空色

目が痛むほどの青と、眩むような白が織り成す、抜けるような青空。ミッドガルにいては、なかなか目にする事が出来ない美しい空。それを今、は見上げている。

コスタ・デル・ソルのビーチでは、いつでもこんな風にきれいな空が見られるのかと、は見とれていた。なにしろ、ミッドガル生まれミッドガル育ち。スラムではなく、上の街にいたとしても、空はいつもくすんでいて汚れていて、長く見上げていると咳が出てきそうな色をしていた。

いっそ、引っ越してきてしまおうか。そんな気持ちになってしまう。

「おい、、何している」

この声を聞いていると、とてもそんな事は出来ないと解っているけれど。

「どうした。ぼんやりして」
「すみません。ここは初めてなもので、つい。空がきれいだなあ、と」

空に目を奪われて足を止めてしまった事をは謝る。そのの数歩先を、ルーファウスがサクサクと軽い足取りで歩いてゆく。強い日差しをまともに見たせいで眩む目に、ルーファウスの金の髪がよりいっそう輝いて見える。

「初めて? 休暇はコスタ・デル・ソルがほとんどだろう」

潮風に髪を攫われながら、ルーファウスはを振り返らず、少しだけ横を向く。空気を含んでゆらりと浮き上がる髪が、金の筋を残してきらきらと光っている。彼が着ているのが白いスーツだから、その輝きが何倍にもなって、眩むの目に刺さる。

「休暇といっても……あまり長いお休みは取った事がないので」
……そうだったな」

がまとまった休暇を取れないのは、ルーファウスのせいだ。が休暇だろうがおかまいなしに呼び立てるからだ。もそれに慣れてしまって、休暇の初日から遠出をしない。そうすると、急な呼び出しにもきちんと間に合ってしまう。

「でも、今、この街を見る事が出来ました。休暇を頂いたみたいです」

ルーファウスと同じように舞い上がる髪を指で押さえて、は遠ざかるビーチに目を向ける。

「安上がりな事だ」
「社長がお休みを取られないからですよ」

仕事が趣味と片付けてしまうのは簡単で、しかもそれは相当に控えめな表現だ。ルーファウスはほとんど休みを取らない。活力に満ち溢れているようにも見えないが、それでも毎日何かしら仕事をしている。

「おれが休めば休暇を取るのか?」
「結果的にそういう事になるかと」
「それもそうだな」

ルーファウスにしては、のんびりと言葉を選んでいる。それはやはり今いるこの場所がコスタ・デル・ソルだからなのだろうか。サクサクと地面を踏みしめる音が、心なしか緩んでいるようにも聞こえる。

……しかし、それで体でも壊されたら困るな。、近いうちに休みを取れ」

やはりルーファウスも、この美しい空の下ではぼんやりしてしまうのだろう。おそらく何も考えずに言ったであろうその言葉に、は吹き出した。

「何がおかしい」

やはりルーファウスは振り返らない。だが、光の残像を残して揺れる髪が、少しだけ強張ったように見える。

「当分お休みが頂けるほどの暇はありませんよ」
「それなら暇を作るまでだ」
「そんな事をなさっては、今度は社長がお体を壊されます。やっぱり休めない事になります」

細かなスケジュールについては、の方が熟知している。予定が前倒しになって余裕が出来ても、そんな事をすれば確実にルーファウスは倒れる。ルーファウスが倒れたら、が世話をする事になる。その間、余裕を作ったつもりが、逆に予定に追いつかれて慌てる羽目になるのが落ちだ。

「ふん、面倒だな」
「このまま何もかもが順調に進みますと、2ヵ月後以降に少し空きが出るかもしれませんよ」
「そうか」
「もっとも、社長が新たに予定を捻じ込まなければ、の話です」

ルーファウスの肩が、小さく跳ねる。やれやれ、とでも言いたいのだろう。

だが、そんな風に旅行が出来るほどの休暇が取れなくとも、は不満はなかった。ルーファウスは安上がりだというが、こうして光り輝く世界にいる事が嬉しいし、それが仕事のおまけだったとしても、前をゆくのがルーファウス1人だったとしても、心が弾むのは変わらない。

スケジュールを改めてみれば、働き尽くめの日々かもしれない。だが、それが体を蝕むほどでない事は確かだし、始終ストレスを感じる事もない。つまるところ、はルーファウスの下で働く事が性に合っているし、苦に感じないし、端的に言ってしまえば楽しいのだ。

だから、休暇が満足に取れなくても、しょっちゅうルーファウスに呼び立てられていても、それを厭う事がない。初めて見る美しい空に目を奪われても、見る機会を与えてもらえなかった等とは考えない。その空を見上げる事が出来た、その事実は揺るがないから、その他の事はどうだっていいのだ。

……ずいぶん楽しそうだな」

ルーファウスが呆れるくらい、は頬を緩ませている。

「はい、楽しいです。ここは、本当にきれいです」

のその言葉に、初めてルーファウスが足を止めた。どうせすぐに煽られてしまう前髪を一掻きして、するりと振り返った。呆れているし、苦笑いをしているし、それに少しだけなら面白いものを見たような顔をしている。

「本当に安上がりな女だな」
「経済的、と言って頂きたいです」

肩を並べたの背中を、ルーファウスがそっと支える。それに押されるようにして、はゆっくりと足を進めた。ルーファウスはまだ苦笑いをしているが、の背に手を当てたまま歩いている。

「仕事で上司と並んでいるだけで楽しいとは、まったく経済的だ」

そういう事ではないんです、社長。そう言いかけてはやめた。

コスタ・デル・ソルの景色がきれいな事と、ルーファウスと並んで歩いている事と、しかしそれが仕事の内であるという事。それは等価値ではないのだけれど、何に1番価値があるのか、それを言ってしまうのはもったいないし、怖くもある。

「昼間もきれいなんだろうが、夜もいい眺めだそうだ」
「では、社長がお休みになられましたら」

背中に置かれた手がそろそろくすぐったくなって来たは、普段の言葉を装う。

「誰が時間をくれてやると言ったんだ。夜、時間が出来たら外出するのはおれだ」
「はい、わかりました。そのようにスケジュ――

高圧的で、奴隷的な扱いは今に始まった事ではないから、はルーファウスの言葉をするりと受け流してしまおうとした。それを遮ったのは、のシャツを掴んだルーファウスの手。

「経済的かもしれんが、察しの悪い女だなお前は」
「はあ、そうでしょうか」
「はあ、じゃない。お前も、外出するんだ。おれと、一緒に、2人で!」

一言一言区切るようにしてルーファウスは言った。常にそつがなく、そこそこ手際よくルーファウスの傍らに勤めるだが、今度ばかりは言葉もなく立ち止まった。

「あの、社長……
「仕事でも上司がいてもお前は楽しいんだろう?」

ルーファウスはにやりと笑って、またの背を押し、歩き出した。そして、何歩も歩かない内に、その手はの腰をゆるりと抱くように伸びた。ルーファウスの言葉を反芻していたは、それに気付いて再び足を止めそうになるが、ルーファウスを一瞥しただけで、彼の歩みに合わせてまた歩き出した。

「そう、です、楽しいです。仕事でも、上司でも、社長が――いらっしゃるから」

ルーファウスの方など見ずに、は最後の言葉を吐き出す。さらに、顔色を伺う事もせずに、ルーファウスの背中に手を絡ませた。ルーファウスが何も言わないので、も、もう何も言わなかった。

僅かに日が傾き始めたコスタ・デル・ソルの空の下は、まだ飲み込まれそうなほどの白に輝いていて、2人の影をゆらゆらと弄んでいた。

END