込んでるのかもしれないと思った。まあその、多少の発情的なこともあるかな、とか。
もちろん海南バスケット部の練習量の多さキツさは筆舌に尽くしがたいから、暇じゃない。暇じゃないけどあくまでもオレの場合はそういう環境に慣れてたし、なにしろとは家が近い。暇じゃなくても一緒に帰れなくても、ほんの30分でも会って話すっていうことが難しくなかった。
なんというかは、ちょっと「抜けてる」感じの子だった。ドジというかおっちょこちょいというか詰めが甘いというか……それがたまらなく可愛かった。自分で言うのもなんだけどオレがあんまりそういうところ、ないから、余計に可愛く感じるのかもしれない。
それに、一緒に帰ったり休みの日に遊びに出かけたりできなくても不満がないようだった。あまりに「都合のいい彼女」なもんだから、何か裏があるんじゃないかって思ったりもしたけど、どうもそんな様子もない。言い方は悪いんだけど……たぶん「抜けてる」せいで疑問に感じてないっぽい。
学校以外だと、オレが部活と個人練習を終えて帰ってくる途中で会うことが殆ど。の家とオレの家の間辺りには古い団地があって、古いせいで住民の平均年齢がものすごく高くて、夜は人がまったくいない。その一角の公園が夜デートにちょうどよかった。
あ、別に公園の物陰でなんかしてるってわけじゃない。というか団地内の児童公園だからそんなことできる場所はないし、日付が変わっても煌々と明るいから、まあまず無理。コンビニが近いから、ジュース片手に喋ってるだけ。いや、ええとキスはしました。でもそれだけ。
それもなあ、可愛かったんだよ。あんまり可愛いんで、しばらくは思い出してはニヤニヤしちゃって困った。
付き合うことになって2週間くらいだったと思う。練習はキツいけど、1日の時間の使い方が見えてきて、オレはそれに体を慣らしてるような状況だった。朝練があるから一緒に登校は出来ないけど、クラスは同じだし、昼も一緒に過ごせる。いくら練習漬けのバスケ部でも昼飯くらいは大人しく食べるからね。
だもんで、付き合ってるとはいうけど、今のところ友達と変わらない感じだ、なんて話をしてた。同じクラスの同性の友達と休み時間喋って、お昼一緒に食べて、空いてる時間にこんな風に喋って、あるある、してることは友達と変わらないねーなんてふたりでへらへら笑ってた。
じゃあ友達とはしないけど、付き合ってたらすることって何?
という話になるよな、普通。で、もちろん答えは明らかで、は急に照れて言葉に詰まり始めた。
「て、手を繋ぐとか、ねー」
「確かに男はしないけど、女の子ってよく友達同士で手繋いでないか?」
「え! ああ、そうだね、私そういうの、なかったからアレだけど」
そのおどおどした感じは緊張と取っていいんだよな。照れてるってことで、いいんだよな。その時オレたちはブランコの周りを囲む柵に寄りかかっていたんだけど、は姑息にもじりじりと位置をずらして逃げようとしていた。視線も外してあらぬ方向を見てはきょろきょろしてる。
気持ちはわからないでもないけど、オレの方はすっかりその気になってしまっていて、それとなく距離を開けてるつもりのに素早く近付くと断りもせずに抱き寄せた。手を繋ぐ以外では初めてくっついたの体が、ガチガチに固まってたのがまたなんとも可愛かった。
「……しても、いい?」
あんまりいい聞き方じゃなかったなとは思うけど、まあその、そんなこと聞いてるのももどかしかった。オレの真新しい海南バスケ部ジャージをギュッとが掴んで、震える程度に頷いたのを見て、オレは迷わずキスした。もちろんはガチガチ、オレもあんまりリラックスできてなかった。
女の子の唇はふわふわに柔らかいとか聞いたような気がするんだけど、の場合は本当にガッチガチで、なんだか可笑しくて、だけど一周まわってやっぱり可愛くなっちゃって、ちょっと震え始めたを抱き締めたオレは、笑わないように気をつけてた。
今思うと、そこから転げ落ちるようにのことが好きになったような気もする。やっぱりちょっと発情してたのかもしれない。それにしてはオレたちは喧嘩することもなかったし、最初からオレが忙しいからすれ違うとかいうこともないし、隣り合わせたパズルのピースみたいにぴたりと嵌っていた。
それなのに、2学期に入ったあたりからオレたちは変な陰口を叩かれるようになった。
色々種類があって、一番よく聞いたのはご主人様とメイド。次がSMとか主従とか昭和の夫婦とか、そんなようなことを言われ始めた。もちろん近しい友達なんかはそれが僻み妬みだとわかってくれてるし、オレもも特に気にしてなかったんだけど、きっとそんなことを言い出した人はそれじゃ面白くなかったんだろう。
変なあだ名を付けるだけでは気がおさまらなかったのか、今度は具体的な内容になってきた。オレが部活の後にひとりで個人練習してるのを知っているらしく、体育倉庫や部室にを連れ込んでるとか、先輩たちと一緒にに乱暴してるとか、だんだんネタがエスカレートしてきた。
何でそんなことになったかというと、がちょっと抜けてるせいで、何かあれこれと喋っていたりしてもはたまにわけのわからないことを言い出したりして、オレはついそれにツッコミを入れる。もしくは何かが反論したりしても、論拠に乏しいもんだから、どうしてもオレに丸め込まれる。
それを体育の後だか前だかの男子更衣室でからかわれたことがあった。まあまさか後でこんなことになるとは思ってなかったもんで、オレは正直に言ってしまったんだな、これが。
「そこが可愛いんだから、いいんだよ」
だって、可愛いんですよ。ほんとに。わけわかんないこと言うもなんだけど、それに対してツッコんだり訂正したり、まあ要するに言い負かすような感じになるとする。そうするとは恥ずかしいのと悔しいのとで、まるでむくれた子供みたいになるんだよ。
それがどれだけ可愛いか、1時間くらいなら余裕で語り倒せる。そこまでは言いはしなかったけど、マジかお前、なんていう反応の中で、まあいいかと思ってちょっと惚気たんだ。たぶんきっとそれを聞いて面白く思わない輩がいたんだろうと思う。主に悪く言われているのがオレなので、そういうことで間違いないんじゃないかな。
自惚れるようだけど、バスケ部に入ろうと思って海南に入学してくる場合、だいたい中学ではエースで4番でそれなりにいい成績も残してきてる場合が多い。オレもそうだった。だけど海南ではそういうの、関係なくなっちゃうから。もしかしたら脱落した元部員かもしれない。
ただ同じ理由で人から妬まれるのに慣れてるっていうのも多いんだ。海南でバスケットしようって思って入学してくるくらいだと、中学の時はモテたっていう経歴のヤツも少なくないから。オレの場合はものすごい美少年が同学年にいたからモテたりはしなかったけど、意味もなく羨まれていたのは間違いない。
まあとにかく、が悪く言われたり実害が出ないようならオレは放置でいいと思ってた。今のところも気にしてないみたいだし、皮肉なことにオレたちはむしろ前より仲良くなってたし、最近じゃがオレの家に来るようになったりして、物理的な距離も少しずつ縮まってたから、知ったことじゃなかった。
だけどそれは、オレが国体で留守にしている間に起こった。
ほんの数日だったっていうのに、その間には何かおかしなことを吹き込まれたらしく、帰ってきたオレに、私たち別れようか、なんて言ってきた。夜の公園でオレは思わず咳き込み、ここに来て初めて騒動を起こした人物を恨んだ。なんて卑怯なマネを。
「なんで?」
「なんで、って……それは」
「他に好きなヤツ、できたとか?」
わざと妥当そうな理由をぶつけてみる。もちろんそんなことはないはずなので、案の定はぎくりと肩を強張らせて顔を背けた。さて、じゃあそうでないならどうだっていうんだ。
「違うの? じゃあ、やっぱりオレが部活忙しいのが嫌になったとか?」
「そ、それは」
「会う度にキスしたいって言うから?」
「ちょ、宗一郎、待っ――」
「じゃあ何? はなんで別れたいの?」
淡々と、いやむしろぼそぼそと言ったつもりだったけど、にはよく効いた。どう言い返そうか考えてるけど、何か明確な理由があってオレと別れたいと思っているなら、最初からそう言うはずだ。だけどおそらく一時的に洗脳されただけだろうから、言い返せるはずがない。
「オレは別れたいなんて思ってないからさ……理由くらい知りたいんだけど」
「それはその、宗一郎が、私を馬鹿にして、見下してるって――」
「、それ自分でそう思ったの?」
あまりに卑怯な手口じゃないか。が悪いわけじゃないけど、ついオレは強い口調で畳み掛けた。
「……思ってないんだな。じゃあ誰かに吹き込まれたか。本当に好きだったらあんなことしないとかなんとか」
「えっ」
「のこと好きじゃないんじゃない? 普通こうだよねああだよね、違うの? それおかしくない?」
は目をひん剥いている。図星だったらしい。こんなの真に受けるなよな、ほんとに……。
「2学期に入ってから変な噂立てられてるのは知ってたけど、オレがいない間に汚いことしてくれるよな」
「宗一郎、私――」
「あのさ、誰がこんなことしてるのかわからないけど、一応言っとくよ」
混乱しているの手を取って、両手で包み込む。ずっと触れていたい手だ。オレ以外の男になんて触らせたくない、ずっとオレだけのものであって欲しい手だ。
「他人にどう見られてるかなんてどうでもいいけど、オレはのこと何よりも好きだからな」
それが全てだ。
「喧嘩したこともないし、だから気が合うと思ってるし、のこと可愛いって思うし、側にいたいって思うし」
はぐっと頭を落として俯いた。誰かに思い込まされただけで別れようなんて言ったこと、今頃後悔してる。オレが羅列してみた別れの理由は全部違っただろうし、誰かに言われたことは殆ど合ってただろうし、相手を想う気持ち、それもたぶん、一緒だったろうと思う。
「それでも別れたい?」
「そ、それは」
「そんなの、嫌なんだけど。はどうなんだよ、どんな理由でオレと別れたいの?」
のろのろと顔を上げたは、ゆったりと頭を振る。そりゃそうだろうさ。
「オレがいない間に、不安なことたくさん言われたんだろ」
「ごめん、なさい」
「怖かったよな。近くにいられなくてごめん」
「宗一郎は悪くないじゃない、私が、その」
しょげてるその下がった眉も可愛くて、ああほら、馬鹿にしてるってネタにされるけれど、オレはそんなが愛しくてならなくて、それをついちょっといじめてみたくなってしまうのは、それを我慢できないのは、本当に申し訳ないと思ってる。
「もうそんな簡単に人の言うこと鵜呑みにするなよ」
「うん」
「ほんとにわかってる?」
の鼻をちょんとつまむと、また困った顔をする。いくらおかしなことを吹き込まれたからって、別れようなんて言い出して、オレがどれだけ驚いたか。それを少し癒してもらわないとな。鼻をつままれて、鼻声でわかってると言うにオレはニタリと笑って見せた。
「別れようとか言われてすごい傷ついた」
「ほんとにごめん……」
「だから、からキス、して」
「え!?」
の体を引き寄せて、顔だけは近付けておいてあげる。はおそるおそるって感じで背筋を伸ばし、首を伸ばし、のろのろと距離を縮めている。そんな風に焦らされるのもつらいんだけど、なんとか耐える。
そうしてやっと、唇に届いた。今はふんわり柔らかい唇が遠慮がちに触れる。
よくできました。だけど、ほら、そんな遠慮がちに触れるもんだから、物足りないじゃないか。逃げられないように頭を押さえて、オレはけっこう強引に舌をねじ込んだ。またの体がガチッと音がしそうなほど固まったけど、それもほんの少しで、すぐに緩んだ。
……困ったなあ。なんで今、外にいるんだろう。しかも、今日国体から帰ってきたばっかりで、だけど明日は普通に学校あるし、部活あるし、中間は目の前だし。そういうことを全部投げ出して、このままをオレのものにできたらなんて思ってしまう。
けどそれは当たり前のことなんだよ。見栄で付き合ってるわけじゃない、本当に好きなんだから。
今日のところはキスだけで許してあげる。だけど、もうそんなに我慢も出来ないからな!
END