きらきら

いよいよ寒いというよりは冷たいという季節になってきた1月末。受験でカリカリしている3年生を他所に、2年生であるはのんびりしていた。東京の大学を受験する公延など不合格になれと思ってもいる。近場の大学に実家から通えばいいものを、わざわざ近くて遠い東京なんかに出て行こうとは。

3学期末考査が近いが、学期末ともなるとは余裕を持って構えていられる。

そんなわけで、今、は湘北の最寄り駅近くにあるカフェに向かっている。を待っているのは、彩子と宮城だった。2学期中間からのの尽力に感謝して、宮城が奢ってくれるのだとか。彩子は金だけ出してくれればいいと言ったそうだが、が混ぜてやってくれと頼んだ。

ー!」

いつかのように店内で手を振る彩子と宮城は制服姿だが、ふたりとも大き目のニットを羽織っている。彩子の横に座っている宮城は緩んだ顔をして手を挙げている。はもう少し遅れてきてやればよかったかと思いつつ、オーダーは後回しにして席に向かった。宮城が奢ると言っているのだし、そこは立ててやらねばなるまい。

「ふたりとも久し振りー! 寒いねえ」
「リョータ、ほら、奢るんでしょ」
「なんかかえってごめんね」
「いいって、このくらい」

ぴょこんと立ち上がった宮城と一緒にカウンターへ行き、はソイラテのトールをオーダーする。

「えっ、それだけか?」
「それだけ、って充分でしょ?」
「いやアヤちゃん……

つられて宮城と一緒に振り返ると、彩子の前にはいつかのようにホイップがうずたかく乗った推定ホワイトモカに加え、スコーンとデビルズケーキにサラダラップまでが鎮座している。ひとりで食べるつもりだろうか。

「いやごめん、私部活やってるわけじゃないし、てかあれもリョータくんが?」
「うんまあ、そう。アヤちゃんこういうときは遠慮ないから」

は苦笑いだ。なんだか一昔前の自分を見せられているようで、宮城に謝りたい気になってきた。

「ええー、それだけえ」
「だって別にお腹減ってないもん!」

ぶすっと唇を尖らせた彩子は、仕方なくひとりでデビルズケーキにフォークを突き刺した。

「それにしても、、花道と流川の件、ありがとな」

さすがに運動部とでも言おうか、この寒さの中、宮城はフラペチーノを啜り上げるとちょこんと首を傾げた。

「いやそんな、ここまでしてもらうようなことは」
「いやそんなことあるんだよ」
「ふたりとも進級出来るみたいでね」
……そこまでひどいの、あいつら」

彩子と宮城は揃って苦笑いだ。

「部活があるから、毎日授業には出てるし、朝練のおかげで遅刻も少ないんだけど、なんせ成績がね」
「まあ別にあいつらが留年したって構わないんだけど、そうなるとインターハイ出られないからな」

インターハイは同学年での出場は1回きりと決まっている。

「んもー、どうすんのよこの先」
「どーにもならんわ」
「アタシたちだって3年だしね」

3人はがっくりと頭を垂れた。

「リョータくんが自主的にやるようになったって公ちゃん言ってたけど、えらいね、さすが主将」
「最低限てところよ。赤木先輩と木暮先輩がいる以上部活は理由になりませんからね」
「いやそれよ、ほんとに部活やっててあの成績は一体どうなってんの」

身を乗り出した宮城に、今度はが苦笑いだ。

「どうなってんのも何も、帰ってきたらご飯食べて勉強して風呂入ってお休み、よ」
「その代わりは構ってもらえなかったわけね」
「我ながら5年間よく我慢したと思うよ」
「えー、でもそれは木暮さんも同じだったんじゃねえの。ずっと我慢してたよ絶対」

ストローを咥えながら言った宮城の言葉に、の顔がぶわっと赤く染まった。

「え!?」
「えっ、あ、違っ……

慌てる宮城に焦るを交互に見ると、彩子はニタリと口元を歪めた。

「まあ、クリスマスイヴに指輪だものねえ、そりゃ先輩も我慢しきれないわ」
「あああアヤちゃんなんてこと言うの」
「ちょちょ、オレ帰るわ」
「リョータ、みっともないわよ」

普段は宮城に対してあまりにもそっけない彩子だが、立ち上がりかけた宮城の腕を掴んで引き戻した。

「ねえねえ、今は指輪してないの」
「ああ、指輪ってあのときの」
「さすがに指にはつけられないからね」

は制服の襟元を緩めると、細いシルバーのチェーンを引っ張り出した。

「あっ、そうそう、これこれ!」
「石井が『木暮先輩オトナっス』とか言ってたやつだな」

ふたりは揃っての襟元を覗き込んだ。ホワイトゴールドに小さなルビーがきらきらと光っては揺れている。リング自体が細いので、明るい光の中で見ると、本当に小さな指輪に見える。しかしその頂点で主張している赤がどこかエキセントリックでもある。

「でも、なんでルビーにしたのかしら」
「え、ルビーじゃダメなん」
「そういうわけじゃないけど、プレゼントとしてはちょっときつめのセレクトじゃないかしら」

顎に人差し指をついて首を傾げる彩子に、はまた苦笑い。

「そのきついのがね、私っぽかったってことみたいよ」
「すげえな木暮さん、普通そんなん思っても無難なデザインのを選びそうなもんなのに」
「まあそこは生まれて以来の付き合いだから、遠慮ないよね」

宮城はストローを、彩子はフォークを咥えたままリングを見つめている。リングはチェーンにぶら下がってきらきらと明滅を繰り返している。その光が彩子と宮城の瞳の中で踊る。

「なんかもう、心配なさそうね」
「ええと、それがね……

公延が春から家を出るつもりだということを説明すると、ふたりは大きく頷いた。

「そうかあ、木暮さんダンナと同じところ行くのか」
「受かれば、だけどね」
「受かるでしょうね」
「アヤちゃん容赦ない!」

表情ひとつ変えずに言う彩子に、は両手で顔を覆った。

「普通の進学と違ってオレらの周囲はスポーツ推薦多いからなあ」
「ミッチーとか藤真先輩も東京なんでしょ」
「三井さんはともかく、そりゃ藤真クラスはみんな持っていかれるわな」
「リョータくんは行きたいところないの」
「牧と藤真がいないところならどこでもいいわ」
「志が低い!」
「だってアヤちゃん、今は大学より今年の夏じゃんか」

はふいに寂寥感に襲われて胸が痛んだ。公延だけじゃない、来年は自分も彩子も宮城も離れてしまうかもしれないのだ。そうしてまた1年経てば、桜木も流川も同じように。今だって学校は違うけれど、会いたいときにすぐ会える距離である。

「でも、東京でまだマシだぜ。オレの中学んときの先輩、大阪行くらしいし」
「うん、公ちゃんが名プレイヤーじゃなくてよかったわ」
も容赦ないわー」

からから笑って彩子は推定ホワイトモカをぐいっと飲む。やっぱり酒に見える。

「あっ、忘れてた。今年ね、県予選連れてってもらうんだよ」
「え、県予選て神奈川のか?」
「もちろん。公ちゃんが連れてってくれるって。見に行くからね」

1月の今から楽しみにしているらしいの弾んだ声に宮城は照れた。

「誰にこの話をしても、みんな私が泣くっていうんだよね」
「あー、まあ桜木花道を見たら泣くんじゃないかしら」
「赤木のダンナたちがいなくてかえってよかったかもしれねえな」
「ああそうよね、先輩もよく知ってるんだものね」
「なんかそれがよくわからないんだよね。面白そうとは思うけど……泣くって」

彩子と宮城はちらりと顔を見合わせてプッと吹き出す。見たことがないのだから無理もないが、こうして舐めてかかって号泣して帰る女子は多い。またの場合桜木や流川を可愛がっているので、彼らのプレイは胸に来るものがあるはずだ。

「でもリョータくんキャプテンなんだよね! かっこいいね! 小柄なボスってクレバーな感じ!」
「んな、いやそんな、オレはその」
「なに照れてんのよ。任しとけくらい言いなさいよもう」

部員からは慕われてはいる宮城だが、なにぶん日が浅い。赤木のような存在感が出るまでにはもう少し時間がかかるだろう。だが、には小柄なボスを中心に置いたチームというのが何か別の組織にでも見えているようだ。彩子に背中をバチンと叩かれた宮城はまた照れている。

「県予選まで待たなくても練習試合とかあるんだけど、どうしてかしら」
「公式戦の方がいいと思ったんじゃないかな。木暮さんも来やすいだろうし」
……まあどっちにしろ卒業するまでは呼ぶつもりはなかったかしらね」
「どういうこと?」

彩子はまたニタリと笑い、と宮城はきょとんとして彩子を見つめた。

「卒業すればあれもこれもいなくなるものねえ」
「うえっ、そういうことかよ!?」
「と思うけどお」
「なんかアレだね、アヤちゃんたちと話してると公ちゃんほんとゲス野郎になるね」
「いやオレは数に入れないでくれよ」

公延に何の遺恨もない宮城は急に逃げ腰になる。

「でも可愛い嫉妬だと思えば角も立たないじゃない」
「そんなんで4年、大丈夫なのか?」
「正直今から怖い」

にこにこと笑ってはいるが、は頬のあたりが硬い。

「でも東京なら、どんなに北上しても2時間くらいじゃないか?」
「週末とかなら気軽に行かれる範囲よね」
「そうしたいのは山々なんだけど、こういうとき幼馴染は都合が悪い」
「そうか、先輩の所だってバレバレだもんな」
「よし、、先輩が家出る前にアタシんち来な!」

彩子はサラダラップをバシュッと食いちぎりながらに向かってサムアップ。

「中間合宿のときにアタシの話は出てるし、なんなら一度アタシもお邪魔してもいいし」
「アヤちゃんかっけえ」

宮城は真面目な顔で拍手をしている。

「都合がいいことにアタシたち受験生になるんだし、その後はいくらでも言い訳はたつもの」
「あ、アヤちゃ〜ん」
「任して、そのくらいしか協力出来ないけど、せっかくちゃんと付き合うことになったんだもの」
「その途端離れ離れとか大変だなほんとに」

ドンと胸を叩いた彩子に祈るように手を組んだは、嬉しくて頬が緩み、気をつけないと泣いてしまいそうだった。昨年のクリスマス以来、家の外ではちゃんと彼氏彼女が出来ているのに、そのリミットが迫るということがあまりに理不尽な気がして腐る一方だった。

だが、彩子が協力してくれたら公延の部屋へ大手を振って行かれるかもしれない。今度こそ誰もいない、誰も帰ってこない部屋でふたりきりの時間を過ごせる。それはきっと公延も望んでいるだろう。受験本番は迫っているが、やることはやっている。それが急に絶たれてしまうのは寂しいに違いない。

「アヤちゃん、リョータくん、これね、プレゼントじゃないんだ」
「プレゼントじゃないって、だって先輩からもらったんでしょう?」

彩子と宮城の気持ちが嬉しくて暖かくて、はまた指輪を取り出した。

チェーンを外し、指輪を抜き取る。指輪はするりと左手の薬指に納まった。彩子が目を見開いて息を呑む。

「プロポーズ、してもらったの」

宮城が顎が外れるほど大きく口を開いて固まる。彩子も口元に手を当てて固まった。

「4年間、待っててくれって。誰にも文句を言われない人間になってくるって。4年間だけ我慢出来たら、あとはもうずっと一緒だから、って――

言いながらは涙声になってきた。公延の言葉がフラッシュバックするのと、このことを彩子と宮城に言えたのが嬉しかった。つられてか、彩子も涙目になっている。

「えへへ、内緒ね。このこと話したの、アヤちゃんとリョータくんだけだよ」
〜やだもう泣かせないでよ〜」
「は、はは、木暮さんかっけえな……

彩子は感涙で宮城は感嘆といったところか。

「あ、でも赤木くんは知ってるんだ」
「へえ、そういう話もするのねあのふたり 」
「ちょっと迷ってた公ちゃんに『覚悟を決めろ』って叱り飛ばしたみたいよ」
「うおおダンナもかっけえな」
「アンタもそういうかっこいい先輩になりなさいよもう」

潤んだ目で彩子は宮城の肩をひっぱたいた。宮城が咳き込む。

「県予選のときまでにもっともっとかっこよくなっててね、リョータくん」
「そうよ、木暮先輩が見に来てくれるってことは赤木先輩も来るかもしれないのよ」
「ええとおふたりさん、それはプレッシャーというんですぜ」

げんなりしている宮城を見ながら、と彩子はけたけたと笑った。

何も思い煩うことがなく、日常の些細なことでこうして笑い合っていられることが楽しくて、こんな瞬間には全身を覆うように幸せが溢れ出る。温かく柔らかい光の店内でソファに身を沈め、笑い合う友の顔が輝いて見える。

きらきら、きらきら、彩子の頬が、宮城のピアスが、の指輪がきらめく。

きらきら、きらきら、音を立てるように、時間すら輝いていた。

END