グラッシーズ!

01 - 陰謀の生徒会

この年、県立湘北高校の運動部にはちょっとした奇跡があった。

それは男子バスケットボール部と柔道部のインターハイ出場やそこでの活躍ではなく、その男子バスケットボール部と野球部と卓球部、この3つの部の副主将、つまり副部長が揃ってメガネだった。その上、3人共似たような髪型をしており、似たような立ち位置のナンバー2であり、いつしかそれは「湘北運動部3大メガネ」と呼ばれた。

そんなことを言い出したのは今期の生徒会。全クラブの部長副部長が集まって予算の奪い合いをする「春の部長会議」にて、自分も他人にも厳しい部長の横でそれを宥めているメガネが3人いることに気付いた。まあまあと苦笑いをしている似たようなのが3人もいるので、この年の会長である女子が思わず吹き出した。

さてこの「湘北運動部3大メガネ」ネタは生徒会ですっかりお馴染みになってしまい、秋に控える体育祭での部活対抗レースは面白くなりそうだともっぱらの評判であった。

体育祭の部活対抗レース、それは昼休憩の後、午後1番で行われる競技で、最終競技の3学年クラス対抗リレー、男子棒倒しと並んで湘北の人気種目であった。基本的には運動部男子のみの参加で、レース自体は3部構成になっている。障害物レース、点数競技、そして100メートルリレー。

点数競技のストラックアウトは所属する部の特色に合わせて行われるため球技部が強かったり、障害物は体操部がブッ千切りだったり、100メートルリレーなのに陸上部が負けたりと、大いに盛り上がる。

そしてなんと言っても障害物レース内には「借り物競争」が含まれており、これが毎年大変な騒ぎになる。もはや「好きな人」などという甘酸っぱいお題はなく、「校長の入れ歯」だの「コピー機」だの「本日お越しの3年X組○○さんのお祖母ちゃん」だのという面倒臭い内容が主流。そのため時間もかかる。

ちなみに昨年の覇者であるサッカー部は、お題が「ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースチョコチップダークモカチップクリームフラペチーノ」。湘北の場合、最寄り駅にスタバがある。走って10分チャリで4分程度。サッカー部の走者は本当にこれを買ってきた。

しかし校外に出るという点が後で問題になり、お題を考えている生徒会が怒られた。

ところでこの生徒会であるが、伝統的にあまり権限がなく、しかも湘北には荒れている生徒が多いので、腰は低い。だが、その分ネタに走りやすい傾向にあり、体育祭だけでなく文化祭やら球技大会やらでも羽目を外しがち。生徒総会ともなると参加者も少ないので、これまたすぐネタに走る。

この年の会長もそれは例外ではなく、しかもなぜか彼女は生徒会の外に密偵を3人ほど持っていて、生徒たちの噂などをつぶさに収集していた。その密偵からとんでもないネタがもたらされたのは、1学期の期末テストが終わった翌日のことであった。

? 本当に?」
「私も半信半疑だったから色々裏を取ってみたんだけど、どうも本当らしい」

密偵その1の報告によれば、なんと「湘北運動部3大メガネ」の3人が揃いも揃って3年4組のに片思いしているらしいというのだ。密偵の報告に会長は目を丸くし、しかしすぐににやりと唇を歪めた。

「バスケ部木暮、野球部平良、卓球部皆本――ってなにこの木暮以外源平合戦」
「皆本の方は家がマジで鎌倉出身らしい」
「ほんとにどうでもいいことよく知ってんね」

会長は呆れつつ、生徒会室のテーブルに肘をつき、ニヤニヤし出した。

かあ。私も1年の時クラス同じだったけど、可愛いよね」
「ちなみにそれぞれ全員同じクラスになったことがあるけど、いつからか、とかは不明」
「そういや1年の時は平良と皆本も一緒だったな」
「木暮は去年一緒」
「あれ? だけどって男いなかった?」
「短いけど。1年の終わりから2年の1学期まで、例のスタバくんと」
「ほんとに!?」

例のスタバくんはベンティアドショット以下略のビバレッジを買ってきたサッカー部の部員だ。

「へえー、よくよく部活対抗レースに縁がある子だね」
「ちなみに木暮平良皆本、それぞれちょっとだけ接点あり」
「お前ほんとすげーな」

密偵その1はメモを引っ張りだして読み上げる。現在、全員クラスが違うが、皆本は親が知り合い、平良は最寄り駅が同じ、木暮は今のところ希望進路が同じ。それぞれの理由でたまに接触があり、しかし誰も今一歩踏み込めないままになっている模様。

の方はどうなの。スタバくんと別れて以降、好きなやつとかいなかったの」
「周囲の評価で言えば木暮優勢らしい。今目立ってるせいもあると思うけどね」

確かに今年、木暮の所属するバスケット部は急に強力な部員を得て快進撃を続けている。しかしそのバスケット部をずっと支えてきたのが木暮と赤木の3年生ふたりであることは、同学年には知られたことだ。諦めずに黙々と努力してきた木暮たちが報われた形だ。そりゃあ評価は高くもなるだろう。

「言われてみると、成績も身長も木暮が一番高いね」
「木暮は178センチ中間学年41位、平良172センチ186位、皆本173センチ157位。身長は春の時点での話」
「お前ほんと怖えーな」

密偵その1の調査能力に慄きながらも、会長はうんうんと深く頷いている。

「ていうかあのふたりは監督目当てで湘北にしたんだもんな、なるほど」
も中間は18位、9位の会長と同じで少数派の受験組」

バスケットの都合で湘北を選んだ木暮は部活漬けの割には成績を落としたことがない。の方は中3の受験シーズンに体を壊し、急遽簡単に入れる湘北を選んだ。この会長も含め、と木暮も湘北では少数派の大学進学希望となっている。

ちなみに湘北では毎年生徒会役員志願者が現れないのが当たり前になっていて、せめて会長だけでも据えておきたい学校側が、大学進学希望者の中から特に打算的で横着なのを厳選し、推薦という餌をぶら下げて生徒会に入れる。生徒会の本来の役割から大きく逸脱するが、もう10年以上続いているとのこと。

この会長も県内にある私大を目指しているが、それにしてはあまり勉強する気がなく、1年浪人して高校生の間は遊びたいなどと先生相手に言い出す始末であった。そこに目をつけられて生徒会に放り込まれたわけだが、つまり毎年似たような生徒が会長職に就くため、どうしても同じように羽目を外し続けるというわけだ。

の方がはっきりしないけど、今のところ誰が好きとかそういう噂もないんでしょ」
「どうやらスタバくんとは喧嘩別れだったみたいで、慎重になってるらしい」
「なるほどねー。しかしこれは本当にいいネタかもしれない」
「体育祭のこと?」
「そう。借り物競走がマンネリでネタ切れだからさ、色々考えてはいたんだよ」

会長はパイプ椅子からゆっくり立ち上がると前髪をかきあげ、にんまりと目を細めた。

「体育祭、運動部3大メガネ頂上決戦といきましょうかね」

密偵の報告で楽しくなってきてしまった会長は、その日の帰り、を見かけると猛然と追いかけ、偶然を装って声をかけた。とは1年の時に一緒のクラスだっただけの間柄だが、会長は遠慮しない。

「おっ、久しぶり!」
「会長、久しぶりー。もう帰るの?」
「生徒会なんてやることないんだよ実際」

は会長に声をかけられるとパッと笑顔になって手を上げた。会長が言うように、は可愛い。派手さはないので目立たないけれど、よく見るとかなり可愛い典型だ。3大メガネたちの気持ちがわかるなと思いながら会長はに並んで歩き出す。

「今度の生徒総会で何か企んでるんじゃないの?」
「夏休み前だしブチかましたいと思ってたんだけど、なにぶん人の入りが悪いからね」
「あはは、もうほんと生徒総会とは思えないね。私はいつも楽しんでるよー」

その上優しい。会長はをぎゅっと抱き締めたい衝動に駆られた。3大メガネたちもきっとこうして色々耐えているに違いないと思うと、女同士の特権でいつかにくっついてやろうと心に決めた。

も受験だっけ」
「うん、高校は行きたいところに行かれなかったからね」
「湘北入って後悔してる?」
「そんなことないよ、最初は途方に暮れたけど、意外と楽しかったから」

会長はまた大きく頷いてさり気なく言ってみる。

「あれ、彼氏いたっけ〜?」
「今いな〜い。会長は?」
「いるよー、湘北じゃないけど。てかあれ? 付き合ってなかったっけ、ほら……

会長に彼氏がいるというのは口からでまかせの嘘である。恋バナに持ち込むにはいることにしておいた方が都合がいいからだ。会長の言葉には苦笑いをしたが、声を潜めて答える。

「スタバ? もう1年も前に別れたよ」
「あらら、それはごめんね」
「ううん、平気平気。会長の彼氏優しい?」
「うーん、ていうほどでもないけど、って優しいのがタイプ?」

会長はどんどん話をねじ込む。3大メガネで言えば優しそうなのもやはり木暮がトップだろうか。平良も皆本も意地悪なわけではないが、パッと見の印象では木暮が勝つ。

「そりゃ優しいのが1番じゃない?」
「強引なのが好きっていうのもいるじゃん」
「普段は優しくていざって時に強引なのがいいんじゃなくて?」
「そう来たかー! なるほど、上手いね

茶化しつつ、会長はのタイプ調査を進める。これではだいぶ理想が高いように聞こえるが、例の喧嘩別れしたというスタバくんはどちらかと言えば地味で穏やか、優しいかもしれないけど強引さは感じられないタイプだった。顔も平均的。やはり優しさ優先か?

「でも私は顔が超好みだったらクズ野郎でもいいかもしれなーい」
「えー! 私はそーいうの嫌だなあ」

顔が良くてもクズ野郎は却下、と。会長は心のメモに書き込む。

「どーいうのならいいの?」
「えー! うーん、あんまりかっこいい人は苦手なんだよね、私」

おっ、マジか。会長は少し目を見開いて無難な相槌を打つ。3大メガネの中で言えば、1番整った顔をしているのは平良だ。野球部の割に線が細く、少々女性的な顔立ちで、フレームなしのメガネと相まって美少年風である。それが彼女もおらずにに片思いしているのは、単にコミュ障気味だからだ。

一方、皆本は3人の中では1番明るくて社交的。メガネもオシャレゆえであり、友達も多い。顔は木暮と同程度というか、地味だけれど優しい顔をしているといったところ。こちらも彼女なしで片思い中なのは、面食いであり、それを隠そうとしないからだ。好人物だがそこだけウケが悪い。

そこへ来ると木暮の場合は取り立てて特色がない代わりに、マイナス面が少ない。強いて言えば部活バカなので、付き合ったとしても、引退するまでは一緒に帰ることすら出来ないというところだろうか。の周囲が木暮優勢と見たのもわかる気がする。

「まあ、もう受験だしね。恋愛でごたつくのも疲れるけどさ」
「そうなんだけど、ちょっと寂しいよね」
「好きな人とかいないの?」

会長はさらりと核心を突く。もしこれで3大メガネにかすりもしないで別の男が出てきたら、体育祭での「運動部3大メガネ頂上決戦」計画がふいになってしまう。そうであればまた別のネタを模索する必要がある。

「うーん、告白したいほど好きな人っていうのはいないんだけど……
「ど?」

会長はドキドキしてきて、ニヤつきそうになる口元を必死で抑える。

「てか、ここだけの話、3年になってから急に優しくしてくれるようになった人がいて」
「へー! いいじゃん、無理そうじゃなかったら付き合ってみればいいのに」
「そ、それが、実は、3人もいて……

キタァ――!!!

会長は叫び出したいのを飲み込み、自分でも気持ち悪いくらいに可愛らしい声で歓声を上げた。は照れて下を向いているが、さっさと詳細寄越せと言いたいのも飲み込み、笑顔を保つ。

「すごいじゃん。モテ期だ!」
「そ、そういうことなのかな、なんかほんとに急で自分でも混乱してて――
「その中にもいいなーって思うの、いないの」
「えっ、いやそんな、なんか選ぶみたいなこと」
「だけど全員がのこと好きだったらどうするのさ」

さらりと言った会長の言葉には飛び上がる。考えまいとしているらしい。だが、この際なので聞けることは聞き出しておきたい。体育祭のためにも、湘北高校第48代生徒会長晴れの舞台のためにも!

「まさかそんな、別に私は」
「てか急にって、なんかきっかけがあったの?」
「ええと、1学期始まってすぐに進路相談があったでしょ」

進路と来れば木暮だ。会長は密偵の報告を思い出しながら頷く。

によれば、湘北では数少ない大学進学希望者、しかもたまたまと木暮は志望校が同じだった。そんなわけでこれもたまたま職員室に来ていたふたりは学年主任からそのことを聞かされ、つい先月まで同じクラスだったので、偶然だねなどという話をしながら一緒に帰った。というか送ってもらった。

その翌日からなぜか急に平良と皆川が寄ってくるようになり、さらにその中に木暮も混じった。

木暮と談笑でもしながら帰っているところを見られでもしたんだろう。会長はそんな想像をしてひとりで納得する。しかし人懐っこい皆本ならわかるが、コミュ障気味の平良まで行動に出たとなると、と木暮はかなり楽しそうに喋っていたんじゃないだろうか。

「へえー、でもみんな悪い人じゃないよね」
「いや、うん、そうなんだけど、私そんなつもりじゃ」
にはそのつもりなくても……

会長はつい思ったことをそのまま口にしてしまった。は俯き、頬を染めている。

「そんなこと、ないよ――
「そうかなあ。でも嫌じゃないんでしょ?」
……会長〜どうしよう〜どうしたらいいんだろう〜」

がひょいと顔を上げると、すっかり眉が下がってしまっていて、それもまた可愛らしい。会長的には待ってましたなわけだが、それはもちろん顔には出さない。どうしようって何? という顔で首を傾げてみせる。

「私何もしてないのに、急にみんなそんな風になっちゃって、だけど優しくされたら誰だって嬉しくなるでしょ」
「まーね。そっか、決められなくなっちゃうか」
「違っ、そういうことじゃ、ええとその、嬉しくなっちゃうのが、嫌で」

どんどん顔が赤くなっていくは斜めに顔を傾けて困っている。誰かひとりに決められない、というかそもそもからは特別な思いのなかった3人だ。急に優しくされて戸惑う上に、優しくされれば嬉しくなるし、けれどそれがイコール恋愛感情だとしたら3股ということになる。

とはいえ全員似たようなメガネだし、絶賛アピール中なので優しいし、多少の個性はあっても基本的には穏やかな善人である。申し訳なく思って拒否したくても、上手い理由がない。

「それぞれいいところ、あるしねえ」
「うん、そうなんだよね」
「好みっつっても全員メガネだしねー!」

会長はケタケタと笑う。これも作り笑いだ。

「でもさ、好きだなって思えないなら、別にそれでいいんじゃないの。優しくしてくれるってんだから、甘えとけばいいじゃん。どうしても特別な関係になりたかったら向こうから告白して来るって。先着で受け入れるもよし、気持ちが決まらないなら全員断るもよし、何も貢がせてるわけじゃないんだから」

そして誰を選んでもいいんだという方向に話を向ける。誰も選ばなくていいという選択肢を与えておけば、全員をフラットな気持ちで見ることができるだろう。それはやがて彼らの個性を浮き彫りにし、結果的に自身にぴったり来るひとりを見つけることになるだろう。

「だけどそんなの、悪いよ。付き合うつもりがないのにいい顔してるみたいで」
「付き合うつもりないなら距離を置いちゃえば?」

それも選択肢だ。しかし会長の言葉にはまた泣きそうな顔をして応えた。

誰とは言わないし、もしかしたら誰でもないかもしれないが、付き合うつもりゼロではないのかもしれない。会長はそんなの苦悩が手に取るようにわかると、しっかりと頭の中のメモに書き込み、それからは精一杯を慰めてやることにした。ちなみに降りる駅は違うが、と会長は乗車する電車の方向が同じ。

このままいけば体育祭では利用させてもらうことになるのだ。会長は勢い余ってにアイスを奢ってやった。