グラビティ

インターハイ初日の試合が終わり、湘北出身3人とは部員たちに顔を出して、すぐまた戻ってきた。翌日からの試合も観戦するので、長々と話す必要はない。がまた泣いていたので、彩子がハグをしてくれた程度だ。さすがに全員気を抜かずに凛としていた。

体育館の表玄関に戻ると、一緒に観戦した神奈川出身たちが4人を待っていた。

「あっ、戻ってきたっすよ」
「お前らこの後なにか用あるか?」

ぴょんぴょん跳ねている清田を押しのけて、藤真が出てきた。一応赤木に聞いている。

「いや、特に……
「だよな、飯食って行こうぜ」
……全員でか?」
「何か問題でも?」

赤木は面倒だという顔を隠しもしないでと公延を振り返ったが、は既に清田に捕まっていた。公延の腕にしっかり掴まりつつも、清田に引っ張られてああだこうだと言い合っている。

もおいでよ。別に酒飲もうってんじゃないんだし、木暮もいるんだからいいだろ」
「まあいいんじゃねえの木暮、赤木だっているんだし」

藤真の言葉に三井も乗っかっている。藤真や清田に下心があるにせよないにせよ、とりあえずの絶叫のせいで彼らがじっくり試合について話せなかったのも事実。赤木や公延はのことがないなら二つ返事で承諾しただろう。

「いいじゃないすか木暮さん、メシ食うだけなんだし」
がいいなら、いいけど」
「丸投げしたな」

はじっとりとした上目遣いで公延を睨んだ。結局、受験のためにアルバイトを辞めてしまったは「奢ってあげるよ」という藤真の最強の言葉に陥落、これには公延まで「いやー助かるよ」とにこにこする始末。さすがに三井が呆れた顔をしていた。

一行はぞろぞろと船橋を出て都内に戻るのだが、は180cm以下の人間がいないという集団の真ん中で埋もれていた。一番低い公延もなんだかんだで180cmに届いてしまったので、昨年のデータでは同じ身長だったらしい藤真と清田も含め、の周りはほぼ壁である。

「前が見えない……
「あそこは190オーバーだからね」

公延に警戒されない程度の距離を保って隣を歩いている藤真が説明する。赤木と並んで話していたのは翔陽出身の花形と長谷川と言うのだとか。は記憶する。という素人には赤木の身長が特別なのだという刷り込みがあり、それがこんなにゾロゾロいるものだとは未だに信じられないでいた。

「だからオレや清田も大きくない。なあ木暮」
「この中にいると感覚が狂うよな」
……ってことは、あれだけ小柄なリョータくんは超すごいってことだね!」
「え」

宮城も少しは伸びているのだが、公延や藤真と比べてもまだまだ小さい。その賞賛はこの中では低い部類の自分たちに送られるものと思っていた藤真は当てが外れた顔をした。公延の隣を歩いていた三井はまた顔を背けて吹き出すのを堪えている。

今の切返しが無意識なのか意識的なのかは本人のみぞ知るところだが、本日これだけの面子に囲まれてしまったことでは諦観の心境であるし、公延と指輪がある以上はもう何にも惑わされない自信もある。

「そういや木暮、宮城は夏で引退すんのか?」
「いやオレは聞いてないよ、聞いてる?」
「推薦が来ればするかもって言ってたよ。アヤちゃんは秋までだって」
「ははは、推薦待ちじゃあ三井コースだな」
「ああ、往生際が悪いコースね」

また公延を挟んでと三井は牙を剥き合った。

「そういうは進路どうするんだ」
「はっはっは藤真残念だったな、こいつは女子大だぜ」

今度は三井と藤真が睨み合う。

「へえ、さん女子大なんだ」
「意外?」
「いやあ、木暮さんと同じところ行くのかと思ってたから」

少し遠慮がちに返した清田だったが、は事も無げに言う。

「100パーセントA判定のところ行ってもね」

本日のこの集団の中で、を除けば一番学力が高いのは花形である。だがそれでもには遠く及ばない。これにはのチート人間振りをよく知る公延含め全員が少し身を引いた。特に学力に自信のない三井や清田は露骨に不快な顔をした。

しかしそれでも「嫌なやつ」と思われないのがの不思議なところである。

そもそもこのの持つ妙な引力にかかったのが三井であり、藤真に清田である。程度の差こそあれ、広義では彩子や桜木も同じことだ。この中の誰ひとりとして見ることのないアナソフィアでのなど、宗教でも始められそうな勢いなのだが、それはまた別の話。

男性諸氏の場合は外見に惑わされているという部分も大いにある。しかしそれにしても、の引力は異常なほどだ。誰がどう想像しても三井と藤真は女に困らないはずだ。それなのにに執心した挙句、未だに断ち切りきれないでいる様子。三井はそんな振舞いを見せないが、実際はそれこそ本人のみぞ知る、だ。

一行は人様のご迷惑にならないように気をつけつつ、藤真がよく使うという店までやってきた。

「藤真先輩、ここ、居酒屋じゃないですか」
「ランチもやってるよ」
「ええとですね、私受験生ですし、そういう大学生ノリに迎合する気はないんですけど」

これはのみならず公延と赤木も同様である。

「酒飲むなんて言ってないだろ。メシも美味いんだよ」
、今日の面子は大丈夫だと思うよ」
「公ちゃんがそういうならいいけどさ、なんかこう、どうも藤真先輩は信用出来ないというか」

三井が音を立てて吹き出す。実際にとすごした時間が極端に少ない藤真は、を可愛いと思う気持ちとの間で戦っている模様。この程度で音を上げていたらとは友達にもなれない。

店内に入ると、外観に反して明るい食堂風の居酒屋だった。その上真っ先に出てきたのが迫力のあるおばちゃんである。背が高く派手な顔と装いで声も大きい。藤真とは顔馴染みであるらしく、巨大な集団をにこやかに奥へ通してくれた。

「遠いけど親戚なんだ、あのおばちゃん。言ったろ、メシが美味いって」

全員妙に納得した。通されたのは店の奥に位置する個室だが、縦長で12畳くらいありそうな部屋だった。

道中ずっと話し込んでいた赤木を始めとする先行組はさっさと席に着いたが、さんを囲む会状態の後続組がモメた。の隣はもちろん公延だが、反対側を三井と藤真と清田が取り合った。

久し振りなんだから話をさせろという三井、それはオレの方だと主張する藤真、そしてこの中では一番安全だと言い張る清田である。は赤木に来てもらいたかったのだが、断られた。結果、公延裁定によりは清田を選んだ。ひとつふたつの差とはいえ、最年少であり、牧がいるというのが功を奏した。

「後で代われよ清田」
「いやっす」
「積もる話もあんだよ」
「しらねっす」

仕方なくの向かいに並んで座った三井と藤真は清田に圧力をかけるが、そこは桜木に匹敵する無礼者、何を言われても笑顔で断った。1学年ならともかく、体育会系で2学年上にこの態度は立派である。しかも決してには近付きすぎない。公延に警戒された頃の清田はすっかりいなくなってしまった。

「ミッチーに積もる話なんてないでしょ」
「ははは無様だな三井」
「藤真先輩もありませんからね」
「なんで藤真だけ敬語なんだよ」
「そういえばそうだね、別に敬う気持ちはないんだけど」
「名前で呼んでくれたら敬語なんかなくてもいいよ」
「謹んでお断り申し上げます」

公延は下を向いて肩を震わせていた。ナンバー2に甘んじていたとは言え、県内トップクラスの選手だった藤真がにいいようにあしらわれているのが可笑しくてたまらない。

「ふん、別に呼び名くらいいいじゃないか」
「そうだぞ、だいたいなんで清田は名前で呼んでるんだよ」
「可愛い後輩の特権っす」

清田はぬけぬけと言うが、それもあながち間違いではない。同い年や年下なら気軽に名前呼びも出来ようが、いきなり先輩を名前で呼ぶような展開は日本の高校生には珍しい。

「でも名前呼びって嫌がる人もいるでしょ」
「え、名前呼ばれて嫌がる人なんているのか」
「昔、赤木くんを剛ちゃんて呼んだら怒られた」

今度は全員大笑いである。特に三井は火がついたようにけたたましい声で笑った。

「公ちゃんは覚えてるでしょ」
「あったな、そんなこと。赤木はって呼んでたのをって呼ばせたときだな」
「やべえ腹いてえ剛ちゃんやべえ死ぬ」

三井は涙目になっている。

……お前ら何の話をしている」
「剛ちゃんの話」

藤真から少し離れただけの隣にいた赤木がむず痒そうな顔を伸ばしてきた。すかさず藤真が返す。

「おい、余計なことべらべら喋ってんじゃねえ」
「名前くらいいいじゃないか、固いやつだな」
「まあ赤木くんと公ちゃんの頭が固いのはもうどうにもならない」
「オレそんなに固いかなあ」

にとっては充分固い。なにせ5年だ。

「なんかアナソフィアのさんの方が固そうっすけどね。意外とそうでも」
「女子校なんてそんなもんだよ」
「アナソフィアか、文化祭行きてえなあ」
「ははははは、残念だったな三井、アナソフィアは家族か翔陽じゃないと入れないんだ」
「知ってらそんなこと。木暮も行ったことないのか? 家族みたいなもんだろ」
「公ちゃんは散々誘ったけど頑として来ませんでした」
「もうほんと、木暮はいい加減にしろよ」
「藤真は毎年入ってたんだからいいじゃないか」

入っているどころかの黒歴史も見ているし、昨年に至ってはを探してアナソフィア中を走り回った。

「藤真先輩様は去年、『あの』って言われただけで『ごめん』って言ったという伝説がありまして」
「てめえもふざけんな」
「そのミッチーも今年の卒業式では思わぬ人気を博し、ボタンが全部売り切れました」
「ふたりとも充分じゃないすか。それを木暮さんばっかり突っついて」

は満足そうににっこりと微笑んだ。清田の彼女の件を言わないでやったのは彼女の優しさだ。

「つーかさん、桜木のやつ、さんに勉強教わってるってマジすか」
「流川も見てるよ。ちゃんと見てやんないとインターハイ行かれないもん」
「くっそ、行かなくていいのに」
「その桜木と流川がに教わるようになってから赤点出してないんだから、変わるもんだよな」

公延の言葉に三井が目をひん剥く。

「え、今年に入ってもか? 一度も?」
「私が教えてんだから当たり前でしょそんなこと! ギリギリでもいい、赤点は取らせないのが流儀よ」
さん、オレもぜひ……
「え、信長バカなの?」

身も蓋もない。藤真が清田を指差して笑っている。

「まあまあバカっす」
「おい花形! こいつ成績どうなんだよ!?」
「ちょ、頭掴むな!」

素直にバカを認めている清田の向かいで三井が藤真の頭を掴み、少し離れた花形に向かって怒鳴っている。

……首席卒業のオレに言えることは何も」
「首席!? なんだお前すげえな」
「って素直に頭いいよって言ってもらえはしない程度ってことなんですね」
、少し手加減してあげなよ」
「ははは、そんなこったろうと思ったぜ」

藤真はからからと笑う三井の横で鬼のような形相になっている。さすがに可哀想になってきたのか、公延がの腕を引くが、は聞いていない。

「てか、この中じゃ湘北が一番バカだろうが」
「でも公ちゃんと赤木くん以外はみんな推薦なんでしょ」
「違う。オレは数多の誘いを蹴ってわざわざ湘北に行ったんだよ、こいつらと一緒にするな」
「その結果グレてんだからどっちみち同じだろうが。翔陽なら退学だぞ」

を間に挟んでいるので、藤真と三井は余計にいがみ合う。

さん、たぶんですけど、あっちはみんな勉強出来る組っすよ」
「ああ、牧さんもそうなの?」
「順位とかは知らないっすけど、バカでないことは確かっす」
「湘北はちょっと集まりすぎたな、勉強しないのが」

公延とは少し遠い目をした。せめて赤点が1つや2つくらいで済む程度に勉強していてくれればいいだけの話なのだが、湘北はそれすら大変な苦労を強いられる。

「つかマジでオレ宿題やべーんすけど、さん助けて」
……どいつもこいつも」
「清田、桜木と流川と一緒に静かに勉強出来るなら面倒見れるぞ」
「えええ、それは……
「おいおい、あいつらそんなことまで」
「インターハイ終わったら彩子と晴子ちゃんと4人がかりで片付ける予定なんだよ」

場所は湘北の部室。公延はともかくはこっそり入ることになるが、公延が使っていた湘北ジャージを借りるという姑息なカモフラージュを予定している。そこで何日かかけて朝から夕方まで集中的に部員たちの夏休みの宿題を片付ける予定だ。どうやら新入生にもバカがいたらしい。

「まあそこに混ざる勇気はさすがにないだろう、清田」
……藤真さんなら突っ込んで行きそうっすね」
「大変そうだな、オレも手伝うか?」
「ミッチーに何が出来ると言うの……
、お前その顔ほんとに止めた方がいいからな」

この場合赤木なら役に立つが、の言うように三井に出来ることは何もない。いや、あるとすれば――

「まあ、差し入れかなんか持ってくればいい先輩だと思ってくれるかもよ」
「物がなきゃ慕われないとか湘北はなんなんだよ」
「湘北はお前らみたいに馴れ合わねえんだよ」
「藤真さんと三井さんはどうなってんですか」
「関わらない方がいいよ信長」

こんなところで暴露するようなことではないから言いはしないが、そもそも湘北には襲撃事件というあまりに外聞の悪い過去があり、その中心人物が三井である。だいぶ丸くなったとは言え、未だに目つきの悪い三井に一歩も引かない藤真はさすがに名門校の主将だっただけはある。

「ふん、ひとりだけいい子になりやがって」
「何言ってんすか、三井さんと違ってオレはずっといい子っすよ? ねえ、木暮さん」

清田だけはの首に下がる指輪の正体を知っている。

「はは……そうだな」

清田はいい子になることにしたのだ。桜木のように。そうすればの隣にいてもいいんだろう? 清田はそんな目をしていた。公延はそれに気付くと、力なく笑った。そうまでしてのそばにいたいのだろうか。自分が言えたことではないけれど、はそこまで人を引きずり込むのか。

約束があったからといってを何年も放置していた結末がこれなのか、いやそもそもという女はただそこにいるだけで人を惹きつける。こうなったら籍だけでも先に入れてしまった方がいいんじゃないかなどと突飛な考えに囚われる。

……なあ三井、木暮って実はけっこう黒いんじゃないのか」
「黒い?」
「はあ? 藤真先輩に言われたくないんですけど」

さすがに主将兼監督経験者だ。すぐに勘付いた。清田の問いかけに適当な返事を返しつつ、内心穏やかでないことを考えていた公延は藤真の言葉に絶句する。いまいち意味のわかっていない三井に、反論している、その中で、清田だけが静かな目で公延を見ていた。

三井や藤真と違い、清田は公延がいてもいいからと会える道を選んだ。それもおそらくはが進学するまでだろうが、それでもそんな道を選んだ。それは三井や藤真などより遥かに茨の道だった。公延はそんな様子を清田から読み取ると、小さくため息をついた。

それでもは自分のものだから、何も思い煩うことはない。

2時間ほどして一行は店を出た。あくまでも公延とは手を繋いだまま離さないに藤真は連絡先を教えろと迫った。届いたメールを全て公延に見せてもいいならメールアドレスだけ教えてやろうとカマをかけただったが、藤真はあっさり承諾。それを見た清田にもせがまれた。

結局はふたりにメールアドレスを教え、なぜかついでに公延も赤木も教え、連絡先交換会になった。

「ふああ、なんか疲れたね」
「疲れるようなことは何もなかったはずだがな」
「あの3人に囲まれてみろよ、一試合したみたいな疲労だぜ」

皆と別れてと公延と赤木は帰路についている。明日も湘北の試合を見に行くのだが、あの調子ではまた誰か来るかもしれない。とりあえず三井は行きたいようなことを帰り際に漏らしていた。

「三井じゃないが、地獄だろうな。苦しめとは言わんがそれもお前らの選んだ道だからな」
「赤木くんも少しは苦しめ」
「ふん、オレはご免蒙るぜ、そんなこと」

赤木は片手を挙げるとさっさと帰っていった。

「ねえ公ちゃん」
「ん?」
「疲れるしウザいんだけど、たぶんずっと先になったら、これは楽しかった記憶になるよね」

はするりと腕を絡ませて公延の肩に額を擦り付ける。

……ああ、そうだな」
「だけどさ、公ちゃん」
「なに?」
「あれだけ男の人がいても、やっぱり公ちゃんが一番かっこいいね」

は少し俯いたままゆっくりそう言った。公延は足を止めて見下ろす。

「藤真や三井が目の前にいて?」
「うん」
「はは、、目が悪くなったんじゃないのか」

さすがに何とも言えなくて公延はそう茶化した。だが、は返事をしない。にとってはいつでも公延が一番であって、それは決して揺るがない。何があっても、誰がいても。

「湘北、明日も勝つといいな」
「うん」

湘北が全国制覇に近付けば近付くだけ、一緒にいられる。彼らを応援したい気持ちとはまったく別の場所でふたりはそう願った。ふたりで過ごす時間は、どれだけあっても足りないのだから。

END