遠き道を歩みて

「おお、早いな。まだちょっと時間かかるぞ」
「すまん、乗る電車を間違えた」
「奥の部屋、使ってくれ。おーい、赤木来たぞ」

この日、赤木は久し振りに地元に帰ってきた。だが実家にも寄らず、実家の最寄り駅すら通過してやってきたのは魚住の店である。まだまだ修行中の身である魚住だが、ランチタイムが終わった15時から19時までは店を任されている。店主である父親は早く息子に店を譲り、自分は居酒屋をやりたいのだとか。

そんなわけで、例えば陵南の元選手であったり、知古の仲である赤木だったりは、何か集まりというとこの店を使うことが多い。カウンター席と座敷の他に、6畳程度と広くはないが奥座敷があるので、少し早い時間からなら押さえてもらいやすい。多少のことなら融通を利かせてもらえるのも便利だ。

赤木はカウンターの中で忙しそうに準備をしている魚住に片手を挙げると、女将に促されて座敷に上がった。

「いつもありがとうございます。先に何かお持ちしましょうか。ビール?」
「いや、酒は揃ってからにするよ。急に大人数ですまんな」
「そんなこと気にしないで。じゃあお茶にするね」

現在の女将は魚住の母親ではなく、嫁である。魚住と中学の同級生だという女将は二十歳で嫁ぎ、子供が出来てからは女将として店に入るようになった。そんなわけで、地元で集まるというとこの店を使う同世代の元高校バスケット選手たちの中で、一番結婚が早かったのが魚住だった。

赤木は座敷にひとり腰を下ろす。今日は、いわば同窓会なのだった。

と言ってもクラス会ではなく、つまり湘北高校バスケット部の、さらにはインターハイ初出場時メンバーの個人的な集まりだ。連絡がつかない者もいるし、全員集まらない上に、長くいられないかもしれないという者もいるようだが、そのくらいの方が気を使わなくていい。

気の利く女将が出してくれたお茶を啜りつつ、赤木は携帯を眺めていた。着信履歴に懐かしい名前がずらずらと並んでいる。アドレス帳に入っていても、滅多に出てくることはなく、しかし色濃い思い出を共有している仲間だ。

そんな風に赤木が浸っていると、ガラガラと店のドアが開き、魚住の声が聞こえてきた。

「よお、久し振りじゃねえか! お前ら変わんねえなあ」

赤木が奥座敷から顔を出すと、懐かしい顔がふたつ並んでいた。

「ようゴリ!」
「ダンナ、ご無沙汰っす」

桜木と宮城だった。魚住の言うように、ふたりはあまり変わっていない。宮城の方が少し身長が伸びたくらいか。ふたりも女将に促されて座敷に上がった。

「お前らが時間通りとか、大人になったもんだな」
「ダンナ、そんな年寄りじみたこと……まだ一応20代なのに」

赤木は今29歳、宮城は28歳、桜木は27歳である。彼らが始めてインターハイに出場してから、早10年以上が経過している。元々老け顔だった赤木もある意味では変化がないのだが、それにしても宮城と桜木は未だに少年のようだ。ということは内面の差なのかもしれない。

「ボス猿もなんかあんまり変わってねえ気がするけど」
「花道、老け顔ってのはそういうもんだ。結果的に後で得するもんだけど」
「そこでオレの顔を見るのはやめい」

ニヤニヤする宮城と桜木にツッコんでいると、また誰かやって来た。

「いらっしゃ――うわ、お前、久し振りだな」
「よう、元気か! お前相変わらずデカいな〜」
「ミッチー!」

奥座敷から覗く顔3つに、三井は顔を綻ばせた。

「うおお、お前ら久し振りだなァ! 元気にしてたかよ」
「見ての通りだ」
「ミッチーは順調に年取ってんな」
「てめえ、久し振りに会ったっつうのに言うことはそれだけか!」

しかし三井の場合、年を取ったと言うより、少年が青年になったというだけで、むしろ落ち着きと丸さが出て人好きのするイケメンに仕上がっている。未だにヤンチャそうな表情の桜木などに比べれば、実に大人っぽい。

さらに、今日こんな風に集まることになったのは、三井がきっかけだった。

「しかし三井さんがねえ……
「何か文句あんのかよ宮城」

三井が来春から湘北バスケット部の監督に就任するのだ。それをどこからか聞きつけた晴子が騒ぎ、それが桜木や宮城に伝播して今日のこの席を持つことになったというわけだ。

「文句じゃねえすよ。ただあんだけグレてたのをよく監督で採用したなと」
「ふん、安西先生の後継だからな。オレしかいねえじゃねえか」

彼らが初めてインターハイに出場したのはもう10年以上前。その後も幾度となく湘北バスケット部を全国に導いてきた安西監督は、高齢を理由に引退を望んでいた。そして、引退を考え始めた頃から三井に後を任せたいと思っていたらしい。恩師である安西にそう言われて、三井が断るわけがない。

「田岡監督とか高頭とか、まだいるんすかね」
「いるいる。ふたりともまだ全然いる。すっげーめんどくせえ」
「学生時代を知られてるってのは確かに面倒くさいな」

そこから自分たちを含む当時の同世代の連中の近況の話になってしまい、4人はお茶だけでずいぶん盛り上がった。なかなか全員揃わないが、準備が出来たからと魚住が料理を運んでくる。酒はまだだと赤木が頑として譲らないので、お茶とつまみ状態である。

「赤木、木暮はどうした。一番遅刻しそうにないやつが」
「たぶん実家で捕まってるんだろうと思うんだが……

女将と手分けして配膳している魚住の問いに、赤木は言葉尻を濁した。

「ダンナ、も来るんですか」
「いや、まさか」

宮城は赤木に顔を寄せて聞く。なんとなく過去のことを知るふたりは無駄に声を潜めた。三井もいることだし、公延が到着してもいないのに触れなくていい話題だ。幸い桜木と三井の耳には聞こえなかったらしい。

公延がやっと到着したのは、それから30分も経ってからだった。指定の時間からは1時間の遅刻ということになる。学生時代の彼からは考えられない遅刻だが、肩で息をしているので、急いでやって来たのは間違いないようだ。しかも、頬に引っかき傷がある。

「おお、遅かったな。この前はありがとな」
「遅れてすまん、とんでもない、こっちこそ世話になって。女将さんも変わりないか」
「春からやっとふたり目が幼稚園だからな。ちょっと楽になるよ」

途端に魚住と所帯臭い話をしている公延に奥座敷から呼び声がかかる。何しろとりあえず公延が来るまで酒はいかんと赤木が譲らないので、桜木たちが我慢の限界近くなっていたのだ。公延はコートを脱ぎつつ、奥座敷に上がる。公延もあまり変化はないようだったが、高校時代に比べると、なんだか貫禄がついたようにも見える。

「メガネ君遅いじゃないか!」
「すまん桜木、実家で捕まっちゃって」
「ダンナの読み通りでしたねえ。つかなんすかその傷」
「それが上の子が着いて行くって聞かなくて……
「上の子!?」

公延が席に着いてそう言うなり、宮城が素っ頓狂な声を上げた。ビールを運んできた魚住が割り込んでくる。

「宮城、知らなかったのか!? お前ちゃんと仲よかったんだろ」
「ってかアンタまでちゃんとかどうなってんすか! 花道、知ってたか!?」

桜木は桜木でぶんぶんと顔を振っている。何も情報規制があったわけではないし、少なくとも桜木は晴子と連絡を取り合っているはずなのに、どうも公延に子供がいるということは知られていないらしい。ということは取りも直さず――

「え、が母親ですよね!? ダンナも知ってた!?」
「そりゃ知ってるわ。以外に有り得んだろう。というか宮城、何も聞いてないのか」
「いやスンマセン……オレ連絡とか不精で……

彩子と宮城とはずいぶん疎遠になってしまったとが嘆いていたのは聞いていたけれど、まさかここまでとは思っていなかった赤木も驚いている。苦笑いの公延は魚住からコップを受け取りつつ、宮城に説明する。

「この間上の子の七五三で、ここ使わせてもらったんだよ。他にもここは世話になってて」
「もうそんなデカいの!?」
「しかも上の子ってことは下の子もいるってことで」
「魚住んとこだってふたりいるよなあ」
「いやそっちはとりあえず後でいいですから!」

言いつつ、宮城と桜木は口をパクパクさせている。

「ちょっと待った、想像はしてたけど急展開すぎて話について行けん」
「おお花道、オレもだ。ええと、いつ結婚したんすか」
「ええ〜、そこから話すのかよ」
「初耳なんすからいいじゃないですか! プロポーズは知ってますよ!!」
「え!? なんでそっちを知ってんだ!」
「オレはそっちも知らないぞ! リョーちんどういうことだ!」

奥座敷は大騒ぎである。とりあえず全て知っている赤木はため息をつき、三井に声をかけた。

「もう、平気なのか」
「ま、ちょっとはザワっとするけど。この間振られたばっかだし」
「湘北の件でか」
「そう。まーしょうがないよ、しばらく仕事ねえし、引越しだし。久々の実家だぜ」

三井は実業団に所属していたのだが、湘北の監督を引き受けることに決めてすぐに辞めてしまった。現在1月、監督就任は新学期の4月から。しばし無職である。そのため、監督生活が落ち着くまでは実家暮らしになったのだという。

「籍入れたのはええと……オレが24のときだから」
「てことはは23……
「ケッコンシキとか呼んでくれればよかったのに」
「してないんだよ」
「なんだよ、金なかったのか? 可哀想だろう」
「それが、本人がいらないっていうもんだから」

身を乗り出してきた三井の顔が何も変わらないのを見て、公延も普通に話す。

「それでモメたんだったな、確か」
「そう、その節は赤木家にもご迷惑を……

生まれつき何をしても目立つ性分のは、結婚式というものに特にこだわりがない女性であった。また、結婚式というより披露宴に莫大な金がかかることにも納得がいかなかったらしく、披露宴で何百万も使うくらいなら、ちょっと豪華な海外旅行に行きたいと考えていた。

それに憤慨したのは木暮家家の2組の両親である。のウェディングドレス姿、見たかったのに! と4人に責め立てられたは家を飛び出し、赤木家に転がり込んだ。当時、赤木は進学で出たまま東京にいたのだが、地元の赤木家には晴子がいたので、そこでむくれていた。

しかし育ててくれた親たちの気持ちも汲んでやりたい公延は、ドレスは写真だけ、式はやらずに身内だけのパーティにするという妥協案をお互いに取り付けた。その身内だけのパーティに、唯一呼ばれた他人が赤木兄妹である。普段と変わりないに対して晴子は号泣したものだった。

「相変わらずだなは。今も人たらしなのか」
「人妻なんてアビリティがくっついちゃったわけですしねえ」
「それが……

ニヤニヤしながら聞いてきた三井と宮城に、公延と赤木は顔を見合わせた。

「それが、不思議な話なんだけど、長男が生まれて以来、ああいうことは一切なくなっちゃったんだよ」
……え?」

結婚しようが妊娠しようが人は容易にに惹きつけられていたのだが、第一子を出産してからというもの、はそういう性質を失ってしまった。何でもそつなくこなすハイスペックなところは変わらない。ただ理由もなく人を惹きつける吸引力だけが消えた。

ところが、それが思わぬ形で違うところに現れ始めたという。

「どうも、長男がそういう体質みたいで。晴子ちゃんが超能力の遺伝だって笑ってたけど」
「もしかしたら次男も受け継いでるかもしれんぞ」
「へえ、男ふたりか! 木暮、ちゃんとバスケやらせてんだろうな」

期待に満ちた目で言う三井に、また公延と赤木は顔を見合わせる。気まずそうだ。

「な、なんだよ、バスケくらいいいだろよ」
「いや、そうじゃなくて……
「怒るなよ、三井。怒ったら負けだからな」

子供にバスケットをさせているかというだけの話なのに大袈裟な。三井は眉をひん曲げつつ、黙って頷く。

「長男、確かにバスケみたいなことやってるけど、師匠が、清田、なんだよ」
「ハァァァ!?」
「なんだそりゃあああ!!」

だから言いたくなかったのに、という顔をしている公延に、三井のみならず桜木までが声を上げた。敵味方でないなら桜木などは清田と仲がいい方だった。国体に選抜チームで出場した時などは意外と良いコンビネーションを見せたりもした。が、それとこれとは話が別か。

「結婚してから清田がよく遊びに来るようになってさ。長男が生まれるときも、陣痛が長くてついちょっと仕事に戻っちゃったんだけど、その間に分娩始まっちゃって、そしたらバイクで飛んできたくれたりして」

そんなわけで清田と木暮家の長男と次男は、どちらも生まれて以来の付き合いなのだという。

「確かありゃ3歳くらいだったか、試合を見に行ったんだよな」
「そう、がふたり目妊娠してて、つわりがひどいんで実家に戻ってたから」

プロリーグで活躍している清田は、何かにつけてチケットを送ってくれる。そのときはがそんな状態だったので、長男を連れた木暮と赤木が見に行ったのだが、まだ3歳である長男は興奮のあまり熱まで出した。

「よく遊びに来る兄ちゃんがかっこよく見えたんだろうな」
「そんなわけで清田が来ると兄ちゃんアレやってコレやって、で師匠だよ」
「それはいい。それはいいがお前――

必死で色々なものと戦っている様子の三井に、申し訳なさそうに公延は止めを刺す。

「すまん三井、本人は『海南にいく!』と言い張ってる……
「てめええええ!!」

来春から湘北に戻る三井はもう我慢ならない。

「わかった。長男はそれでいいけど次男は絶対湘北に入れろ! オレが全国に連れて行くから!」
「おいおい、次男まだ2歳だぞ」
「清田の野郎あいついい子の皮被ってとんでもねえことを」
、人たらしの能力失くしたんでしょ。それでも清田来るんすか」
「そう。だからその後すぐ彼女出来て、彼女も連れてくる。は助かってるよ」

宮城は途端に面白くなさそうな顔になる。どこの話を聞いても彼女だの嫁だの子供だの、そんな話ばかりだ。

「まーでも、ここは独り身だらけでなんか安心するっすわ。なー花道」
「えー、何言ってんだよ宮城、赤木も――
「あ、バカ、言うな!」
……ダンナまでえ!? あホントだ指輪してる!!!」

指輪のことなどすっかり忘れていた赤木に、宮城と桜木は宇宙人にでも遭遇したような顔をしている。驚いているしなんかちょっと怖いし頭の方が処理しきれない、そんな顔だ。さすがに三井はニヤニヤしているだけだが、このことは初耳のはずだ。

「隠すことかよ。ベルちゃん悲しむぞ」
「ベベベベベルちゃん!? ガイコクジン!? ゴリ、ガイコクジン!?」
「ちょ、落ち着け桜木、アニメの『美女と野獣』って見たことあるか?」

もう赤木はむっつりと黙って何も言わない。代わって公延が説明してやる。アニメーション映画の「美女と野獣」において、美女の名は「ベル」という。それに由来したあだ名である。まあ、なぜそんなあだ名になったかは言うまでもない。実際、ベルちゃんはの上を行くハイスペック才女なのである。

「そ、そんな美女がゴリと……リョーちん、世の中おかしい」
「いや桜木、お前ベルちゃんに会ったらたぶん逃げ出すぞ。場合によっちゃより怖いからな」

ベルちゃんはより明晰な頭脳を持ち、身長は173cm、顔はCG処理したのかという程のスペックの持ち主だが、なんと赤木より厳格で頭が固く、大学入学当時はかなり怖かった。公延や赤木と大学の同期なのだが、赤木と知り合ったのも、赤木に喧嘩を売ったのがきっかけという有様だった。

「代々法律家の家系で自身も法学部だったんだけど、弟が高校でバスケにハマっちゃって、ある日突然『バスケットボールが法曹職に勝る理由を述べよ』的なことを言って突っかかってきたんだ」

バスケットが劣ると言われているも同然なので、赤木もまともに相手をしてしまい、一時は公延を挟んでずいぶん喧嘩をしていた。その間、公延は名前が近いので「コグスワース」と呼ばれていた。「美女と野獣」に登場する執事の名前だ。ベルちゃんは、同様にその頃からの付き合いであるとも仲がいい。

「それがくっついちゃったんだから、世の中面白いよな」
「なんか……ドラマチックっすね……
「しかも今ベルちゃん妊娠してるんだけど、どっちに似るかって話でもちきり」
「お幸せそうで何よりっす……

にこにこ話す公延とは反対に、宮城はガックリと肩を落とした。

……ってアレ? うちのこともそうだけど、桜木、晴子ちゃんに聞いてなかったのか」
「あっ、ああ、その――
「木暮さん、晴子ちゃんと桜木、実はちょっとブランクあるんすよ。だから所々すっぽ抜けてて」

確か今日の集まりは晴子が発端で、桜木から宮城、宮城から湘北OBへと伝わって計画された席のはずだ。それに思い至った公延だったが、宮城の潜めた声に頷いて黙った。だが、晴子が兄やのことを話さなかったのは、わざとなのかもしれないという気がした。湘北という繋がりがあったのは、もう遠い過去の話だから。

「ま、いーすけどね。ヤスもまだ独身だし」
……宮城、彩子まだ戻らないのか」

三井はビールを傾けつつ、静かにそう言った。宮城は顔を曇らせ、桜木も面白くなさそうにそっぽを向いた。何の話なのかわからない公延と赤木はきょろきょろしている。自分の話は照れくさいが、人の話は気になる。

「なんだ、お前ら知らなかったのか。彩子、日本にいねえんだよ」
「え? 流川じゃなくて?」
「ああ、あいつも帰って来ねえな、そういえば」

流川と聞いて桜木は余計にそっぽを向く。

「何年前だったか……彩子、急に留学するって言い出したらしくてな。流川と同じ、アメリカに」
「そうだったのか……
から聞いてなかったのか?」
「それが、もう大学に進学した頃から疎遠になり始めてて。たぶんも知らないと思う」

流川は20のときに、彩子は24のときに渡米して以来、ここにいる誰とも連絡を取っていない。

「そっか……ごめん宮城」
「いやいや、木暮さんが謝る必要ないっしょ。オレがヘタレなだけっす」

急にしんみりしてしまった。そこへ、場の空気をブチ壊す騒々しい音が響き渡る。携帯の着信音だ。子供とお母さんに人気のヒーロー戦隊もののテーマソング。公延の携帯だった。公延は慌てて携帯を掴むと座敷の隅っこに移動し、背中を丸めて着信に出た。

「はい、どうし――あっ、こら、お母さんに代わりなさい、は? ごめん聞こえない」

お母さんということはか。それまでの話も忘れて、三井宮城桜木の3バカは公延の後姿を凝視する。

さんがお母さんか、ヘンな感じだな」
「昔お前も子供みたいなもんだったじゃねえか」

声を潜めて昔を懐かしんでいると、公延が「ウソだろ!?」とひっくり返った声を上げた。全員が何事かと公延の方を見ると、公延も振り返って驚愕に口をだらしなく開けている。

「わ、わかった、とにかく確認してすぐにかけなおす」
「どうした木暮」
「お、落ち着いて聞けよ」
「なんだよ、何かあったのか」

公延の狼狽っぷりがハンパではないので、全員すわ何か緊急事態でも発生したのかと身構えた。だが、公延は冷めたお茶を掴んで一気に流し込むと、宮城の隣まで膝で這って行き、力任せに肩を掴んだ。

「彩子、帰ってきたって」
「え……
「ウソだろ、おいそんな――

今ちょうどその話をしていたのに。

「どういうことだ木暮、、なんだって?」
「今、子供と実家にいるんだよ。そしたら、急に訪ねて来たって。去年の秋には帰って来てたらしいんだ」

てっきり自分より当時の仲間たちと連絡を取り合っているものだとばかり考えていたは、宮城を置いて4年も渡米していたと聞くや、慌てて電話をかけてきたというわけだ。

「木暮、たちここまで来られないのか」
「え、でも、子供が――
「それくらいもう構わんだろ、なあ」

赤木は場を見渡してそう言った。まだ少し放心している宮城はともかく、三井と桜木は大きく頷いた。

「晴子がのところに行くって言ってたから、そのまま車で全員来いって言え」
「わ、わかったよ」

もう一度かけなおした公延はまた長男に邪魔されているらしいが、なんとかに代わると、晴子の車で全員来るように伝えた。も混乱しているのだろう、公延は何度も同じ内容を繰り返した。

「お兄ちゃんはちゃんとお母さんの言うこと聞きなさい。あとノブ兄ちゃんはいないから!」
「くっそー、何がノブ兄ちゃんだあの野郎」
「相当懐いてるぞ。テレビのヒーローか清田かってくらい」
「人ん家の子とはいえ、お前悔しくないのかよ、海南だぞ海南」

疲れた様子で公延が通話を終えると、赤木は魚住に増員を報せに行った。

「オレの監督就任祝いのはずだったのに、なんか大変なことになったな」
「まったくだよ。こういうのって重なるときは次から次へなんだもんな」
「メガネ君、さん子供連れてくるのか」

桜木の顔には妙な緊張が浮かんでいる。

「桜木、子供はまあともかく、、会いたがってたよ。お前のこと、ずっと心配してた」
さん――
「人たらしの能力失くしたってのはどんなんだろうな」
「三井、いいのか、その」
「何年前の話してんだよ。オレはそれだけの人間か?」

ニカッと笑った三井の笑顔は、いつか湘北の部室で天井を仰ぎながら見せた笑顔そのもので、公延は思わず頬が緩む。しかし、桜木はなかなか緊張が取れないようだし、宮城は少し青い顔をしている。全員酒も入っているはずなのだが、誰も酔いが回らない。

それから30分も経った頃、店のドアがガラガラと開き、子供の歓声が聞こえてきた。

「おとーーさーん! ノブ兄ちゃんはー!?」
「今日はいないんだよー。その代わり他のお兄ちゃんがいっぱいいるからね」

人たらしを継承したという長男と、おそらく晴子だ。

「あっ、魚住さんご無沙汰してます!」
「しばらくだったな。よう坊主、久し振り」
「たまごのおじちゃんだー」

聞こえてくる声に赤木が吹き出す。七五三のとき、疲れてぐずった長男坊は魚住が作ってくれた玉子焼きで機嫌が直ったという。公延が奥座敷を出て行く。昼には遅いし夜には早いので、店内は貸しきり状態だ。

「晴子ちゃん、ごめんな急に。なんかオレたちもびっくりしちゃって」
「おとーさーん!」
「気にしないで〜。今チビちゃんのおむつ取り替えてるの。すぐ来るからね」

公延が長男を引き受けると、晴子は奥座敷に飛び込んだ。

「うわーん、宮城さん三井さんご無沙汰してます!」
「しばらく振りだなほんとに、元気にしてたか!?」
「おかげさまで!」

だが、高校時代から今でもずっと晴子に想いを寄せているはずの桜木は何も言わない。晴子も何も言わない。

……花道?」
「あ、宮城さん、それは触らないで」
「え、どういう……
「ちょっと、これがね」

晴子は笑顔のまま、兄の肩をひっぱたいた。兄は決まりが悪そうだが、何も反論しない。

「おいまさか赤木、反対とか邪魔とか、してるんじゃないだろうな」
「三井さん、いいのいいの。まだ時間かかりそうだから、ゆっくりやっていくから」

そう言って晴子は桜木の隣に座り、桜木を見上げた。

ちゃん、会いたかったってずっと言ってたよ」
「そ、そうすね」
「緊張してる?」

そこへ公延が戻ってきて顔を出した。

「宮城、ひとりで行って来いよ」
「え、そ、そんな」
「お前から行ってやれよ、待ってるんじゃなくてさ」

そのときだった。店の入り口の方から朗々とした声が響く。

「リョータぁ! ただいま!」

宮城はその声に飛び出していった。

「んじゃ、こっちはこれね」

公延がひょいと身を引くと、奥座敷入り口の襖からが顔を出した。既に泣きそうだ。

「ふ、ふぁ、は、花道、ミッチー……!」

さん」

は抱いていた次男を公延に押し付けると、座敷に飛び上がり、並んでいた桜木と三井に飛びついた。感極まってぐずぐず泣きながら、桜木と三井をぽかぽかと殴りつけた。いつかの決勝リーグのときと同じだ。三井と桜木も抱き返してやる。

「おいおい、人妻が子供の前でみっともねえな」
「バカ、ミッチーバカ! 花道もバカ!」
さんいっつもそればっかり」

三井は余裕たっぷりでの肩を叩いたが、桜木は涙腺が緩んだ。

さんお母さんっすか、さんのウェディングドレス、オレも見たかったっす」
「花道ぃぃぃ〜」

ここはまるで生き別れの姉弟のようだ。晴子も涙ぐんでの背中を擦っている。抱き合って再会を喜ぶと桜木から抜け出した三井は、そろりそろりと公延に擦り寄る。やはり吸引力を失ってしまったようで、三井はより長男が気になって仕方なかった。

「で、これが能力継承者か」
「そう。顔もに似てるだろ。お兄ちゃんにこんにちはしなさい」
……こんにちは」

次男を抱いている公延の肩にしがみついている長男は、母親の様子がおかしいのでビビっている。だが、公延の言うようにに面差しの似た、妙に色気のある子供だった。

「このお兄ちゃんは、ノブ兄ちゃんみたいにバスケ上手なんだぞ」
「いやいや、ノブ兄ちゃんより上手だぞ。今度は兄ちゃんがバスケ教えてやるよ」

そのときだった。にっこり微笑んだ三井の顔のど真ん中を、ジュニアがグーで殴った。

「ノブ兄ちゃんの方がいい! ノブ兄ちゃんバカにすんな!」
「うおお、鼻はやめろおお」
「こ、こら、なんてことするんだ!」

5歳児ながら腰の入ったグーパンに三井はのた打ち回る。赤木は真っ赤な顔をして笑いを堪えている。その騒ぎにが戻ってくると、長男の手を引き、桜木の前に引っ張り出した。

「花道、私の子供だよ。公ちゃんチビも貸して」

悶絶する三井などお構いなしで次男を受け取ったは、ふたりを抱えて桜木の前に座る。

「ほら、こんにちは、して。お母さんの大好きなお兄ちゃんだよ」
……こんにちは」
「花道、抱っこ、して」

状況があまりよくわかっていない次男はに突き出されても、ぽかんとしている。人見知りもしない子らしく、こちらは公延に雰囲気が似ている。桜木は恐る恐る手を伸ばして、次男を抱える。桜木の大きな手に抱かれると、2歳の次男はまるで乳児のようだ。

さん、お母さんに、なったんすね」

桜木は下を向いて、ぼんやりしている次男を見つめながら涙を零した。その様にもまた泣き出す。母親が見知らぬ男に弟を抱かせて泣いているので、長男坊は晴子にくっついた。晴子はぎゅっと抱き寄せると、頭を撫でてやる。

「晴ちゃん、このお兄ちゃんもバスケするの」
「そうだよ、すっごい上手なんだから。ノブ兄ちゃんの友達だよ!」
「なんでおかーさん泣いてんの」
「嬉しいからだよ。ベルちゃんがお嫁さんになったときも泣いてたでしょ?」

とは言うものの、ベルちゃんがお嫁さんになって母さんが泣いたのは4年前の話だ。長男坊が覚えているはずもない。桜木が次男をに返すと、長男坊はそっと晴子の手を離れ、母親にぺたりとくっ付き、桜木をじっと見上げた。

「お兄ちゃん、ノブ兄ちゃんの友達?」
……ああ、そうだよ」
「おとーさんも、ベルちゃんパパも、ノブ兄ちゃんもバスケするよ」

桜木は目を擦り上げながら、目線を落として長男坊の話を聞いている。

「だれがいちばん上手なの?」

幼い子供の素朴な疑問に、親である公延とは少しぎくりとする。悶絶していた三井は少し身を乗り出して手を上げかけた。あまり面白くなさそうな顔をしてそんな質問をした長男坊に、桜木はにやっと笑い、手を伸ばして頭をくしゃくしゃと撫でた。

「そりゃあ決まってんだろ、お前の父ちゃんだよ」

その言葉に長男坊はパァッと笑顔になる。父親の元へ走って行き、ぴょんと飛んで抱きつく。息子にとって父親はいつでも一番かっこいい男でなければならない、そんな気遣いをした桜木の言葉に、母さんはまた泣き出す。今度は晴子も「桜木くんやだー」と言いながら泣いている。

一方、「一番上手なのはオレ」と言いかけてしまった三井は畳に顔をこすり付けて呻いている。隣にいた赤木も極限まで笑いを堪えていた。

「三井、お前監督になる前に精神修練して来い」
「そうするわ……
「あのー」

恥ずかしすぎて顔を上げられない三井の後ろから、宮城がひょいと顔を覗かせた。真っ赤な目をしている。こっちはこっちでドラマチックな再会があったのだろう。続いて彩子も顔を出す。

「ちょ、宮城お前まさか今の」
「そりゃー見てましたよ」
「先輩ご無沙汰してます。すんげーかっこ悪いっすね」
「彩子てめえええ」

相変わらず激しい色気を伴った美女である彩子に三井は毒づいた。すると、また長男坊が突進してきて、今度はとび蹴りを三井にブチかました。鳩尾の辺りに蹴りがクリーンヒットしたせいで、また三井は呻く。

「アヤちゃんにわるくち言うな!」

スタッと飛び蹴りから着地した長男坊はビシッと指を差した。きりっとした目元に、妙に色気のある相貌、この気の強さ。ちょっとキュンキュンしている彩子の隣で、宮城はぼそっと呟いた。

「こりゃほんとにの2代目だわ……

なぜか目の敵にされてしまった三井とは裏腹に、長男坊は桜木にはすぐ懐いた。次男の方も大人しく桜木の膝に座っている。女性陣との再会に沸いたところで、改めて魚住が酒だの料理だのを運びこむ。

「それにしても、三井さんが監督ねえ」
「宮城と同じこと言うなよ」

彩子は蒸し返されるベルちゃんの話や、三井の監督就任の話にニヤニヤしっぱなしだ。

「それじゃあ今年は予選から見に行かないと、だわ〜」
「おう、来い来い。……って、じゃあとっておきのニュースを教えてやるか」

ほぼお誕生日席にいる三井は、にやりと口元を歪めて顎を撫でた。

「予選見に来て誰か気付けばいいかと思ったけど、もいるしな」
「えっ、なによ」

晴子とふたりで桜木を挟んでいるは、驚いて顔を上げた。

「オレと同じで4月から、藤真が翔陽の監督になるよ」

今度こそ奥座敷は悲鳴で包まれた。追加のビールを運んできた魚住まで声を上げている。

「なんというか、だから引き受けたみたいなところもあってな」
「そうか、ようやく翔陽に……

三井の隣で、公延は大きく頷いた。それぞれが新天地で頑張っている中、公延は地元に帰って家庭を持った。そんなわけで、彼は趣味の一環として自分たちの戦ってきた地元のインターハイ予選を毎年見ている。

当時から苦境続きだった翔陽だが、湘北という新興勢力に押されて、また陵南と海南という絶対的な強豪にも苦しめられ、この10年の間に何度もインターハイを逃している。決勝リーグに届かないこともあった。藤真が卒業後、完全に監督不在となった翔陽には何人もの監督が雇い入れられたが、誰も長く続かなかった。

「ありゃあ、藤真が戻ってくるのを待ってたようなもんだな」
「きっと監督もそれを聞いてお前に後を託したんだろうな」
「おうよ、望むところだ。だからお前らちゃんと見に来いよ!」

誰も言いはしないが、要するにを巡るライバルだったふたりが対決するわけだ。彩子は少し顔を逸らしてにやつく口元を手で隠している。の件では惨敗を喫したふたりが今度はインターハイをかけて戦う。そしてそれをひとり勝ちの公延が観戦するというわけだ。笑わずに観戦出来る自信がない。

やっといい展開になった三井に、人を惹きつけるという能力を失ったらしいはわざとらしく咳払いをして、ニタリと笑った。吸引力は子供に継承させたのかもしれないが、今でもやっぱりは美しい。むしろ色気でいえば10年前とは比べ物にならないほどだ。

「それじゃあ、私からミッチーに悲しいお知らせを」
「なんだよ悲しいって」
「うちの子が海南だの湘北だのと騒がれておりますが、実はこの子達の祖父、私の父は翔陽です」

三井の顎ががくりと下がる。また申し訳なさそうな公延に、初耳だった赤木もぽかんとしている。

「本人はバスケ部じゃなかったけど、その頃から海南はライバル。孫は絶対翔陽だと今から鼻息荒いです」
「もうそこまでこじれたら陵南でいいじゃねえか」
「急に話に入ってくんな魚住」

三井はまた歯軋りでも始めそうな勢いだ。一方まだ幼稚園児の長男坊本人は桜木の肩に乗せてもらって上機嫌である。晴子が横から構っているし、隙あらば彩子も手を振ったり笑顔を向けてみたりする。やはりの異様なまでの吸引力を継承しているだけのことはある。

「木暮さん、、オレにはあんまり変わらないように見えるけど」
「元々宮城は引き込まれてなかったからじゃないか?」
「だからわからないんですかね」

は桜木と会えたのが嬉しくて仕方ないらしい。晴子も交えてはしゃいでいる。

「アタシはわかるわよ〜。すっぽりなくなっちゃったわね、何かが」
「ははは、清田も同じこと言ってたな。長男にそれが移ったって言い出したのもあいつなんだ」
「それもわかるわあ〜。あの子気をつけないと相当モテるわよ。既にかっこいいオーラ出してるもの」

彩子は長男坊に向かってチュッと投げキッスを飛ばす。長男坊の方も照れもせずに投げ返す。

「ほら見てよ〜アタシ5歳児に恋しそう」

彩子はデレデレだ。

「でも、そしたら木暮さんもう何も心配要らないってことすよね」
「そうだな、うん」
「現金なハナシすけど、なんか色々安心したっつーか」
「あとは先輩んとこの子がどっちの顔になるか、くらいかしら〜」
「女の子ならかーちゃんか叔母ちゃんに似てくれないと悲惨だぜ」

宮城と彩子は赤木に聞こえないようにそう言うと下を向いて笑い出した。

「じゃあアヤちゃん晴子ちゃん、私たちはそろそろ引き上げようか?」
「やだあー花ちゃんといるー」
「えー、晴ちゃんとアヤちゃんと遊ぼうよ〜」

子供がいるとどうしても話の邪魔になるのでは、と気を遣っただが、長男坊はすっかり桜木に懐いてしまい、離れたがらない。晴子も長男坊が可愛いので横から突っついてみるが、ぷいと横を向かれてしまう。

「今日は予約もないし、ずっとここ使ってて構わんぞ。飯だけでも食っていったらいいじゃないか」
「たまごー」
「おう、母ちゃんがいいって言ったら作ってやるよ」

空いた食器を下げに来た魚住がと晴子に声をかけた。誰も何も言わないので、たちは残ることに決めた。長男坊は大喜びで桜木に纏わりついている。その長男坊に構ってもらえないのが面白くない晴子は次男を抱っこしている。

は赤木が公延や宮城と楽しそうに話しているのを確認してから囁いた。

「花道、晴子ちゃん、今度ふたりだけで遊びにおいで」
ちゃん、でも――
「私に呼び出されたって言えばいいじゃない」

は困り顔の晴子にそう言い捨てると、桜木の耳を引っ張った。

「あんたは一度信長と一緒に来てね」
「花ちゃんとノブ兄ちゃんいつ来るの?」
……そうだな、春休みになったら、だな。その前に晴ちゃんと遊びに行ってもいいか?」
「えー、いいよー!」
「桜木くん……

桜木と晴子の顔を眺めながら、は満足そうに微笑んだ。

たちは食事を済ませると、次男がぐずり始めたのを潮に席を立った。まだ湘北バスケット部OBが来るというし、晴子が送って行ってくれるというので、女性陣と子供は木暮家へ向かうことになった。車を取ってくるという晴子が先に店を出ると、は公延と赤木に子供を押し付けて、ひとりひとりと別れを惜しんだ。

「リョータくんも今度遊びに来てね。アヤちゃんと一緒でもいいから」
「おう、行くよ。今日あんまり話せなかったからな。卒業してからのこと、まだ聞きたいし」
「じゃあ公ちゃんがいないときに来てね!」
「お前その言い方はマズいだろよ!」

宮城とハグして離れたは、横にいた桜木にもハグした。

「さっき言ったこと忘れないでよ。ちゃんと来てね。またご飯いっぱい作っておくから」
「はい、行きます。清田のヤローにはさんから言っといてください」
「大丈夫大丈夫、あいつも喜ぶって」

むず痒そうな桜木を残し、は公延と話している三井の前に立ちはだかった。

「ロクに話、出来なかったけど、元気だった?」
「見ての通りだよ、残念ながらあんまり変化ないぜ」

三井は無理をしている様子はない。も、もう心が揺れることはない。時間が全てを攫っていってしまった。

、三井新学期まで仕事ないって言うから、今度うちに来いよって言ったんだけど」
「いつでも来て。食費浮かしにおいでよ。あの子の誤解も解いてもらいたいし」
「どうにかして湘北に入れなきゃなんねえしな」

三井は真剣だ。まだ小学生にもなっていない我が子の高校の話に、公延とは苦笑いだが、ここに清田と藤真、そしての父がいたら本気で喧嘩を始めかねないだろう。

「それはともかく、今年は予選から絶対見に来いよ。木暮もちゃんと時間取れよ」
「決勝なら毎年見てるんだけどなあ」
「行くのはいいけど私たちがいたら恥ずかしくない?」
「もう高校生じゃねえんだよ、気にするかそんなこと」

三井が腰に手を当ててふんぞり返っていると、表から晴子の車のクラクションが聞こえてきた。赤木が長男と次男を連れて店を出て行く。は三井に向かって両手を広げた。

「ミッチー、はい」
「え、おい、木暮」
「もう高校生じゃないんだろ。気にしないよそのくらい」

それもそうだ、という顔で、三井はを両腕に抱き締めた。

「一番心配してたんだからね」
「大丈夫だよ、お前より好きになった女、いたから」

体を離したは、真顔で三井を見上げ、そしてこれ以上ないほどの笑顔を見せると、少し乱暴なくらいにハグをして離れた。三井はそのまま公延にもハグしてバシバシと背中を叩くと、座敷に戻っていった。

「公ちゃん、私これで全っ部クリアになったわ。あの頃の私、もう全然残ってない」
「じゃあ晴子ちゃんと彩子と、存分に楽しんで下さい」
「そうする。公ちゃんも飲み過ぎないようにね」

店の前に停まった晴子の車まで送りに出た公延と赤木は、車が見えなくなるまで佇んでいた。

「いいのか、にあんなことさせて」
「ああ、もう大丈夫。これでもうすっかり消えたんだよ、あの頃の影は」

店の外から見ていたらしい赤木は不安そうな顔をしたが、公延は晴れ晴れとしている。

「それに、もうそんなことでよろめいていられないだろ。子供いるんだし」
「そりゃあそうなんだが、どうにもオレは心配性だな」
「しっかりしろよ、もうすぐ父親になるんだろ。ベルちゃんも中身は繊細なんだから」

基本的には完璧超人であるベルちゃんだが、意外と脆い。赤木は自分の話になるとすぐに黙り込むが、これからまた湘北OBが集まってくるのだ。宮城や三井にネタにされないわけがない。

「それはともかく……いい区切りだったな。これで何が変わるわけじゃないが」
「そうだな。まだまだ遠い道の途中みたいなもんだからな」
「ふん、しかしオレたちはいい道連れを持ったものだよ」

公延は赤木を見上げて小さく吹き出した。

「そういうことは、みんなの前で言えよな」
「言いたくねえからここで言ったんだ」

笑い合う公延と赤木は肩を組んで店の中へ戻っていった。手の届く場所にいなかったのだとしても、心は共に遠い道を歩んで行きたい仲間たちの待つ世界へ戻っていく。遠い夏の日から今も続く輝かしい世界へと。

END